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ギョーザ事件は神の啓示

 中国産のギョーザが日本人の胃袋をでんぐり返している。
 あらためて中国製食品の日本の食品界におけるすさまじい進出ぶりに驚くわけだが、お人好しの日本人もどうやら今度は腹の底から中国製輸入食品の不信に取りつかれたようだ。
 これまでにも日本のみならず海外においても中国産食品の毒性被害が報じられ、ダイエット食品、ドッグフード、練り歯磨きに至るまで一騒動を起こしてきた。
 しかし、問題になったケースは氷山の一角で、いちいち丁寧な調査や輸入時の厳しい上陸検疫を実施していれば恐ろしくてとても手が出ないのではないか。
◇中国の農産物に対する農薬のずさんさは早くから伝えられ、日本人の食生活にしばしば警戒心をかき立ててきたが、なぜか、歴代政府は輸入に寛大であり、取り締まりにも甘さがあった。
 一つは日中の経済交流にヒビが入るのを避けるためでもあり、一つは食品業界を保護する利権がからみ合っているといえよう。
 それは外国からの食品輸入に限らず、日本国内の肉類、菓子類の食品衛生上の監督、指導においても言い得ることで、牛乳、チョコレート、饅頭、コロッケ、その他、インチキのオンパレードで、国民は「また頭を下げている」と、あきれ返っているのが実態である。
◇ぼくは、今度の中国製ギョーザ事件は、日本国民に対する神の啓示だと思っている。「反省し、改めなさい」と神さまが分かりやすく国民に説いて下さっている、と考える。なにを反省し、なにを改めるのか。それが目下の課題である。
 第一番目に反省すべきことは、国民の贅沢、国民のなまけぐせ、食品に対する感謝の心のなさである。
 いま、国民の多くは冷蔵庫に食料品をいっぱい詰めて、自宅においても外食においても罰当たりと思えるほど残飯を捨てて恥じることがない。そして、食品の原材を自らの手で洗い、自ら包丁を使い、自ら調理する労を取ろうとしない。
 スーパーや大型店、生協、その他から完全に調理した原材や加工食品を購入して、自宅で台所の手間をかけることを避ける。いわば台所仕事がいやなのである。
 そして、食品は天地自然の恩恵、神さまの贈り物であることを忘れて、感謝の心が全くない。感謝の心がないから捨てることに痛みや、もったいなさを感じない。
◇昔の人は雨はお下がりといい、天の祭壇からのおさがりものと感謝した。雨と太陽のひかりを受けて地上に種子や植物が育つからである。
 農村地帯では春、田の耕作を始める前に神酒(みき)を供える風習のところもあり、一年の豊作を祈る祈年祭が行われるのも大地への感謝と祈り心からである。
 また、高い山の峰々に雪が溶けて、残雪と岩肌が桧模様を描くことがある。これを「雪形(ゆきがた)」というが、昔の人はこれを見て、山の雪の溶け具合を判断し、田植えや種蒔きの時期の目安にした。
 そういう自然への畏敬の心で栽培し、収穫した農産物ゆえに、秋には収穫祭を行って感謝するのである。
◇それを今の日本人は忘れて、農作物、とくに野菜類をバカにして、昨年も問題になったが畑の中に収穫しないまま大根や白菜、キャベツなどが捨てられ、重機で踏み潰されたりする。
 これは日本の農業を破滅させる輸入食品の影響によるが、企業が農業を支配し、食品工業化した裏返しである。
 加工食品は化学物質を多彩に使い、色、味、匂いまでをつくり、全くの偽物をあたかも本物のように見せかけるが、それを「安い」「調理の手間が助かる」「うまい」の宣伝に乗せられて、食品の本来の質に見向きもしなくなった。
 大企業のコマーシャルに生活の主体性を放棄し、国も地方も個人もすべて「金」と「ずぼら」に走ってしまった。
◇ここで、食物は手で、台所で調理するものとの初心に返り、調味料にしても日本の伝統である味噌、しょうゆ、酢の発酵食品に軸足を切りかえるべきである。
 そして、国民と農業者が固く結びついて健康な、安全な食品を「大切に」戴くことを実行しなくてはならぬ。
 中国その他の農産物をやめて、国内産に切りかえれば日本の農家は蘇り、日本人の健康推進と精神衛生に役立つことを強調しておく。【押谷盛利】

2008年02月02日 14:07 |


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