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2007年11月30日

条例に見る市民のモラル(見聞録)

 長浜市は現行のポイ捨て・ふん害防止条例を改め、新しい条例案をまとめたが、その内容はというと、「公共の場にゴミを捨ててはいけません」「ペットのふんは始末しましょう」「近所迷惑になる深夜の花火をやめましょう」「ごみの管理は適切に」と、何とも当たり前のことばかり。
 わざわざ条例で定める必要があるのか、と一昔前なら笑われそうだが、現実は条例をつくって市民意識を啓発しなければならないほど、ルールやマナーに無自覚な大人が増えているということだろう。
 ごみ出しルールを守らない、身障者用駐車スペースに健常者が車を停める、車の窓からごみを捨てる―といった光景を日常的に見ると、彼らは自身の行動が誤っていることに気付いていないのかもしれず、その無知さを気の毒にさえ思う。
◇近年は、モラルの無き隣人によるトラブルも多い。「騒音おばさん」「ごみ屋敷」といった話題でテレビに登場し、近年は「猫屋敷」というのも問題になっている。大量の猫を放し飼いにして、ふんや悪臭、他人の家への侵入で、近隣住民に迷惑をかけるというもの。
 犬と猫は、同じペットでも法律や条例での扱いがまったく違う。犬は狂犬病予防のためのワクチン接種や、係留管理が義務付けられ、飼い主の意識は高い。しかし、猫を規制する法律や条例は存在しないため、猫を溺愛するあまり、「猫屋敷」化するケースがある。
◇新条例の中で気になったのは、ペットのふんの始末。
 従来の条例では犬のふんに限定して飼い主に後始末を義務付けていたが、新条例ではあらゆる種類のペットのふんを対象にしている。
 ただ、あくまで公共用地を対象としているので、公園や道路でのふんの後始末を義務付けても、私有地、例えばどこかの庭にしたペットのふんは条例で取り締まれない訳だ。
 住民が何十匹もの猫を放し飼いにし、そのふんで頭を悩ませている自治会もある。新条例で何とか取り締まれないものかと期待していたが、どうやら効果はなさそうだ。
◇甲西町の県動物保護管理センターには、猫の放し飼いによる苦情・相談が絶えず、「猫を取り締まる法律、条例は存在せず、取り組みが遅れている」と、現段階では飼い主に飼い方を指導するしかないという。
 センターは「猫は室内で飼うのが基本。個人主義で快楽主義なので、おもちゃを与えておけば室外に出ない」と語っている。
 放し飼いでは交通事故に遭ったり、他人の庭や畑を荒らし、他の猫とケンカも。病気を移されたり、妊娠することもある。
 猫の放し飼いによる近所とのトラブルは「動物の問題ではなく、地域の問題。解決には地域住民の努力しかない」と話し、「動物を可愛がるあまり他人の迷惑を考えないようでは、飼い主として失格」と釘を刺す。
 センターでは相談がある度に適切な飼い方をアドバイスしているが、「騒音おばさん」事件しかり、訴訟や刑事告発など、強い態度に踏み切らなければ、解決しないこともあるという。

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2007年11月29日

守屋ご用と天罰必定

 防衛省の巨魁(きょかい)が遂にご用となった。遅きに失する、とぼくは思うが、それでも根気よく捜査を進めていた検察当局は、今年の捕物陣の掉尾(ちょうび)を飾るにふさわしい大収穫といえよう。
 検察陣が奮い立ったのは、自ら創った綱紀の規律を自ら足蹴りにして恥じない国防官僚の不正義と反国家に対する追及の使命観による。
◇28日逮捕された前防衛省事務次官・守屋武昌容疑者(63)は、この種のニュースでは極めて特異な夫人つきの身柄拘束である。「身分なき共犯」というのが刑法65条の規定らしいが、要するに夫婦が一体となって公務員の倫理を破り、業者から収賄した事実が問われたわけである。
 その収賄の事実は、これまでに各種報道が繰り返し示したように過去8年間で山田洋行から300回以上のゴルフ、計1500万円の接待を受けたほか、旅行や会食、みやげなどの特別なもてなしを受け、その代償に防衛商社である山田洋行の利益と便宜に働き、さらには水増し請求のような悪質取引に目をつむってきた。
◇守屋容疑者の実力とは一体、なにを根拠として言われてきたのか。大臣を退(の)けものにして、肩で風を切って庁内をのし歩いたというが、彼の恩恵に浴して山田洋行に天下りした自衛隊職員は13人もおり、庁内の官僚の多くは、彼の指示で山田洋行から毎年中元、歳暮を受けている。
 守屋容疑者の実力の最大の背景は金づるによる政治家との癒着である。彼の声によって、多くの政治家が献金やパーティ券による政治資金の収入を得ている。
 その影響力は国会の防衛族議員を筆頭に歴代の防衛大臣にも及んだ。もちろん、政治資金のみならず、勉強会などの名目による会食接待なども含まれるが、その金の出どころは自らの月給袋からではない。
 このような金まみれの深いつきあいが、国会議員の信頼につながり、省内人事の掌握権にまで増長していった。
◇なんのことはない。彼の実力とは、商社側から流れてくる巨万の金の光りであった。彼は札束と料亭をフルに使って、政治家と内部の官僚を手玉に取って、防衛省のドンの名を高めた。自ら夜の帝王として羽振りをきかせたが、ゴルフと宴会漬けで、よくも任務がこなせたことよ、とあきれるばかりだが、ここに日本の政治の堕落と落とし穴がある。
 その堕落の一つが派バツ政治であり、落とし穴が大臣の短命である。短命大臣なるがゆえに、守屋容疑者が4年以上も次官のイスを握ることが出来た。もし、安倍さんが小池さんを大臣にしていなかったら、そして、事件が明るみに出なければ彼は5年も6年も君臨していたにちがいない。
◇さて、冒頭に「巨魁ご用」と書いたが、これは、暗黒街の巨魁というように、悪い意味に用いるようだ。頭目、首領、ドンの意味を持つ。防衛省の前次官をあえて巨魁といったのは、庁内のみならず、政治家にまで幅を利(き)かせていたからである。
 あらゆる方面にハナグスリをきかせているから「おれは大丈夫」と、たかをくくっていたのである。
 ここにおいて、使い古した言葉だが「天網(てんもう)恢々(かいかい)疎(そ)にして漏らさず」を思う。天の張る網は、広くて目が粗いようだが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事は天罰必定。神さまは決して悪者を見逃すことはない。【押谷盛利】

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2007年11月28日

新聞や言論の使命観

 明治の歌人・与謝野晶子の日露戦争当時発表した「君死にたまふことなかれ」の反戦歌はあまりに有名であるが、実はこの歌、彼の夫である与謝野鉄幹がその10年前、日清戦争の後に発表した反戦歌に触発されていることを知る人は少ない。
 晶子の「君死にたまふことなかれ」にしても、ほとんどの人はその一部を知っているだけで、その全体を知る人は少ない。
 ぼくが、いま、あえて反戦歌を持ち出したのは、新聞や、文芸、言論などの国民に与える影響の大きさと、世論リードの重要さを痛感するからである。ちなみに目下、朝日新聞が連載している企画記事「新聞と戦争」が昭和の初めからの満州事変や日本の右傾化と軍国主義、自由と民主主義の崩壊の歴史を手にとるように伝えている。
 軍部の台頭とその政治権力が最終的には太平洋戦争と日本の敗戦につながるわけだが、その間、自由という国民の財産が潰されてゆく。その象徴が新聞の軍国主義への協調である。
◇日本には明治、大正時代、国論を左右するまでには至っていないが、自由、民権の思想は深く国民に浸透しつつあり、堂々たる反戦や反軍の記事、言論、詩が存在した。
 しかし、それらは日露戦争後にでっち上げで弾圧された幸徳秋水、大杉栄らの大逆事件を契機に抑圧されてゆく。
 新聞を例にとっても万(よろづ)朝報や平民新聞のように大胆に日露戦争を批判し、反対した言論が、つぎつぎと官憲の圧力で廃刊や転向に追いやられた。
 朝日新聞でも国民的立場で民主主義と自由主義の砦を守ってきたが、昭和の初頭の右翼の台頭と軍部の政権関与と共に一歩後退、二歩後退の屈辱の歴史を強いられ、昭和12年の日中戦争以来、逆に軍部に迎合し、戦争に協力する姿勢に転換していった。
◇文芸の上でも例えば、短歌の巨匠・斉藤茂吉などは戦争賛美の詩を発表して軍部に仰合した。
 それを心よしとせず、自由のとりでを守ろうとするものはやむなく筆を折るより道はなかった。
 俳句でもそうである。つぎつぎと軍部になびく状況に反し、自由律俳壇に生きた中村草田男らがいた。しかし検挙されるなどの弾圧に伴い、作品の発表をやめて筆を折ることになる。山口誓子などもそれに近かった。
◇いまの日本でも、本当に国民の立場に立っていうべきことをいい、日本の繁栄と独立にしっかりした言論を展開しているかと問えばマスメディア全体を通じて必ずしも肯定できるとは思えない。その現れの一つに今日に見られる政治、行政の乱れがある。これは55年体制以来の政治の罪であるが、一つには日本のマスコミの権力寄りの怠慢がある。
 そういうことを思うにつけ、与謝野鉄幹や晶子の反戦歌は貴重な国民への形見である。
 もちろん、短歌の世界だけでなく、新聞人のなかにもわれわれ後輩の鑑(かがみ)とすべき偉大なる言論を展開した人がいる。それらについても触れておきたい。【押谷盛利】

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2007年11月27日

ビアホールのお箸に思う(見聞録)

 10、11月は大学の学園祭シーズン。28日までの同志社大学を最後に、近畿圏では今シーズンの学園祭が終わるが、近年の様子を見ていて感心するのは模擬店でリユース(再使用)食器を導入していること。
 従来、学園祭で飲食物を販売する場合、発砲スチロールの食器や紙コップ、割り箸などを使い捨てていたが、近年は学生の環境意識の向上から、繰り返して使える食器を用いるようになった。洗って乾燥させる手間はかかるのだが、その輪は広がり、今年、立命館や佛教大では模擬店全店がリユース食器を利用した。
 リユース食器の利用によるごみ減量は、レジ袋を辞退するマイバッグ運動に通じ、最近は外食の際に割り箸を辞退し、持参した箸「マイ箸」を利用する人が増えている。「マイ箸運動」とも呼ばれ、持ち運びに便利な折りたたみ式も登場している。
◇先週末、紅葉輝く京都・東山を訪れた。清水寺に通じる細い坂道は人の波で溢れ返っていた。
 京都に訪れた際はビアホールに顔を出すことを常としている小欄は、この日も新京極にあるビアホールを訪れたが、新しい発見があった。割り箸から、木製の箸に切り替わっていたのだ。
 キリンビールの100%子会社「キリンシティ」(本社・東京、全国38店舗)によると、昨年から順番に全店舗で木製の箸に切り替えている。同社では年間250万膳の割り箸を使っていたが、最近、マイ箸を持参する客が目に付き、「ごみ減量化のため、できることからやろう」と割り箸の廃止に踏み切った。
 割り箸廃止の効果はどうですか―。新京極店に尋ねたところ、「ごみが目に見えて減り、2、3割は削減できました。お客さんからも好評で、もっと早くからやっていれば良かった」とのこと。食器洗浄器を備えているので、箸を洗う手間もかからないという。
 導入コストは、割り箸の3~4カ月分だが、長く使い続けられるので、最終的には安上がりの気配。
◇マイ箸運動の影で、割り箸は森林破壊の一因と見られがちだが、日本では古くから森林管理のために伐採した間伐材を、「捨てるのはもったいない」と、割り箸の材料として売却し、育林費用を賄ってきた歴史があり、単純に悪役と割り切ることはできない。
 しかし、現在、外食産業やコンビニエンスストアの繁盛で国内では年間約260億膳の割り箸が使用されている。9割以上が中国製で、白くてきれいな割り箸は漂白され、防カビ剤に浸されているのが現実。
 消費者は見た目のきれいさだけで判断するのではなく、割り箸の産地を気にしながら使う必要があるのかもしれない。
◇リユース食器の利用、レジ袋・割り箸の節約ぐらいで地球環境を救える訳はないが、大量生産、大量消費、大量廃棄という、非エコな構図を改める環境意識の高まりには貢献するだろう。
 また、そういう環境意識を抜きにしても、無機質な割り箸を使うより、ちょっと洒落っ気のある木製箸で頂いた方が料理が美味しくなるものだと、先述のビアホールでそう感じた。

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2007年11月26日

凡夫が凡夫に恋ひする

 新潮社の「御伽草子集(おとぎぞうししゅう)」の中に「浄瑠璃(じょうるり)十二段草紙」が集録されている。そのなかに、歌人・西行のことが載っている。
 いま、朝日新聞に連載している「小説・夢枕獏筆・宿神」に、平清盛や佐藤憲清(義清)が登場している。この義清は代々朝廷に仕えた武家出身で、出家するまでは左兵衛尉(さひようえのじょう)の官位にあったが、後に出家して西行といい、歌人として後世に名を残した。
 義清こと、西行は、宮中の御息所(みやすどころ・天皇の寝所に侍する宮女で、皇子・皇女を生んだ女御)に恋をする。判明すれば討首(うちくび)になる罪な恋だが、西行にとっては忘れ得ぬ女。
◇御伽草子は、南北朝時代から江戸時代初めまでの長い時代にわたって書かれた小説で、明治以後の童話や物語り、各種小説の種本になっている。
 さて、浄瑠璃十二段草紙の中に登場している西行の部分についてふれる。
 原文は旧かな、文語体で、難解なところもあるが、校注者・松本隆信氏の説明を参考に出来るだけ分かりやすく引用する。
 「御曹司(おんぞうし―貴人)聞こしめし、及ばぬ恋もあるものを、及ばぬ恋をした例もありますよ。どうしたことか憲清は、その身は東(あづま)の夷(えびす)なれども、十九の年より御息所を恋ひたてまつり、恋文を差し上げなさるので、后(御息所)はそれをご覧になって、佐藤兵衛憲清は日本一の歌人と聞いているが本当だろうか」と、思われて、100首の題を出して、歌を作るよう送られた。
 憲清はこの作歌の題を賜って、龍が水を得たように元気になって即座に100首を作って献上した。后(きさき)は、その100首をご覧になり「心言葉も及ばれず(なんともいいようのないすばらしい歌ですこと)。しかしながら、そなたに逢うことは、今宵過ぎ、あすも過ぎ、そのさきざきの世になったとき、ここより西方の阿弥陀の浄土に待つがよい」と、おおせられたので、憲清、絶望してふさぎこんでいると、女官がこのありさまを聞かれて、憲清に申された。
 「よう聞くがよい。これより西の方、弥陀の浄土とおっしゃったのは、これより西に当たる阿弥陀堂のことである。后は近く百日詣でをされるが、今宵とは今日の夕方過ぎ、また明日(あす)の夜を過ぎ、その後の夜(明後日の夜)これより西の阿弥陀堂にてお会いになろうとの意味であるぞよ」。
 憲清、これを聞いて、飛び上がるほどに喜びて、やがて寝所に帰り、その夜を今や今やと待っていた。
 ようやく、その夜が来たので、太刀を枕にして、うたうたしておれば「人の思いをつれなくたち切ってしまうものは死んでから蛇に生まれ変わる」と思われて、枕もとに后が歌一首をおよみになった。
 「十五夜の月の入るさを待ちかねてまどろみけるぞつたなかりけり」
 その后からのお歌を読んで、憲清は夢のなかでお歌を差し上げる。
 「十五夜の月の入るさを待ちかねて夢にや見んとまどろむぞ君」
 と、よみつつ、遂にその恋を遂げた憲清が、重ねて后の御袖にすがり、「さてまた何時(次ぎの逢瀬はいつですか)」と申したので、后は「あこぎ(阿漕)」とばかりのたまひて、お帰りになった。
 憲清は練達の歌人だが「伊勢の海阿漕が浦に引く網も、度重なればあらはれにけり」との心を知らず、十九の年、髪の元結ひを切って、西へ投げ、その名を西行法師と呼ばれたのは、まったく恋ゆえと伝えられている。
 この話の末尾に「及ばぬ恋と候ふは、凡夫の身として神や仏を恋ひたてまつりてこそ、凡夫が凡夫を恋ひたらんは、なにかは苦しう候べき。いかにや君」、とある。
【押谷盛利】

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2007年11月25日

門菓子、おちつき餅とジミ婚(よもやま)

 米原市高溝で23日、昔ながらの花嫁行列や長持ち唄を再現するイベントがあった。
 「花嫁行列」「長持ち唄」といっても知らない若者が多い。湖北特有の婚礼行事だが、最近は生活様式の変化で、ホテルや式場での結婚式が流行し、白無垢(しろむく)姿の花嫁が近所をそぞろ歩く光景は珍しい。
 長浜市史第5巻によると料理屋やホテルといった結婚式場での婚礼は昭和30年ごろから始まったとされるが、郡部では平成に入っても家で、結婚式を行っていた。
 以前は見合い結婚が多く、昭和50年ごろまでは男性と女性との橋渡しをする「はしかけさん」がいた。今で言う結婚相談員(世話焼きおばさん)的な存在で、はしかけさんが仲人をつとめる場合もあるが、「お役御免」で親戚や会社の上司が「頼まれ仲人」をするケースが多かった。
 婚約の話が整うと花婿の家から仲人を通じて花嫁の家にきめ(喜芽)酒が収められた。結納は仲人によって尉(じょう)と姥(うば)、松竹梅などの水引きや指輪、親族書などが決まった並び方で花嫁宅の床の間に飾られた。
 結婚式の約1週間前、花嫁宅から親戚の代表が荷宰領(にざいりょう)となり、結納の返しとともに、花嫁道具の荷入れがあった。花婿の親戚や友人が集落入口から花婿宅まで、洋服などがぎっしり詰まったタンスや長持ちなどの調度品を担ぎ「めでたなー」などと、長持ち唄を歌いながら、列をなし練り歩いた。
◇結婚式は昔、家の座敷で行うのが普通だったが、手狭なため自宅でできなくなり、公民館や自治会館などの大広間で行われるようになった。虎姫町公民館では町職員が巫女となり挙式をした。今では考えられないことであるが、館内には神殿跡が残っている。
 式も神前、仏前、教会のほか、最近は人前結婚式が流行している。参列者に2人が自ら結婚したことを報告するやり方で、神主や僧侶、仲人もいない。
 式の後は隣接したホテルや料理店の式場で披露宴が催され、花嫁は白無垢、綿帽子、または角隠し、色打ちかけ、白や派手な色目のウェディングドレスなど何度も衣裳を替える。カップルがゴンドラで降りたり、ドライアイスの煙の中から登場したりと「ド派手」な結婚式が多かったが、最近はシンプルな形が多いようだ。
◇結婚式の当日、花嫁は仲人に連れられて、嫁ぎ先に入る。この時、門口で花嫁が持ってきた門菓子(かどがし)が見物人に配られる。真宗門徒では、まず仏壇に手を合わせ、両親へのあいさつ。婚家の母親に連れられて隣近所を回り、名披露を配る。終わると急いでタクシーに乗り、披露宴会場に向かう。まさにこの日は花嫁にとって思い出深い日の一方、芸能人並みのハードスケジュールである。
 結婚式や結納の日には玄関に家紋入りの暖簾(のれん)を飾ったり、無味な「おちつき餅(ぼた餅)」を配る所もある。挙式当日、同年の人を招待することを「げんぞう」、席を改めて両親の親戚の顔合わせの宴会を「あいあけ」と呼び、式後には三日帰り、かまど見せなども待っている。
◇結婚式は縁起を担ぐ、ならわしが多い。花嫁が実家に戻ったり、帰ったりしないよう、花嫁を乗せた車はバックできないし、荷入れで使った青竹は二度と使わないように、割るのがしきたり。喜芽酒や門(出)菓子、おちつき餅などもそう、2人の出発と末長い幸せを願って、「当て字」にしている。
◇このように湖北地方の派手な結婚式は東海地方の影響が大きいとされる。電化製品や家具などを満載したトラック数台に、新車。トラックの中には空いたスペースをカモフラージュさせるため、空き箱などを積んでいた車もあったが、最近は「ジミ(地味)婚」が流行。式もせず、ハネムーンや指輪、新居に費やすカップルが多い。

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2007年11月22日

やばいな防衛族議員

 ぼくは、21日の時評で「政局のやばい」について言及した。突風が福田内閣を襲い、解散という事態になれば、政治空白が生じ、国政の混乱が国民経済にも悪影響しかねない、と恐れるからである。
◇今、政界の中には、防衛省問題から、国民の目先を他に転じようとする不穏な動きがある。その一つは、消費税の増税問題である。今一つは、一時、廃案凍結状況にあった人権法案の再登場である。
 国民は、今、国会で追及され、検察陣が捜査している防衛省と軍需産業のやばいな関係の糾明に大きな関心を抱いている。
 その関心は、国民の税金による何兆円もの防衛関係予算が一部の官僚や政治家によって食いものにされているという疑惑である。
 記憶にない、―していない、身に覚えがない、と言い逃れをしていた人たちが、各方面からの追及の手で前言をひるがえすなど、時の経過とともに、だんだん真相が浮かび始めたが、まだまだ序の曲である。防衛や国家機密の名で国民や国会の知らぬ世界で、何が行われ、国民の血税が湯水の如く使われていたのか。今や、国民の関心は怒りに点火しつつある。
◇洗うべきものは洗い、改革すべきものは改革し、国民の信頼を回復するのが刻下の急務である。
 今、苦しまぎれに、国民の目先を変えようなどの動きは粉砕すべきであり、消費税の如きは、とても論議するべき環境ではない。年金疑惑といい、4年前の中小企業経営者福祉事業団(KSD)の汚職事件、その他、厚労省のエイズや血液剤の業者との癒着、あるいは国土交通省以下官僚の天下りと業者の癒着問題など国民の不満は枚挙にいとまがないが、みんな、その都度、トカゲの尻尾切りに終わって、本質的な問題解決になっていない。そのもやもやを解明して明るい納得のいく政治を見せない限り、消費税に国民の協力は得られまい。
 再登板を伝えられる人権法だってそうである。人権の大切さは憲法を持ち出すまでもなく、国民道徳であり、世界共通の人間の守るべき徳目である。
 われわれは、日常しばしば、人権を看板にする人権団体の一部の横暴や役員の不祥事を見聞するし、京都、大阪、奈良等で刑事事件となっている多くの不正などが真の意味の人権擁護の法を踏みにじり、民主的人権団体の名誉を傷つけてきたことを知っている。人権の名によって、国費を無駄づかいすべきではないし、逆差別などの悪しき方向に利用されてはならない。
◇目下の急務は、国会も検察も国民が不信の目で注目している防衛産業と防衛省及び、これに関わる一部有力政治家の不透明な癒着を解明し、国家の政治をただすことである。
 このためには、元防衛大臣で現財務相の額賀福志郎氏と久間章生前防衛相の徹底追及を中途半端に終えてはならない。
 この点については、防衛省と深く関わりのある外務省所管の社団法人「日米平和・文化交流協会」がすでに東京地検特捜部の捜査を受けたが、ぼくのいう「やばい」は、この団体にも言い得るのではないか。
 この団体は国防、軍事問題について活躍しているといわれるが、会長は瓦力・元防衛長官。理事に額賀氏(8月入閣まで)、久間氏、民主党の前原誠司前代表、山田洋行の米津佳彦社長、コーエン元米国防長官らが名を連ねている。
 この外務省の交流協会とは別に、これと一体的な国会の防衛族による「安全保障議員協議会」がある。これも瓦氏が会長、久間、額賀両氏が副会長。その他、常任理事には石破茂現防衛相、歴代防衛相、民主党から前原氏、公明党から赤松正雄氏がメンバー。【押谷盛利】

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2007年11月21日

「やばい」話と解散旋風

 物騒な、危険な、という意味で「やばい」という言葉が登場する。隠語かと思うかもしれないが歴とした日本語で、語源は「やば」。法に触れたり、危険であったりして、不都合なさま。けしからぬさまをいう形容詞で、滑稽本「膝栗毛・六」に「おどれら、やばなことはたらきくさるな」の用例がある(大辞泉)。
 「やば」の変化した形容詞が「やばい」で、危険や不都合な状況が予測されるさま。あぶない、「やばい商売」、「その話はちとやばいんと違うか」。悪事がばれやしまいか、と不安がるのは過去に「やばい」実績があるからだが、人間は本能的に「やばい」か、そうでないかを嗅ぎわける能力がある。
◇それは、良心といってもいい。今、話題の防衛省の守屋前次官が、防衛関係企業の山田洋行の元専務宮崎元伸容疑者とのゴルフを偽名で行っていたのは良心がとがめたからで、彼は本能的に「やばい」と思ったにちがいない。
 その「やばさ」を思いつつも8年間で300回以上もゴルフ接待を受けて大きな面(つら)をしていたのは、「おれは大丈夫」だという自信と驕りがあったからだろう。その驕りと自信の仮面が国会の喚問で木端微塵(こっぱみじん)に粉砕された。
 しかし、心臓が強くて、悪にも強いのか、ゴルフの1件は吐いたが、宮崎容疑者との関係では「便宜を与えた」「面倒を見てやった」というようなことは固く口をつぐんでいる。
 大臣や政治家との微妙な話を問われると記憶にない、などとはぐらかして、逮捕のいいがかりにされないよう煙幕を張る。
◇この煙幕、いつかは払われるであろうし、国民は「天網かいかい粗にしてもらさず」と、必ず天の鉄槌がおろされるであろうことを期待している。
◇ぼくは早くから、今度の防衛省疑惑は第2のロッキード事件くさいとにらんでいたが、巨悪は逃げようとしても、あちらこちらに皹(ひび)が入って、頑丈な城壁もいつかは崩れる。
 18日の読売によると防衛分野の専門商社「山田洋行」がらみの疑惑追及で外務省所管の社団法人「日米平和・文化交流協会」が東京地検の捜索を受けている。いよいよ舞台が政界の奥座敷に移りかけてきた感じである。
 この協会は外務省の外郭団体で、国の助成金が出ている。協会の理事には元防衛大臣や副大臣、防衛族議員、防衛関連企業の幹部らが名を連ね、山田洋行の元専務宮崎容疑者も昨年12月まで理事だった。
 地検特捜部のねらいは宮崎容疑者らが捻出した裏金の一部が協会側に流れていたのでは、とする疑惑解明である。
◇国会喚問で守屋氏は久間元防衛相と宮崎容疑者との宴会に同席したことを聞かれ「久間氏と飲むから来ないか」と秋山氏から誘われて同席した、と証言した。
 ここに初めて登場する「秋山氏」こそ「日米平和・文化交流協会」の秋山直紀常務理事である。秋山氏は読売の取材に対し、昨年12月にも宮崎容疑者の依頼で久間氏との会談を都内の料理屋でセットしたことを明かしている。
 守屋氏は秋山氏から「大臣と飲むから来ないか」と誘われたというが、防衛次官を呼びつけることのできる力の背景は何か。秋山氏は同協会を取り仕切る黒幕的存在であり、このほかに防衛族議員らでつくる「安全保障議員協議会」の事務局長をも兼ねている。
 守屋氏が次官当時、防衛省の天皇といわれるくらい力を誇示したのは、背景に歴代の防衛大臣や、与野党に顔のきく実力防衛族議員に支えられていたからであり、その巨悪の巣の一つが秋山氏が仕切る「日米平和・文化交流協会」であり、これを洗ってゆくと何が出てくるか、分からない。
 ぼくが「やばい」と案じるのはひょんなとこから福田内閣への突風、そして衆議院解散への政治空白である。【押谷盛利】

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2007年11月20日

車を運転する覚悟(見聞録)

 目下、県内に交通死亡事故多発警報が発令されている。
 今月は3日に大津市と日野町でそれぞれ出合い頭事故が発生し、2人が亡くなったのを皮切りに、5日には米原市の国道21号線で正面衝突により40歳代の男性が死亡。その後、高島(7日)、彦根(8日)、米原(9日)、栗東(12日)、彦根(14日)、東近江(15日)、米原(16日)と立て続けに発生し、11人が亡くなっている。
 何でもない直線道路で反対車線にはみ出して正面衝突したケースなど、県警では「前をしっかり見ていない、安全確認をできていない、など、基本的なことを守れていない」と話し、もう一度、普段の運転マナーを見直すよう訴えている。
◇滋賀県の交通死亡事故件数は全国平均に比べ悪く、都道府県別のワーストランキングでも常に上位を占めていると、先月、免許更新の講習で教えられた。
 滋賀県警交通企画課によると、交通事故による死亡者数(人口割)のランキングは平成16年が16位、17年が6位、18年が9位と続いている。
 昨年は県内で1万件余りの交通事故が発生し、死者102人、負傷者1万3153人を数えた。安全不確認、前方不注意、一時不停止、速度超過、信号無視などが主な原因で、基本的な交通ルール、マナーを守らないことがうかがえる。
◇最近、連絡が取れなかった友人から、交通事故で入院していると、メールが届き、先週末さっそく見舞いに大阪市内の病院を訪れた。
 車で交差点を右折しようとしたところ、信号無視の乗用車に直撃され、腰を強打し、しばらく手足が痺れて動けなかった。来月まで入院生活を余儀なくされ、仕事への復帰は来年2月になりそうとのこと。
 入院して2週間ほどになるが、未だに病院の外にも出られず、テレビや読書で時間を潰す日々が続いている。
 友人は「今まで気をつけて運転してきたつもり。運転する以上、いつでも事故のリスクがあると身に染みて感じた」と話し、「入院生活してると、仕事があること、体を動かせることに感謝せなあかんと感じる。今まで当たり前のようにしていたことができず、辛い。退院したら今まで以上に注意して運転するわ」としんみり。
◇車を運転する限り、常に加害者にも被害者にもなりうる。そういう覚悟を持って、ゆずりあいの精神でハンドルを握りたいものだ。

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2007年11月19日

お金と時間のゆとり

 内閣府が18日公表した「少子化対策と家族・地域のきずなに関する意識調査」に対し、時間もお金も「ゆとりなし」と答えたのが働き盛りの40代男性と子育て期の30代女性であることが分かった。
 内閣府はこの結果を見て、仕事と生活の調和の必要性を示している、と分析しているがなにも改まって目を白黒する問題ではない。
 白書によると、時間的ゆとりについて「ある」は47・2%、「ない」は27・6%の回答。このうち30~40代男性の「ある」は20%代、仕事や子育てに忙しい30~50代の「ある」は30%代と低かった。
◇男の30、40歳代は働き盛り、女の30歳代から50歳は家事や子育て、なかには仕事を持つ人もあり、両者ともこの年齢層は時間に追われるのは宿命である。
 もし、この年齢で時間的なゆとりがあるとしたら、仕事をしなくても食ってゆけるゆとりのある人や家事や子育てから解放されている人にちがいない。
 また、男女ともに、この年齢層は充足期であり、真の意味で密度の濃い人生の中間点といえよう。
 この中間点の集積が残る人生の仕上げ期を左右するといっても過言ではない。
 したがって、時間を超越して、大げさにいえば死にもの狂いで仕事に、研究に、創作に、自己の所信に励むのが、これまでの先輩の歩んできた道である。
 働き盛りの男性や子育ての女性が、力をゆるめて道草したり、本業や育児をないがしろにするようなことがあれば、結果的には悔いを残すことになり、後半の人生で大きなハンディを負うことになる。
◇いま一つの問い「経済的ゆとり」については全体に「ある」が22・3%、「ない」が34・5%で、このうち、子供の教育費など出費のかさむ40~50代男性や30~40代女性は「ある」が15%。これまた当然で、子持ち盛りの家庭は昔も今もお金に追われるのが必定である。
 しかし「ゆとり」といっても、いちがいにはいえない。なにをもって、「ゆとり」と断定するのか。これは、時間にもいえることだがそれぞれの人の感じ方、生活の仕方、生活そのものに対する構えによっても差があり、いちがいに杓子定規(しゃくしじょうぎ)にきめつけるわけにはゆかぬ。
 研究や仕事に追われて徹夜したり、睡眠を犠牲にする人もあるが、その人たちは本当にゆとりがないのか。ゆとりとは何か、が問題である。
 お金にしたって、家の交際や仕事の上での社会環境によって、個人差はあるはず。普通のものを着て、普通のものを食べ、普通の家に住むだけの金が「ゆとり」なのか、それ以上でなければ「ゆとり」といえないのか。生活の質といってもいいが、都市と田舎の伝統や習慣の差もあろうし、なにはなくとも水入らずの夫婦の仲のよさ、健康な働きが続くなれば、「ゆとり」のある生活と感謝する人もあろうし、それだけでは「ゆとり」とは思わない、という人もある。
◇一番大切なことは、精神的ゆとりのあることだが、全体に「ある」と答えたのは38・2%で、「ない」が22%だった。
 これはとてもいい傾向で、精神的にゆとりのある人が、「ない」よりは上回っていることは日本人の生活がかなりな安定ペースにあることを証明している。
 「心に錦を着る」というが、たとえ貧しくとも心が明るく満ちて、希望のある暮らしをする人は精神的富者であり、ゆとりある人というべきである。
 今の世の中、ひと昔から考えれば、みんなお金持ちのようなぜいたくな生活をしているが、それでも不足や愚痴の出る人が多い。こういう人は心が貧しいとしか言いようがない。心の貧しい人は金があっても幸せではない。【押谷盛利】

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2007年11月17日

新聞とテレビの自慢話

 新聞は便利なもので全国紙のほか、ローカル紙を読めば世界から日本のすみずみ、そして地方の町や村々の出来ごとが手にとるように分かる。
 ケータイやパソコンは新聞よりもっと便利だという人もあるし、なんちゅうたってテレビにはかなわない、と知ったか顔する人もいる。
 それぞれがきちんと居場所を守って、それぞれのファンに認められているのだから、なにはともあれ存在理由はあるはず。問題は、それらを自分の身に合わせ使い切るかどうかである。どんな結構な文明・利器も使わねば無用の長物でしかない。
 新聞の武器は一つの中にあらゆる種類の話題が積まれていて、ページをめくれば、その豊富な各種の話題を好き勝手に読むことが出来ることだ。あらゆる情報が詰め込まれているといえばパソコンの方が遥かに優位だが、これは検索する手間を要し、出てきた情報を選別する作業を伴い、プリントアウトしない限り、新聞のようにカバンにしまったり、切り抜きを随時に利用する至便さはない。
◇テレビは面白いし、好きな番組を見れば退屈しないが、片手間に見るわけにはゆかぬし、録画しない限りもう一度見るわけにはゆかぬ。それに特別な話題を追う強味はあるもののレンズで取材しなくてはならぬから行動範囲が限られる。新聞のようにあらゆる情報をデパートの品揃えのように伝えることはできぬ。
 テレビの圧倒的強味は、現場からすぐ茶の間へあり姿のままを直(じか)に伝えられることである。
 例えば国会における防衛省の疑惑で守屋前次官の喚問を報道するときがそれである。議員の質問の様子から答える内容まで隠すことなくそのまま表情とともに放映される。委員会室の喚問の状況や雰囲気までストレートで映る。
◇それで、国民はしっかりといち早く情報を知るわけだが、その眼でその日の夕刊や翌日の朝刊に目を通すのが一般である。ここのところがメディアに対する受け手の好み、不思議さである。テレビは映った瞬間、アッと驚いたり、笑ったり、感動したりするのだが、スイッチを切ると記憶はみるみる不鮮明になり、時間と共に忘れてゆく。
 テレビは受け手にとっては楽(らく)なシステムである。視聴者がとくに努力することなく、先方から刻々とニュースや話題が流れるだけで、じっと眺めていればいい。受け手を釘づけさせるため興味あるメニューや構成に力を入れるし、浮気しないよう品(しな)変え、話題を変えて、つぎからつぎへと番組を流し続ける。
◇新聞はこれとは反対に、詰め込められた紙面をどう読むか、どう判断するか、どこから読むか、それぞれ、一人一人の読み手にかかわる。
 1ページを1時間もかけて読む人もあれば、全ページを10分で読むこともできる。
 短時間で全ページを読むのは至難と思われるが、それは読み方、見方によるもので、さっと見出しだけを呼んで納得すればそれでよい人もある。丁寧に読めば野球の記事だけでも1時間もそれ以上かかるかもしれない。個々の選手の打率や三振の具合まで読むのはスポーツ通で、多くは、勝った負けたのスコアを見て得心する。
◇活字を読む場合、耳で聞くのと違い、文章を追うわけだが、分からない文字や読めない文字にぶつかることもあり、内容のわからぬ記事もある。
 しかし、自分の必要な情報であれば時間をかけ、じっくりと考えながら納得のゆくまで読む人もあるだろう。その点でいえばテレビは受け身の形、新聞は能動というか、意欲的に立ち向かわねばならぬ。
 テレビは話題や報道内容が刻々と変わるが、新聞は一日中、動かない。カバンに持って歩き、時間を見て読み直したり、読んでいないところへ目を通すこともできる。
◇テレビは芝居や音楽など立体的なものは独断場である。大ホールや劇場へ足を運ばなくともその会場にいる如く楽しんで見ることができる。
 そういう点では娯楽用にはテレビが一番である。このごろは教養番組にも力を入れているから、それなりに家庭にいる人には都合のよいおもちゃである。
◇まあしかし、昔から餅は餅屋という通り、学問したかったら大学へ、劇や音楽などは劇場や会場へ。
 小説や詩を読みたかったら本を買うことである。ためになる話を聞くには自ら足を運んで、自分の聴きたい講座や講演にありつくことである。
 人間は楽(らく)して、何もかも知ろうと調子のいいことを考えるが、習いごとでも学校での勉強でも、趣味の世界でも、技術的なことでもすべて自分の目や耳、手や足を存分に使って、しんどい思い、辛い思いをして、努力に努力を重ねなくてはものにはならない、と思うのだが…。【押谷盛利】

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2007年11月16日

能登・大沢村の知恵(見聞録)

 先日、ペン画家・小野信吾さん一家と友人の誘いで能登旅行に参加した。
 能登半島は今年3月の地震で大きな被害を受け、特に輪島市門前町は建物の倒壊、道路の陥没など甚大だった。今でも復旧作業が続いているが、雪の季節を前に、地元では地盤の緩みによる地滑りなどの被害を警戒している。
 門前町に入ると、至る所に倒壊家屋を解体撤去した更地が見られる。すでに新しく建て直したり、補修している家屋もあったが、一部では修復できず、ビニールシートで雨風を避けている建物もあり、今もその傷跡を覗かせている。
◇今回の能登旅行の本来の目的地は、日本海に面した小さな村、輪島市大沢村。ここでは「間垣」と呼ばれる一風変わった竹垣を見ることができる。
 100戸ほどからなるこの村は、目前に日本海、背後に山が迫り、その集落に至るには山と海の間にかろうじて通された細い道を走らねばならず、陸の孤島のよう。
 集落の家々は海から吹きつける強風を避けるため、竹垣を築いており、海に面した家々にずらっと並ぶ様はちょっとしたノスタルジーを感じさせる。
 何年かすると、竹が朽ちるため、毎年、農作業を終えるこの季節に裏山から竹を切り出し、垣に加える。毎年、少しずつ古い竹を取り除き、新しい竹を追加するわけだ。
 大沢村から少し西に行ったところに、さらに小さな集落「上大沢村」がある。わずか21戸のこの集落は各家が竹垣を設置するのではなく、集落全体を囲うように竹垣を並べている。遠くから見れば、まるで一つの大きな屋敷だ。
◇大沢村では毎秋、裏山から竹を切り出して、間垣を作るのが伝統の慣わしだが、過疎化と高齢化による人手不足から、ある家が間垣の代わりにコンクリートのブロック塀に切り替えた。竹の交換の手間が省けると喜んだのも束の間、海から吹き付けた強風が塀にぶつかって上方へ流れ、その家の屋根瓦を吹き飛ばしてしまった。結局、その家は、屋根より高い場所までブロック塀を積み直すことになったが、今度は夏場、風が通らず蒸し暑くなり、難儀しているとのこと。
 その点、竹垣は強風を防ぎ、そよ風をほどよく通すので、ブロック壁のような弊害はない。
 先人達の知恵の深さに触れた旅となった。

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2007年11月15日

ドラ息子と家庭の悩み

 仕事をするでなし、学校へ通って勉強するでなし、ぶらぶらと家にいて、親のスネを囓(かじ)りながら、酒を飲んだり、ときには博打(ばくち)をするなど、いわゆるドラ息子は今も昔も親の頭痛の種である。
 親が叱っても通じないし、文句をいうと、「こんな男をだれが産んだ」、「こんな男にだれがした」と、とんでもない屁理屈で食ってかかる。
 昔はドラ息子といって、村で評判になったが、今はニート族などとしゃれた呼称で、社会保障の対象になりかねないあんばいである。
◇ドラ息子は道楽息子と書く。道楽のもともとの意味は本業以外に趣味として何かに熱中し、楽しむことをいう。盆栽道楽、芝居道楽、相撲道楽などがそれである。
 ところがそれが好ましくない方向に夢中になることにも用いられるようになり、怠けもの、遊び人、酒や博打にうつつをぬかすものなどを道楽者というようになった。
 ドラ息子といわれているうちは、まだ救いはあるが、道楽がさらに進んで極道(ごくどう)になると厄介である。酒色や道楽にふけって身持ちが悪く素行のおさまらないのがこれで、極道息子は親を泣かせる。今日では「極道もの」といえば、堅気の世界から一目置かれる暴力団関係を想像する。
 芝居や浪曲に出てくる番場の忠太郎なんかがそれである。
◇定職もなく、ぶらぶらと遊び暮らすもの、いわゆる無為徒食の者をののしる言葉に「ごくつぶし」がある。「穀潰し」と書くが、大切な穀物を潰すからそう言った。うまく言ったもので、親が汗水垂らしてもうけた金を、息子がぶらぶらして使ってしまえば、それこそせっかく手に入れた穀物を潰してしまうことになる。
◇毎日、どこかで盗んだとか、殴ったとか、殺したとかの嫌なニュースが起こっているが、豊かで平和な文化国家だというにはチト矛盾が過ぎるのではないかと腹が立つやら悲しくなる。
 悪質なのは警察が逮捕するが、10代、20代の若ものが多い。
 なぜ、若ものの犯罪が多いのか。そこで、彼らは日ごろ何をしているのか、どこへ勤めているのか、どこの学校へ通っているのか、と興味をもって追及すると、たいていは学校中退、無職である。なんのことはない、ドラ息子のたぐいである。そして、面白いことに、AがBを、BがCを、といった具合に、ドラたちが互いに仲間を誘いあうのである。
◇親のスネをかじっているうちは親泣かせながらも他へ弊害はないが、親の穀を潰せなくなり、親の財布が締まると、たちまち遊ぶ金に行き詰まる。そこからが問題である。手っ取り早く金を手に入れようとするから、引ったくり、盗み、強盗などとエスカレートする。
 このごろはドラ息子が延長して、30歳、40歳になっても「無職」の者がいて、ときに新聞ネタになる。
◇朝から晩まで一生懸命きばっても、ゆとりのある生活をするにはなかなか世知辛い世の中なのに、ぶらぶらしていて食っていけるわけがない。
 人間はもともと、じっとしていられないように出来ている。働いて汗して、その日の糧(かて)を手に入れるのは古代の先祖の生きざまだった。それが進んで農業社会を形成し、家内工業から、さらに工場産業へと経済社会を進めてきたが、基本は、若ものを中心として、国民みんなが働くことだった。働いた結果のみやげ、報酬が収入であり、賃金である。したがって、ドラ息子やゴク潰しは人間本来の遺伝子にはなかったはず。どうしたら働く喜び、そして生きる喜びが得られるのであろうか。若い親たちは「こんなはずではなかったのに」と後悔しないよう、わが子のしつけを考えねばなるまい。【押谷盛利】

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2007年11月14日

道路特定財源と政治

 ガソリン税など「道路特定財源」を道路以外の予算にも使うべきだとする道路特定財源の一般化は、小泉元首相の構造改革の一つだが、それを継承して安倍内閣は昨年12月、一般財源化を閣議決定した。
 朝令暮改という古くからの戒めがあるが、今、福田内閣になってこれをくつがえす政治風土が醸成されつつある。
 防衛省の軍需予算や施設予算は官僚と防衛族議員が結びついて、蜜に群がる蟻のように執心が深いが、道路予算も同様で、かつては建設省、今は国土交通省の道路族が官僚と結託して鵜の目鷹の目で、予算の分捕りに狂奔している。
◇小泉さんが、改革の陣頭に立っているときは、不満でもしぶしぶついてきた道路族が、安倍さんになってからは露骨につぶしにかかった。
 それでも安倍さんは小泉継承路線にしたがって、道路特定財源を一般化することに熱意を示した。
 政策の根本を改めるには根を切るに限ると、反改革派、いわゆる反小泉派は、安倍さんのお人好し、貴公子ぶりをいいことに、なんだかんだと風を起こして、遂に安倍さんを窮地に追いつめ、城あけ渡しに成功した。
 城主が交替するや、これまで無念の口びるをかんでいた反小泉連合軍はあっけなく道路特定財源の一般化を一蹴した。
◇道路予算はまだまだ足りない。ガソリン税などの特定財源を一般財源に回す余裕などありはしない、と早くから担当の大臣が地ならしをしていたが、いよいよ、政府、与党が一体となって馬脚をあらわした。
 13日、国土交通省が発表した来年度からの10カ年計画道路整備事業は総額68兆円。これに対し、揮発油税など道路特定財源の税収実績は単年度で3・4兆円ペース。これでは、一般財源化へ振り向けるどころか、すべてを使い切らねばならぬ、という資料である。
◇国土建設、国家経営、国民福祉の総合的判断から国の政治が行われ、それを政策化するのが国家予算であり、特定の利権事業に強く国の予算を集中すれば国政のバランスが崩れ、国の財政危機にもつながりかねない。
 各省庁が予算の奪い合いをしたのでは、国の財政はもたない。国民の税負担にも限界があり、しぼれば取れる式の江戸幕府時代のような圧政は許されぬ。
 もし、財源不足ならば、国債でまかなったらいいではないか、という無責任論もあるが、それは借金のつけを子や孫に残すことになり、次世代がどんな経済、社会状況下になるのか、考えることなく、借金の先送りをすることは許されない。
 むしろ、少しでも不要不急の事業はカットして、予算の無駄づかいをやめて国家財政の健全化を図らねばならないのではないか。
◇道路は、歩く道から車の道。けもの道から人間の道、天下に恥じない王道などいろいろなイメージを持つが、道路予算を契機に、政治家や役人の道義、モラルを考えてみたい。
 目下、防衛省がらみの山田洋行、宮崎専務(元)、守屋前次官らの癒着と国政の乱れ、疑惑を呼ぶ予算の使途などは王道どころか、初歩的な人間の道を誤っていることが明白である。国家の役人や政治家は国民に範を垂れるべきポストにいるわけだが、不幸にも金の奴隷になり下がった。【押谷盛利】

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2007年11月13日

七五三の今昔(見聞録)

 11月15日は、稲の収穫を終え、神に酒と新穀を供えて自然の恵みに感謝する「霜月の祭り」の日。1年の労働から解放された喜びの日だ。
 さらに、「鬼が出歩かない日」という意味の「鬼宿日(きしゅくにち)」にもあたる。鬼宿日は吉凶の占いなどに用いられるこよみ「二十八宿」の中で最良の日とされる。このこよみは、中国春秋時代に生まれ、806年に遣唐使・空海によって日本にもたらされた。
 この日は、子どもの健やかな成長を願う「七五三参り」の日でもある。11月15日前後の週末をピークに10月下旬から全国各地の神社は七五三参りの家族でごった返し、長浜八幡宮でもおめかしした親子の行列ができ、神職6人がフル回転で祈祷にあたっている。
◇七五三参りの起源は諸説あるが、体が虚弱だった江戸幕府3代将軍・家光の4男・徳松(後の5代将軍・綱吉)が無事に5歳を迎えたことを喜び、盛大にお祝いを執り行ったことに由来すると言われている。
 「将軍の子どもを祝った日」「霜月の祭りの日」「鬼宿日」という3要素から、世間で子どもの健やかな成長を祈願する七五三の儀式が広まった。
 江戸時代の子どもの生存率は、病気や栄養失調などにより現代ほど高くなく、子どもの成長の節々に、厄災に対する抵抗力をつけてもらおうと、神や仏にすがったわけだ。
 ▽3歳=男女が髪を伸ばし始める「髪置き」▽5歳=男子が袴をつける「袴着(はかまぎ)」▽7歳=女子が帯を使い始める「帯解き」―といった具合に、その節々に神社や寺にお参りした。
 また、単に健康を祈願するだけでなく、年齢の節々を祝うことで、子ども自身に成長を自覚させ、さらに、親の過保護をも戒めた。現代のように「大きくなったね」「いつまでも健康でね」と言うだけでなく、親子それぞれが精神的成長をも誓う神聖な機会としていたようだ。
◇元は関東地方の風習だった七五三。今では全国に広がったが、記念写真や豪華な食事でお祝いしても、肝心のお参りをせず、単なる「思い出作り」と化している家庭もある。
 時代の移り変わりとともに七五三のスタイルも変化していることがうかがえ、興味深い。

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2007年11月12日

今の世相は食と薬漬け

 人間の顔に人相がある。同様に世の中、今の社会にも世相があるはず。
 さて、今の世相はどんなんかな、と、時に冷静に眺めるのもよい。世相はどうして見るのか。医師が検査して病気かどうか診断するようにはゆかぬ。
 新聞社などが世論調査するが、世相の一端はうかがえるかもしれないが、全体像はつかみにくい。
◇東京の池袋など繁華街に立って1週間か10日程、人の流れや動き、服装などを眺めればどうだろうか。
 現代の若ものを知ることはできても地方の人々の動きや顔は到底うかがうべくもない。もっと手っ取り早く世相を知る方法はないか。
 ぼくはときどきテレビのコマーシャルを見て気がつくのだが、なんと食べ物の宣伝の多いこと。
 うまいもの探訪だの、うまいものお国自慢だの、とにかく温泉、観光地、町おこし、名店街、コック名人、各種イベントを通じ、必ず登場するのが「うまい!」と連発しながらものを食っている図である。
 人前で、ものを食うのは「はしたない」といわれたのはつい半世紀も前のこと。今は歩きながらソフトクリームをなめたり、電車やバスの中のほんのわずかな時間を割いてでも菓子やパンをほおばる。
◇食べものの宣伝が断然目につくのは、食の世相の一断面であるが、それは国民が飢えているからではなく、飽食の時代を迎えたからである。
 極端にいうと、人は食べものに困るどころか、捨てるのに困るほど食べ物の洪水の中に生きている。だから、何を食ってもおいしくない。おいしいと思わないから、あたかも餓鬼の如く、おいしいものを探す。その人間の心理を衝いて、おいしさを見せびらかして、商品の売り上げをはかる。
 宣伝すれば費用がかかるが、費用の何倍、何十倍かの売り上げ利益が転びこむ。
◇食べもののコマーシャルに次ぐ大物はクスリである。クスリの宣伝を見ていると、日本人はみんな病気持ちか、と疑いたくなるほど、とっかけ、ひっかけ、名医と名薬が登場し、見ているだけで、こちらの体がおかしくなるのでは、と妙な反省心が起きてくる。
 一方で老人保険や高齢者福祉が話題になり、長寿化社会の将来が問われているのに、目の前では国民みな病人とばかりの医療と薬品の宣伝の洪水である。
 おいしいものを、たらふく食って、おなかの脂肪に音(ね)を上げ、胃腸、肝臓、心臓、眠剤、血圧、はては痩せグスリまで手を延ばし・・・。ときにはエステ、ときには旅行。明暗こもごも不思議な世相二重奏。
◇人間の暮らしは今も昔も衣食住。洞穴で寝て、海や川、山や野の自然の中で食べるものを探しては食ってきたわれらの先祖に比べると、乞食から王侯貴族の暮らし以上の大変化だが、帰するところは単純明快、何を着て、何を食い、どこに住むかで、要は質の問題。
 麦飯と味噌と沢庵でも腹が減っていりゃ「うまい」とお代わりをする。木綿の粗末な装束でも一心こめて仕事に集中すれば心は綿を纏う。六畳一間の狭いアパートでも愛さえあれば夫婦に青い鳥が宿る。
◇今の世の中、何かに踊らされ、みんながこぞってゴミ社会を造りつつ、自らの首を自らが締めている。こんな世相で孫、子に何が残せるか。【押谷盛利】

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2007年11月09日

情報公開の姿勢(見聞録)

 長浜市議会議員の先生方の見識が疑われる。
 滋賀夕刊が1日付けで報じた「新庁舎、最有力は病院跡」と、同じく7日付けの「神照幼稚園、移転改築へ 長浜・びわ給食センターは統合」の記事に対する一部市議の反応だ。
 新市庁舎の記事は、老朽化している現庁舎の建て替えのため、部長級の市職員で構成する検討委員会が庁内協議を行い、複数の案を検討しているという内容。
 一方、神照幼稚園は老朽化のため建て替えが望まれており、隣接の神照小学校の体育館の改築と合わせ計画が具体化していることを報じた。さらに、学校給食センターも老朽化著しく、こちらも建て替え案を紹介した。
◇いずれも市民の関心が高く、今どういう検討がなされ、計画がどこまで具体化しているのか、報道機関として知り得た情報を記事化した。
 しかし、この報道に対して一部の先生方はご立腹の様子。というのも、市議会への報告もなしに、先にマスコミが報じるとは、と怒っているのである。そして、その矛先は「情報管理はどうなっているのか」と市職員に向けられているのだ。8日に開かれた会派代表者会議でも市担当者は「平謝り」とのこと。
◇何年か記者生活をしていて違和感を抱くのは、何か行政関係の重要案件の情報を得たとき、市町職員に取材すると「市議会(町議会)に報告していないので話せない」と拒否されてしまうこと。職員からすれば、隠すような問題ではないのだが、「まずは先生方にお伺いを立ててから」とか、「先生方を出し抜いて報道機関に知らせては怒られる」と、ついつい議会に遠慮して口をつぐんでしまう。
 なにもこれは今に始まったことではなく、本紙社長の記者時代も、議会への説明前に議案内容などを報道したところ、議員から市職員が責められることもあった。
◇記事化した情報は市から発表があった訳でも、丸々提供してもらった訳でもない。小欄のようにフラフラと旅行していても、市庁舎改築問題がどういう状況にあるのか、市職員でも市議でもない第3者から情報が入ってくるし、神照幼稚園の移転や、給食センターの統合計画も、他の市議は独自の情報ルートですでに把握していた。
 なのに、一部市議がご立腹になられるようでは、その情報収集能力を他の市議に笑われるし、市職員にも呆れられるのではないか。
◇確かに、市側が重要案件を市議会に説明することは欠かせない。だが、報道機関より前に市議会に報告せよ、というのでは市民の知る権利が阻害されているようでならない。
 今回の件で気がかりなのは、市の情報公開の姿勢が消極的にならないかだ。

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2007年11月08日

国民の疑問と緊急課題

 ぎくしゃくした小沢問題は辞任撤回と続投で一件落着したが、今の政治状況は、いたずらに政治空白をおかすべき時ではない。
 ここいらで、与党野党を問わず政治家は頭を冷やして、自分は何をしようとしているのか、国民は何を求めているのか、反省して、進路をあやまってはならない。
◇刻下の急務でいえば、対外的には11月1日に期限切れとなったテロ対策特別措置法に対する新法の扱いと、北朝鮮による日本人拉致被害者の救援救出、そして金大中拉致を国家の情報機関の犯罪と認めた韓国政府に対する外交的態度の3件であろう。
 北朝鮮の日本人拉致と金大中氏の日本からの拉致は、いずれも日本の主権を犯した国家的犯罪であり、いい加減な対応で時の流れに埋没させてはならぬ。
 金大中事件については、当時の朴韓国大統領と田中角栄首相との間で外交問題としないよう秘密裡につつんでしまった経緯があり、大統領から日本の首相及び、外相に何億円という巨額の現金が運ばれたという生々しい側近の話が伝えられたほどである。
 時勢が代わって、北朝鮮の金正日総書記の息子が不法に日本に入国したことが判明し、本人の身柄の処置が問題になった。日本政府は不可解にもこの人物を逮捕し捜査することをせず、わざわざ貴人を送り返すように日航機で北京空港まで送り届けた。
 この2件を考えただけでも日本の外交は国辱をさらしたことになり、世界の笑いものになった。
 この朝鮮半島2国に対する日本政府及び日本の政治家の主権意識のない亡国的態度は何によるのか。この点の究明がなおざりにされているのは理解に苦しむが、ここに日本の政治の乱れの根本があるのではないか。
◇次に当面の内政上の最大の課題は防衛省をめぐる軍需産業との黒い霧と、厚労省関係の年金疑惑及び薬害肝炎に対する官僚と製薬会社への疑惑である。防衛省と厚労省が刻下の中で、国民の関心が寄せられているが、この2つの深刻、かつ不愉快な事件を思えば思うほど気になるのは業者と官僚との深い仲である。その両者をつなぐ絆(きずな)は金と天下りである。
 この2つが相互に固く結びついて離れがたき貸し借りが形成された。それが政治家の台所や票田にも結びつき、国民不在の悪業(あくごう)となった。
◇この悪業の実態を徹底的に解明することこそ国民に対する政治家の任務であるが、これまではすべてトカゲの尻尾切りで終わっている。
 例えば、今の国会で糾明されているインド洋上でのテロ対策支援の給油活動について、ウソの給油報告をした自衛隊の課長を喚問するとき、新聞記者やテレビ取材を拒否し、一般議員の傍聴すら認めなかったやり方に、公然と異議を述べる意見もなく、メディアもうやむやに片づけた。
 当の課長は「自分の一存で報告しなかったが、他からの情報で上部は知っていると思った」と語っている。航海日誌や重要な記録を破棄していたり、情報がスパイを通じて他国へ流れたり。この辺の分析をすればいかに綱紀が弛緩しているかが明瞭である。それは先に示した外交上の汚点と結びつく、主権意識の稀薄であり、国をおとしめる犯罪行為といえるのであるが、国会はこの種の糾明に及び腰である。この点における与党の脇の甘さはひどすぎるのではないか。
 防衛省の守屋前次官に対する追及の仕方にも問題がありすぎるが、報道がリアルにその犯罪性を追及しているにも拘わらず検察の動きは寛大としかいいようがない。
◇一国の総理や野党第一党の党首を自在に動かす影の勢力のあることを思えば、国民不在の理不尽がまかり通るのは政界の常識かも知れない。その常識を破算させるのが国民の望む政治である。【押谷盛利】

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2007年11月07日

小沢続投と政局展望

 二転三転、小沢旋風が国内ニュースを独占した。旋風というよりも意味は同じだが「つむじ風」と呼んだ方がぴったりかもしれぬ。
 降って涌いたような党首会談、大連立構想、あれよあれよと目をパチクリしている国民を前に「党首辞任」の大騒ぎ。一件落着と思いきや、急転して「慰留」、「続投」。
 「ようやる」、「あほらしやの鐘が鳴る」。
◇なんだかんだと世評はうるさいが、一時は鳴りを鎮めても「なんだかんだ」は当分糸を引くだろう。
 それにしても絵になる男である。四十代の若さで、自民党の幹事長になって以来、ここ20年、常に政局のどこかで光ったり、鳴動したり、不死鳥の如く、消えることなく、話題の中に生きている。
◇小沢一郎氏ほど毀誉褒貶(きよほうへん)の極端な政治家は珍しい。不倶戴天(ふぐたいてん)の敵とばかり悪魔呼ばわりする人もあるが、日本には珍しい大型政治家と心酔する人もある。
 彼は、田中角栄を師とし、金丸信に愛され、旧竹下派では、小渕、橋本、羽田、渡部、梶山、奧田氏ら七奉行の一人として期待されてきた。すでに4人が死去し、現役で活躍しているのは小沢、渡部、羽田の3人であり、小沢の政治的生命の長さとリーダーとしての実力は現実が証明している。
 彼は、保守政治家であるが、革新性を保持しているところが特徴であり、高い理想を画きながら、現実政治にこだわる、一見、とらえどころのない政治家である。
◇世界は動く、経済も社会も動く。当然ながら政治も動き、人間の心も変化する。
 かつての小沢流政治を今にと固定的に考える愚は避けねばならぬが、今回、彼が踏み込んだ党首会談は、そしてその結果の大連立構想は、彼がどう理屈をつけても国民を納得させるには程遠い。政権交替を迫る強力野党として、国民に訴えたのが先の参院選の民主党のマニフェストであった。7月の参院選は安倍内閣の敵失もあったが、政治の汚れを刷新すべく、国民は民主党に賭けた。その国民の期待が民主の大躍進と参議院における与党の過半数割れを実現させた。
◇もののはずみというが、ものごとは政治も含め、時の勢いに乗らねばならぬ。
 7月の民主党の参院選勝利は、次期衆院選の勝利への布石であり、今、民主党のとるべき行動は野党と一致して福田政権を打倒し、総選挙を一日も早く迎えることだった。それこそが今の衆参ねじれ現象を解く唯一、最大の課題である。
 にも拘わらず、小沢氏は、どう勘違いしたのか、大連立へ舵を切ろうとした。夢を見たのだろうか。どこかが脳の内部で切れたのであろうか。
◇彼が大連立を進めようとしても、党内が了承しないことは、十分分かっているはずではないか。にも拘わらず、大冒険を試みたことは、何か大きな仕掛けがたくまれていたのではあるまいか。
 例えば、政界再編成である。今の自民党にはリーダーがいない。それを先読みする人らが政界再編を画し、その旗頭に小沢氏をかつごうとしたのではないか。いわば「新自民党の総裁」という手形である。その一環としての大連立、小沢副首相ではないか。
 いずれにしても彼が民主党に留まり続投することは民主党ばかりでなく、国家の政治にとっても望ましいことである。
 まずは、山積みする国内問題、なかんずく、防衛省にまつわる黒い霧を払ってもらいたい。【押谷盛利】

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2007年11月06日

旅人、難民、麻薬が通る(見聞録)

 リュックを背負った貧乏旅行者「バックパッカー」にとって、アジアからヨーロッパへとユーラシア大陸を横断する旅行は夢だ。コースは大きく分けて二つあり、一つは中国の西安(昔の長安)を起点にウズベキスタンなどの中央アジアを通り、イラン、トルコを経由して東欧やギリシャからヨーロッパ圏を目指すシルクロードの旅。もう一つはベトナムやタイなどの東南アジアからインドを目指し、パキスタン、イランを経由する南周りコース。
◇両コース共にイラン、トルコを経由してヨーロッパ圏を目指すのだが、このコース、何も旅行者だけに人気があるのではない。
 ヨーロッパを目指すアジア、中東系の密入国者にとっても主要ルートになっている。トルコまで無事にたどり着ければ、船で地中海を渡ってギリシャやイタリア、クロアチアへ。EU圏内に入れば、国内移動も自由になる。
 2003年ベルリン映画祭の金熊賞受賞作「イン・ディス・ワールド」は、パキスタンの難民キャンプで育った少年が従兄弟と共にロンドンに向かう密入国の旅を描いており、政治・経済の不安定なアジアや中東地域から、いかに多くの難民が新天地を夢見てヨーロッパを目指しているかが、うかがえる。
◇また、このルートはアフガニスタンで生産した麻薬をヨーロッパに運ぶ密輸にも重宝されている。イラン南東部で日本人大学生を誘拐した麻薬密輸組織が暗躍するように、アフガニスタンやパキスタンの国境付近では治安当局の影響力が及ばず、イランは麻薬消費地であるヨーロッパへの重要な中継地となっているようだ。
 密輸過程で、イラン国内にもいくらかこぼれるようで、同国では容易に麻薬を購入できる。
◇テヘランで出会った30代のイラン人男性は、戒律の厳しいイスラム教国にあって、ウィスキーと麻薬を娯楽にしている。
 アルコール類はキリスト教系のアルメニア人地区などで密輸品が出回り、麻薬はアフガニスタンから高品質で安価な「モノ」が入ってくる、とカバンの中の大麻を見せられた。例えば「1カ月楽しめる量」がたった800円程度、国境付近の町へ行けば、さらに安価に購入できるという。
 イランでは麻薬はもとより、飲酒も禁じられ、警察に見つかれば重罪に処されかねない。なぜ、アルコールや麻薬に手を出すのか?
 彼は「この国にはディスコもバーもない。あるのはモスクだけ。何かで楽しまないと」と語り、イラン人には麻薬中毒者が少なくないと、教えてくれた。
 テヘラン市街地のバーザール近辺を歩けば、バイクにまたがった売人らしき男がしきりに目で合図を送ってくるのが分かった。昼間から堂々と客を探す姿に、警察の取り締まりが緩いことを感じさせた。
◇密入国や麻薬などはダーティーなイメージを抱かせるが、この国が今も東西を結ぶ要衝としての地位を失っていないことの裏づけともとれる。
 米英、そしてイスラエルは核開発を理由に、武力攻撃も辞さない姿勢だが、これらの大国相手にイランがどう立ち回るのか、注目していたい。

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2007年11月05日

党首会談と小沢辞任劇

 民主党の小沢一郎代表辞任。4日から5日にかけて、政局はもちろん、政、財界、報道界に衝撃のニュースが飛び交った。
 当の民主党は、近づく解散、総選挙を前に福田丸の沈没をかけて、テロ特措法に立ち向かっている矢先のことである。突然の舵取り放棄は疑心暗鬼を呼び、党へのマイナスイメージは避けられぬ。
◇そもそも、と、ぼくは大上段に総括したいのだが、今回行われた福田―小沢の自民・民主のトップ会談自体が臭気ふんぷん、あまりにもなまぐさ過ぎた。
 11月1日の特措法の期限切れで、印度洋でのテロ対策給油がアウトになったため、国際外交の上で日本の孤立化を恐れた福田首相が辞を低くして助けを求めたのがことの始まりと思われる。
 韓信の股潜(またくぐ)り、という言葉がある。大望を持つものが、自分の恥や面目に目をつぶって、相手の股をくぐってでも目的を達成するという故事によるが、福田さんは小沢さんの股をくぐってでも、テロ特措法を通そうとしたのではないか、とこれは、常識的な、あり得べき解説である。
 いま一つは、参院の与野党逆転現象は、与党の福田丸の航海に波風が強すぎることが明白になった。衆議院は与党が圧倒的に多いから議案は通るが、逆に参院では否決される。
 この結果、重要法案は、円滑に通らなくなる。一方、民主党も独自の法案を提出しても参院ではパスするが衆院で壁にぶつかる。
 この矛盾を克服するため、政策を主体にした両党の大連立構想が両者から浮上した。これまた常識的なあり得べき解説である。
◇ぼくは、この二つは世間に顔向け出来る知者の設計図である、と思っている。
 福田―小沢会談の本当のねらいは何なのか。これは歴史が後日、明らかにするであろうが、それを推測させる条件はいくつかある。
 それについて、私見を述べるが、いみじくも当世流行の「偽装」に今度の会談が似ているのでは、と考えるのである。
 まず、第一のテロ特措法に対する民主党の態度であるが、小沢代表は、終始、憲法で許されないからとの理由で反対している。国連決議でなく、アメリカの発動した戦争だから、というのが趣旨であるから、福田さんとの会談で、これがひっくり返るはずがない。
 第二の政策に関する国会渋滞であるが、たとえ野党が参院で否決しても予算案など重要なものは衆院の議決が優先する。
 なお、衆参のねじれ現象についてであるが、これは、国会ニュースを通じて、国民の知るところであり、このねじれは次の衆院選を国民がどう反応するかで局面は変わる。参院選の結果が国民の目下の政治的態度とするなら、衆院選における民主党の延びは期待できよう。そうであればこそ、民主党は早期解散を目標に臨戦態勢を敷いているのではないか。
 以上の2点を考えれば、たとえ、福田さんが小沢さんの股くぐりをしても、返事は「ノー」であらねばならぬ。
 しかし、小沢さんは、大連立を前提に政策協議の段階へ一歩進めようとした。もちろん、それは、政策を具現するのが政党の目的だとする小沢さんのいうように間違っているとは断じがたい。
 ぼくは、このあたりに、自民党ペースの仕掛けがあるように思えてならない。
◇一つは、保守政権安定のための中選挙区への先祖帰り。
◇二つは、第二のロッキード事件になるか、の黒い霧を雲散夢消する煙幕的役割が党首会談にあったのでは。現にインド洋での給油のウソの報告の責任者が国会喚問を拒否しているではないか。元防衛庁長官が商社側や守屋前次官らの宴席に出たことや、複数政治家の宴席などの追及がストップしていること。結局は政変(台風)を避けようとする何かが働いているのではないか。【押谷盛利】

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2007年11月02日

ドバイの脱「石油」(見聞録)

 イランへの経由地として寄ったアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ。高層ビルなど近代的建物が立ち並び、経済発展から取り残されたイランと対照的だった。
 ドバイは元は小さな漁村だったが、17世紀以降、英国の保護のもと、東インド会社への経由地、中東の貿易拠点として発展。さらに20世紀には油田の発見で経済的に潤うことになった。
 現在では「摩天楼」が林立し、中東の経済中核都市としての地位を確立。さらに海岸沿いには高級リゾートホテルが建ち並び、人工衛星から確認できるほどの巨大埋め立てリゾート地「パーム・アイランド」の建設も進み、観光客の誘致に成功している。
 人口は約120万人だが、9割が外国人で、特にインド人が多数を占めている。急速な経済発展を背景にした建設ラッシュを出稼ぎ労働者が支えているわけだ。街中を散策すれば、インドやフィリピン人などの外国人の多さ、その労働者を相手にする商店やレストランが溢れる街並みは、アラビア半島にいること忘れさせる。
◇イラン、イラク、サウジアラビアなど産油国が集中する地域の中で、なぜドバイが中東の経済中核都市となる成功を収めたのか?
 ドバイでは1970年代から石油依存経済からの脱却を目指す産業の多角化を進めた。
 それは、かつて炭鉱で栄えた街が鉱石を取り尽くしたことでゴーストタウンと化したように、石油という有限資源にだけ頼っていては資源枯渇後に「ゴースト国家」になりかねないとの危惧からだ。
 当時の政治家はこのようにドバイの将来を見据え、国際空港の整備、外国人労働者を自由に雇用できる経済特区の設置で、外国企業を積極的に誘致してきた。
◇1970年代、イスラエルと周辺のイスラム教諸国による中東戦争が引き金となったオイルショックは、エネルギーを中東の石油に依存してきた先進工業国の経済を脅かしたが、その教訓は今の日本に生かされているだろうか。
 今、日本の石油輸入の1割を占めるイランでは英米による武力攻撃の可能性が出てきた。さらに、経済制裁を強化している米国は、イランと取り引きする先進国をけん制している。
 不安定な中東地域の状況を勘案すると、いつまでも石油資源だけに頼った経済政策でよいのだろうか。産油国ドバイでさえ、オイルショック当時には脱「石油」を目指していたというのに。
◇先週、長浜ドームで開かれた環境ビジネスメッセ。その中のシンポジウムで、アル・ゴア元米副大統領の著書「不都合な真実」を翻訳した環境ジャーナリストの枝廣淳子さんは、環境面からも、石油べったり経済からの転換を訴えた。
 彼女は「地球温暖化は『問題』でなく『症状』です。有限の地球で無限の成長を目指し、成長の限界と衝突して温暖化を招いているのです」と語った。
 環境負荷の大きい石油エネルギーに頼っていては将来の世界に暗雲立ち込めるのは間違いなく、環境負荷の少ない風力や太陽光エネルギーへの転換が求められる。いずれ、これらのクリーンエネルギーが、産油量の減少に伴って高騰する石油エネルギーよりも安価になる逆転現象が起きるのだから。
◇小資源国日本と産油国。立場の違いこそ歴然だが、限りあるエネルギー資源をどこまで頼みにするのか。ドバイが依存から脱却し繁栄への活路を見出したのは先見の明というべきだろう。
 日本は危機感さえない、と感じるのは小欄だけだろうか。

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2007年11月01日

第2のロッキード事件

 守屋喚問で、日本の政界と言論界は異常な興奮のルツボ状況下にある。政界や司法通の間には第2ロッキード事件になるのでは、と成りゆきに深い関心が注がれている。
 防衛省の次官を4年以上も続けていること自体、不可解な話とされているのだが、その更迭人事を蹴っ飛ばして、小池大臣と刺し違えるという荒技(あらわざ)をやってのけるほどの男だから政権を左右するくらいの力があったのであろう。その力が何によるかは、明々白々である。
 防衛省とこれにつながる軍需産業を支配する権力とその癒着による金力であることは裏社会の常識である。
 第2のロッキード事件になるのでは、という疑惑は、事件の本質が航空機、ヘリコプター、エンジン、その他軍事通信機器の輸入をめぐるアメリカ企業との取引に内在するからである。
 ロッキード事件は田中内閣を吹っ飛ばし、その強大な権力を沈めたが、今回の守屋事件は防衛省をめぐる政・官・業の癒着に天からの鉄槌がどう下ろされるかがポイントで、政治と司法の正義と良心が狂わなければ必ず伏魔殿は洗われるであろうし、内閣の瓦解や政界再編成の嵐を呼ぶにちがいない。
◇国民は29日に行われた衆議院での守屋喚問の追及の手温(てぬる)さにがっかりしている。審問の時間の制限が守屋氏追い詰めの障害になっていたし、贈収賄にかかわる問題については、本人の否定的発言を待つかのような質問が見られたし、ゴルフ接待でお茶を濁すのか、と思われる雰囲気があり、報道の紙面にも「便宜供与は否定」と、あたかも守屋氏をかばっているかのような見出しが多かった。
◇ロッキード事件が暴かれるまでは、マスコミは田中角栄批判を避けた。それは番記者をはじめ各社に田中びいきが有形無形に形成されていた。
 言論界に初めて、そして決定的な田中追及の一石を投じたのは「田中金脈」を暴いた文芸春秋の立花隆論文であった。
◇防衛省は守屋喚問以前から納品関係業者との間の黒い取引や水増し請求、情報洩れ、自衛艦の勤務日誌の廃棄、テロ特措法による米艦への燃料補給のインチキ報告など「軍」にふさわしくない綱紀の乱れが続いている。
 国家の独立と国民の生命財産を直接的に守っている「軍」にしては信用丸潰れのていたらくというべきで、第一線で勤務し汗している隊員には顔向けも出来ない醜態である。
◇ぼくが不思議というか、不自然な思いをしていたのはかつての田中金脈を思い出すほどマスコミはなぜか防衛省に甘かった。
 防衛省は伏魔殿ではないか、とささやかれていたにも拘わらず、マスコミのこれに切り込む報道を見たことがない。そればかりか、今年8月の小池新防衛大臣による守屋次官のクビ騒動に際しては、与党の幹部と歩調を合わせて守屋擁護の記事すら載せていた。
 この問題に関し、小池百合子元防衛省大臣は週刊朝日11月9日号に「国防より欲望」の見出しで、手記を寄せているが、この中に「今だから言えますが」と前置きして、「守屋氏を退任させようとした当時の小池氏に対するバッシングは、全部、守屋サイドに立っていたマスコミの報道だと推察しています」と言い、誹謗中傷のためのデマ戦術にあきれ、こうやって守屋氏は情報操作に励んできた、と残念がっている。
 当時の与党幹部の発言にも守屋氏への同情論が多かったが、田中コントロールのように、守屋コントロールが与党の中にあったのか、と、この事実からも守屋天皇説は暗く不潔で、内閣延焼をはらむ狂雲といえよう。【押谷盛利】

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