土と水の汚染の危険
23日、守山市内の団地を流れる用水路で、放流中の鯉が大量に死んでいた。500㍍下流で琵琶湖へ注ぐというこの川に何の異変があったのか。調査によると、現場の上流1000㍍に生コン製造工場があり、どうやらその処理施設の排水によるものらしい。鯉の大量死で原因が追及されたが、その毒性が一気に影響したのか、長い時間をかけての中毒死だったのか、問題である。もし長い時間をかけた後の汚染被害であるとしたなら、おそらく琵琶湖を長い間、汚していたことになり、その間、湖魚の健全性をどれだけ傷つけてきたか。それを思うと、たまたま発覚した鯉の死であるが、このような水の汚染は強弱の差はあれ、どこにでもあるのでは、と少々心配になってきた。
◇ぼくは常に思うことだが、世界的規模で進んでいる地球の汚染による将来の不安である。中国の河川の汚染は目をおおうばかりというが、その汚染された水が東シナ海から日本海に流れて、くらげの異常発生や巨大くらげの原因となり、日本の漁業者を困らせている、というニュースをかつて知ったことがある。
今、世界は、地球温暖化対策をめぐって、石油燃料などエネルギー消費の削減が注目されているが、温暖化による地球破壊と同様にゴミや汚水による地球と生命の危険を深刻に論じ、その対策の実行を決断しなければならないときではないか。
◇水の汚染でショックだったのは熊本の有明海で発生した水俣病であるが、それをきっかけに工場汚染への目が環境行政を生んだことは衆知の事実であり、それと並行して警告されたのは土地を汚す農薬であった。しかし、これは日本の農業との関わりの大きさから、そして、農水、厚労、環境の三つの役所の権限と垣根争いにより、その規制はゆるく、かつ甘い。しかも汚水は最終的には大海へ注ぐので、その犯罪性は薄れ、放置、そして忘れ去られてゆく。
◇例えば、琵琶湖の湖魚であるが、今は漁業で生計が立たなくなったほど漁獲高が激減している。つまり湖魚が異常に減少してしまったのである。それをバカな宣伝に乗って、乱獲や外来魚のせいにするが、湖魚の減少は40年以上も前から始まっており、その原因は一つは工場や家庭排水、今一つは農業排水である。
これについては、規制や下水道の普及によって一部は回復線上に向かったが、他方で、農業汚水と産業廃棄物汚染が、知らず知らずのうちに地下水と琵琶湖を汚してゆく。いわば時間をかけて、ゆっくり、ゆっくり、湖魚を死滅させ、人間ばかりか、他の生きものまでもが生きにくくなってきた。
◇農薬は病害虫の駆除と除草用に大別されるが、消費行政と生産行政のはざまにあって、その被害や規制があまり話題にならない。それは水俣病と同様、一気に、目に見える形で被害が特定できないからである。
他方の産業廃棄物はどうか。これとて、生産行政である通産の役所と国民の健康を考える環境の役所とのかねあいによるあいまいさが、的確な政策を邪魔している。
つまり生産は金もうけにつながり、環境上の規制は景気に作用しかねないからである。
しかし、人間の健康が大事か、生物が大事か、それともお金が大事か、産業が大事か、この一点を集約して考えれば、だれだって、健康に手を上げる。目に見えて健康被害が出ていないことをいいことに地球を汚しっ放しにしてよいものか。
ぼくは、目に見えないことをいいことに、といったが、実際は目に見えているのである。病人だらけであり、国民の80%が薬づけである。そればかりか、脳をおかしくして考えられないような暴行や殺人事件がぐんぐん増えているではないか。【押谷盛利】
2008年01月24日 14:01 | パーマリンク
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