滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2007年12月26日

「納」と擱筆のご挨拶

 読者の皆さん、きょうの時評が今年お別れの最後の時評となります。1年間のご愛読を感謝申し上げながら、しばらくのお休みを戴いて来年のさらなる執筆へ向けて充電したいと考えております。
 滋賀夕刊は本日号で納刊致し、正月に新年号をお届けします。
 書くことに生き甲斐を感じ、日々の訴えに毀誉の反応を頂くことは記者冥利につきる幸せですが、きょうの文章が今年最後のメッセージと思えば、なにがしかの淋しい感傷を覚えるものであり、お許したまわりたい。
◇納刊は役所の仕事納めと同様にきょうの配達で今年の仕事納めと御理解頂きたいのですが、なかには大新聞は年末年始、無休ではないか、とご不満の方もおありかと存じます。その点がローカル紙の勝手であり、甘えでもあり、弱みでもあります。その弱みをいかに克服し、真に地元と密着した愛されるローカル紙に脱皮するかが課題であり、研究検討とともに広く読者のご協力を仰がねばなりません。
◇納刊の納は「ノウ」「ナッ」「ナン」「トウ」などと熟語によってさまざまな発音をするがいずれも人間にとっては大切な役回りに関係する。
 たとえば、縁起でもないが、これは年末だから許されよう。死者をあの世へ送るときの儀式に納棺がある。棺(ひつぎ)に納めて、荼毘(だび)に付す。いわゆる火葬だが、これが済めば納骨となる。死後を信じる信じないは別として、人の終わりは多く、寺院の世話になる。寺院で金銭や食糧の寄贈を受けたり、雑務を取り扱うところを納所(なんしょ)という。長浜の東別院・大通寺にもある。
◇納には収(おさ)めるの意があり、会計帳簿を出納(すいとう)帳、県や市町には出納課が設けられている。
 夫婦の縁を結ぶために取り交わすのが、結納、税金を納めるのが納税、その反対が滞納、神社や仏閣へ碑などを上げるのが奉納、曳山を山倉へ入れるのは格納。
 昔は大名などに金品を贈ることを上納と言った。不平不満、いやいやでもお上手しないと、あとのたたりが恐ろしいから、という迷惑上納も多かった。
◇もっともだ、と得心するのが納得(なっとく)で、争いごとは納得のゆかぬ限り、裁判沙汰になることがあるが、勝ち目に自信があっても、弁護士費用や手続きその他の面倒から泣き寝入りする弱者もある。福田首相が詫びを入れて問題解決へ向かうC型肝炎の薬害補償や患者救済も個々の弱い患者が仲間と連帯して提訴したからの結果である。
◇納のついでに言えば、このごろはご用がなくなったが、昔はどの家にも納戸(なんど)があった。着物や道具をしまっておく部屋のことで、最近の新築家屋のクローゼットがこれに相当する。
 納戸ではないが、農具など雑物入れ場に納屋(なや)がある。
◇最近は言葉の乱れとともに敬語の使い方を知らぬものが多く、電話や口頭での挨拶もはらはらする。今でも固い人は賀状の文句に「新年の御慶めでたく申し納め候」と書くことがある。ありていに言えば「新年おめでとう」である。「新年のお喜びを申し上げます」で、申し納め候は、上納の納めと同様に、へり下って納めさせて頂きます、という意味である。
 よく似た発想では「笑納」がある。これは物を贈る場合の挨拶で、粗品でございますが「御笑納下さいませ」。お気に召しませぬかもしれませんが、お受け下さいというエチケット言葉。
◇歳末、ご多端のみぎり、読者各位のご健康、ご多幸をお祈りしつつ、擱筆(かくひつ)のご挨拶申し納め候。【押谷盛利】

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2007年12月25日

1年を振り返って(見聞録)

 今年最後の「見聞録」となりましたので、1年を振り返ってみました―。
 まず、世界に目を向けると、武装組織によるテロや誘拐、独裁政権による市民の弾圧など暗いニュースが相次いだ。
 ロシアでは高騰する原油価格に支えられたプーチン政権が中央集権を強化し、「強いロシア」を復活させた。政権に批判的な人物を排除するなど独裁が垣間見えるも、米タイム紙が「今年の人」にプーチン大統領を選んだ。良くも悪くも一年間で最も影響力があったことが選出の理由。
 オリンピックを来年に控えた中国は目まぐるしい経済発展を遂げているが、都市と地方の所得格差の拡大、食料品汚染、環境破壊、役人汚職などマイナス面がクローズアップされた。全国紙の国際面では「ダンボール肉まん」「カップラーメンを食べた子どもが死亡」など世間を驚かせるニュースが続いた。
 イラクやアフガニスタンではテロが後を絶たず、内戦の模様。そのテロの連鎖はタイ、インドネシアなど東南アジアにも飛び火した。ミャンマーでは軍事政権による民衆の弾圧が映像となって世界に発信され、日本人ジャーナリストが殺害された。
◇ヨーロッパではEU加盟国が東へ拡大し、▽民主主義▽市場経済▽法の支配―を条件に、旧「西側」と旧「東側」が手を携えた。ルーマニア、ブルガリアが新たに加盟し、現在27カ国。
 異なる民族、異なる言語の共存が、そこに住む人々にどのような影響を与えるのか。今後ますますグローバル化するであろう世界の行く末を占う試金石として注目したい。
 また、グローバル化の一方で、若者による外国人襲撃など、過激な排他・民族主義がEUやロシアなどで薄気味悪く広がっていることも付け加えたい。
◇国際規模の課題として、気候変動に関する政府間パネルIPCCによる報告や、アル・ゴア元米副大統領の著書「不都合な真実」の発表などで、地球温暖化問題への関心が高まった。身近な取り組みとして、ごみ分別、レジ袋の辞退やマイ箸持参などが見直された。
 ただ、ブランド物のエコバッグに客が殺到するなど、「エコ」がファッションやブームの一つとして取り上げられる商業的側面も見え隠れした。
◇国内に目を転じると、「政治とカネ」「消えた年金」の問題で自民が参院選で惨敗。安倍政権が崩壊し、福田政権が難しい舵取りを余儀なくされている。
 生活関連では食品偽装、振り込め詐欺が多発。原油価格の高騰でガソリン、食料品が値上がりし、国際問題が日々の生活に直結していることを実感させた。
◇海外、国内では暗いニュースが印象に残ったが、滋賀はどうだろうか。
 嘉田由紀子知事のもと革新の風が吹き、4月の統一地方選挙で自民党が惨敗。民主、革新系が議席を伸ばし、県政史上初めて非自民系の議長が誕生した。夏の参院選でも強固な地盤を持つ自民現職候補があっさり敗れた。
 一連の選挙で新幹線栗東新駅計画が中止となり、民意を政治に反映した「民主主義のお手本」のような結果になったことはハッピーなニュースだろう。
 長浜では春の祭りで曳山全基が長浜八幡宮に勢揃いし、8万人もの観光客で大賑わい。彦根では築城400年祭のマスコットキャラクター「ひこにゃん」が、その愛くるしさから多くのファンを生んだのが、心温まるニュースだろう。
 なお、来年は「黒壁」が誕生20周年を迎える。長浜を年間100万人が訪れる観光都市に導いた主役の成人式である。その成長を祝うとともに、今後の活躍を見つめてゆきたい。

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2007年12月23日

ストレスとビー玉人間(よもやま)

 先日、米原市で心の健康づくり講演会が開かれた。心の病は生活習慣やストレスが原因になる場合が多い。うつ病の権威である医学博士の吉川武彦さんから「脳とストレス」「心の病とそのケア」など興味深い話を聞いた。
◇太平洋戦争に敗れた日本は軍事立国から農業立国に転身した。土地の所有形態は「地主」と「小作」の関係を崩し、すべての農民が自分の農地を耕す改革を進め、生産性を高めた。
 朝鮮戦争の勃発で軍需工業が再興し、工業国に急転するが、戦争の終結とともにアメリカの自動車産業の下請けとなり、近代工業国家への道を歩み始め、「重厚長大」から「軽小短薄」に変わっていった。
 このように我が国の近代化は生産、流通、子育てや学校教育までもがスピードや生産性を重視し、管理強化や画一化を進めてきた。
 このため人々は「落ちこぼれないよう」「頑張らなくては」「しっかりしなければ」などという気持ちが芽生え、やがてこれがストレスに変わり、心を荒廃。また、画一化が進められたため、横並びの考え方が自由で奇抜な発想を阻害させた。
 吉川博士はその弊害として「ビー玉人間」が作られたと言う。ビー玉人間は勉強ができて、親や教師のいうことを良く聞き、わがままも言わず、きちんとしているが、困難に遭遇した場合、柔軟に対応できない。ビー玉のように角(かど)やトゲが無く、つやつやし、外見はピカピカしているが、壊れやすいのが難点といえる。
◇心は「知=知恵」「情=思いやり」「意=やる気」の3つで構成され、ストレスでバランスが崩れると脳の歪みが生じ、心と体に不具合が起きる。
 この世にストレスの無い社会は無く、うつ病の原因はストレスにある。ストレスには善玉と悪玉があり、前者は人間を励まし、後者は疲れさせる。心が疲れると身体に何らかの症状(SOS)が出る。
◇予防策はまず、自分の性格を知ること。過剰適応型か、燃え尽き型か、はたまた自信欠乏型でないか。性格を理解した上、真正面から向き合うのか、サラリとかわすのか、逃げるのか、対処パターンを考える。時には「ガス抜き」も大切で、甘いものを食べたり、おしゃべり、スポーツ、趣味などでストレスを解消することも良いが、やけ食いや飲み過ぎはかえって体に良くない。
 うつ病はストレスによって心のバランスがつぶされる病気なので、この原因を外せば、元来の力が戻る。
 人間誰しも他人に弱味を見せたくないが、うつ病は身体的、精神的な休養をとって安心できる人に寄り添うことが一番の薬。
 吉川博士は最後にストレスの対処法として、求め、求められる「支え合う人間関係」を作ることが大切と説いた。これはお互いが努力を認め、努力を引き出してくれる同士であり、何でも相談できる間柄である。
◇さて、あなたが、もし精神病を患った場合、周りに「支え合える」人がいるでしょうか?妻、夫、恋人、家族、友人、同僚、先輩、先生など。くたびれている人に「頑張りましょう」ではなく「休まない?」と言える関係も大切では。
 人間、失敗して落ち込むことも、へこむこともある。ちょっとした言葉や笑顔が病んでいる人を救うかも。

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2007年12月21日

暦、干支あれこれ(見聞録)

 12月22日は冬至。1年で最も昼が短い日で、この日に柚子湯に入り、粥や南瓜を食べると風邪をひかないという風習がある。1年を24等分した「二十四節気」の一つで、古くはこの日を年始と考えた。
 今年もあと少しで終わり、カレンダーは残り1枚。暦(こよみ)について考えてみたい。
◇「こよみ」という昔ながらの大和言葉の起源は、江戸時代の谷川士清(たにがわことすが)という国学者がまとめた国語字典「和訓栞(わくんのしおり)」に記されている。
 「こよみ、暦日をいふ。日読の儀二日三日とかぞえてその事を考えて見るものなれば、名とせるなり」。
 そして、その語源は「日読(かよみ)」といい、「か」とは、2日(ふつか)、3日(みっか)、4日(よっか)と読むときの「か」を指すと解説している。
 奥の細道の冒頭文に「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり」とある。空を巡ってくる月や太陽、それに従って月日というものができる。けれどもそれは永遠に続く旅人で、古い年が去り、新しい年がまたやってくる。その年もまた旅人である。暦の一日一日すべてが旅人。それを叙情的に現したのが冒頭の文であろう。
◇一方、「カレンダー」の語源はラテン語の「カロ」に由来する。英語では「コール」、すなわち「呼ぶ」という意味。では、何を呼んだのか。
 古代ローマでは月が見えると、「月がみえたぞ」と呼んで知らせた。月の満ち欠けによって日を数え、季節を知らせる方法「ユリウス暦」を用いていたからだ。
 ちなみに暦には、「陰暦」「太陰太陽暦」「太陽暦」があり、それぞれ、「月」「月と太陽の併用」「太陽」を、1年を数えるうえでの目安とした。現在、世界で通用しているのは太陽暦の「グレゴリオ暦」。
◇日本は明治6年まで太陰太陽暦を使っており、農事の季節の目安などにしていた。
 明治時代に入り、欧米諸国との外交が盛んになったのを機に太陽暦を採用したのだが、その改暦のきっかけが面白い。
 というのも、明治6年は旧暦のままだと閏(うるう)月があり、この年に限り1年13カ月。当時の明治政府は財政事情がひっ迫していたうえ、月給制を導入したばかり。余分な月給を支払うことを嫌い、明治5年の年末になって突然改暦し、欧米と同じ太陽暦を取り入れたというわけ。
 何とも身勝手な話だが、さらに明治5年の12月は旧暦ではたった2日しかなかった。政府はそれを理由に12月分の給料を払わなかった。役人達は明治5年は11カ月分の給料しかもらえなかったのだ。
◇暦は十二支でも表現される。もともと中国でつくられ、漢字文化とともにアジアの国々に広まったが、どこでどうなったのか、いくつかの国で動物が変わっている。
 例えばベトナムやタイ、チベット、ベラルーシでは5番目の「卯(うさぎ)」の代わりに猫が入っている。さらに、タイでは猪が豚、モンゴルでは寅が豹、ベトナムでは牛が水牛だったりと、お国柄で少しずつ違っていてユニークだ。

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2007年12月20日

韓国の李大統領を祝福

 韓国大統領選は19日行われたが、予想の通り、保革逆転で、最大野党ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)氏が当選した。
 韓国民は賢明なる判断をしたと思うし、それはアジアのため、日本のためにも良好な結果をもたらすものと歓迎したい。
 韓国において、革新とは親北朝鮮主義である。ここ10年間、韓国は金大中政権以来、気味悪いほど北朝鮮寄りの政治を続けてきた。
 国境での銃撃その他のトラブルや国民の拉致問題にほおかむりして、ひたすら北朝鮮への援助を続けてきた。
 それは金剛山の観光開発を頂点とする経済支援、食糧や肥料、医薬の供給、援助、相互友好の名による往来、アメリカ及び日本への敵視政策に見られるように一にも二にも北朝鮮政府を助ける政治的効果をねらっていた。
◇ぼくは、金大中以来の同国の北朝鮮寄りの政策に危険を感じ、この国の将来の不幸を心配していた。
 よその国のことを、なぜ心配するのか、といわれるかもしれないが、よそとは言え、一衣帯水の隣国である。釜山と島根間の狭い海峡を渡れば、そこには朝鮮半島があり、日本列島がある。
 もし、韓国が北朝鮮と南北連合政府をつくれば、事実上、そこには共産政権が生まれることになり、金正日将軍の「偉大なる」「ありがたき」政治が韓国に及ぶことになる。
 連合政権は一段階で、南北両国の統一政権こそ平和と発展の礎である、というのが北の主張であり、これは一種のこけおどしで、いかにも正論のようであるが、韓国民の多くは今度の大統領選で、その落とし穴に気づき、明確にこれまでの親北政策にノーと意志表示した。
◇日本人は、この辺の微妙な韓国民の心を知っているかどうか。マスコミを中心として、これまでの多くは、韓国の革新的政権を評価し続けてきた。
 韓国が北の影響を受け、北の思想に染まって、事実上、北の分家のような国家に変質すれば、それは明らかに連合政権から統一国家、すなわち共産政権の擁立に発展する。それこそ戦後の昭和25年勃発した朝鮮戦争の侵略意図と同じで、朝鮮における共産革命国家の創設である。
◇ぼくが韓国民のために、南が北に支配され、その影響下に陥ることを心配するのは、そのことがこの国の国民の将来にもたらす不幸を思うからである。先ず第一に、韓国民がこれまで享受してきた自由と民主主義の生活を侵され、すべてがスパイに監視される奴隷的生活に追いやられるからである。そこには職業選択や進学の自由もなく、もちろん言論、結社、集会の自由もない。北が共産党独裁政権の下で、国民がどんなに人権を無視され、不当な圧迫や貧困に泣いているかは、世界に散っている脱北の人々に聞くのが最も手っ取り早い。
 その点は、隣国で、拉致その他、多くの迷惑を受けている日本人の最もよく知るところである。小泉政権下、解放されて帰国した拉致被害者の発言や、これまでに北から脱出してきた人々の声を聞くと、北の恐怖の政治をまざまざと知ることができる。
 もし、韓国が今後も親北政策を続けるならば、韓国には軍隊、学校、役所、企業の至るところに北の工作員が侵入し、韓国民の思想の共産化に成功するだろう。それは確実な韓国の共産化であり、金正日支配の連合政府へ最短的地ならしとなろう。
◇なぜ、このように心配するのか。もし南が北の支配に転ずれば、日本への北の影響が強まるばかりか、核を持つ北の軍事的脅威にさらされるからである。【押谷盛利】

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2007年12月19日

人間は欲の固まりだが

 人間のあわれは欲といえよう。俗に「欲の固まり」というが、表に出すか出さないかは別として、欲のない者は一人もいない。悲しいのは死に欲である。余命いくばくもないと思われる患者がしっかりと財布を抱き、貸した金の利息を催促するのは哀れというよりも滑稽じみている。
◇「私は無欲だ」と、てんたんとして高僧のように悟っている人も、美女を見れば心が騒ぎ、お一ついかがと菓子を出されれば、おいしそうなのに手が出る。
 欲のうちでも、それなくては生きていられぬのが食欲。これは生存欲である。神さまはもう一つ大事な欲を忘れなかった。それは性欲である。子孫繁栄に通じる種の存続欲である。
 この二つの欲が人間の根幹であり、あとはつけ足しや飾りであるが、神さまは人間の成長発展を願われて、人間に競争心や自立心、研究心などを付与された。
 それが天下欲、名誉欲、物欲、知識欲となって、複雑な人間社会を構築する。
◇人間は四海平等というが、本当にそうなのか。裸にすればみんな同じだが、生まれた環境やその後の生い立ち、住んでいる社会の実相の上から、人はそれぞれ独自の個性と人格を持つ社会の構成員でありながら、職業、生活、その他の上で千差万別である。
 福沢諭吉は、明治の初め、外国の民主主義を知り、「人の上に人、人の下に人を作らず」とすべての人は同権であると主張したが、それはあくまでも建て前であり、賢人、愚人、富者、貧者、権力者、人民、それぞれの違いを持つ。
◇人間から「幸せになろう」、「いい格好しよう」、「いいめをしよう」という欲をとったら、その社会はどうなるだろうか。恐らく今日のような文化的発展は望めなかったに違いない。
 幸せの要件は単純ではないが、常識的には富と健康と愛のある生活であろう。
 と、なれば、働いてお金を貯め、あるいはいい地位、ポストで楽な暮らし、家庭の愛や恋人の愛に恵まれることを期待するであろう。あるいは技能や趣味を生かし、世に尊敬される作品を残すことを考えるであろう。なかには国家から勲章その他、栄誉に浴して、家門の誉れに満足する人もあるだろう。
 また、人心救済、他人の不幸を慰め、病を癒すことに喜びと幸せを感じる人もあるはず。
 そう考えれば、何らかの欲が人間社会を向上させ、この世に灯りをともし続けていると考えられる。
◇したがって、欲を不浄とか、さもしいとか、簡単に忌むべきではなく、問題は欲をいかに善意に発展的にコントロールするからである。人間の向上に役立つこととか、人間社会を楽しく明るくすることになるからである。
◇推古天皇はヤマト政権の統一という国づくりに当たり、603年に役人に位階の制度をつくったが、これがわが国の位階の始まりで、当初は12階だった。後に皇族は1品(ぽん)から4品。諸王は正1位から従5位まで。明治以後は正1位から8位まで。戦後は故人のみに与えられるようになった。
 この位階の制度は国家による人間の格付だが、これによって、役人を支配し、その栄誉心をくすぐることによって政治の効果を高めようとした。つまりは、名誉欲が役人をして、任務への忠実と政権協力につながった。
◇位階ではないが、文化勲章とか、国民栄誉賞、あるいは叙勲制度は、国民の各分野における働きや功績を顕彰しようとするものである。賞や勲章は、功績や顕著な業績に与えられたもので、その制度が国民の文化、芸術、産業、行政、その他各般における人々の努力と活躍に大いなる刺激剤となっていることは争えない。
◇悲しいかなこうした美しい創造的欲の姿よりは、不法な物質欲や変形の異常色欲がニュースに脚光を浴びる。いわく強盗、殺人、いわく偽装、いわく贈収賄。いわく輪姦、強姦、婦女暴行、いたずら。
 これからの年末、不祥事の起きないことを祈るのみ。【押谷盛利】

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2007年12月18日

今年も海外へ大挙(見聞録)

 今冬の年末年始は海外旅行者が史上3番目の多さになると、旅行会社「JTB」が予報している。カレンダーの都合で連休を確保しやすいとあって、クリスマスシーズンからヨーロッパを目指す長期旅行組も多いようだ。
 同社は1969年からアンケート調査、ツアー・航空会社の予約状況などから、旅行者数を推計している。
 今年は1月4日(金曜)を休めば9連休(12月29日~1月6日)となり、海外、国内ともに昨年を超える好調な人出で、海外旅行者は約64万4000人に上る見込み。
 イルミネーションの美しいクリスマスの時期をヨーロッパで過ごしたいという意向が強く、旅行費用が比較的高くないクリスマスシーズンから出かける人も。
 ファミリーの定番となっているハワイは6、7日間が一般的で、ホテルは眺望にこだわった高層階の高級タイプが人気。バリ、サイパンはファミリー向けに「絶好調」という。
 香港・マカオなど近場のアジアは年明け出発が多いのが特徴。特にカジノを楽しめるマカオはチャーター便も飛び、注目のスポット。
◇一方、国内旅行者も約2945万人で、前年より0・2%増える見込み。
 近年は北海道でスキーを楽しむ旅行者が増え、台湾からの旅行者を含め、上質の雪がスキーヤーを魅了している。
 年中、旅行者の絶えない沖縄は、大人が楽しめる本格リゾートが増えつつあり、ゆったりと年末年始を過ごすには最適という。
 また、特に近年は都心回帰の動きが強く、東京にオープンした「リッツカールトン」や「ペニンシュラ」をはじめとする高級ホテルは大晦日、元日ともにほぼ満室という。スイートルームや眺望の良い部屋、2泊3日で20万円を超える高額プランから順番に予約で埋まった。
◇原油価格の高騰による航空代金の上昇や、円安など不利な条件が揃い、不景気と言いながらも、これだけ多くの日本人が海外旅行に繰り出すのは、切り詰めてばかりの日常から抜け出し、せめて正月くらいは贅沢を、という心理の表れか。
◇お隣の中国は、今、日本以上の海外旅行フィーバー。昨年の旅行者は3400万人に上り、そのおう盛な購買意欲から海外で243億2000万ドル(約2兆7200億円)を消費した。国家観光局が今月6日発表したところによると、2015年には消費が1000億ドル(約11兆2000億円)に上るという。
 最近、この購買意欲に目を付けたのがアメリカ政府。1週間前の11日、中国との間で、中国人に対するビザ発給手続きを緩和することで合意した。新たに団体旅行者にビザ発給の門戸を広げる。海外旅行需要を喚起するのが狙いで、両政府の合意に、アメリカ旅行業界は大喜び。
◇中国は、海外旅行者が多いだけでなく、受け入れもまたビッグスケール。世界観光機関が発表した2007年上半期における中国への外国人旅行者は前年同期比18%増の1200万人超で、今年は過去最多の2200万人超になる気配。仮に、この増加率が続けば、2014年には観光大国フランス(年間6500万人)を抜いて世界1になる可能性がある、とフランス通信社は伝えている。

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2007年12月17日

恋愛と見合い結婚談議

 今どき、見合い結婚と言えば笑われるかもしれないが、ぼくは見合い結婚賛成派である。その人に、何もかもぴったりという人はいるかもしれないが、そんな人に会うことは至難中の至難である。
 仮りに日本に20歳から30歳代の男女が3000万人いるとすれば、結婚適齢期の相手は1000万人から1500万人にしぼられる。その数に比べて、われわれの知っている異性、仲のよい異性はほんのちょっぴりである。多くは学校関係、職場関係、地域、家庭環境における知り合いか、交際範囲を出ない。
 そんな一握りの知人、友人から完全無欠ともいうべき、どんぴしゃりの相性の異性を見付けることはほとんど不可能といっていい。
◇恋愛結婚の落とし穴はこの辺にあるのではないか。人生経験の浅い、それゆえに人を見る眼の未熟な若ものは、秀れた直感力はあるが深い洞察力はない。感覚が新鮮であるから好悪(こうお)の判断も早いが、見間違い、浅慮の結果、結果的には好ましくない選択をするかもしれぬ。
 その間の人間の心の綾を昔の人は「あばたも、えくぼ」といった。
 このごろは「ボタンのかけ違い」ともいう。最初の一つが狂えば、あとあと、みんなおかしくなる。そんなはずではなかったが、と周辺がびっくりするような短期離婚も珍しくない。このごろの流行語のようなバツ1、バツ2の符帳は大正や昭和1けた人間には信じられない社会的結婚異変である。
◇恋愛結婚は見た眼には華麗で、幸せそうだが、相手を知らなさすぎるか、一方的にのみ知り過ぎているか。要するに神意ともいうべき相性(あいしょう)の不一致で破綻する確率が高い。
 そうした不確立、不安な要因を避けるには、多くの人の協力を得て、広範な適正異性群の中から最もふさわしい人を選ぶに越したことはない。そうした選択の広範性を考えるならば、好ましい相手、ふさわしい伴侶は全国どこかに存在するはずである。
 という点で、ぼくは先輩の善意を信じ見合い結婚を奨める。
◇しかし、見合い結婚にだって落とし穴はある。
 例えば「400づつ両方へ売る仲人口」という川柳がある。昔から仲人口は嘘(うそ)八百という。男性側へ嘘400、女性側へも400、両方合わせて嘘八百、というしゃれである。
 嘘は嘘でも当世流行の偽装もあって、見合の時の娘と嫁入りの時の娘をすり替えるのもあった。
 最も笑わせる川柳に「仲人に聞けば姑(しゅうとめ)は皆佛(ほとけ)」。
◇それはともかく、人間の出会いには摩訶(まか)不思議なところがある。一眼会って好きになることもあればその反対の場合もある。
 会う回数を重ねるごとに好きな度の高まる場合もあれば、会えば会う程好きでなくなることもある。
 最初の出会いは何人も劇的である。出会いは歴史を変えるが、人間も変える。15日夜のテレビに光秀の謀反と信長の死が出ていた。若き日、光秀が信長に出会っていなかったなら、と考え、秀吉が信長の草履取りをしていなかったら、と考えるのも面白い。出会いの摩訶不思議で東京市民が助かったのは、維新前夜の西郷隆盛と勝海舟の会談である。無益な戦火で江戸市中を灰にすることの愚を避けて100万市民の生命財産を救った。
◇去る10月、福田首相は民主党代表の小沢さんと党首会談をしたが、そのときの大連合について福田さんは「阿吽(あうん)」の呼吸だった、と表現した。
 阿は口を開いて出す音声、吽は口を閉じて出す音声と辞書にあり、神社や寺の仁王や狛(こま)犬の形がそれである。いわく言い難い微妙な気持ちが双方に通じるわけで、男女のふれあいも阿吽の呼吸かもしれない。【押谷盛利】

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2007年12月15日

小沢訪中の屈辱外交

 胡錦涛皇帝に拝謁を賜ったという小沢民主党代表の訪中は評判がすこぶるよくない。
 なぜ評判が悪いのか。言うべきことを言わずに土下座外交したからである。多くの参加議員ともども国会を欠席しながら何らの成果を上げ得ず、一方的に胡錦涛皇帝の中国支配に手を貸したからである。
 小沢訪中団は今月7日、北京を訪問したが、参加者は民主党議員45人、一般391人計436名の大名行列だった。小沢代表は空港から差し迎えの車で、パトカーの先導によりすべての信号を青にノンストップで宿舎入りした。
 翌日、訪中団一行436名は人民大会堂大ホールで、胡主席を中央に記念撮影し、同主席から握手してもらって感激した。
 このあと、胡主席と小沢代表、双方の関係者らが広大な別席で両者会談ということになったが、これについて、翌日の人民日報は一面トップに取り上げ、小沢代表の挨拶を紹介している。
 「胡錦涛主席がお忙しい中、会見していただいたことに感謝します。日本国民は中国の最高指導者が日中友好に大変な関心を持って下さったことに深く感動しています」。
◇今度の小沢訪中は朝貢外交である、との評判を聞く。
 朝貢とは貢(みつ)ぎものを持って皇帝に挨拶することをいう。西暦紀元前後のことを記したとされる古代中国の「漢書(かんじょ)」地理志に『夫(そ)れ、楽浪の海中に倭人(わじん)有り、分かれて百余国となる。歳時をもって来りて献見すという』とある。
 朝鮮半島の漢の植民地・楽浪郡の沖合いに日本人がいて、百国余に別れ、時期を決めて朝貢していた、という記事である。
 「後漢書(ごかんじょ)」東夷伝には「倭(わ)の奴(な)国、貢ぎものを奉じて朝賀す。使人自ら大夫(たいふ)と称す」とある。
 これらは、いずれも統一国家前の「ヤマダイ国」時代の朝貢外交であるが、大和(やまと)王権が日本を統一したころの推古8年(605)に聖徳太子によって第1回の遣隋使が隋の国を訪れ、同15年(607)小野妹子(おののいもこ)が正使として再び隋に派遣された。
 このことを随書は「大業3年(607)、其の王多利思比狐(たりしひこ)使いを遣して朝貢す」と記している。
 そのおりの日本の文書は「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」と全く対等の文書で、推古朝の毅然とした外交方針がうかがわれる。
◇週刊新潮が「胡錦涛皇帝に拝謁を賜った卑屈な小沢一郎」なるタイトルの記事を載せ、朝貢外交だと批判したのは国民の気持ちを代表しているともいえる。それというのも、日本のこれまでの外交はペコペコと謝罪するか、尾を振って北京参りするだけで、国益を代表していうべきことを言わず、野党第一党の党首すら頭を撫でられただけで、これではまるで中国に仕える奴隷政治家ではないか、という不満があるからだ。
 今回の小沢代表の訪中も問題の東シナ海ガス田開発の話や尖閣諸島の話も出なければ、チベット、ウイグルの人権問題も出ず、さらには2002年に起きた瀋陽総領事での脱北者逮捕に対する総領事館敷地への武装警官の無断侵入事件、上海総領事館館員を死に追いやった中国の脅迫事件、2005年の反日デモと日本の大使館や大使公邸、日本料理店への投石、損壊事件などについて、これまでの日本政府の弱腰同様、なに一つ問題提起せずじまいだった。
 お粗末さまの屈辱外交に国民のいらいらはつのるばかりである。【押谷盛利】

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2007年12月14日

健康vs大盛り(見聞録)

 長浜文化スポーツ振興事業団が市民体育館で開講する健康エクササイズ教室の受講生を募集したところ、わずか2日で定員がいっぱいになり、現在、キャンセル待ちの状態。
 中高年の体力向上や生活習慣病予防を目的に、音楽に合わせたリズム体操やストレッチなどを楽しむ内容で、エアロビクスほど激しくなく、手軽に参加できるとあって、募集のたびに定員オーバーとなる人気講座。
 長浜サンパレスで開かれている体操やヨガの講座も常に定員いっぱい。
 近年、健康づくり、介護予防のための運動教室が、楽しく参加できるとあって、地元住民の憩いの場にもなっている。
◇この手の講座は自治体や福祉、医療関係者が率先して開いているのだが、これは増え続ける医療費の削減のため、厚生労働省の呼びかけによる。
 医療費抑制には生活習慣病を予防する「一次予防」が大切だと、同省では「1に運動、2に食事…」とスローガンを掲げている。
 メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)を2015年までに25%減らすという目標を立て、生活習慣病対策で医療費2兆円の削減を目指している。
 湖北町では南部厚志町長が先頭に立ってダイエットに取り組み、その成果をホームページで公開。12日付け「滋賀夕刊」で紹介したように、体重10㌔減、ウエスト10㌢減の成果を収め、町民への良い広告塔となっている。
◇しかし、ダイエットやメタボ解消などの健康志向に反発するかのように、今、ファーストフード店やレストランは大盛りブームの真っ盛り。
 牛丼チェーンの「すき家」は通常の3杯分の「メガ牛丼」を、ハンバーガーチェーン「マクドナルド」はハンバーグを何枚も積み重ねた「メガマック」を提供。
 ファミリーレストラン「ココス」は13日からハンバーグ3枚を積み上げた「メガハンバーグ」を始めた。これだけで2097㌔カロリーにのぼり、成人男性の1日分のカロリー摂取量となっている。
 14日にはマクドナルドが「メガたまご」「メガトマト」の期間限定発売を始めたので、さっそく試食した。名前から連想するほどのボリュームではなかったが、朝から胃もたれした。
◇外食産業は客の高い支持を受けて「大盛り」への参戦に躍起だが、メタボ解消、食生活改善と正反対のこのブーム、一過性のイベントとして終わるのか、それともアメリカのように大盛り文化が定着してしまうのか…。

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2007年12月13日

小沢代表の朝貢外交

 13日付の中央紙の広告に「週刊新潮」20日号の主見出しが気になった。
 週刊誌は新聞と違い、話題性を追求するあまり、過激な露出主義に走り、名誉棄損まがいの逸脱した記事も書きかねない。
 だから100%信用することもできないし、どちらかと言えば退屈しのぎの、肩のこらぬ読み物ととらえられ、駅売りなどで重宝がられる。
 さて、20日号の週刊新潮の広告は、13項目の目立ちやすい記事見出しが満載されているが、広告の構成上、最初と最後に大物記事を一段大きな活字で黒地に白抜きでアピールしている。相撲の番付表で言えば東西横綱である。
 最初の方は「胡錦涛皇帝に拝謁を賜った卑屈な小沢一郎」。この見出しをさらに分析するのが「朝貢外交だ」、「見るに耐えない」、「お粗末すぎて恥ずかしい」の小見出し。そして、きわめつけが、記者の取材情報か、次のように感嘆符付きである。
 「震え声で感激した代表に、党内からも批判が噴出した!」。
 小沢一郎の記事が東の横綱なら、広告面の一番最後の大活字見出しは西の横綱である。これに登場しているのは皇太子妃に関わるもので「雅子さま、主治医説明を阻む」「プライバシーの壁」。この見出しの補足小見出しが「『着実に快方に』の発表はどこまで本当なのか。歌会始の歌も、天皇家正月撮影の日程もまだ」。
 皇室の記事、とくに雅子さまや紀子さま関連は売れ行きがよいとされ、読みものの対象とされるお二方には気の毒な話だが、そこが品格の問われる週刊誌であり、そうした記事に関心の向く国民の教養でもあろう。
◇さて、ぼくの時評の目的は、西の横綱ではなく、東の横綱扱いの小沢一郎民主党代表のさきごろの訪中である。
 国会の開会中で、それも国際間で去就の問われている「新テロ防止特別法」審議の気になる時期の訪中についての見解である。
 さきごろ、小沢代表は、菅直人代表代行、ほか多くの幹部や国会議員ら数十名を従えて訪中した。この時期、何の目的で、果たして成果は?と、ぼくは疑問視していたが、その辺のところは新聞やマスコミ関係者は先読みしていたのか、野党第一党党首の大々的訪中にしては、結果の報道は尻つぼみで、いつ帰ったのか、先方でどんな話をしたのやら大見出しの記事は見ずじまいであった。
◇訪中の評価が新聞に出なかったことを正当化するかのような記事が今回の週刊新潮の批判見出しの広告から推測される。
 ぼくは田舎の新聞記者ながら、この見出し部分を見て一種の感動を覚えた。実に、うがった文字が真に迫っているではないか。気の早い国民は興味をもってこの記事に殺到するだろうが、もともと週刊誌は見出しで勝負するマンガチックな部分を持っているから、あえて本文を見るほどのことはない。どんなことが書いてあるのか、この広告部分がすべてを集約している。そういう意味では編集上の好材料であり、見出し記者の冴えと取材の狙いの確かさに脱帽する。
◇ぼくは、小沢さんが大勢の仲間を引率して中国参りをしたことを苦々しく思っていたが、なぜかといえば、これは同氏に限らず、いま自民党の総務会長をしている二階氏にしても政治家で中国通として顔を売っている人は、日本が言うべきことを言わねばならぬ大事なときは沈黙して、どうでもよい時にペコペコと犬が尾を振るように大勢でお参りするからである。

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2007年12月12日

後世に残す財産と労働

 ぼくが少年のころ、家の手伝いで田んぼに通ったことがある。春は田起こし、田撥(は)ねともいうが、鋤き(すき)で田土を撥ね起こす作業はきつかった。
 代掻きや土砕きや田植えは大人の仕事で、秋は稲の刈り取りを手伝った。脱穀機で籾を落とすがらがら音が面白かった。
 春の水田で作業をしていると、隣りの田から友人が声をかけてくる。「おーい、休憩しようか」、「よっしゃ、休もう」。
 田から上がって野道で休みながら握り飯を梅干しか沢庵でほおばった。友人は気楽なユーモア人で「一服(いっぷく)ちょこちょこ、長いがよい」と笑わせた。休憩はしょっちゅうあった方がいいし、それも長い時間がよい、というわけ。ふんだんに休憩して、しかも一回ごとに長く休めば、仕事する時間が減って能率は上がらない。能率が上がるか上がらぬかはおてんとさんが見ているから日の暮れるまでには予定のコースを仕上げねばならない。
 少年が「一服ちょこちょこ長いがよい」とふざけたのは当時の肉体労働の厳しさを思わせてなつかしい。
◇ぼくが呉服屋の丁稚(でっち)に出たころは、店の休みは月に1日と15日の2日間だった。
 8時間労働制なんていうのは戦後の労働法のお陰で、当時の丁稚小僧は朝の7時から夜の9時までくらいが普通だった。
◇都市の大工場や会社は日曜日を休日とする週休制が普通だったが、今のように祝祭日を休みとするところは少なかった。
 町工場や小事業所などは表向きは休みでも仕事をするところもあり、なかには夜10時、11時ごろまで残業する職場もあった。労働者にすれば、賃金が安いから、残業で所得をカバーしたわけである。
 そのころ、つまり戦争中は農家に休みはなかった。正月と盆、春秋の祭、半夏(はげ)が村の公認の休暇で、あと、農家によっては雨降りを休みとした。
 耕作面積の多い農家は箕(みの)笠姿で雨の日も休まなかった。戦後、これではお嫁も来てくれない、と農休制度が提唱されたが、1日と15日とかを、休むようになったが、作柄の関係上、強制もかなわず自主休業の形をとるようになった。
 しかし春の植付期のように水利の関係で、休日を調整する地域もあり、村がみんな休むことはなかった。
◇山林労働者はさらに苛酷な労働条件を余儀なくされた。
 それは片手間に小規模ながら田や畑を作り、そして山へ籠もらねばならなかった。山奥での炭焼作業や伐採、木こり、木材の運び出し、植林、枝折ち、管理など、休むに休めず、雨の日を休日としたが、それでも家では縄ないやカマス作り、草鞋(わらじ)作り、その他の予備作業が詰まっていた。
◇戦前の国民の働きぶりを今に紹介しようとしても実感が湧かない。それは生活のありよう、道具、家のたたずまい、すべてが天と地の隔たりがあるからだ。
 山へ行くにも田へ行くにも草履(ぞうり)や草鞋の徒歩であり、荷車や自転車はあっても自動車はなかった。水道も下水道もないから水汲みや糞尿捨ての別途作業が家事や本業に食いこんだ。
 都市の労働者は今のような厚生施設があるわけではなく年金制度もなかった。
 小企業や商店などでは健康保険に入ることもなかった。病気をすれば仕事を休まねばならぬし、賃金はもらえぬし、医療費はかかるし、家族みんなが内職したり、食うや食わずの暮らしだった。
 一般に借金生活に追われることが多く、子供の教育どころではなかった。それでも都会生活は日銭(ひぜに)が入るが、農村は災害や病害虫で収穫がなければ大変である。借金にも限界があるから娘を売るような悲劇も生じる。うっかり病気にもなれないし、病気と分かっても置き薬程度で、入院することは不可能だった。
 そういう時代を知っている人は昭和一ケタ以下であるが、その一ケタ以下がだんだん減ってゆく。亡びゆく世代だが、亡ぼしてはならないものがある。この人たちは後の世の人のため、生きたしるしを残してほしいし、その喜びと悲しみの記録が後世の貴重な精神的財産を形成するのではなかろうか。【押谷盛利】

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2007年12月11日

気になる公共工事(見聞録)

 県が長浜の駅前通りで計画している融雪整備事業が気にかかる。
 旧国道8号線と交わる高田交差点から市役所前を通って東へ400㍍区間で来年度に着工予定という。散水には地下水を利用するため、取水のための井戸掘削工事が今月から始まった。
 実は、この地域では約20年前にも地下水を利用した融雪装置の整備計画が浮上したが、近隣住民の反対で中止された経緯がある。
 当時を知る住民に話を聞くと、地下水を利用する県の計画に不安を感じ、国土庁の関係者を交えて周辺の地下水脈を調査した結果、融雪装置が地下水脈に悪影響を与えると結論付け、県、市も納得のうえで、中止になったという。
◇しかし、今になって計画が再浮上したから当時を知る住民は納得のいく説明を求めている。
 なぜ県が再び整備事業に乗り出すのか。地元から強力な要望でもあったのだろうか。
 確かに要望書が一部自治会から出ているが、地下水を利用する場合は事前調査を十分に、正確に、という条件付きだ。また、近隣では地下水を利用した融雪装置への反対を決めている自治会もある。
 県は20年前の国土庁のデータを把握していないようだが、過去にそういう結論が出たという話を住民から知らされているなら、調査するのがスジではないのか。なぜ急いで「試掘」と称して着工するのか。
◇融雪装置が付けば、除雪の手間が省け、交通安全には寄与するかもしれない。
 しかし、装置がなければ困るという程の雪ではあるまい。この事業は井戸を掘り、道路を掘り返し、将来に渡って維持費もかかる。
 反対住民は何も自宅の井戸水を心配しているのではない。地下水という自然資源を、過去の調査結果を無視して使用して良いのかと、疑問を抱いているだけだ。
◇お隣、福井県の大野市は、地下水を融雪に利用することを規制している。「地下水はただ」と、融雪のため、無秩序に取水した結果、地下水脈を細らせた過去の失敗に学んだからだ。市民の運動で、地下水を保全する条例ができ、基金も設立された。
 地下水は有限の資源ということを知らねばならない。

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2007年12月10日

豊かな家にドラが出た

 このごろ、ひんぴんと出てくる嫌な言葉に虐待(ぎゃくたい)がある。見るからに鬼かと思うほど、むごいことをするのがこれである。
 子を親が虐待、親が子を虐待。学校での「いじめ」もひどくなると虐待につながり、被害者の少年が学校の屋上から飛び下り自殺することもある。
◇かわいいはずの我が子を虐待する親の心理は図り知れぬが、多くは十代か二十代の若い夫婦にみられる。連れ子を虐待するのは、男親に馴染まないとか、おねしょが直らないとか、泣きやまないとか、たいていは、自分たち夫婦の勝手気ままで、弱者の子の立場に立っていぬ。
◇これに反して、高齢の親が息子に虐待されるのはお金がからんでいる。判で押したように分かることは、息子が甘やかされて育ち、仕事嫌いで遊び好きの、いわゆるドラ息子である。ドラは道楽のこと、極道(ごくどう)にも通じる。
 親に財産があるうちは、なんだ、かんだと言っては、たぶらかして、小遣いをせびったり金を借りる。親の留守をいいことに物や金を持ち出したり、もっともらしい口実をつけて大金の借用保証人の印鑑を盗む。
 息子の仕打ちに腹が立ち、ときには憎むことにもなるが、しかし、ことを荒げては警察沙汰になるし、世間さまに恥ずかしいからと、泣く泣く我慢する。
 注意すれば一言一言に鋭く罵声がはね返ってくるし、どうかすると物を投げたり、捨てセリフを残して出てゆく。何をしでかすか不安で仕方ないが、だれをうらむでなく、泣き寝入りするばかりである。
◇そうこうするうちに、親が病み、親から取るものがなくなれば、世話をするのは面倒とばかり、亡きものにしようと不遜なことを実行する。極端なドラは親に保険をかけて、保険金殺人を考えたりする。
◇情報化社会で、他人のプライバシーが侵され易いというのに、隣、近所、街中の家庭の不幸や、もめごと、危険信号などが全く把握されない人情砂漠の世となった。うすうすは、何か問題がありそうだ、と分かっていても、さわらぬ神にたたりなし、知らぬがほとけとばかり、ときには見て見ぬふりをする。
◇子育ての能力がないから、あるいは愛情がないから子を殺すのや、虐待するのや、と倫理の面から説教しても始まらない。そうした不幸な子に積極的に助けの手を差しのべるそれが近所、地域社会、民生児童委員、その問題家庭をめぐるさまざまな関係者、行政、医師、警察の責任であろう。
◇息子の親殺しや、虐待は言語道断であるが、そこまで、ひどくなくとも、親を粗末にする息子や娘は珍しくない。
 これも説教するだけで効果の上がるものではない。いつから、こんなことが話題になり始めたのか。考えれば日本が経済国家になり、豊かになってからである。
 矛盾した話であるが、家貧(ひん)にして孝子(こうし)出(い)づるの逆現象が生じたというべきである。
 家が豊かになって、ドラ息子、ドラ娘が増えて来たというのは、一体どういうことなのか。結局、金を持たす、ものを持たす、「かわいい、かわいい」の甘やかせの育て方の社会的後遺症である。
 江戸期や明治のころは、親の金を使い込んだり、世間さまに顔見せできない破廉恥な行為が続けば、親は泣く泣く子を勘当した。親でもない、子でもないの絶縁を公に示して地元から追放する一種の不文律である。
 江戸時代は町役人に申し出て、勘当帳に登記して、家はもちろん、町(村)から追放した。
 昭和の初期、戦前は、貧乏な家の子ほど、社会へ出れば、刻苦勉強して、家への仕送りや親孝行に励んだ。兄弟姉妹が親孝行の競争をした。それが村の風習でもあった。そのころは貧しくとも心に錦を着ていたのであろう。【押谷盛利】

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2007年12月09日

パチンコ狂のエレジー(よもやま)

 パチンコや競馬などにのめり込み、借金漬けで首が回らなくなる人が増えている。これはれっきとした「ギャンブル依存症」という病気で、病的賭博とも呼ばれる。ごく普通の人が知らず知らずのうちに深みにはまる病(やまい)である。
 大津地裁長浜支部でこのほど、保健証を偽造しサラ金のキャッシュカードをだまし取ろうとした男の公判があった。男は競馬、パチンコにはまり込み、人生を転落。わずか7万円の借金が返せず、詐欺を思いついた。
◇起訴されたのは住所不定、無職の小野正樹被告(38)。今年8月13日、長浜市小堀町の消費者金融の無人契約機で、他人の健康保険証を使ってカードをだまし取ろうとした容疑で長浜署に逮捕された。
 小野被告は当時、勤務していた派遣先の会社のパソコンを使って、夜な夜な自らの保険証の生年月日を改ざんしたり、他人の名義で偽造。草津、長浜などで12件、計310万円をだまし取っていた。
 小野被告は大阪出身。以前、市役所に勤務していたが、競馬にはまり、ギャンブルの金欲しさに空き巣し、逮捕。妻子とも別れたが、ギャンブル通いは続き、自己破産。借金を整理しても、問題の解決にはならず、より高金利で非合法のヤミ金融に手を出した
 公判では裁判長や検察のみならず、弁護人までが「ギャンブル」の浅はかさを説く異例の審理となった。
◇弁護士「事実に間違いないか」。
 被告「パチンコにはまり過ぎて、金が足らなかった。一時期、給料が5、6万円減り生活維持ができなくなった。手取りは5~10万円程度。別れた子どもの養育費(3~4万円)も払えなかった」。
 弁護士「自分の行動をどう思う?あまりにも自分のことしか考えていないのでは。ギャンブルは胴元以外負けるもの。収入に対し、バランスを欠く遊びでなかったか」。
 被告「考え方が情けなかった」。
 裁判長「これまでも(犯罪を犯し)反省しているはず。犯行はバレると思わなかったのか」。
 被告「給料が減った分、何とかパチンコで賄おうとした。ヤミ金から会社に十数件の督促電話があり、焦っていた」。
 裁判官「悪循環。だました金はどうやって返す」。
 被告「住所不定で、無職となり信用も無くなった。父は体調を崩しており、私が実家に帰れば、生活保護は打ち切られるだろう」。
 裁判官「今の所持金は」。
 被告「100円」。
 検察「ヤミ金からの借金額は」。
 被告「3社、7万円」。
 検察「破産までしているが、ギャンブルはやめられないか。勤務先に迷惑かかると思わなかったのか」。
 裁判官「パチンコで借金を返すというのは安易。儲かっているのは一時、パチンコ屋に献金しているようなもの」。
 弁護人「生活観念がない」。
 最後に被告は「自分のことしか考えず、金融会社や勤務先に被害を与えた。だまし取って申し訳ないと反省している。社会に復帰したら1からこつこつと、人のために仕事をしたい。被害者や子どもたちに頑張りたい」と反省を述べた。
 公判を傍聴していて感じたのは「ギャンブルで身を崩したのは、本人の意志が弱かった」ということ。ギャンブル依存症はまさに精神的な病といえる。
◇奇しくもこの公判の日、湖北農業共済組合の元参事の横領事件の初公判が行われたが、起訴された中山俊治被告も組合員から預かった共済の掛け金をパチスロに使っていた。着服した額は3000万円余りにのぼる。
◇長浜市内の国8や馬車道沿いには派手なネオンのパチンコ屋が林立し、新聞には連日のように折り込みチラシが入る。週末や盆、正月のほか、平日でも開店前には長蛇の列ができている。
 パチンコマニアによると負けたときの悔しさはすぐに忘れ、勝ったときの快感はいつまでも忘れられないという。しかし、どうしてどの店も繁昌し、儲かるのか。今回の裁判官や弁護人の説得を参考に、今一度考えてみてはどうだろう。

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2007年12月07日

モンスターに喰われる(見聞録)

 「自分の子どもが注意されたことに逆上して職員室に乗り込み、クレームをつける」「教師宅に電話をかけ、何時間もクレームをつける」「子ども同士の喧嘩に介入し、相手の子供を非難する文書を学校に持ち込む」「授業参観で他人の子どもにクレームをつけ、親同士で喧嘩する」―。今、教育現場では、理不尽な要求を学校に突きつける保護者が増えている。
 文部科学省の調査によると、うつ病などの精神性疾患で休職した公立学校の教師は、2005年度、4178人に上り、ここ10年間で3倍に増えた。同省はこれらの疾患の原因を分析していないが、心身を病む原因の一つに異常なクレームを突き付ける保護者の存在が指摘されている。
 「怪物」に例え、モンスターペアレントとも呼ばれ、教育現場では教師の悩みのタネのひとつ。
◇お隣の京都府教委は先月、保護者からの苦情対策マニュアルを作成した。学校に持ち込まれる理不尽な要求や苦情を、過去の教育相談の経験則から4つのタイプに分け、それぞれの対応策や留意点を整理している。
 保護者からの苦情増加の背景を「家庭や地域の教育力の低下、人間関係の希薄化、孤立化」と分析。府総合教育センターに寄せられる相談でも、保護者自身が職場や人間関係に悩み、問題を解決する術(すべ)も、相談する人もなく、一人で問題を抱え込んでしまうケースがある。
 「学校は単に教育サービスを子どもに提供する場で、教職員はサービス提供者」といった考えも、異常なクレームの原因と指摘している。
 また、教師には保護者や子どもから誤解を招かないように、授業での言動や部活での指導方法、いじめへの対処法に注意を払うよう求めている。
◇府教委がまとめたクレームのタイプは、▽学校側の誤りなどを指摘するまっとうな「現実正当型」▽保護者の責任や努力を棚上げして、他者を攻撃するなど問題の捉え方に歪みのある「理解歪曲型」▽他人を非難し、自身の子育てを正当化する「過剰要求型」▽実現不可能な要求をもち込む「解決困難型」―。
 例えば、過剰要求型は「子どもがクラスで友達から仲間はずれにされている。校長はこの責任を認め、すぐにクラス替えをし、担任を辞めさせてほしい」、困難解決型は「子どもが学校に遅刻をしないよう、迎えに来て欲しい」と言う。
◇モンスターは、何も教育現場だけで出現しているのではない。病院や福祉施設でも、患者や被介護者が弱者的立場を利用して無理難題を要求し、ワガママの域を通り越し、営業妨害とも思える悪質なケースもある。最近では、業を煮やした病院がそういう患者を公園に放置し、関係者が逮捕されるという事件も発生した。
◇なお、モンスターペアレントなど、理不尽なクレーム問題については、10日再開する長浜市議会一般質問で福嶋一夫、野村俊明、北田康隆議員が取り上げる予定で、そこで長浜の現状が明らかになるだろう。もし、モンスターに教師や医師、看護師が精神的に追い詰められているなら、現場任せでなく、組織として何らかのサポート体制が必要になるだろう。
 教師や医師、看護師を「人格ある人間」と思わず、「単なるサービス提供者」と位置づける社会風潮が底流に漂っているならば、改めて人と人との関係を見つめ直す必要があるだろう。

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2007年12月06日

軍部批判の福岡日日

 昭和の初め、日本がずるずると軍国主義化し、国民の人権が無視されて、自由と民主主義が亡びていった因果は忘れ得ぬ歴史として永久に国民の記憶に残すべきであるが、反面教師として、われわれは何を学ぶべきか考えねばならぬ。
 昭和の初めの軍国主義と戦争への道は、背景にテロという暴力が存在したことが第一。
 第二は政治家とマスコミの堕落。第三は軍部の政治介入に集約されよう。
◇昭和5年(1930)11月4日、時の首相・浜口雄幸が東京駅頭で右翼青年のテロに遭遇し、翌年死亡した。浜口が国民の不況を解消するための軍縮方針を持ったことへの反発であった。
 この2年後の1932年(昭7)3月5日、再び右翼組織によるテロ事件が起きた。血盟事件といい、元日銀総裁、大蔵大臣の井上準之助、三井合名理事長・団琢磨が暗殺された。
 その3カ月後の5月15日、今度は犬養毅(いぬかい・つよし)首相が陸海軍人の一団に暗殺される。軍によるテロ集団は、牧野内大臣邸、警視庁、日本銀行、政友会本部などをも襲撃した。
 これを5・15事件と呼ぶが、これが伏線となって4年後の昭和11年2月26日の2・26事件に拡大する。
 驚くべきことに、この事件の真相は1年後の昭和8年5月17日まで新聞記事が伏せられていた。いわゆる言論統制によるもので、軍人の暴発による事件の重さから国民の動揺を避けようとする姑息なる手段といえよう。
 国民は1年後の記事解禁で事件を知るが、軍部におもねるマスコミの影響もあって、憂国の名のもとに暴力礼賛の空気もかもされた。
◇事件発生当時、いち早く真相を明るみにせよと司法当局に迫り、軍部と戦った新聞があった。福岡日日新聞の社説で、主筆・菊竹六皷が32年(昭7)5月17日「あえて国民の覚悟を促す」、同19日「騒擾事件と世論」、同20日「当面の重大問題」、翌21日「憲政の価値」と連続的に軍部の政治介入を排し、国民の権利の公認と自由報道を主張した。
◇翌8年(1933)1月4日に「言論の自由」、5月16日「憲政かファッショか、5・15事件1周年に際して」、続いて5月18日「5・15事件の発表と憲政に対する国民の覚悟」を発表し、日本マスコミ界に福岡日日新聞ありと評判になった。
 国内の新聞が軍を恐れて沈黙しているとき、福岡日日は堂々と軍部批判や政治のファッショ化を痛撃した。その結果、軍の怒りを買い、福日の上空に軍の編隊機が飛来し、急降下を繰り返した。「本当に爆撃するぞ」の電話が入るほどだった。
 事件直後の5月17日の社説には「犬養首相がついに陸海軍人の一団のため倒れたことは国民とともに悲憤痛恨に堪えざるところ。今回の事件は白昼公然と首相官邸に押し入り、しかも陸海軍将校等隊を組んで凶行に及びたりといえば暗殺というよりも虐殺であり、虐殺というよりも革命予備運動として行ったものとみなければならぬ」。
 「この事件がいかなる計画と組織とのもとに行われていたか。その詳細は後日の取り調べを待たねばならぬが、霜を踏んで堅氷至る。すでにその歴々たる徴候を示せる以上、軍首脳部はもちろん、真に軍人として、国軍の中心として邦家皇国の重きに任ぜんとする人々が、まず国軍の健全なる存在のために、粛然として相戒むるところあらんことを望まねばならぬ」と主張した。【押谷盛利】

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2007年12月05日

甲斐沼清翁の憂国論

 日本の敗戦を予言した桐生悠々が、言いたいことを言うのではなく、言わねばならぬことを言うのだ、と言論人の気骨を示したことはわれわれマスコミ人に自覚と勇気を促したとして紹介したが、言論人でなくても言わねばならぬことを言うのは素晴らしいことであり、それは国家愛、社会愛へつながる勇気と情熱の所産といえる。
 次に紹介するのは、長浜市宮前町、元小学校校長・甲斐沼清翁の日本の将来を思う憂国の雄叫びである。
 甲斐沼翁は、清和源氏の流れをくむ武田信玄12世の末裔を自負し、出身地の米原市旧伊吹町に歴代の資料館を建てて顕彰しており、かたわら「甲斐沼塾」に倚って、自己の国家愛の熱意を仲間や後輩に伝承し続けている。
 甲斐沼家は代々医業を継いでおり、清翁は教育界に身を奉じたが、その子息は吹田市で甲聖会記念病院を経営し、豊中市に本部と研究所を設け、先進医療の開発に活躍している。
◇甲斐沼翁は1913年(大正2)10月生まれだから、現在95歳の高齢であるが、今なお元気で日本の再生と平成維新に所信の発信を続けている。
 今年10月26日、翁は、大阪で甲斐沼塾の研究会を行ったが、ぼくも弟子の1人として出席した。長浜からは、翁が初めて教師生活を送った神照小学校の教え子である川崎佐玄、高山正治氏らの顔も見えた。
 東京、大阪、京都など各地からの参会者で大津から参加のNPOの「戦争を語る会」の宮川会長が司会をした。
◇講師の甲斐沼翁はマイクを必要としない程の大きな声で、約1時間、今日の日本社会の堕落に言及し、戦後の平和と繁栄のひずみともいうべき荒廃を如何にして救うかを訴えた。
 翁は①人殺し、盗人(ぬすっと)、火つけ、に集約される犯罪社会。②国を危うくする少子化。③家庭、学校、社会の国民の倚るべき規範、美しい国づくりの3点に論旨をしぼり、警世の悲願ともいうべき愛国の熱情を披瀝した。
 このうち、特に声を大にして叫んだのは、人命軽視の殺人の日常化である。このことは毎日の如く報道されている暗い事件に象徴されるが、翁は物質的に豊かでありながら殺人その他の犯罪の多発している異常さの一つに教育の荒廃を上げ、そのなかで、教育基本法の改正を評価するとともに、教育勅語に代わるべき、国民の行動規範の確立を提言している。
 今日の政治、行政の乱れや、これに対する国民の不信感は戦前の人間には想像もできない体たらくであるが、翁は大臣や会社の社長などが、3日にあげず「もう致しません」などとテレビの前で国民に詫びているが、これは、彼らが「かしこい」の上に「わる」がついているからだ、と喝破し、偏差値重視、道徳教育無視の戦後教育の失敗ではないか。今こそ幼時から家庭、学校、社会の教育による日本再生を図るべきときではないか。
◇提言の中で、翁は少子化について、人間の根源、アダムとイブ、日本の神話などを教訓に男女の性のあるべき姿、愛の崇高性、結婚の意義を強調し、現代の若ものの安易な結婚観に警告した。
 以前の日本の若ものは、結婚の場合、一緒に苦労しましょうと誓いあったが、今は2人で楽しみましょう、という。苦のあとに楽しみの成果があるのに、初めから苦を避けて楽だけを追うのは間違いの初め。苦楽をともにする夫婦は苦しみながら、楽しみ2倍に向けてこそ、家庭の円満と発展があるのではないか。そして3世代同居を排して、核家族化が進むが、これでは、よき家風、伝統を、そして、家庭のしつけ、人間のしつけが幼児期から無視されることになる。
 翁の憂国の訴えは天の声でもあり、傾聴すべき示唆であろう。【押谷盛利】

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2007年12月04日

映画に学ぶ社会問題(見聞録)

 ベルトコンベアで運ばれるヒヨコ、機械で解体される魚、流れ作業で切断、加工される牛―。我々が普段、食べている食品はどのように作られているのか?
 食材の生産現場を描いたドキュメンタリー映画「いのちの食べ方」の上映が各地で始まっている。10日前の大阪ヨーロッパ映画祭でも注目の的だった。
 残念ながら、現在、県内で上映している映画館はなく、滋賀会館シネマホール(大津市)が来年3月に上映するのを待つしかない。東京や名古屋ではすでに上映され、京都では「京都みなみ会館」で今月29日からスタートする。
◇日本人が1年間に食べる肉(牛、豚、鳥)は約300万㌧。その家畜は、どこで生まれ、どのように育てられ、どうやってパックに詰められ、店頭に並ぶのだろうか。
 世界中の胃袋を満たすため、野菜や果物、家畜や魚を、大規模工場によって生産・管理している実情を、オーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督が取材し、映画化した。
 人間が生きるうえで、いかに多くの動物の生命を「頂いている」かを実感させる内容だ。
 日本は食料自給率が低く、多くを輸入に頼っているにもかかわらず、大量の残飯を毎日吐き出している。人間以外の多くの命を食品に加工しながら、それを粗末に捨てている。
 他方、世界では8億人が栄養失調状態で、年間900万人が餓死している。
 飽食の現代日本にあって、食生活を見直すために見るべき映画ではないだろうか。
◇2日、長浜バイオ大学で講演した伊勢崎賢治さんは、NGOの一員として、アフリカ西岸の最貧国シオラレオネ、内戦の続くアフガニスタンなどを訪れ、生活支援や武装解除の仕事に取り組んできた。
 講演の中で、伊勢崎さんは、日本から遠く離れた世界の社会問題を分かりやすく説明するため、いくつかの映画を紹介した。
 例えばシオラレオネでのダイヤモンド利権を巡る内戦を描いた「ブラッド・ダイヤモンド」。武器調達のためダイヤモンドを先進国に密輸し、多くの市民の血が流された史実を訴えた作品。主演は人気俳優レオナルド・ディカプリオ。シオラレオネの悲惨な内戦後、先進国は密輸ダイヤモンドの取引を禁じる「キンバリー・プロセス」を批准した。
 ルワンダでのフツ族によるツチ族の虐殺を、ホテルのマネージャーの視点で描いた「ホテル・ルワンダ」。虐殺の前兆を把握しながら、内政干渉への及び腰から、国連平和維持軍が何もできなかった現実を知らしめている。
 ソマリアでのアメリカ軍の失態を描いたのが「ブラックホーク・ダウン」。内戦終結を狙ったアメリカ軍が強襲ヘリ「ブラックホーク」で軍閥幹部の拉致を敢行するが、撃墜され、泥沼の市街戦に突入する様子を描いている。この軍事介入の失敗が、後のルワンダへの国連介入の及び腰につながった。
 以上が伊勢崎さんの紹介した映画で、いずれもアフリカの大地で、何が起こり、先進国がどう振る舞ってきたのかがうかがえる。このほか、湖の生態系操作による環境破壊、街のスラム化を描いた「ダーウィンの悪夢」などが、アフリカをテーマにした社会派映画として、興味深い。
◇ハリウッドを中心とする娯楽映画が氾濫する一方で、ドキュメンタリー(及びドキュメンタリー・タッチ)は、シリアスで、非娯楽的、非商業的な内容から大型映画館で上映されず、滋賀会館シネマホールなど、商業主義に走らない小規模映画館に限られがち。だが、そういう映画館で上映する作品こそ、見るべきではないだろうか。

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2007年12月03日

言わねばならぬことを

 1933年(昭和8)、防空演習を批判して、信濃毎日を追われた桐生悠々は、その年から8年間、「名古屋読書会」を主宰し、「他山の石」のタイトルで、不退転の言論活動を続けたが、喉頭癌のため、8年後の1941年(昭和16)9月、68歳で死去する。太平洋戦争開戦の3カ月前であった。死期を悟った悠々は、死の直前、他山の石の廃刊の挨拶を書いたが、これにも数年後の日本の敗戦を予感するような厳しい文章が衿(えり)をただしめる。
 これは中公文庫版に出ているが、一部要約する。
 「小生、他山の石を発行して以来、ここに8カ年、超民族、超国家的に全人類の幸福を祈って孤軍奮闘してきたが、今日、病魔の悪化で流動物すら入らなくなり、やがてはこの世を去らねばならぬ危機に至りました。小生はむしろ喜んでこの超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失(う)せることを歓迎致しておりますものの、ただ小生が理想としたる戦後の一代軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に存じます。桐生政次(本名)。」
◇昭和11年2月26日、陸軍の青年将校の指揮する近衛師団の一部がクーデターを起こし、東京に戒厳令が布かれたが、これについても桐生悠々は付言している。
 「私は2・26事件の如き不祥事を見ないため、前もって軍部に対して、また政府当局に対し国民として言わねばならぬことを言ってきた。このため大損害を被ったが…」。
 彼は自己の言論の展開について、言いたいことを言っているのではなく、言わねばならぬことを言っているのだ、とその正義感、博愛感、信念を吐露している。
 国の将来に対し、真の愛国者として、同時に人類として言わねばならぬことを言っているのだ、と。
 彼は信濃毎日時代においてもしばしば「軍人を恐れない政治家出でよ」といい、5・15事件や大阪のゴーストップ事件(兵隊の信号無視事件)に関しても立憲治下の国民として言わねばならぬことを言ったが、そのため軍から重ね重ねの怒りを買い、生活権を奪われた、と述べているが、まさに新聞・言論人の鑑(かがみ)であろう。
◇さて、戦後の日本の新聞はどうか。一口でいえば、どの新聞も同じ流儀で、同じスタイル、一つの取材先のコメントをコピーして、各社が、ありがたがる風潮ばかりが目立ち、生命の本体に切り込む生々しい血の通った記事が稀薄である。これは、戦争中の大本営発表をそのまま記事にした悪習の伝統かもしれないが、総括すれば、記者ではなく、書き屋に甘んじ、原稿用紙の升目を埋めればこと足りるとしているにすぎない。
 このことは各取材先に設けている記者クラブの堕落でもあり、苦労せずに一方的に流れてくる資料に飛びつくわけで、その限りにおいては危険な情報操作のワナに引っかかるのである。
 やはり言論人としては悠々ではないが、所信をもって、言わねばならぬことを報道しなくてはならない。自戒をこめて強調しておきたい。【押谷盛利】

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2007年12月01日

敗戦を予言した社説

 11月25日付、朝日の社会欄に「125年ぶり・新聞の葬式」の見出しで、高知市での珍しい記事が出ていた。
 125年前の明治15年、当時の高知新聞が政府から発禁処分になった。人民主権の憲法制定を主張した記事が政府の怒りをかったわけだが、当時は国会も開設されていず、憲法も制定されていなかったから各地で自由、民権運動が高まり、それが政党活動と新聞記事に反映していた。高知は後の改革派政治家・板垣退助の出身地で、彼の指導もあって、自由、民権運動が全国にさきがけて活発化した。
 彼は1881年、自由党を結成し、その総裁となって国会開設運動の日本の中心人物となった。82年5月、岐阜遊説中、遭難に会い、刺殺されるところを助かった。このとき彼は「板垣死すとも自由は死せず」と叫び、それがその後の民権運動の合言葉となった。
 そうした背景もあって特に高知新聞は活発な自由民権運動を展開した。
 政府の発禁処分を受けたのは板垣が襲撃された2カ月後の1882年(明治15)7月14日だった。
 これに抗議して高知新聞の行ったのが「新聞の葬式」なるデモンストレーションだった。先月24日、これにちなんで約60人が市内の商店街を練り歩いた。道中劇で警察役の参加者が「お前ら、お上に立てつくつもりか」と止めようとすると、葬式の参列者たちが「新聞の発行禁止は言論への弾圧じゃ」と抗議するなど、買い物客たちは目を白黒させて昔をしのんだ。
◇時の政府により、新聞が弾圧を受け、政府批判の記者や主筆が追放される暗い時代は明治から大正、昭和へと続くが、特筆されることは昭和の代が戦争時代に突入するや自由や民権を主張する言論は完全に息の根を止められた。新聞をはじめ、すべての文化活動、労組や農民組合運動までが聖戦協力の名で沈黙させられた。
◇しかし、明治以来、古き秩序を批判し、政府や軍の横暴に立ち向かう勇敢な記者や新聞社は皆無ではなかった。
 面白いのは、骨のあるのは中央紙よりも地方紙であった。
◇そのなかで特筆すべき2人の先輩記者を紹介しておく。
 一人は石川県出身の桐生悠々(1873~1941)。いま一人は福岡県出身の菊竹淳(すなお)、ペンネーム・六皷(1880~1937)。
 桐生悠々は、明治末から昭和の初期にかけ、反権力、反軍的な言論をくりひろげて気を吐いた。最も有名なのは「関東防空大演習をわらう」の社説で、日本が都市空襲を受けるならば敗北は必至である、と予言した。
 1910年(明43)信濃毎日の主筆になり、1912年(大正元年)明治天皇の大葬時に自殺した乃木希典陸軍大将を批判して「陋習打破論―乃木将軍の殉死」を書き反響を呼ぶ。
 「関東防空大演習をわらう」は、昭和8年8月11日の社説。この中で彼は、敵機の空襲があれば木造家屋の多い東京は焦土化する。その被害は関東大震災に及ぶであろう。空襲は何度も繰り返されるであろうし、灯火管制は近代技術の前には無意味なばかりか、パニックを起こし、有害である。「だから、敵機を関東の空に、帝都の空に迎え撃つということは、我が軍の敗北そのものである」、「要するに航空戦は空撃そのものが勝ちであり、空撃されたものが負けである」と説いた。
 この社説が陸軍の怒りを買い、「信濃毎日」を追われた(続く)。【押谷盛利】

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