滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2007年08月31日

景観を守り育てる(見聞録)

 イタリアやフランス、スペインなど欧州の古都が観光客を魅了して止まないのは、そこにデザインや色彩などが見事なまでに統一された街並みがあるから。それに比べると日本は、建造物の高さ、外観、色彩がアンバランスで、派手な看板が立ち並び、あまりにも商業主義的だ。
 欧州の古都では早くから景観を街の資産と位置づけ、住民がかたくなに守ってきた。日本でも一昨年6月、ようやく景観法が施行され、美しい景観を国民共通の財産と位置付けた。強力な規制、罰則で行政が景観を保護、プロデュースできるのが特徴。
◇石畳が続く大通寺門前通りと駅前通りの交差点角、パチンコ店跡地にマンションの建設が着々と進んでいる。低層住宅の多いエリアの中で、15階建てはひと際目立つ。JR長浜駅西側にもマンションが相次いで完成し、湖岸の風景はがらりと変わった。
 そのマンション建設をめぐって、景観がだいなしになると、地元住民から反対の声が噴出したが、行政には建設を規制する手段がなく、施工主の配慮に期待するにとどまっている。
 古い町並みの再生と、ガラス文化の創出が成功し、観光客が絶えない旧市街地。調和の取れた景観を維持できなければ、その魅力を失うのは明白だ。北国街道をはじめとする歴史的街並みや自然豊かな景観をどう守ってゆくのか。
◇今月30日、長浜市で景観法に基づく計画策定委員会がスタートした。
 建造物の高さ、外観などの規制も視野に含め、07年度中に計画を策定する。市も平行して景観条例をつくり、景観法に基づく「景観行政団体」を目指す。
 北国街道や黒壁一帯の調和の取れた景観をどのように維持、発展させるのか。マンション建設を一律に規制するのか。デザインの統一性にどう強制力を働かせるのか。今後の長浜の都市像を決める重要な議論の場となりそうだ。
◇景観計画策定委員会の初会議が曳山博物館の伝承スタジオで開かれるというので、覗いた―。
 策定委員会のメンバーは大学教授、法律家、建築家、まちづくりのプロ、商店街や行政の関係者ら。商店街関係者は「駅前通りのマンションに危機感を抱いている。低層が街並みの魅力。街中の風景を守る手立てを考えたい」と強調した。
 その中で、前黒壁社長の笹原司朗氏は「駅前のマンションは、(元々あった)パチンコ屋よりずっと良い」「なんとなしに古い町並みを残すという雰囲気があるが、間違い」と話した。一律に建造物の高さを規制しては経済活動へのマイナス効果を招くため、古い建物でも「残すもの」「残さないもの」とメリハリを付け、デザインの統一性で街並みを保全、プロデュースしようという提案。黒壁によるまちづくりを成功させた本人だけに、説得力がある。
 マンション建設は人口増加による旧市街地活性化に寄与する面もあり、建造物への規制と、経済活動のバランスが大切。
◇この日の委員会で気がかりだったのは傍聴者がゼロだったこと。マンション建設反対の動きや、旧市街地の街並み保全の観点から、景観問題に関心のある市民が傍聴に訪れるだろうと思っていただけに、やや拍子抜けした。
 住民を交えての議論が、景観保護への住民意識の醸成につながってゆくのではないか。これからの議論に期待したい。

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2007年08月30日

現代用語と文学用語

 日本語は熟語が多いので発音から意味を知ることが難しい場合がある。そんなときは文字に書き表わすとよく分かる。例えば「せいか」は「成果」とも「盛夏」とも書く。
 ぼくが時評を書く上で一番迷うのは、漢字の用い方と、送りがなの使い方である。現在、われわれが使っている漢字は、旧文部省のきめた常用漢字であるが、固有名詞のなかにはそれに入らない難しい文字もあるし、常用漢字でなくとも、その文字を漢字以外では表わしにくいこともある。それに面倒なのは専門用語、古語などである。また、最近は外国語による片カナ文字の扱い方も厄介である。分かり易く日本語に訳せればそれを使えばよいが、その日本語が難しい漢字の場合もある。
◇言葉は口で表わす場合と文字で表わす場合が普通であるが、聞いて分かることでも文字にして分かりにくいこともあれば、逆に文字を見れば分かるが発音だけでは分かりにくい場合もある。いずれにしても分かる発音、分かる文章を書くことが大切だが学術用語や専門用語もあることだから、新聞記事のように不特定多数の読者を対象にする場合は、平易を心がけながらも、時には解説や注釈を入れて理解を深めるようにしなければならぬ。
◇文章は文語文と口語文があり、明治以前は文語調だったが、明治になって、言文一致の声が上がり、文章も話し言葉のような口語にすべきとの世論が支配的となり、新聞、雑誌等の出版物をはじめ、われわれの出す手紙も口語調となった。しかし習慣や伝統は急激に変えられず、昭和に入っても候文の手紙や、文語、口語の入り交じった文章が続く。
◇文字による表現は、論文、随筆、小説、戯曲、詩、短歌、俳句などに分類されるが、このうち、今も文語調、旧かなが幅をきかしている分野がある。短歌、俳句界がそれである。
 短歌においては、指導者を中心に会員で組織している結社によって、口語、新かなを採用しているところもあれば、文語調、旧かなを固執しているのもあり、どちらを選んでもよしとする、詠む人の自由意志に任せている結社もある。
 俳句は5・7・5の17音の短詩形文学だから、口語調に馴染みにくく、一般に文語調が多い。しかし、新鮮さを求めて、口語俳句を作る人も増えつつある。
◇短歌は、万葉集、古今集以来の日本の伝統的文学であり、その伝統をお家流風に守って独立王国を形成しているのに、冷泉派、二条派、京極派などがある。当然ながら文語調であり、古くからの「しらべ」を尊重する。
 短歌界の今一つの流れは、主流ではないが、自由律・口語短歌がある。自由律であるから5・7・5・7・7の31音のリズムに束縛されることなく、見たまま、思うまま、自由に短歌らしく日常語で表現する。
 これに似たのが、俳句の無季、自由律であり、山頭火はその代表的俳人といえよう。
◇ここで、俳論、短歌論に言及するつもりはないが、ものかきの一人として感じることは、日本語の記述表現として、長く続いてきた文語に対する郷愁である。文語旧かなのよさの再確認といってもよい。
 例えば、顔色に出る、戸外に出る、ことを短歌などで「出(い)ず」、と書く場合がある。文語調表現にも拘わらず、送りがなは現代がなを用いるから、出にルビをつけなければ出(で)ず、と読む。出ずは出ない、出てゆかない、の意で、正反対の表現になる。この場合、「出づ」と書けば出るの意味になる。
 ついでながら、みかづき、つづる、などをみかずき、つずる、と書いてはおかしいが、現代用語はその点があやしい。「家に居る」は「ゐる」がぴったりだが、現代用語は「いる」。
 あえて読者の意見を聞きたい点である。【押谷盛利】

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2007年08月29日

安倍内閣の手法と新聞

 28日の時評で、「安倍改造内閣に失望」と書いたが、この日の大手各新聞を読むと、各社とも冷ややかな眼で歓迎とは裏腹に「お手並み拝見」といった調子が目につく。
 倒れる寸前のつっかい棒のようなものだから期待する方が無理だろうとは、ぼくの見解だが、いずれにしても早ければ年内に解散の風が吹くかもしれない。かりに暮れ場を越しても新春の予算国会が乗り切れるか。
 税制改革や公務員の天下り規制その他で与党内に亀裂の心配や官僚の抵抗なども予想されるから安倍さんのいう反省すべきは反省して、内閣の延命策が功を奏するか。
 春の解散説もあるし、持ちこたえても夏までの寿命という見解もある。
◇普通は新内閣の発足や改造内閣の出発に当たっては、ご祝儀ともいうべき好意的報道が目立つのであるが、今回はご祝儀記事は目立たない。
 それというのも首相の言行不一致からくる政権欲に対して厳しい目があるからだろう。国民に理解してもらうべく公約という耳障りのよい餌をばらまいたが国民はそれにソッポを向けて民主党の餌に飛びついた。
 一つは安倍内閣の手法のなかに脱小泉、すなわち古い自民党体質への逆戻りを国民が心配した。
 今一つは国民外交という主体性を放棄して中国の顔いろを眺めすぎたことだろう。その代表的表れは靖国神社参拝に対するあいまいな態度であろう。
 三つめは官僚の天下り規制が総論賛成、各論反対で事実上は骨抜きになったこと。これは官僚と組む党内の抵抗勢力の反対にもよるが、最大のガンは官僚の反対であった。
◇官僚のいうままにはならない、とする安倍さんは、官邸の政策立案システムを強化し、政治が官僚をリードすることをねらったが、現実には哀れにも官僚の意志が官邸の政治家の力を上回った。その典型例が小池大臣と守屋次官との争いとなった人事問題だが、政の主導をいう安倍さんがケンカ両成敗の形で、政の鼻をへし折って官僚の顔を立ててしまった。
 首相が信任して任命した大臣を袖にして次官である部下の反旗を見逃したケースは、国民をがっかりさせた。
 この一事で「公務員改革」はできっこなし、の風評を天下に広めた。
◇改造内閣は派バツの親方やリーダーを取り込んだが親方衆は本気で、国家国民のための政治をやる気構えがあるのだろうか。倒れる前の肩ならしくらいに考えているふしもある。
 新味を宣伝している舛添要一大臣は、安倍内閣は即時退陣すべしとして参院選後テレビなどで国民に訴えたが、いつ、それが変わったのか、辞めよといいながら、そのつっかい棒をかついだは、言行不一致の政治家のサンプルを世に示したというべきであろう。
 ありていにいえば「いいかげんな」な政治の延長である。
◇最後に気のつくところは、今度の内閣は津島派におんぶした格好である。津島派はその前は橋本派、そして竹下派―田中派を源流とする。小泉さん時代鳴りを沈めていたこの派が、財務大臣ほか法務と環境を握った。
◇さて、民主党との攻防が活気を呼ぶ。しっかりと眺める気持ちが国民に起きたのは年金の5000万件のルーズさの暴露からであった。【押谷盛利】

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2007年08月28日

安倍改造内閣に失望

 安倍内閣の改造劇は終わったが、倒れる寸前のつっかい棒のようなものだから期待する方が無理だろう。期待できぬような内閣に国政を委ねるわけだから国民の不幸といえぬこともない。
 安倍内閣はさきごろの参院選で記録的な大敗を喫したのであるから本来ならば瓦解して、次期政権に後事を託すべきだった。党内に大臣病患者がうろうろしているから党役員の改選をも踏まえて自民党は鳴りをしずめていたが、どっちみち死に体だから、いつ空中分解してもおかしくない。
 安倍さんが自民党の失地回復でどんな政治的手段を講じるか。多少の興味と期待感を寄せて見守っていたが、結果は期待外れのがっかり人事であった。
◇ぼくは、今度の内閣改造で「見込みありやなきや」、一つのかけをしていた。それは政治主導ともいうべき行政改革をやるかやらないかの決意と実行力である。いま一つは派バツにとらわれず首相としての指導力を発揮できるかどうかであった。
 残念乍ら、二つとも失格であり、国民の与望に応えるものはゼロに近い。その一つ、官に対する政の指導力であるが、これを審判する一つのテストとしてぼくは小池防衛大臣の扱いを注目した。
 安倍さんは、官僚のご機嫌をとって小池さんをクビにした。小池さんは参院選の公示前、前大臣の久間章生氏の不穏当発言による辞任に伴い就任したもので、在位2カ月で放り出された。彼女は短期間ながらアメリカに渡って豊かな人脈で防衛相としての評価を高めた。さらに東南アジアに旅立ち、日本の防衛外交に脚光を浴びた。
 しかも彼女は、防衛省に巣食う古い業界との癒着体質に改革のナタを振るうべく人事に手をつけた。それが4年以上も居座る守屋次官の抵抗を受けてマスコミの好餌にされた。
 安倍さんはケンカ両成敗のような結果を出したが、実はこれが安倍さんの第一の大ペケである。
 今回の閣僚人事によって、広く日本に「官僚は大臣より強し」の風潮を実証した。
 官僚が反対すれば、大臣の思う人事が白紙に返されるばかりか、その担当大臣がクビになるというバカげた事実が歴史的に刻印された。
◇小池さんは2カ月で防衛省を去るが、その反対に面白い現象を国民は見せつけられた。それは、かつての防衛大臣・額賀福志郎氏が国家財政のサイフの紐を握る財務大臣に据えられたということである。
 額賀氏は1998年11月、防衛大臣を4カ月で辞任している。理由は防衛省内の汚職により参院で問責決議を受けたからである。
 そして、05年10月再び防衛相に登用された。この一例を見ても安倍さんが官僚を抑え、政の主導性を発揮できるか、すこぶるあやしくなった。
◇さらに今回の自民党人事や閣僚の予想顔ぶれは早くからマスコミで話題となった。
 人事は総裁・総理の特権であり、何らの圧力や外部の影響を受けず、というのが彼の師・小泉純一郎氏であったが、安倍氏は外圧に屈したのか、人事が一部もれていた。また派バツの動きが影響している気配も感じられた。
 これは小泉改革の逆行路線というべきで、国民の心を逆撫でするものといえよう。
◇小泉さんは一内閣一大臣を叫び、短命大臣を避けて、じっくり腰を落ちつけ、省務に精通し、省内の改革ににらみをきかせることを大臣に期待した。
 これこそが政治主導の行政であるが、安倍内閣は留任の4人を除いてみんな1年足らずで大臣をクビになった。喜ぶのは官僚だけである。
 これでは、政官財の癒着の悪しき慣行は改革できぬ。できぬどころか、官僚になめられた歴史的屈辱の1ページを残した。【押谷盛利】

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2007年08月27日

全国均一化と地方文化

 明治以来、日本人は西欧風の文化に憧れて、日本古来の文化にひけめを感じるようになった。
 そして、文化の象徴を都市に求め、農山村の生活を野卑の如く侮った。
 その傾向がいまも日本人を支配し、地方に住むものは田舎(いなか)ものとして自らを卑下し、都会人は「町の衆(しゅう)」として自負している。
◇山里の家や、山村を山家(やまが)といい、そこに住む人を山家育ち、山家すまい、山家ものとして見下げる風潮が今も残るが、残念乍ら、その山家ものの正直、たくましさ、人情、勤勉等のよき伝統が失われつつある。
 日本のごく一部の山間僻地を除き、現在の交通、通信の発達と情報化の波は、山家から山家の特性を剥ぎ、都会的文化の全国均一化が促進した。
◇その結果、山家のイメージはなくなり、田舎と都会の生活の内容や質が均一化してきた。
 それは、特産物がその府県、その地方の専売特許でなくなり、生産の技術指導の進化によって、普遍化するようになった。
 蜜柑は紀州、林檎(りんご)は青森の特産物、桃は岡山、鮎は滋賀といったイメージが大きく様変わりし始め、梨の鳥取も影が薄くなった。
◇都市と地方の生活の均一化は、食べ物ばかりでなく、冠婚葬祭などの儀式や習慣に至るまで平均化されつつある。
 その結果、日本人みんなが同じ情報にどっぷり浸り、同じような食べ物を食べ、都市も田舎も海辺も山家も同じいろあいの暮らしをするようになった。考えてみれば、あじけない時代になったといえる。
 かつては、四国へゆけば四国のうなぎ、関東へゆけば関東のうなぎ、その地方の湖や川でとれた独特のうなぎと、その地の伝統の焼き方や調理が旅の楽しみをふくらませた。
 今はなにもかも全国一律である。一つだけ違うのは、中国産か日本産かの問題だが、外食の多くは安価を目標に外国からの輸入品が圧倒的である。
◇ぼくは、過日、ある店で、包丁自慢の板前に注文した。「サーモン下さい」。すると彼は「うちはサーモンは扱っていません、鮭だけです」という。とたんにぼくの脳味噌は混乱した。「鮭はサーモンと違うのかな」と。
 ぼくは旅で食事するとき、酒を飲むが、必ずその土地の自慢の地酒を注文する。例えば会津へゆくと、つい看板に目がとまる。「会津のよさは酒のよさ」などに連られてその地の地酒にのどをうるおす。
 だから、滋賀県で客を接待するときは、例えば「七本槍」、「太湖」などと指名して、地酒を宣伝する。
◇地方には地方の特色があって、そこに地方の文化の独自性があるのだから、なにもかも全国一律というのは、むしろ文化の発展の阻害要因になるかもしれない。
 その点で、ぼくら「もの」を書く人間は、言葉の地方色に神経を尖らす必要があるのでは、と思う。
 「ごんせ」、「きゃんせ」、「おうきに」、「だんない」。
 「せんだっては、ごたいぎしてもろてすまんこっとした」。【押谷盛利】

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2007年08月26日

タコ部屋と昼休み(よもやま)

 木之本町役場前、町コミュニティセンターで大正から昭和にかけて発刊された号外(大事件)から、年表に載っていない日本の隠れた歴史を紹介する企画展が今日まで開かれている。地元の歴史を後世に伝えようと、伊香郡の生活と文化を伝える会が企画したもので、目を引く事件が多い。
 関東大震災直後の混乱期だった1823年9月2日、全国で「朝鮮人暴動」のデマが流され、東京市(当時)と隣接5郡に戒厳令が布かれ、自警団による虐殺が広がり、被害者は6千人にのぼった。当時、在日朝鮮人は10万人程度だったため、相当な残虐ぶりが伺える。また、政府は治安維持等緊急勅令を出し、労働運動家の平沢計七ら15人を殺害(亀戸署事件)。憲兵が大杉栄ら3人を扼殺した(甘粕事件)。当時の時事新聞の社説は「日本人の最大欠陥を暴露」と題し、次のように国民に日本の過ちを訴えた。
 多数の朝鮮人が陰謀を企てて被災地を襲撃するというが如き、最も単純なる常識に於いてあり得べからざることである。一旦の事変に処するに冷静沈着の判断を以てする点において、日本人は大いに欠くる所あるを知らねばばらぬ。朝鮮人騒ぎの経験は日本国民性の最大欠陥を遺憾なく暴露したるものとして、切に国民的反省を促さんとする。
◇また、この企画展では伊香郡出身で労働者の雇用改善を天皇に訴え、東京の二本橋で自害した藤田留二郎氏の生涯についても紹介しているが、その中で藤田氏が経験した北海道の苛酷なタコ部屋労働の実態が浮き彫りになっている。
 タコ部屋労働とは労働者を長期間拘束して、非人間的な環境で重い肉体労働をさせること。使役された労働者をタコと呼び、タコを監禁した部屋をタコ部屋(監獄)と呼んだ。
 明治末期の北海道では、受刑者の労働力により主要な道路、鉄道建設が行われていたが、あまりにも過酷であったために死者が続出。果ては中止に追い込まれ、代わりに業者による労働者のあっせんが始まった。
 しかし、労働者は好んで極寒の北海道の山奥に来るはずもなかった。そこで甘言でだまし、前借で売る周旋業が暗躍した。ポンビキと言われた周旋人は東京などの大都市に網を張り、失業者、農村出身者、苦学生らを狙って酒と女を与え、本人の知らぬ間に実際の5~10倍の借金を背負わせ、実経費の数倍でタコ部屋に売り飛ばした。
 高価で貴重な労働力を仕入れたタコ部屋では丈夫で長持ちさせるのが労務管理の基本となるはずだったが、仕事の内容は囚人と大差ない過酷なものだった。
 1917年6月22日、定山渓鉄道工事を報じた小樽新聞には「労働者は朝4時起床で午後7時終業」とある。朝早くから夜遅くまで、ひたすら肉体労働を強いる工事現場が主体で、約180㌔のもっこを2人で担ぐなどの重労働が長時間要求され、それが連日休みなく続き、体罰も当たり前。食事は立ったままとらされ、非衛生的な環境と粗末な食事により、病気になる者が多かった。労働者の逃亡が相次ぎ、捕らえられた脱走者は見せしめのリンチに遭った。こうして多くの命が失われ、遺棄されることが多かった。このため宿舎の出入口に鍵が掛けられ、監視員が逃亡防止にあたるという、いわゆるタコ部屋が確立された。
◇タコ部屋労働は現在も存在すると言われる。2003年、山梨県都留市の建設業者が死体遺棄の容疑で逮捕された。被害者はドヤ街で勧誘を受けて送り込まれたが、不払いの賃金を要求したため殺害されたとされる。今なお、タコ部屋労働が社会の片隅で続けられていることが裏付けられた事件である。
◇虎姫町の男性から本紙に公務員の昼休みについての投書が寄せられた。クリスタルプラザに寺のゴミ(木や竹)を搬入しようとしたところ、「昼休みだから受付できない」と断られたらしい。米原のパスポートセンターも同様。男性は怒り心頭で、役所からの派遣業務は民間に委託し職員削減をすべき、と唱えている。
 週5日制労働が唱えられ実際に浸透しているのは公務員だけ。一般の事業所は役所のように休みはそう多くない。まして昼休みに業務をオフにしているサービス業なんて見たことない。タコ部屋労働と公務員の仕事を比べるのは酷だが、公務員の皆さん、一度、木之本の企画展を御覧あれ。

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2007年08月24日

浅川氏の政治展望(見聞録)

 藤井勇治衆院議員の企業後援会「新世代研究会21世紀塾」の勉強会が23日夜、北ビワコホテルグラツィエで開かれ、講師の政治評論家・浅川博忠氏が、小泉純一郎前首相と、ライバルの小沢一郎・民主党代表、支持率急降下の安倍晋三首相の3人にスポットを当てながら、今後の政治展望を語った。
 浅川氏は慶応義塾大学卒業後、民間シンクタンクの研究員となり、その後、独立して政治評論家となった。「首相公選制を考える懇談会」のメンバーとして活躍し、小泉首相誕生の影の立役者ともいわれ、トップクラスの政治家と広い人脈を持つ。
◇浅川氏は、田中―竹下―小渕―橋本―津島(平成研究会)と続く保守主流派のボスが総理を目指し、それがかなわぬ場合は掌で転がしやすいダミー総理を置き、影響力を保ってきたと指摘。田中角栄以降続く派閥主導のカネとポスト分配で首相、閣僚がころころと入れ替わり、それによる政策決定プロセスの不安定さ、責任所在の曖昧さを問題視した。
 「歌手1年、総理2年の使い捨て」―。実力の無い歌手はヒット曲を出しても1年で忘れ去られるが、総理もたった2年で切り捨てられると、これは竹下登元首相の言葉だが、現実はもっと短命だ。派閥の都合で首相がすげ替えられ、平成に入ってからは12人の首相が誕生した。5年5カ月務め上げた小泉前首相を除くと、1人あたりの平均任期は1年1カ月余り。浅川氏は「これではサミットのたびに『初めまして』となる」と話し、国際関係上の弊害を憂えた。
 カネとポストで国を思い通りにする派閥主導の政権を絶えず許せないと言っていたのが小泉前首相。「黒い雲を突き破って、青い空を見せる」と訴え、見事、首相の座を奪取し、郵政民営化などの改革を断行した。しかし、今度はその後継者、安倍首相が「パッとしない」。
◇参院選で大敗北を喫した安倍首相について、浅川氏は「もっと国民に目を向け、政策を打ち出すべきだった。そこに気付かないのが温室育ち」と語り、「KY(空気読めない)、曖昧路線、後手に回る、の3つで安倍首相を語り尽くせる」とバッサリ。
 今月27日の内閣改造の成否が今後の支持率を左右することになるが、浅川氏の予想では、幹事長は麻生太郎がほぼ確定。官房長官は町村信孝、細田博之、中山成彬の誰か。外務は高村正彦を軸に、色目の使い方次第では小池百合子。財務は与謝野馨―といった面々。
 こう分析したうえで、「パッと花の咲く感じはない。さらに支持率が落ちるのではないか。そうなれば、安倍政権は自立できない」と語っている。
◇衆院解散の時期はテロ特措法の期限(11月1日)延長法案の可否次第。成立が不可能となれば、安倍政権は立ち行かなくなり、早ければ年内、12月16日の「大安」が投票日となる解散もありうる。また、遅くとも来年6月のサミット後に解散、7月に投票と、予測している。
 そのうえで浅川氏は興味深い推論を掲げている。内閣改造に失敗した安倍政権が死に体となり、小沢・民主主導で政権が動くならば、ライバルで負けず嫌いの小泉前首相が、チルドレンら新風を求める議員とグループを結成し、民主の前原、岡田両元党首らを巻き込んで改革新党の結成に打って出る可能性もあるというもの。小泉前首相と長年付き合ってきた同氏ならではの大胆な発想だ。
◇自民党の歴史的大敗による参院の過半数割れと、支持率が急降下する安倍政権。これから1年以内に政界再編が起こりうるのか、浅川氏の講演を聞いていると、今、政界が大きな波乱含みの岐路を迎えようとしている事がうかがえた。

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2007年08月23日

防衛庁汚職と天下り

 1998年、額賀福志郎防衛庁長官時代、防衛庁調達実施本部の役所ぐるみの業界との癒着的犯罪が摘発された。
 防衛庁の装備品納入をめぐり、本部長、副本部長らが結託し、納入価格の水増し要求に応えて何十億の不当支払いをして業界の利益を図った。
 これが明るみになるや不当分の返還金を35億円に圧縮して国に損害を与えた。
 業者に対してはその見返りに職員の天下り先を確保させるなど官と業界との癒着が問題視され、額賀防衛庁長官は参議院で問責決議されて辞任に追い込まれた。
◇この事件は2003年5月8日東京地裁の判決により断罪された。水増し請求をめぐる汚職で背任や賄賂などの罪に問われたのは防衛庁の旧調達実施本部の元副本部長・上野憲一被告で、懲役4年、追徴金838万円の実刑判決を言い渡された。
 裁判長は上野被告を「最も主導的な役割を果たした」とし、許容できない会計処理で国に損害を与え、防衛行政に対する国民の信用を大きく失墜させたと指摘した。
 また謝礼として顧問料名目で受け取ったカネについては「不正行為で便宜を図ったことにつけ込んで多額の賄賂を受け取った」と指摘し、「企業に不正な利益を与える一方、国に損害を与えた」と断じた。
 判決によると上野被告は、94、95年に水増し請求が発覚したNEC関連2社からの返還額35億円を不正に減額し、その見返りにNEC側から300万円、退職の天下り先の顧問料と合わせて約830万円のわいろを受け取った。
 一連の事件では14人が起訴され、起訴事実を認めた元防衛施設庁長官や元NEC専務ら13人の有罪が確定。公判が続いたのは上野被告だけだった。
 上野被告は95年勧奨退職の打診を受け、防衛庁の外郭団体の財団法人の専務理事へ就任が予定されていた。しかし4年後その地位が失われることからNEC系企業の専務に就職する考えだったという。判決では、NEC側は水増し請求分の減額などに絡んでの謝礼要求と認識し、その要求を承諾した。在職中の職務権限を民間への天下り先に悪用したばかりか、水増し分の負担を国民に押しつけることで自らの退職後の収入を確保したといえよう(2003年5月8日、日経参照)。
◇さらに最近の事件では2006年1月30日、自衛隊への納入、入札汚職で防衛施設庁の幹部とOBが東京地検に逮捕された。今回の事件、奇しくも前回と同じく額賀福志郎長官の時である。
 調べによると、防衛施設庁は、天下りの受け入れ実績を基準に発注先を決めていたとみられ、自衛隊の装備品や燃料の入札では数々の談合事件や不正な受注調整が繰り返され、業者の間では「受注できるかどうかはOBの有無で決まっていた」とささやかれていた。防衛庁汚職では、99年に航空機の燃料納入の談合事件、艦船の修理の入札調整(99年)、陸自の通信機用電池の入札(00年)、航空機や自動車用タイヤの入札(04年)など、談合や不自然な入札がたびたび問題になっていた(2006年1月31日、朝日参照)。【押谷盛利】

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2007年08月22日

役所の伏魔殿と原因

 防衛省の次官人事につき、、21日付の時評で、古だぬきの現守屋次官が小池大臣に造反したことに触れ、「天を恐れぬ官僚の横着さこそが日本の政治と行政を腐敗してきた諸悪の元凶である」と書いた。
 いまから9年前の1998年、ぼくの時評は1月から10月にかけて18回、役所と役人の腐敗について書いた。それはバブル崩壊後の金融不安を象徴し、大蔵省を筆頭に役人の威張りと不正が爛熟した時代だった。
 一連の時評は拙著「いのちの声を」にまとめているが、念のため、今に通じる事件を念頭に当時の時評の見出しを一部列挙する(カッコ内は掲載日)。
▽官僚帝王論と汚職(1・21)▽大蔵と自民を切る(1・27)▽しゃぶしゃぶ料亭(1・30)▽腐敗の温床と役所(1・12)▽公金の使い込み(6・17)▽役所と政治家の罪(6・18)▽税金を食う化物(7・14)▽防衛庁の黒い事件(9・7)▽百鬼夜行の正体は(9・8)▽悪の巣窟・防衛庁(9・22)▽天下りが悪の根源(10・23)。
◇2001年、小泉内閣の発足で、田中真紀子氏が外相に就任したとき、彼女の清新性による外務省の改革が注目を浴びた。
 その結果、外務省の官僚が競馬の馬主であったり、海外の出先機関の不正な乱費や公金横領などが問題視され、国民の眼に外務省は伏魔殿と映った。
 官僚の抵抗によって田中改革は挫折し、彼女はクビにされ、一時期、小泉内閣の人気がかげった。
 バブル崩壊後の金融不安のころは大蔵省の官僚の横暴が同省の伏魔殿疑惑を呼んだ。
 そして、90年代から現在に至る防衛庁(現防衛省)の利権体質と天下りによる政・官・業の癒着がこれまた伏魔殿のあやしさを引きずってきた。
 さらに、今年の春から国内を騒がせた年金疑惑。年金を食ってしまった社会保険庁官僚とこれを放任してきた自民党政権への国民の怒りが爆発した。
◇目下の行政における伏魔殿は厚生労働省の外局・社保庁である。悪の巣窟というべき役所の伏魔殿がどうして形勢されたのか。さかのぼれば55年体制の自・社のなれあい政治に行き当たるが、それが日本の教育をおかしくし、日本の官僚が総理や大臣を上回る権能を持つようになった。みずからを王と錯覚するが如きこの強大な力を驕るがゆえに、小池大臣の人事案を潰すが如き次官が存在するのである。
 したがって行政改革を安倍総理が命がけでやろうとするならばこの一点から突破しなくてはなるまい、と同時に天下り反対を国民の目に分かり易く説明し、現在のようなごまかし方式を改めねばなるまい。
 しかし、これらの改革は到底安倍さんには出来まい。安倍さんの手法を薄めたり、骨抜きにする古だぬき議員がうろうろしているからである。彼らもまた官僚と結んで甘い血をすすってきた前科があり改革に賛成できぬのである。
◇ところで、大臣がなぜその所属の官僚になめられるのか。
 それは小泉前総理が固く追放を図った族議員がはびこるからである。
 それと今一つ最大の因は大臣の短命による。ほとんどが任期1年でクビになり、次の内閣改造で新しい大臣が生まれる。
 これは、派バツの親分が子分を少しでも多く大臣につけたいからである。省内の改革や国民のための政策などは二の次ぎで、大臣病患者を喜ばせて派バツを大きくし、総理は政権を維持するのが目的なのである。1年生大臣がまごまごしている隙に、百戦錬磨の族議員が顔と経験を生かして省内の官僚と癒着する。したがって官邸主導の政治は大臣の任期を長くすることから始めねばならぬ。逆にいえば大臣がくるくる代わることが官僚には望ましいことになる。
 この改革は不退転、命がけの小泉さんでなし得たことで、とても安倍さんには荷が重い。小泉さんの再登板がなければ民主党に託さねばならぬが、今後の国会運営と論争が注目されよう。

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2007年08月21日

防衛省の問題点と官僚

 防衛省の事務次官人事は、第3候補の増田好平氏で決着し、小池大臣と守屋次官は傷み分け、と報道されたが、ぼくはそれ以前の問題として、大臣に対して部下の次官が公公然と反旗をひるがえす公務員規律の弛緩と国家・国民の平和、安全に関わる危機管理上の大問題として追及せねばならぬと思う。
 守屋事務次官が直属の大臣に造反して政界を波立たせたことは、この国の官僚がいかに大臣をなめきっているかを実証する好例であるが、天を恐れぬ官僚の横着さこそが日本の政治と行政を腐敗してきた諸悪の元凶である、とぼくは思っている。
 歴代の内閣でも心ある政治家はそのことを知っているから政策の筆頭に行政改革を位置づけた。しかし、その実態は官僚の抵抗に遭って、本丸攻略に至らなかった。
 そのなかで唯一光ったのは小泉改革だった。彼の手によって省の統合や省名変更が実現した。しかし、各省庁の天下り団体ともいうべき政府出資の公益法人や特別法人の統合廃止などはほとんど手がつけられなかった。
◇ここで官僚の本質的特徴を明らかにするが、彼らにあるのは国家、国民の利益ではなく、一にも二にも省益であり、所属する省の領域の拡大と事務の繁さと多用性、すなわち役所定数の増員とその権限の強化につきる。それをいま一歩付言すれば在任中は役得(やくとく)をふんだんに享受し、退任後は系列の外郭団体や大企業へ天下りし、継続して「役所のご利益」にありつこうとするのである。彼らのすべての戦略はこの特性に由来し、この戦略に異を称えたり、その方向を粉砕する動きには役所の全エネルギーを結集して抵抗する。
◇それほどに省役と自己の私利私欲に走るがゆえに、小池大臣のような清新な政治家をけむたがり、あわよくば追い出したいの念をかき立てる。
◇防衛省は国防省であり、隊員の訓練、充実はもとより、国家の予算の多くを投じて軍備と装備を近代化する。
 軍艦、飛行機、戦車、砲のほか被服施設など、発注者としての立場は業界に王様の如く輝く。
 防衛省の役人が望むことなら、なんでも聞き入れるのが業界の常識であり、その結果、防衛省OBの天下りの実績が官製談合を呼び、さらにはその談合を通じて入札抜きの随意契約がまかり通った。
 こうして、役人と企業の癒着が生じ、さらに企業は政治献金によって防衛族議員を籠絡する。そればかりか、受注した業者は官僚と結託して実際の契約額を上回る水増し請求をする。
 官僚はそれを当然の如く認めて水増し分まで支払う。役所と企業がぐるになって国費を乱費する図であるが、それが白昼のもとにただされる事件が4年前に断罪された。
◇それは次回に述べるが、そういう悪しき伝統の頂点に立って、傲然と構えていたのが騒動の中心人物・守屋次官だった。彼が頑強に小池人事に反発したのは、役人のトップである次官を他の役所出身者で占めさすわけにはゆかぬというセクショナリズムである。これはこれまでの業界とのもちつもたれつの腐れ縁の内部を他省庁出身の次官に見られたくないとする自己防衛策ともいえよう。
 一方の小池大臣は、国民に信頼されるために防衛省を精神的に立て直す気負いがあったと思えるし、事実4年以上もトップの座にいる守屋次官の傲慢さは、次期内閣でも引き続きそのポストに固執する気配さえ見られたというから、総理や大臣以上の権勢を事実上握っていたのかもしれない。その権勢のよりどころは何か。過去4年の間の役所内の人事の掌握と歴代大臣への進講や国会答弁での乗り切り、さらには防衛族議員の陳情、要請に対する貸しなどが雪だるま式に彼の力を増幅させた。
 何よりも彼が防衛省の役人から頼母しがられるのは業界へのにらみであろう。それこそがOBの天下りの蜜であり、いま、この時期、この役所が省に格上げされた段階で、国民の信を取りつけるには人事の一新から、と考えた小池大臣の思いは恐らく国民の共感を呼ぶにちがいない。

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2007年08月20日

小池大臣の勇気と首相

 防衛省の次官人事がお盆前後の政界、マスコミ界を賑わせたが、結論から言えば、安倍総理のリーダーシップの欠如が目立ち、安倍内閣と自民党への不信感を増幅させた。
 小池防衛相が就任後間がないにも拘わらず、次官人事に手をつけたのは勇気ある判断であり、国民にとっては歓迎すべき意義を持つ。
 いまの次官は大物であるといわれている。政界にも内部にも、そして外部にも顔が広く、官邸に対しても発言力があるという。実は、その実力と顔が問題なのである。
 彼は次官就任後5年近く、現職に居座っており、防衛庁時代からの事実上のトップである。
 どこの役所でも同様だが、次官が同一ポストに4年以上も君臨し続けることは異例である。次官を支配するはずの最高権力者は大臣であるが、小泉内閣のころは別として、これまでの歴代内閣の大臣は長くて2年、大方は1年で退任している。
◇大臣が1年や2年で省内を掌握し、政策に通じ指導力を発揮することは至難のことである。所詮は、役人の講義を受け、その省役のため政治的に動くだけである。言わば官僚のあやつり人形に過ぎない。
 その弊害を破るべく、蛮勇を振るったのが小泉純一郎前総理であった。彼は一方で自民党の解党的刷新、他方で行政改革を訴えた。自民党の解党的刷新は派バツの解消につながった。行政改革は道路公団および、郵政民営化などのほか官僚の天下り規制へ一歩進めたが、国民の眼には官僚とこれに結びつく政治家の抵抗の強さが印象に残る。
 その小泉流政治改革のなかで、ホームランともいうべきものが一つあった。それは同一内閣、同一大臣の実践であった。
 彼は派バツや実力政治家からの要請である内閣改造を拒否して、各大臣の任期を長期保障した。これは、短命大臣をなくして、官邸が官僚を支配する政治目標によるもので、名前だけの大臣や派バツ順送り大臣の弊を改革するねらいがあった。
◇今回の防衛省の次官人事は、旧来型の官僚主導の人事に風穴を開ける意味で、小池大臣の剛腕、剛速球が歴史的評価をされるであろう。
 いまの防衛省には、軍の秘密情報が流れていた責任問題があり、また沖縄の基地問題で地元との間の政治不信感が伝えられ、また10年以上も前から国民の疑惑の対象とされていた防衛省納入業者との癒着など、根底からの内部改革が望まれていた。このため、小池大臣は後任次官に防衛省の生え抜きを排して、警察庁からの登用を図った。
 ところが、現次官は、猛反対の言動を展開し、政界、マスコミ界はいうに及ばず、総理に直訴するなど官邸にまで工作の手を延ばした。
 結局遅まきながら安倍総理の決断で、次官は次期内閣の発足時に解任し、後任は内部登用でケリがついた。
◇しかし、安倍総理は、解決に当たって、古い自民党時代にさかのぼって、足して2で割るやり方を採用した。
 この一事をもってしても、安倍さんに行政改革を求めることは木に魚を求めるの類で、ナンセンスであることを国民は知った。次官人事のごてごてが長引いたこと、そして、その解決法を通じて、安倍さんが頼りない首相であること、そして、官僚の横着さと、これまでの君臨ぶりを目(ま)のあたりに見せつけられた。
◇今回の事件は、単なる次官人事以上の国政上の大問題を提起した。それは、役所のトップである大臣を部下の次官が、公然と反旗をひるがえしたことである。いやしくも総理が指名し、天皇が信任して辞令を授与した国務大臣である。その大臣に造反する官僚の横着ぶりは、その事実だけでもクビに該当する行為である。しかも防衛省は国家、国民の安全、防衛に関わる役所である。この点を考えればあり得べからざることが起きた。この点こそ追及し、またその反抗の根の深さを問題にすべきであろう。
 小池大臣の勇気を、行財政改革の上に生かすことを願ってやまない。

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2007年08月18日

マッチポンプと官僚

 役人を、いまは公務員という。江戸時代の役人も、いまの公務員も人民より、一段高いところにいるという優越感を持つ。公務員は公僕であり、国民に奉仕する立場にある、と表向きは殊勝な看板を上げているが、事実は逆で、今も昔のままに法律や慣行を盾に人民を見下ろし、そりくり返っている。
 昔の役所は、税金を徴収し、役人に給料を支払い、土木事業や産業、教育、軍備、治安などにその税金を使ってきたが、いまはこれに福祉や環境面の支出が加わり、役所の規模も大きく、複雑になってきた。
◇役人が威張るのは、役所の権限、つまり虎の威を借りるからだが、その権限とは何か。
 国民の暮らしは、本来自由で何らの制限もないはずだが、実際は数限りなく法律の網をかぶっており、教育を受けるにも、結婚するにも、職業上の登録や専門家になるにもすべて法がいちいち干渉する。犯罪捜査とか取り調べなど人権上の問題はもちろんのこと、何かの資格をとったり、選挙の立候補や投票行為、建築や土木工事、物の売買や流通、金融に至るまで法律が幅をきかし、あの世へ行く、葬式や荼毘(だび)にまで法は関わってくる。
 このように、個人、企業、団体を問わず、あらゆる細部に至るまで法は支配しようとするし、お節介をやく。中でも一番大きな権能は許可権、認可権であり、また事業によっては報告を義務づけたり、ときには立ち入り調査するが、この場合の葵の御紋が法律である。
◇役人が大きな面(つら)をするのは、役所に与えられた法律上の権限を執行する立場にあるからだ。法が王様とすれば、王の代執行権者が役人なのだ。そして、役所制度の長い慣行の結果、代執行権者の役人が、ほんものの王の如き錯覚をして、人民に威張り、人民はまた役人を王の如く絶対視することに飼い慣らされてきた。
 このような権力加担側の役人と、それになびく人民との間に上下関係がいつの間にか、生まれ、それが役人の体質となって、威張りや驕りにつながった。
 当然ながら、役所への関係を親密、穏やかにするための人民側の献身と努力が払われたが、なかでも有効な働きを見せたのが俗にいう袖の下。
 今は賄賂といい、贈収賄は刑法で処罰されるが、巧妙な役所や役人は法に触れることなく実質上の賄賂の利益を享受する。
 その典型的な例が、目下話題を呼んでいる官僚の天下りである。
 役所を退職した官僚が、役所時代の因縁をかさに、公益法人や関連大企業に就職する。そこで高いポストと高い給与を保障され、辞めるときは巨額の退職金を手に入れる。そして二転、三転して、天下りを続けていく。天下り先の法人や会社は、その官僚の出身省庁から仕事や情報その他の上で優遇される。
 これが法を逃れた公公然の贈収賄である。
◇役人は、今も昔も、自分たちの権限の範囲の拡張と増加、役所機構の膨張を考える。彼らにとっては、国家や地方は眼中になく、あるのは、自らが属している役所の利権だけである。役所の利権体質は本来的なものであり、このため、早くから役所機構の刷新や改革が叫ばれてきた。
 そして、だれよりも、その必要性を熟知しているのが官僚である。よって、官僚は歴代内閣の主人公(総理)に政策の筆頭として行政改革を進言してきた。しかし、それは、内閣が取り上げることによって、彼らの目的が果たせたのであり、官僚は心底、行革が行われるとは思っていないし、もし本気で総理が取り組めばいち早く潰すことを考える。国民の声を取り上げるポーズをして、実際は、それと逆行するのであるから、文字通りのマッチポンプなのである。官僚はなぜそんな器用なことができるのか。彼らを強大にしたのはだれの責任か。

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2007年08月17日

過疎と風力発電(見聞録)

 お盆休みを利用して東北地方に出掛けた。北陸自動車道を走り、新潟からは国道7号線でさらに北へ。なまはげで有名な秋田県の男鹿半島、北海道を望む津軽半島、本州最北端の下北半島を巡り、帰りは東北―磐越―北陸道へ。たった4日間の駆け足だったが、いくらか東北地方の魅力に触れることができた。
◇東北地方は若者の都会流出で人口減少が著しく、高速道や国道は渋滞がなく、車での旅はスムーズだ。そんな過疎化を裏付けるような話題を、地元紙「東奥日報(本社・青森市)」の13日付け朝刊で見ることができた。
 一つは「大人の決意・自覚新た」との見出しで、青森県鯵ケ沢町の成人式の記事。都会に出た若者が盆休みに帰省しているのに合わせて成人式を開いた。95人が参加し、真夏日とあって女性は振袖ではなく涼しげなドレス姿。
 もう一つは「Uターン環境厳しく」という記事。人口減少の進む青森県ではUターン就職の促進は重要施策。お盆の時期に合わせて、毎年、就職斡旋フェアを開催している。今年は地元の22社が参加し、就職情報だけでなく住環境などの相談コーナーを設けたが、帰省者の参加はわずか17人。都会との賃金格差や、能力を生かせる職種の少なさが原因で、過疎化対策の難しさをうかがわせた。
◇また、東北地方では風力発電が盛んで、海岸線や山手を走ると、林立する風車を見ることができる。真っ白な巨大な翼が回転する様は迫力があり、観光スポットとしても人気がある。
 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)によると、国内の風力発電機は1314基で、総発電容量は149万㌔ワット(いずれも2007年3月末現在)。うち、東北地方が3割のシェアを占めている。立地には一定の風が吹き、住宅地から離れていることなどが条件。東北地方は最適で、北海道にも多い。
 ちなみに近畿地方は4%で、沖縄の1%に次いでワースト2。滋賀では草津市が烏丸半島に設置しているが、思うように風が吹かず、年間発電量は一般的な家庭200世帯の電器使用量を賄える程度。
◇風力発電は、原子力や火力のように危険廃棄物やCO2を排出しないことから、クリーン・エネルギーとして欧米を中心に積極的に導入されている。コスト面や、周辺の自然環境への影響については、まだまだ研究が必要だが、無尽蔵の資源である風力は今後のエネルギー生産の一翼となる可能性を秘めている。
 今後、ますますの過疎化が心配される東北地方。米の産地として、農業の担い手不足も深刻な課題になるだろう。そんな中で、風力発電を生かした活性化はできないものだろうか、と車を走らせながら思った。

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2007年08月13日

小池大臣と防衛省官僚

 馬の顔に人参(にんじん)という。好きなものを目の前に見せびらかして、相手の関心を引いたり、買収したりする分かり易いたとえである。
 日本の戦後政治の上で、日本人を手玉に取ってもて遊んだ言葉の一つに「行政改革」がある。
 改革といえば、小泉純一郎前総理の専売特許と思い勝ちだが、それは小泉さんの政治がとりわけ光っていたからであり、国鉄民営化をやってのけた中曽根康弘元総理も歴史に1頁を残す改革派だった。
◇歴代内閣が、金科玉條の如く「行政改革」を打ち出した背景を考えると興味しんしんであり、しかもその多くが国民に人参を見せつけただけの単なるパフォーマンスに終わったことを確認する必要がある。
 なぜ行政改革を打ち出した背景が興味を呼ぶのか。
 日本人は各省庁の大臣を最高のえらいさんと思っているようだが、その大臣の下で働く官僚は、文字通り面従腹背型が多いのである。逆に言えば官僚の作った政策や意見をおうむ返しに閣議に持ち込み、予算その他の実現に政治的に動くのがその省庁の大臣なのである。
 分かりやすく言えば、官僚のあやつり人形的存在が大臣なのである。
◇その、各省庁の官僚の総合的判断として、組閣時の総理の政権大綱の中に重く位置づけられるのが「行政改革」なのだ。言わば「錦の御旗」か「葵の御紋」である。これさえ揚げれば国民はその内閣を頼りにし、支持する、と計算しているのだ。
 だから、どの総理も自己の政権の公約として行政改革を称える。
 その行革への、ひたすらな実行力を国民に示すため、行政改革本部だの、行革担当大臣だのを法制化し、出来もしないのに、いかにも熱心に取り組んでいるポーズを取ってきたのが、これまでの歴代政府である。
◇はっきり言えば、出来っこない行政改革を最大の政策にして、国民の関心を誘い政権の安定を図ろうとした遠謀で、一種の詐欺行為である。
 ここまで論ずれば読者は理解しやすいと思うが、歴代首相に最高の政策として「行革」を提言したのは実は官僚そのものなのである。
 日本の政治の中で緊急を要する大事な政策は「行革」であることを実は官僚自身が最もよく知っているのである。
 その官僚の提言した政策なのだから、行革はいとも簡単に、すらすらと法則化し、その実を上げるべきはずなのに、事実は全く逆なのである。
 政治家などの悪しき慣行の一つに「マッチ・ポンプ」がある。火をつけておいて、火の手が上がり出すと、今度はホースを向けて、その火を消すやり方である。日本の官僚は東大卒などのエリートで占められているから、マッチポンプはお手のものである。
 行革は歴代内閣の看板でありながら成果が上がらないのはこのためである。
◇官僚が大臣を見くびって、いかに横着であるかは、最近の防衛省の次官人事で明瞭である。いまの次官はすでに4年以上も同じポストにいる防衛庁時代からの生え抜きである。内部に対しても外部に対しても、あるいは業界に対しても顔と力が滲透している。
 しかし、そこに水の濁りや政策のマンネリ化、灰色の癒着など、マイナスのイメージがつきまとう。
 そこで人心一新とばかり、新しく登場した小池百合子大臣が次官の更迭を打ち出した。
 とたんに「防衛省」の官僚は猛然と反対の気勢を示した。最高のえらいさん小池大臣の人事方針をへのカッパとばかり切り捨てる高揚ぶりである。
◇一事が万事である。行政改革は官僚にとっては聖域なのである。彼ら自身、行革の必要性を最もよく知っているのに、いざ法制化、実行の段になると反対するのは、それが彼らの利益に反するからである。天下り規制もその一つである。
 それを思えば思うほど行革の推進と強い政治家が求められるのである。

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2007年08月10日

西中生の清掃奉仕(見聞録)

 長浜の大花火大会の後の大量のゴミが問題になっている。
 この手のイベントはゴミの持ち帰りが観賞客のマナーなのだが、花火が終わって周囲が暗くなると、ゴミを置き去りにしても罪悪感を抱かないのだろう。翌朝には場所取り用のシートが残され、食べ物の容器やビールの空き缶が散乱。路面にはシートを固定したガムテープが貼り付けられ、石やブロックも多数放置されている。前夜の華やかな花火から一転、夢から醒めたように現実に戻され、マナーの悪さが浮き彫りにされた。
◇このゴミ、毎年、長浜西中の生徒が中心になってボランティアで回収しているのを、どれほどの観賞客が知っているのだろうか。
 長浜西中によると、花火大会後の清掃活動が始まったのは7、8年前のこと。花火の翌朝の長浜港一帯のゴミに驚き、生徒会が仲間に呼びかけた。最初の年は約70人が協力したという。
 以来、この清掃活動が「生徒会の使命」となった。年々、協力者が増え、今年は全校生徒の64・5%、355人が参加。午前7時に長浜港に集合し、大会関係者や市民ボランティアと一緒に汗を流した。生徒らは「臭い」「汚い」と声を上げながらも、ゴミを回収し、元のきれいな港に戻した。
 大人たちの捨てたゴミを拾う生徒を気の毒に感じるが、生徒は拾いながら何を思うのか。少なくとも、自身が大人になったとき、子どもにこんなことをさせたくないと思っているのではないか。
 学校関係者は「ゴミの量が年々、減ってきている」と語っている。中学生の清掃活動に触発され、観賞客のマナーが向上してると受け止めたい。
◇事前の場所取りも花火大会の課題。数日前から、会場周辺の道路や歩道にシートを敷くなど、マナーの悪さは相変わらず。滋賀夕刊では毎年、マナー違反の場所取りを控えるよう訴えているが、効果はない。
 西中生の献身的な清掃活動と、大人の身勝手な行動。「最近の若者はマナーが悪い」とは言うけれど、「大人もね」と付け加えたい。

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2007年08月09日

「男」と「女」、政治家のこと

 このごろは、男とか女とか、性による差別はダメという世相になっているが、男が女にならない限り、女が男にならない限り、男と女は犯すべからざる天与の性である。植物でいえば「雄しべ」と「雌しべ」である。
 雄(おす)には雄の属性、雌(めす)には雌の属性があり、自然の法則でいえば陰陽である。属性とは哲学用語で、事物が本来具有する根本的性質。それなしには絶対考えられないような本質的な性質をいう。
◇ただし、人格としての人は、男女同権であり、対等である。今度の参議院選で女性の進出が目立ったのは、とかく、ぎくしゃくしがちな政界に華やかさと穏やかさを投げかける意味で歓迎したい。
 花にたとえて、飾りものになることは女性の名誉のためにも好ましいとは思えぬが、それでも本会議で乱暴な野次を飛ばしたり、暴力まがいの行動派議員よりは存在価値はあろう。
◇今度の参議院は、第一党の民主党から議長、第二党の自民党から副議長を選んだが、順当であり、妥当である。
 議長の江田五月さんは、かつての社会党書記長・江田三郎氏の息子である。江田三郎書記長は穏健な良識派で、社会党の硬直なマルクス主義を批判して社会党を追われた経緯がある。息子の江田さんは、父の死によって急遽、裁判官から政治家として父の後を継いだが、父に似て穏健な民社党で活躍した。
◇自民党から推されて副議長になった山東昭子氏は元タレント。美貌で聡明、自民党の選挙用の顔だった。
 江田さんと山東さんの共通の話題は両者とも科学技術庁長官だったことである。
 大臣の経歴が偶然にも同じ省庁だったのは運命的な出会いかもしれない。
◇参院議長は選挙前は扇千景氏だった。彼女もまたタレント出身。歌舞伎役者で人気者の中村扇雀の妻だった。
 扇雀は「扇雀あめ」で一時期、飛ぶように売れたことがある。現在の歌舞伎界の大御所・坂田藤十郎である。
 扇千景さんは美しくて利発、保守党党首、建設大臣など重要なポストをこなしてきた。
◇今の安倍内閣には防衛大臣で小池百合子氏が光っている。選挙区は比例近畿ブロックだったが、05年の衆院選で、東京へ撃って出た。いわゆる刺客第1号で、東京10区の小林興起氏を蹴落とした。彼女はマスコミ出身の英才。カイロ大学卒の語学を生かしてアラビア語の通訳も出来、国際派政治家として注目され、環境大臣もこなしてきた。将来の首相候補とさえ言われるが、資格十分である。
◇かつては、男か女か分からないほどの勇ましい女性政治家もいたが、いま話題の山東さんにしても小池さんにしてもその点は極めて女性らしく、芯はしっかりしていても女性の魅力は失わない。
 その点は滋賀県知事の嘉田さんも同じである。うれしいことに、8日改選の長浜市議会議長に林多恵子さんが当選した。男性に伍して女性の議員がトップレベルの位置で活躍してくれるのは日本の民主主義の成長の上からも歓迎すべきことである。

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2007年08月08日

明日の詩と「あした考」

 今度発刊したぼくの警世のエッセイ集「明日の詩」は「あしたのうた」と読む。
 普通は明日と書いて「あす」と読む。
 「あすの朝一番で届けます」、「もし、あす、雨だったらあさってに日延べします」などと日常的に頻度の多いのが「あす」。
 それなのに、なぜ「あした」にこだわったのか。なにも特別な理由があるわけではない。童謡の「あした、天気になーれ」は親しみが深く、講談や芝居では忠臣蔵の大高源吾が吉良邸へ討入りの前夜、師匠を訪ねての別れの発句「あした」が有名である。
 彼の俳句の師は芭門10哲の一人、宝井其角(たからい・きかく)だった。討入りを前に悲壮な覚悟で師を訪れたが、もとよりこれからの行動スケジュールを話すことはない。しかし師匠にとっては暮れの押し詰まった12月半ばのこと。生活のやりくりや年越しの心配もあることだろう。
 そこで、源吾は初句はあずけて、中句と結句を次のように詠んだ。
 「あした待たるる宝船」
 意味は、明日の宝船をお楽しみ下さい、という思わせぶりである。なぞかけのような一句だが、言外の意味は深い。其角はそれを決死の敵討の前ぶれと察したかどうかは定かではないが翌日の情報で、「なーるほど、宝船とはうまくいったものよ」と感心したことであろう。
◇「あす」と「あした」は同じく明日と書きながら、あえて「あした」と読みたいのはなんとなく言葉の韻(ひびき)に重みを感じるからである。
 念のため三省堂の古語辞典で調べると、あした(朝)は①あさ②あくる朝、翌朝とあり、「明日」という漢字は載っていない。だから「あした」はその日の朝であり、翌日の朝でもある。
 そこで、次に「あす」の項を調べると「朝」や「明日」を意味するものは一つもない。
 「あす」自動詞①浅す(海・川などが浅くなる)②褪す(色がさめて薄くなる)。
 「あす」他動詞、余らせる、余す。
 以上で分かる通り、現代使っている「あす」は昔の言葉にはなく、「あした」のみが使われていた。しかも朝と書いて「あした」と読んだ。
 おそらく明治以降、明朝(みょうあさ)、明日(みょうにち)のような言葉が新しく登場し、そこで明日を「あした」と読ませたのであろう。だから「あす」の歴史は新しい。本来は「あした」というべきである。
 ついでながら古語辞典で「明朝(みょうあさ)」、「明日(みょうにち)」をさがしても出てこない。昔はそういう言い方をしなかったのであろうか。
◇言葉は動くし、新しい言葉が生まれることもあれば、使わなくなった言葉が死語化し消えてゆくこともある。言葉の詮索は言語学者の領域だが、ペンを持つ記者や作家、その他おしなべてものを書くものは言葉の中に流れる心や歴史、品格、あるいは美醜について留意せねばなるまい。
 なかには大胆に新機軸を打ち出すべく破天荒な言葉や文章をつづる人もいるが、文章一つ取り上げても保守的か革新的かが分かるような気がする。
 昭和も前半の人はこのごろの芥川賞作品に、ついてゆけないような違和感を感じることがあるかもしれない。
 それが言葉の動きであり揺れであり、時代性でもある。
◇再び元へ戻れば、ぼくのエッセイ集を「明日の詩」としたのは筆者が「あした」に希望をつなぎ、読者の皆さんの「あした」にやさしく明るいひかりの注ぐことを願ってのことである。

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2007年08月07日

花火大会と栄枯盛衰

 夏といえば夢をそそるのが花火である。5日の長浜の花火は天候に恵まれ、それに猛暑が引き立て役になり、すばらしい夜空の風物詩となった。
 会場の長浜港近辺はもとより南北の湖周道路、市内の至るところに感嘆の声が渦巻いた。
 音と交錯する一瞬の色彩美だが、夜空を染めるひかりのきらめきは人間わざとは思えぬ技術の粋である。
◇酔い痴れるという言葉があるが、5日の夜の10万人を超す見物衆はまさにその言葉の通りだった。暑さも忘れ、疲れも忘れ、ただただ一瞬のひかりのリズムに感応して嘆声を上げた。
 これだけの大勢の人を釘づけにして酔わせる花火師の技術と、花火そのものの美しい芸術性にいのち長らえる思いをした人が多かった。
◇ぼくは花火に興奮しながら、花火と人生を考えてみた。
 花火は心を踊らせ、夢中にさせるが、それは人間の上下関係や貧富に関わることなく、天心に至福の幸を彩るがゆえに祈り、愛、平和、のイメージにつながるのではないか。
 しかし、その反面、ひかりの消えた後の闇と静かさが限りなく淋しい。仕掛花火でフィナーレを終えたその瞬間のどよめきと喜びは、たちまち終末のさびしさ、わかれにつながってゆく。
 人々の心の中にともった明るく温かい灯(ひ)はしばらく余韻を残すが、たちまち帰りの車の洪水、渋滞のなかで不完全燃焼する。まあ、それは祭りの後の不可避の側面で、クライマックスの後の静かな疲れであろう。
◇ぼくは花火を見ながら人間の栄枯盛衰を思うのである。
 天下を取った信長が本能寺の変で、猛煙の中、「人間50年、下天のうちにくらぶれば夢まぼろしの如くなり」と歌って自刃したと伝えられるが、信長の天下は真夏の夜の一瞬の豪華な花火にたとえられよう。
 人間は、天下を争って戦い、殺しあってきたが、生命はもちろんのこと、握った権力さえ長くは続かない。権力のみならず、富しかり、名声しかり。
 われわれは蟻(あり)の動きを「うごめいている」と見なすが、他界から人間界を見下せば、蟻の群れと同じく人間どもがうごめいているとしか映らないだろう。
 日の下開山・横綱・日本一の強い男・朝青龍がけがで巡業を休みつつモンゴルでサッカーに興じ、相撲協会から厳しい制裁を加えられた。その強いはずの横綱がショックで立ち上がれず精神医の診断を受けたのも同様で、栄光の座は花火の一瞬に過ぎなかった。
 人間、それぞれのあてがいがあってだれもが総理や大臣になれるわけでなし、松下幸之助のような経営者や大富豪になれるものでもない。美空ひばりのようなスターにもなれない。世に突出して光った彼らは夜空の花火にたとえられよう。
 われわれの祖父母や父や母は無名の一市民にすぎないが、われわれの心の中に小さくはあるが消えずに灯(とも)っている光りがある。その灯りを消さずに大切にしたい。

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2007年08月06日

水と水泳の今と戦前

 夏といえば水である。咽喉(のど)が乾くから水や水けのあるものが無性(むしょう)に欲しくなる。咽喉の乾きを癒すだけでなく、冷えた飲みものによって涼を取るのである。冷えた西瓜(すいか)は、その両方の欲を満たす。水を飲んだような満足感を覚えるとともに、全身の汗が引いたような冷気を感じるのがそれである。
 水といえば、川、湖、海へ心が走る。ぼくは山家(やまが)育ちだったから小学校の4年生ごろまでは琵琶湖を知らなかった。海を知ったのは、6年生の修学旅行で、伊勢の二見が浦を見たときである。
 だから、子供のころの水遊びは、村を流れる草野川か、家の前の大吉寺川という清流での泳ぎや魚つかみだった。
 湖や海は知らなかったが、隣村の田根(旧浅井町・現長浜市)へゆくと広い池のような沼があった。後に用水池であることを教わったが長浜市の西黒田地区の常喜溜め池のようなものである。
◇ぼくは水泳は我流ではあったが3㌔や5㌔くらいは泳ぐ自信があった。だれに教えられたものでもなく、今のようにプールがあるわけでもなかった。
 夏になると、友人を誘って、毎日、草野川に通って、くちびるが紫色になるまで泳いだ。もちろん、川には浅瀬もあり、深い淵もある。小学校1年生のころから、高等科2年(今の中学2年)まで、毎年、一日も欠かすことなく水泳ぎしてきたといえば、そののめり込みの程が想像される。
◇遊び呆けて、帰りが遅いと祖母が案じて、迎えに来てくれる。「いつまで浴びてるんや。ガアタに食われるぞ」と怒りながらも心配してくれる。
 ガアタとは河太(カワタ)、河太郎のことで河童(かっぱ)を意味することは大きくなってから知った。7月24日は芥川龍之介の忌日だが、この日を河童忌という。彼の作品名から取り上げたもので、このほか我鬼忌ともいう。彼の俳号が「我鬼」だったからである。
 ついでながら、1948年、6月19日に自死した太宰治の忌日を桜桃忌(おうとうき)という。彼は39歳で愛人と玉川上水に入水した。東京の三鷹の菩提寺・禅林寺で毎年桜桃忌が修められるが多くの女性ファンが参列する。近くに明治文壇の巨匠・森林太郎の墓があるが、こちらは閑散としている。林太郎は鴎外(おうがい)の本名で、彼が生前に、「林太郎の墓」にするよう遺言したから多くの人は知らずに見過ごしている。
◇井の中の蛙、大海を知らずで、草野川でしか泳いだことのなかったぼくは、父に連れられて長浜の夏中さんに来たその日、豊公園の湖岸で初めて泳いだ。小学4年の夏の日の思い出は死ぬまで残るに違いない。父はふんどし一つで水に入ったが、ぼくはフリチンで泳いだ。そのころは草野川でもフリチンが普通だった。
 後に大阪へ出て、初めて甲子園浜で泳いだときの喜びも大きかった。潮海だから浮力があって泳ぎ易いが、波が大きいので、これにうまく乗るのが秘訣だった。そのころの甲子園は砂浜が長く、きれいで、カラフルな女性の水着、大きなパラソルなど立てかけられて、今のようなレジャー気分を味わうことが出来たが、これが病みつきになって、東京の大学へ進学したときも鎌倉や逗子(ずし)の海辺で泳いだ。
 戦後は敦賀の日本海。琵琶湖では、彦根の松原、志賀郡の近江舞子、高島の今津浜、知内浜、西浅井の二本松などでも泳いだが、やはり水のきれいな旧びわの南浜と大浦の二本松が最高である。

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2007年08月04日

安倍総理の出処進退

 参院選で負けた自民党の安倍総理の表情が冴えない。激戦で体力の疲労が重なったあげくの敗戦だから精神的ショックは大きい。それに各方面から、選挙後の対応やこれからの政治日程について問われるし、責任追及の声は与党からも出始めた。
 参院選は政権を問うものではないと言いながらも選挙中「私を選ぶか、小沢さんを選ぶかの二者択一の選挙だ」と、あたかも政権をかけての戦であることを高言してきただけに、出処進退のいさぎよさの悪さがクローズアップされる。
◇通夜の席みたいな消沈な空気が与党に流れているが、安倍さんにとっては四面楚歌の状況といえる。
 苦境を脱するにはどうすればよいのか。
 人間、どうにもならぬときを形容して「にっちも、さっちもゆかぬ」という。これはソロバン用語で、にっちは「二進(にっちん)」、さっちは「三進(さっちん)」。どうしようもない、ゆきづまりの状況であり、「前門の虎、後門の狼」にもたとえられる。前へ進めば虎、後ろへ回れば狼、行くもならず退(ひ)くもならず、ということ。
◇自民党は辞任することになっている中川幹事長を中心に敗戦を総括し、次へのまき返しの戦略を練ることにしたが、総理にしろ、執行部にしろ、相撲でいう死に体となっているのであるから党員はいうに及ばず、国民への説得力がない。
 滋賀県の自民党も敗因を検討したが、いわば通り一辺の儀式にすぎない。
 大臣の失言や、政治とカネが逆風を煽ったといい、候補者が衆議院議員の組織に乗っかって、独自の後援会活動が不十分だった、などと総括した。中央でも地方でもそうだが、そんな程度の総括で、赤城農相の首をもっと早めに切っておけば、状況は変わっていた、などというのは本質を忘れた強がりの弁でしかない。
◇敗れた原因はもっと深部にある。その最大のものは組閣当時の人事にある。政界では「仲よし内閣」とか「論功行賞」型人事といわれているが、国民が見れば消えかかった派バツが復活しつつあるとの印象を与えた。
 その点で、安倍さんは「改革」を唱えれば国民はなびくにちがいないと甘く見たかもしれないが、国民は安倍改革は小泉改革の逆行か、と不信感をつのらせた。
 たとえば、05年衆議院選で郵政民営化反対で落選した人を、ただ一人堂々と総理の口添えで復党させ、今度の選挙で公認した。最高権力者の見えすいた公私混淆(こんこう)は長い目で、内閣全体の人気に関わってくる。
◇安倍さんは、官僚の天下り規制について公務員法改正を鬼の首でも取ったように宣伝したが、これも当初の渡辺行革相の原案をずたずたに切り潰したもので、表は天下りを規制したポーズだが、実質は第三者機関を通じて堂々とあっせんの出来る、いわば公認の天下りOK法案である。
 これは各省庁の官僚のいっせい抵抗と、これを応援する与党内の合作による。このごろ問題の牛肉偽装の政治版である。
◇それにしても、農水大臣のお粗末さはおかしい。輸入食糧は農水省の管轄だが、中国からの汚染食品に対する対応なども国民の生命に関わることだし、国内の外国牛肉の取扱いによる補償など、業者サイドの莫大な無駄づかいも、ずさんの一言につきる。さらに、緑化公団の官制談合、癒着。大臣が自殺したのは奧の深さを思わせる。
 そこいらの徹底的反省と洗い直しを忘れては国民は納得しない。

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2007年08月03日

レジ袋削減を提案、が・・・(見聞録)

 環境派知事の提案を一蹴?―先週、長浜市内で開かれた中部圏知事会議で、滋賀の嘉田由紀子知事をはじめ、東海、北信越地域の知事が温暖化対策や広域観光について協議した。その中で、座長の嘉田知事が省資源のため「レジ袋の削減を圏域で競争してはどうか」と提案したが、静岡県の石川嘉延知事が異論を唱え、保留になってしまった。
 石川知事は、ある大学教授の理論を紹介して、レジ袋は石油精製過程で発生する成分から作られるので、リサイクルに役立っている―といった主旨の発言をし、嘉田知事の提案に水を差したのだ。
◇石川知事が発言根拠にしたのは、中部大総合工学研究所教授の武田邦彦氏の著書「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」のようだ。
 同書では、▽北極の氷が解けても海面は上昇しない▽節電すれば石油を無駄にする▽リサイクルは資源を浪費する―などと、これまでの環境問題に対する常識を覆す内容でベストセラーになった。リサイクルに対するコスト理論、「環境問題のタブー」への切り口などは興味深いが、小欄が読む限り、違和感を覚える部分、理論が少なくない。
 例えば、海面上昇については、海に浮いている北極の氷が解けても「アルキメデスの原理」から上昇はありえないと説明し、海水の熱膨張で上昇すると説いている。確かにそうなのだが、国際機構IPCCは、北極ではなく隣のグリーンランドや世界各地の氷河が解けて海面上昇すると報告している。著者はその点に触れず、北極の氷解では上昇しないとの主張を前面に出し、「温暖化→氷解→海面上昇」という図式が誤りとの認識を読者に与えかねない。
 このほか、「節電すると石油の消費量が増える」という理論もユニークだ。電気やガソリンを節約しても、それで浮いたカネを使えば、物(資源)を消費したことになる。銀行に預ければ、いずれ企業に貸し出され、企業が消費する。さらに本人は銀行に預けたカネをいつの日か使うから、資源を2倍消費することになると指摘。節電して銀行にカネを預けさせたい政府や企業は「本当のことは決して言わない」のだそうだ。
◇石川知事は武田氏の著書をどこまで本気で信じているのか。静岡県庁に「知事はレジ袋削減に反対なのですか?」と問い合わせたところ、「レジ袋に限らず、環境問題について多角的に検討を行ってはどうかという提案です。削減に反対ではありません。レジ袋の件は武田氏の著書を読まれたようです」(知事公室)との回答。同県環境局廃棄物リサイクル室も「石川県からも知事がどういう著書を引用されたのか問い合わせがありました。静岡ではゴミ1割削減を目標に掲げ、レジ袋1枚で10㌘を減らせるとPRしてます」と話している。どうやら、静岡県庁、レジ袋削減には反対していないようだ。しかし、知事がこういう著書に影響されて、知事会議という公の場で環境派嘉田知事の提案に水を差すとは・・・。
◇レジ袋削減だけではゴミ、資源問題は解決しない。でも、当たり前のようにもらっているレジ袋を辞退することをきっかけに生活スタイルを見直せば、その先に環境問題の解決への糸口があるのではないか。

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2007年08月02日

うなぎと政府不信感

 土用丑は鰻(うなぎ)に限る、などと言えば落語のセリフのようだが、中国うなぎの風評もものかわ、川魚専門店では焼きたてをねらって行列の出来るほどの人気もの。
 うなぎは、いつだって食べられるじゃないか、と分別顔に「安いうなぎ」をねらう人もあり、世はさまざまである。
 人間は面白いというか、もともと群れる性質を持っているので、なにをするにも共同歩調をとりたがる。
 うなぎは土用丑、と平賀源内が吹聴したかどうかはともかく、江戸期のころから土用に食べる風習が一般化した。高価なものだから、滅多に食べるわけにはゆかぬ。そこで、夏痩せ封じに、清水の舞台から飛び下りる心境で財布の紐をゆるめることになる。
 一軒だけ、うなぎの匂いをさせると、「あそこはお金がある」と、つまらぬ密告をするものもあるかもしれぬので、町の衆、村の衆、みんながいっせいに食べればめでたしめでたし、といった具合で、土用の丑の日とうなぎが取り合わせになったのかもしれぬ。
◇時代の変化はうなぎを高級品から大衆魚に格下げした。それは養殖技術の進歩と流通の国際化による。うなぎの稚魚は太平洋とされているが、それが河川をさかのぼり、琵琶湖にも棲息する。
 しかし、天然うなぎは乱獲と水質の汚染から急速に減少し、いまでは一般の需要を満たす事は不可能である。われわれが店頭で買ううなぎも、レストランや高級料亭で食べるうなぎもみんな養殖ものである。日本での養殖地は浜名湖近辺が有名だが、近年は国内ものは極めて少なく、大部分は中国、台湾ものである。
 いま、国民の食の安全で最も心配されているのが中国からの輸入食品である。
 うなぎも例外ではない。水質汚染と餌料の化学物質の危険性である。「悪かろう、安かろう」は衣類や時計類では笑ってすませても、こと口に入れるものや肌に使用するものは「ちょっと待て」と赤信号が灯るのは当然。
◇「おそかりし」と、国民は政府の輸入食料に対する安全対策の遅れを批判する。これまでは中国に対する遠慮からか、輸入関係業界へのやさしさからか、とにかく国民の健康を無視して、おおっぴらに中国産の食品輸入に協力した。
 中国のすさまじい近代化に伴う、国内の環境汚染は、地域によっては「がん村」が生じるほど発がん物質が垂れ流しされているところもあり、河川は金属と化学物質汚染で泥沼化し、飲料水までもが危険視されている。
 そうした水質の中で、うなぎその他が養殖されている事実を思うとき、これまでそういうことを知らされずに食ってきた日本人のお人好し、おバカさんに腹が立つ。
 それもこれも、日本の対中国外交の及び腰と日中友好の影で、利益をむさぼってきた業界及び政治の裏切りによる。
◇輸入品はすべて関税の対象とされるが、同時に、食品は安全性が最大のチェックポイントである。
 それなのに、ほとんど目をつむってパスさせてきたのは許せない。今回、中国食品の汚染が問題になったのは、中国における内部告発による安全性の警告からであった。
 もし、中国側が情報に蓋をしていれば今もなお日本人は発がん物質などを含むこの国の輸入食品を食わされていたかもしれぬ。
 土用丑から、うなぎ、そして中国食品への警戒と政府への不信感、これは国民の共通認識であろう。

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2007年08月01日

弱きを助ける政治論

 参院選の最中、民主党の小沢一郎代表が「弱きを助け、強きをくじき」といった意味の演説をしていたが、社会福祉の政策そのものは弱者援護の思想に基づく。
 弱者援護は今に始まった思想ではなく、人間は昔から弱い人には助けの心、不幸な人には慰めや励ましの心を持った。
 ただし、国家が制度としての福祉政策を打ち出したのは20世紀以降のことであり、近代国家の負の側面をカバーするためだった。
 分かりやすく言えば近代国家は農村でいえば富農、貧農を生み、都市では経営者と雇用者、富裕者と貧困者を生んだ。もちろん、病気、失業などの不可抗力による弱者も発生した。
 そうした社会的、構造的変化の中で、暮らしに困窮している人に金品の助けをするのが福祉であり、その制度の確立している国が福祉国家である。
◇福祉は貧困、病気、失業、教育、事故や天災による被害者、その他、広い意味で多くの弱者を対象とするが、この制度は運用を一歩誤れば、人間の差別化を生むおそれや、あるいは人間の怠堕性を助長する心配もある。
 一番、問題になるのは、平等の美名のもとに均一、ばらまき福祉に慣らされることである。
 例えば医療福祉や健康保険の給付は年収1000万円以上のものでも恩恵を受けることができる。年金でもそうである。財産があり、所得が年1000万円以上あっても同率で給付される。
 つまり制度上のもろもろの年金や給付は金持ち、貧乏、みんな一律である。
◇福祉を考える点でもう一つ厄介な問題がある。生活補助、医療補助、教育補助、その他において、補助対象者をどうして決めるか、という決裁権の問題と、その補助が真に必要とする者に正しく行きわたっているかがしばしば問われる。
 保護、補助などいわゆる福祉の現場の第一線に活躍しているのは民生・児童委員だが、その委員はだれが決めるか。あらかじめ市町の長が委嘱した選考委員が決め、手続上、最終的には厚労省大臣が任命する。
 こうした人事過程で地域内での不信やトラブルが発生することがあり、また民生委員の活動そのものへの公平性が問われることがある。
◇日本では長い封建性社会の悪しき伝統を引きずっているため、役所自体が福祉の対象者に対して「恵んでやる」、「助けてやる」といった上から下を見下げる傾向があり、それが政治とからみあって、弱者を食いものにする福祉汚職が生じたり、役所ばかりでなく、現場の民生委員の中にさえ、「おかみ」の威光をちらつかせる、という苦情がときに出る。
◇今度の参議院選で、「格差」や「地方切り捨て」が問題になったが、国の役人は権限を地方へ移譲することに極力反対する。なぜか。それは補助金交付、起債承認、あるいは事業認可などを通じて、地方への支配権を持ち続けたいからである。地方は中央の下請機関であり、指示、命令で動くもの、という既得権を手離すことに抵抗する。
 それゆえに各種多彩な社団法人組織までつくって役人を天下りさせ、中央支配の二重構造行政をつくってきたのである。
 したがって、弱きを助ける政治でいえば、まず地方分権の断行、行政の二重構造法人と官僚の天下り廃止を実現せねばなるまい。

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