少子化と外で遊ばぬ子
老人の介護や福祉施設が増える一方で子供が減ってゆくという困った現象が目立つ。
山間部の小、中学校では生徒の数が1けたというところも出ており、複式授業をしたり、なかには学校の統廃合が話題になっている。いわば全国的な傾向といっていい。
山村のひなびた地で、校友も少なく、十分な文化の恩恵を受けられない子供のことを思うと頭が痛い。
いま問題の限界集落は大きな音を立てて早足でやってくる。中央から離れた地方は大人も子供もおいてけぼりにされるのか。
そうであってはならない。地方には日本の過去を支えた農業があり、うるわしい歴史や伝統がある。目に見えぬ誇るべき共同の財産と自負がある。都会人が富と文化を満喫していると自惚れているかもしれないが、彼らの二代、三代前はみんな日本の地方から出てきた人ばかりだ。
日本の原風景、それを今日の地方に探訪したいと思うが、あまりにも荒廃し、人々の心にまで陰がさし始めたのはやむを得ないと引き下がるわけにはゆかない。
◇問題をあすを担う子供の教育にしぼっても心が萎む。
このごろ、子供が家に閉じこもって外で遊ばない、ということが問題になっている。これは子供のせいではなく、一つは偏差値教育で、塾全盛時代を迎えたからであり、子供から戸外で遊ぶ時間を奪った。
いま一つの原因は情報化社会の犠牲となって、テレビ、パソコン、ケータイ、ゲーム機にはまってしまったからである。
◇確かに子供は外で遊ばなくなった。同年齢層だけでなく異年齢の子と群れて遊ぶのは社会的時間の成長過程における大切な要素ではある。
戸外の遊びで家や学校で学ぶ以外の多くを体験することは子供の将来にとって大切な財産であるが、それが今はなくなった。
学校やPTAが戸外での遊びを奨めても、あるいは遊び方を教えても、家庭が子供のしつけにお手上げの現状では実効は期し得ない。
◇ぼくは毎朝、学校近くを散歩するが、授業前も休憩中も、放課後もグランドで子供の遊ぶ姿を見たことがない。
「子供は風の子」というが、この言葉、もはや通用しないのではないか。
ぼくは今の子が向学心や研究心に燃えて、自己の啓発向上に一途であれば、たとえ家に籠もっても憂いはしない。
しかし、大方の子はゲーム機に夢中になったり、ケータイのメールにうつつを抜かしていることを思うと悲しくなる。親が毅然として放課後の子供の生活指導に当たらねば、子はますます好き放題、したい放題になり、結果としては基礎教育がおろそかになり、読書の習慣や、ものを作ったり、描いたりする能力にマイナス影響を与える。
◇過日の滋賀夕刊紙上で、虎姫町教委が学校へ持ち込みのケータイを取り上げる方針を打ち出したとあったが、その積極性を評価したい。
それぞれの学校が生徒の校外活動を具体的にとらえているか、これはすこぶるあやしい。学校の中で事故を起こさず無事平穏に一日が終わればよい、などと考えているとは思わないが、教育という人間づくりの大役を背負っているのであるから、放課後までは月給をもらっていない、などと水臭いことをいわずに身を挺して、明日の子供の将来に力をかしてほしい。
◇さしあたり、小中学校時代の大切なことは、よく運動し、よく遊び、健康で明朗な生活習慣をつけること。
第2は、読書の習慣を身につけること。
第3は自らの趣味を発見し、それに喜びを感じる生き方である。
家庭においても無責任は許されぬ。自分の子が放課後どうして過ごしているのか、ある程度は把握して適切な助言や、ときには厳しく指導をしなくてはならぬ。【押谷盛利】
2008年02月07日 13:49 | パーマリンク
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