滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2007年07月31日

自民党の敗北と県民

 「選挙は水もの」と、昔の人は言ったが、それは昔の話。いまは情報化時代であり、国民の眼に政党や政治家の姿や声が鮮明に映るから、候補者に対する判断力が肥えている。
 だから、勝利した党や候補者は勝つべくして勝ったのであり、水ものといった不確実要因によるものではない。だから、敗れた党や候補者は負けるべくして負けたのであり、敗因は自らの中にある。
◇滋賀県のこれまでの政治通の常識は、滋賀は保守基盤が磐石で、自民党の金城湯池(きんじょう・とうち)とされていた。
 金城とは金の城で堅固なこと、湯池は熱い湯の池で、城の堀に熱湯をめぐらせているから攻める側は攻めきれない、という意味に用いる。
 日露戦争の時、敵の守る旅順は難攻不落といわれ、乃木将軍率いる第3師団が屍の山を築いて、何万人もの犠牲者を出したが正面から攻め切れなかった。
 それに似て、滋賀の自民党は敵を寄せつけず、いわば保守王国を謳歌してきた。
◇しかし、そう確信してきたのは「ひいき節」の幻影だった。
 滋賀という地域の産業的構造や土地利用の変化、いうなれば地理的環境も変化したが、戦後の半世紀以上を超える時間の経過も風土とそこに住む人間の心を変えた。
 滋賀県はかつては農業県だったが、県民所得からいえばとっくに工業県の様相を示している。
 工業県の特徴は、働く勤め人が多く、しかも若い人が職場のウエイトを占める。
 農業県の時代は、むら人の意志、方向は、むらの指導者や顔役の思惑で決まった。工業県の場合は、一人一人がみな独立の意志を持ち、都会風的な流行や波、風に左右される。
◇今回の参議院選挙、高島や伊香郡は山下票(自民)が徳永票を上回った。
 東浅井は両者が拮抗したが、長浜や米原は徳永票が山下票を上回った。
 彦根から南下するにしたがって、徳永は山下を大きく引き離した。選挙民の一番多い大津は山下が2万も引き離された。
 このことを分析すれば、工業化していない湖西や湖北は長浜、米原を除き、保守基盤が未だ健在であることを示している。そのことは、湖西や湖北は若ものが少なく高齢者率が高いことを示している。つまり、工業化が進んでいない証拠であり、過疎地のイメージを持つ。高月町の場合は日電の関係で、工業化が進んだが、今回の開票結果を見ても伊香郡で唯一、徳永が山下に勝っている。
◇全国的に見ても面白い現象に気づくはず。それは四国のように長年、自民党の独走地帯だった保守地盤がなだれ現象の如く崩れて民主党が勝ちを制した。
 それは東北、関東、北陸、中国、九州の農村県においても同じ風で、自民の地盤が次々と崩壊した。
 これは、伝統を重んじる日本人の好みから言えば奇異に感じるかもしれないが、有権者が情報化によって賢明になり、政治を身近なものとして認識するようになったからである。
 自分の暮らしと生活を自分の一票で守ってゆこうとする投票行為の自覚といってもいいが、有権者の意識の成長である。
◇この有権者の心を真に大事にするか、しないか、安倍総理に問われるが、出処進退を誤れば党内は水面下で蜂の巣をつついたような混乱を生むのではあるまいか。積年の自民党の膿(うみ)を出しきってから、出直して、再生の自民党に国民の期待がかかるのでは。もし、今後、自民党が旧体依然の派バツ丸出しの族議員型政党になるようでは明日がない。

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2007年07月30日

自民、地滑り的大敗

 水原秋桜子の俳句「夜半(よは)さめて雪崩(なだれ)を誘ふ風聞けり」とそっくりの現象が今回の参議院選だった。
 この風、雪だるま式に、日が経つにしたがって勢いを増し超大型の台風になった。
 国民の声に、耳を澄ましていた人は、公示前からこの風を聞いていたはずだ。
 この風は、自民、公明の与党には逆風、民主ほか野党には送り風。
◇ともあれ、選挙の結果は、民主党の完勝、自民、公明の大敗となった。野党に送り風だったはずなのに、共産も社民も議席を減らした。
 これが、今回の参議院選の最大の特徴で、いわゆる典型的な2大政党制への国民の政治的進歩を見ることができよう。
 奇しくも14年前、自民党を出て、細川非自民政権を樹立した小沢一郎氏が唯一残した「小選挙区制」の政治改革によって、再び非自民内閣誕生の夜明けを迎えることになった。小沢一郎氏への毀誉褒貶(きよ・ほうへん)はともかく、一貫して、政治改革を求めた信念は、今回の選挙で完全燃焼した。彼は「唯一最大のチャンスに、もし失敗するようなことになれば、政治的に用なし、との極印を押されたのと同じであり、引退する」と悲壮な決意を述べた。
 天は彼に味方した。国民もまた与野党の政治責任を明確にする2大政党時代への開幕を支持した。
◇今回の参議院選は29日に投票され、最終の投票結果は30日午前に持ち越されたが、一言で要約すれば自民・公明の地滑り的敗北である。雪崩(なだれ)現象によって、与党が崩れ、民主を中心の野党政権への地ならしが成功した。
 当然であるが、議会を代表し、取りしきる議長は野党第一党の民主党が握る。日本の戦後史の参議院を飾る輝かしい1ページといえよう。
 地滑りは台風のあとなどに起きる山間地や傾斜地での地盤の大量の崩れをいう。雪解けや長雨のあと地盤が水を含み、支えきれなくなって、下方へ崩壊してゆく現象で、今回は自民党政権のゆるみが地滑り的大敗を内含していた。
 どの選挙区を開けても、民主が圧倒的に強く、たとえ、自民が制した県でも、その差は僅かであり、また野党の乱立を防げば、民主か、野党系無所属が勝利したとみられるところが目立つ。
◇今回の選挙、自民大敗を象徴づけたのは、参院・自民幹事長の片山虎之助の落選、また参院のドン・青木幹雄議員会長の地元・島根で自民前職が国民新の新人に敗れたことである。
 さらに目を各地にめぐらせば、小沢一郎氏の出身である東北地方は民主が完勝。これまでの自民王国だった北陸でも富山、石川で自民党は議席を失った。四国は、長年、自民王国だったが、今回は全部民主、もしくは民主系で入れかわった。

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2007年07月29日

球児たちが教えてくれたこと(よもやま)

 夏の高校野球、球児の熱いドラマは今年も多くの感動を与えてくれた。
◇長浜北のキャプテン伊藤君は毎朝、練習の一番乗りをするため午前6時前、湖北町の自宅を自転車で猛スピードで出ていく。仲の良い副主将の雨森君は西浅井町から朝一番の電車で長浜にやって来る。「トスバッテイングは1人でできない」「副キャプテンに申し訳ない」。責任感の強い伊藤君は毎日、誰よりも先にグランドへ。
 同じ副主将の藤田君もガッツマン。春の公式戦のダイビングキャッチで、左手首を骨折。故障後はリハビリを続けながらベンチで精一杯応援をした。「夏に出たい」との思いが通じ、本大会に間に合った。「努力する者は報われる」という野球の神様がこの世にいることを証明した。
◇長浜農のエース・大薮君は中学時代、湖北ボーイズに所属したが、2年まで公式戦はおろか、練習試合でもヒットがまったく打てなかった。体が小さいため硬式用の重いバットが振り抜けなかったが、西岡監督(当時)のアドバイスや練習の積み重ねで流し打ちのスペシャリストになり、高校では投手で4番という大黒柱に成長した。
 農高は昨秋、今春とベスト16まで進出しながら強豪相手に味方の自滅で負けている。夏もまた、エラーがきっかけとなり膳所相手に0対5で敗退した。「今まではキレましたけど、今日は大丈夫でした」と試合後、話してくれた大薮君。試合で5点目のホームランを打たれた後、マウンド上で見せた笑顔は今でも私の目に焼きついている。
◇同じ湖北ボーイズ出身の比叡山・樋口主将(柏原)は小学生の時から走、攻、守の3拍子揃った選手として注目されていた。中学時代、コーチと交わしていた練習日記には連日、ノートが真っ黒になるほど野球への思いが綴られていた。「もっとうまくなりたい」「チームを勝利へ」。樋口君は卒業後、病気と闘いながら野球を続けさせてくれた両親のために社会人の大家ベースボールクラブ(高島)に入団する予定だ。
◇開幕直前に急逝した長浜北星の滄木(あおき)君の父・由博さんは生前「やるなら近江、練習試合もしてもらえない近江と対戦できたら本望」と言い残し、この世を去った。初戦はこの「天の声」が実現し、近江と戦うことになった。
 「同じ高校生、やればできる」。清水監督の言葉は選手たちの自信へとつながった。滄木君は父から日頃言われていたことを思い出した。「野球を通じて人間的に大きくなって欲しい」。試合後「成長した?」との問いかけに、滄木君は「ちょっとだけ」と照れくさそうに話してくれた。
◇高野連からイヤー・オブ・ザ・コーチで表彰された伊香の林監督は指導歴39年のベテランだが、「死ぬまで野球道を極めたい」とどん欲だ。人は無限の可能性を秘めている。選手を生かすか、殺すかは指導者次第。正直にやれば野球は裏切らない。選手だけでなく、自分自身も毎日が試練。極めるまで監督を続けたい、と目を輝かせていた。
◇米原に負けた大津高の竹内主将は敗戦後のインタビューで「この3年間で野球をしている、という気持ちから野球をさせてもらえる、という考えに変わった」と話していた。野球は選手だけでなく両親や学校、ベンチに入れなかった選手や監督たちがいなければできない。母親は朝早く息子が野球に行くため、暗い間に起き、弁当を作り、洗濯機で落ちない真っ黒なユニフォームを手で洗ってくれている。試合をするにも下級生やグランドキーパーの力を借りねばならない。
 これは社会人である我々も同じことが言える。仕事や生活ができるのは家族や周りの支えがあってこそ。県大会は終わったが、球児達は来年も我々に大きな感動と夢と希望を与えてくれるだろう。

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2007年07月27日

投票ぴったん(見聞録)

 参院選挙はいよいよ29日に投開票を迎える。滋賀選挙区(改選数1)は自民現職の山下英利氏に、民主新人の徳永久志氏、共産新人の坪田五久男氏が挑戦する構図で、各報道機関の世論調査では徳永氏がリードし、山下氏が苦戦。坪田氏は水をあけられている。
 滋賀選挙区に限らず、全国で自民候補が苦戦しているが、これまでの政治姿勢に対する国民の批判の現われだろう。
 自民党の苦戦の根本的な原因は、今の政治への不信感の増大だ。その引き金となったのは、消えた年金記録と増税ではないだろうか。もらえるはずの年金がもらえず、税源移譲と定率減税の廃止で住民税が倍増。そんな中で、政治資金規制法に関する事務所費問題をはじめとする不透明な税金の使い方、年金に関する社会保険庁のずさんな仕事ぶりや放漫な投資事業、特殊法人による官製談合、天下り―など国民から集めた税金での、やりたい放題の姿が浮き彫りになった。
 税金の負担が目に見えて増えながら、国政で無駄遣いされている現実に、国民は怒っているのではないか。そういう点で、政権与党の自民党の責任が問われているわけだ。
◇政治への怒り、不信が渦巻いている現状に、どれほどの有権者が投票に行くのだろうか。滋賀選挙区の前回の投票率(04年7月)は58%。約4割の有権者がせっかくの投票権を放棄した。選挙に参加しない有権者は税金をどう使われようと黙認しているのと同義だろう。
 さて、投票に行けと言われても、政治に興味がなかったり、どの政党がどういう政策を掲げているか知らない有権者には、どの候補、政党を選択すれば良いのかわからない。
 そんな悩みを解決するのがインターネットサイト「投票ぴったん」。香川大学法学部の堤英敬准教授(政治過程論・投票行動論)が開発した相性診断システムだ。
 規制緩和、医療費、公共事業、市町村合併など19項目の質問に対して、「賛成」「中立」「反対」「わからない」の中から回答をクリックすると、自身の考えや主張がどの政党と近いかを教えてくれる。元々はオランダで開発されたシステムで、堤准教授がアレンジした。
 あくまで相性診断なので、参考にする程度で挑戦してみてはどうだろうか。この診断で、政治に関心のない若者が、政党のスタンスや公約の違いを知り、投票行動に役立つなれば、と堤准教授は語っている。堅苦しい政見放送や選挙公報を眺めるよりも、今の若者にはずっと馴染みやすいだろう。インターネットで「投票ぴったん」と検索すれば、サイトが見つかるので興味のある人はどうぞ。
◇有権者は選挙に参加することで、昨夏の県知事選のように政治を変えることができる。せっかくの投票権、使わないのはもったいない。

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2007年07月26日

村八分と縄付きの話

 昔の「むら」は、共存共栄、助けあいの、うるわしい習性があったが、広い意味での「いじめ」がないことはなかった。
 いじめ、といっても、今のような陰湿なものではなく、どちらかといえば、掟(おきて)破りに対する一種の懲罰、制裁と思えばよい。
 村のいじめの代表的なのは、村八分(むらはちぶ)である。
 わかりやすく言えば、村づきあいをしないこと。村の行事、祭礼、遊びごと、普請(ふしん)などに際し、仲間に入れない、という定めで、今日のように裁判によって決めるわけではなく、いわば自然発生的な世論のおもむく結果といってよい。
◇なぜ、村八分というのか。八分は8割、80%のことである。つまり、10のうち2項目を残して、他の8項目を仲間から外す、という意味である。その2項目は、火事と葬儀である。
 つきあいをしない、と決めていても、火事の火元とあれば、関係なく、みなが火消しや後かたづけを手伝う。同様に、その家に不幸(死)があれば、野辺送りを手伝い、弔慰する。
 この2点を除いて、他は、村人としての交際をしない。これが村八分であるが、法や特別な決めがあるわけではなく、一種の不文律(ふぶんりつ)である。不文律は文章で表現されていない法をいうが、法という大仰なものではなく、また実際に行われることはなく、要するに悪事をしたらダメ、という戒めである。
◇「バカなことをしたらいかん」、「人のものを盗んだらいかん」という村人の共通の倫理を破れば、村八分になるよ、という、しつけ教育のようなものと解すべきである。
 村八分は、ところによっては「村払い」ともいう。これは村からの追放である。これとて、法に決められているわけではなく、一種の村の自治制である。
 いずれにしても、厳しい自主的管理制度である。なぜ、こんな不文律が行われたのか。
 村の平和や安全、秩序を村人がみんな守って、村の発展と村人の幸せを考えたからである。だから、いじめともいうべき制裁を設ける反面、積極的に助け合う「結い」や「普請」の慣行が成立した。
◇ところで、何が善なのか、悪なのか、これの価値観の変化が興味深い。
 殺人、強盗、放火は昔も今も最大の悪である。盗みの種類は多いが、すべてご法度(はっと)であることも同じである。ただし、お目こぼし、見て見ぬふり、情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)など、手加減はある。
 昔の農村では、村から犯罪者が出ることを恐れきらった。したがって、明らかな犯罪行為でも目をつむることがあった。今の社会のような内部告発は、よほどの悪代官でもない限り目をつぶった。
 今でも凶悪な犯罪が起きたとき、警察はきめ細かく聞き込み調査をするが、腕ききの刑事たちがてこずるのは村で生じた犯罪である。
 だれに聞いても、関わりになることを恐れて、「知りません」の一点張りである。犯人が存在する以上、何らかの影を落としていると思われ、犯罪検挙のヒントがあるはず。その捜査の初歩的、基本的段階が聞き込みであるが、これの協力が非常に難しい。つまり、村衆の口が固いのである。これは江戸期以来の「平和確保」の村人の伝統的習性といってよい。
 農村の美風、それは「縄付き」を村から出さないこと。縄付きは、犯罪人のこと。それがだんだんあやしくなってきた。

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2007年07月25日

太陽を拝む話と野神

 日本の古い「むら」の話や残しておきたい古きよきものにペンを走らせていると不思議にも力が湧いてくるようである。
 さきに日本を愛した明治の英文学者・ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲についてふれたが、たまたま手元の正論5月号を見ると、元高千穂商科大学の教授だった名越二荒之助(なごし・ふたらのすけ)氏の文章に小泉八雲の著書「神国日本」の記述が出ている。
 偶然のことなので、その部分を記しておく。
 「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『神国日本』を読んでいたら次のような記述に出会った。
 明治23年、出雲に着いたときのことである。朝になると、パチパチと音がする。何事かと思って起きて見ると、太陽に向かって人々が拍手を打ち、うやうやしく頭を下げて拝んでいる。海辺では、昇る朝日に向かって拍手を打って拝んでいる若い漁夫の姿があり、山頂では、東に向かって拍手を打ちながら祈り続けている人の姿がある。たぶん1万、いや2万年前から、全人類はみなこのようにして、お天道様を礼拝したのであろう」。
 ハーンはそれ以来、かまどや木や石にも神が宿っていると信じている日本人の姿を見て、神国日本という発想が生まれたのである、と名越氏は述べている。
◇このハーンの「神国日本」を持ち出す前に、名越氏は若いころの父の拍手について次のように書いている。
 「私の父は日露戦争に出陣して、凱旋した。郷里岡山県の片田舎で村長をしていたが、私が16歳のときに亡くなった。あまりものを言わなかったが、忘れられない姿が今も心に残っている。それは、毎朝わが家の門前にある井戸端で顔を洗うと、東の太陽に向かって拍手(かしわで)を打っている父の姿であった」。
◇この2人の話は明治から大正にかけての日本人の素朴な大自然への畏敬であるが、実はそう古い話ではなく、昭和も戦後の30年ごろまでは、朝は太陽に合掌し、夜は月や星に手を合わす人は皆無ではなかった。
 ぼくは戦後、約30年間、長浜市内の米川の畔に住んでいたが、確か昭和25年ごろと思ったが毎朝、米川の橋の上で、東に向いて拍手を打ち、朝の挨拶をされている老人があった。
 ぼくの記憶に間違いがなければ北川弥七という好々爺だった。
 橋のたもとに稲荷神社があり、ここで鈴を鳴らしての参詣後、橋の上での拍手が朝の年中の行事だった。
 夏の暑い盛りはつるつるの頭にタオルをかぶって、信仰心の厚い実直、誠実そのものの感じだった。
◇ラフカディオ・ハーンの「神国日本」をまつまでもなく、古きよき時代の日本は、木を見ても滝を眺めても、そこに神の存在を信じた。大きな岩があれば、それにも神霊を思い、手を合わせた。
 今年3月、滋賀県立大学生が発行した「まつりの夜に」と題する絵本にも「野神さん」と呼ばれる大きな村の木がテーマとなっている。
 著者は同大学3回生の川口愛、絵は同大学1回生加地雅美、森愛鐘さんら。
 その本の書き出し部分は「びわこの北のほとりに、ちいさい村がありました」。
 「村には何百年もまえから生えているおおきな、おおきな木がありました。その木は『野神さん』と呼ばれていて、田んぼをまもる神さまとして、村の人たちから大切にされていました」。
 中ほどには次のような一節がある。
 「じいちゃんは、かえるとき、かならず、木のまえでおじぎをしました。そしてきまって太郎に『あそんでもらったお礼を、今日も言うんじゃよ』とやさしくほほ笑みかけるのでした」。

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2007年07月24日

普請と結いと「いじめ」

 今の日本には昔の日本のよさが欠けており、それが惜しまれる、と日本に詳しい外国人の話がときどき紹介される。
 外国人の日本通といえばすぐ頭に浮かぶのがラフカディオ・ハーンこと小泉八雲(1850―1904)であろう。
 ギリシア生まれの英文学者で作家でもあるが、明治23年(1890)に来日して、松江中学校、東大などで英語や英文学を教えた。
 こよなく日本を愛し、小泉節子と結婚し、日本に帰化した。
 日本の自然や文化を研究し、海外に紹介した。松江には彼の住んでいた家が保存されているが、庭のたたずまいや畳と障子の日本建築を見るとき彼の日本びいきの底の深さを感じさせる。
◇今、日本が失いつつあるもの、それを八雲や親日外国人が愛したというのであるから、言葉を換えれば「古きよきもの」の美や価値を日本人は忘れている。あるいは忘れてしまったのかもしれない。
◇その、古きよきもの探しは大変な作業であるが、実は古きよきものは「むら」が消えてゆく現代の悲しき傾向と連動しているのである。
 小泉八雲が愛した日本は、風光明媚な自然ばかりでなく、日本人の実直さ、律儀よさ、礼儀正しさ、親切心、人なつこさ、といった精神面の比重が大きい。
 ここに挙げた精神面における日本人の特徴はだんだん薄れつつ、消えつつあるが、それが今も残っているのは地方であり、農村であり、山村である。
 例えば「結(ゆ)い」の思想があるが、今は言葉は残っているものの現実には消えている。結いは、髪を結うの結いで、結婚の結が示すように結ぶことを意味する。これが、家と家、相互が互いに力を貸しあう助けあう結いの思想で、このような労働慣行が農村にはあった。田植え、稲刈り、養蚕その他、多忙な時に手間の貸し借りをすることが、結いという制度に発達した。
 この結いの思想が、冠婚葬祭、その他各般にわたって、普遍化し、農村の平和と共存共栄がはかられてきた。
◇そればかりでない。息子に嫁が欲しいと思えば、どこからともなく、だれ言うともなく、橋かけ仲人が現れて、「いい娘御がいるが、お宅の息子に似合いと思うんだが」。「お宅には、立派な男の子が3人もござるが、一人、桃屋の花子さんのところへやってくれんかのう。あそこは身上(しんしょう)もよいし、二親ともよう出来た人や。それに娘御はしおらしゆうて、きれじゃし」、といった調子で仲立ちをする。
◇このごろは消えたが、「太郎さんとこ、ふしんするらしい」。「ほうか、そりゃめでたいのう。棟上げはいつや」。
 ふしんは普請であり、家を建てることをいう。
 農村では道、橋、水路、堤防などの土木工事も普請といい、村人がいっせいに労力奉仕する。個人の建築でも親類、縁者はもとより、近所、知人が祝いを持参して手伝いに加わる、助けあいの美しい伝統であるが、だんだんこうした慣行がさびれてゆく。
 こういう助けあいの心の厚い時代には「いじめ」といったものはなかったし、かりにあっても今のような陰湿なものではなかった。

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2007年07月23日

村の危機は国の危機

 「むら」と「まち」の歴史を考えることは地方から国を考えることを意味し、大きく言えば今日の日本の政治的課題ともつながってゆく。
 さきにぼくは、むらに関心を持つのは淋しさと心配があるからだ、と書いたが、なぜ、淋しいのか、なぜ心配なのか。
 実は、早くから言われていることだが、東京一極集中現象が問われている。これは分かり易く、東京を象徴的にとらえているが、その現象は、大都会への人口集中現象なのである。東京のほか、大坂、横浜、名古屋、神戸に代表される、いわゆる太平洋ベルト地帯の人口集中がこれである。
◇大都市集中現象は、地方の崩壊現象に連動してゆくのであり、それを具体的に言えば、地方の過疎化の急転回と老齢人口率の上昇である。さらに詳しくいえば、地方のうちでも山間部の人口減少は年々急ピッチで進み、廃村同様の村が増え、老人ばかりで若いものが減り子供がいなくなって、小学校が機能しなくなりかけてきた。
 高齢者人口比率は、とっくに20%を超え、あと10年、20年もすれば人口の半分が65歳以上の老人で占める村が出てくる。
 こういう状況を正視すればするほど、日本の「むら」の将来は淋しくなってゆき、寝ても寝られぬほど心配の種となってゆく。
◇なぜ、そんなに心配するほど「むら」が大事なのか。
 実は、日本を支えてきたのが「むら」であり、これからも支えてゆかねば日本は立ちゆかぬのである。
 なぜ、「むら」がそれほどの重みを持つのか。かつて、日本は軍事国家となり、戦争を戦ったが、その戦さの「生きている弾丸」は、地方からの徴兵だった。
 また、日本が明治以降、産業の近代化と工業化社会を進める中で、労働力として一番役立ったのが農村の青年だった。
 国の危機、産業の発展、不可避な天災などに直面するとき、一番頼りになるのが農村であり、そこを生活基盤とする若ものである。
 むらの人口が急減し、若ものがむらから都市に流出し、「むら」がなくなれば、国の生命、根幹が危うくなる。
◇近代国家は科学の全能を盲信しているが、いつ、電気やガスがストップするか、交通、通信が途絶えるか、災害、事故、戦争、人災、テロに将来の安心、安全をだれ一人100%信じるものはない。
 かつて、日本は戦争に負けたとき、家は焼かれ、職はなく、食べものもなく、餓死寸前に追いこまれたが、それを救ったのは農村であった。
 むらには、伝統的な互助の精神があり、生まれたとき、死亡したとき、家を建てるとき、道や川を改修するとき、病気のとき、困っているとき、むらのみんなが助け合いをしながら、むらを守り、お互いの不幸をいたわり、癒しあい、また慶事には喜びをともにしてきた。
◇日本の国が繁栄してきたのは、その土台に「むら」があったからであり、その土台が崩れ、むらが消える運命にあるのは、古里への切なるセンチメンタリズムのみではなく、国家の将来への不安感からである。
◇忘れてならないのは、文化の殿堂ともいうべき大都市は言葉を換えれば砂上の楼閣のような危うさを持っていることである。
 その興亡の歴史は、かつてのローマ帝国、あるいはエジプト文明のカイロ、ギリシアのアテネ、古代中国の長安の盛衰に見ることが出来る。
◇「むら」を興す政策、子供がいて、若ものの住むむらをどうしてつくるか。それを真剣に考え、対策するのが行政と政治の責務である。

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2007年07月21日

「むら」と「まち」の歴史考

 ぼくが「むら」に関心を持つのは、淋しさと心配があるからで、それは言うなれば古里を持つ人の共通心理かもしれない。
 歴史的にさかのぼれば、日本人はみんな古里を持つはずだが、しかし、現実に、古里を出て他郷に生活し続ける1世はともかく、2世、3世と子や孫、曾孫の代になると、この人たちは先祖の出身地に対する古里感は稀薄になってゆく。
 それでも、墓があり、親類があれば、年に一度と言わずとも何年に一回か墓参りすることがあるかもしれない。
 したがって、心の隅に、おぼろげながらも古里感は存在するといえなくもない。
◇けれども100年、200年と経過すれば、現実の問題として古里感はゼロとなってゆく。
 今日、大都市に祖父や曾祖父の時代から住む人は、かつての日、村を出た先祖が、古里をなつかしんだような情緒は露ほどもない。
 昔ながらに戸籍を動かさない人は、それでも何かのとき、戸籍謄本を取りよせて、ひととき「わが出身地」に感慨を覚える人があろう。
 村を出た先祖がいかに村へ愛着を寄せていたとしても、後の代に墓もすたれ、家、屋敷はもちろんのこと、親類もなく、手つぎの寺との縁も切れていれば、古里意識どころか、出身地に対する愛着も消えているにちがいない。
◇それは、村の話に限らない。国を出てアメリカやブラジル、カナダに居住する2世、3世でも同様である。2世以降は日本語が話せなくなるし、日本の地理、歴史に無頓着となり、宗教、思考、習慣もその国に同化し、日本は先祖の出身地とは言え、外国である。
 日本人が海外旅行に出て、外から日本を見るような感じとは雲泥の差である。もちろん、その国の市民権を確保し、文字通り、アメリカ人、ブラジル人、カナダ人になりきってしまう。
◇日本人は、みんな古里を持つ、と言ったのは、先祖へさかのぼっての話で、歴史をひもとけば、縄文時代のわれわれの先祖は穴ぐら生活か、掘っ立て小屋に近い原始的なもので、食べ物は野や山や川の自然のものを採取していた。
 小家族が一つの核となって仲間と助け合って暮らし始めたのが、むらの原始的な興りである。
 むらが村らしく形を整えるようになったのは、渡来人が稲作や養蚕、織りもの、土木などの技術を持ちこんだ弥生時代からである。
◇物と物の交換時代から貨幣の出現、そして、市場による交易、旅による異動等の社会的、歴史的進歩が、特定の地域に人口を集めることになり、さらには、各地の領主、支配者が、その本拠を「みやこ」として、みやこづくりを始めるようになって、町の規模が大きくなった。
 こうして田舎の村から、権力者と直結したみやこや町に人口が流出することになった。だから、分かりやすくいえば、日本には初めからみやこや都市、町はなかった。
 日本の長い社会的、歴史的発展の過程で、いなかの村から人口が方々に流れ、便利のよい町、生活のしやすい町、金もうけに都合のいい町が形成された。それは、庶民一般を支配する有力者(王・権力者・領主)の力にもよるし、その有力者の力の背景である軍団の形成とも関わった。
◇そういう太古からの歴史を念頭におくから、日本人はみんな古里を持つというわけだが、もちろん、文字のなかった弥生時代や古墳時代は今のような「古里」意識を持つはずもなく、戸籍もなかった。

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2007年07月20日

エコバッグ争奪戦に思う(見聞録)

 イギリスの有名ブランド「アニヤ・ハインドマーチ」のエコバッグ「I'm NOT A Plastic bag(私はビニール袋ではありません)」の争奪戦が加熱している。
 同社はレジ袋の節約に貢献できればと、「再利用が可能な、それでいてちょっぴりおしゃれなバッグ」をリリース。普段は5万円以上もするバッグを販売しているが、できるだけ多くの人に使ってもらいたいと、同社としては破格の2100円で売り出した。
 スカーレット・ヨハンソンやキーラ・ナイトレイら、有名女優も愛用していると雑誌で紹介されたうえ、▽販売される国や地域によって色が違う▽数量を限定▽有名デザイナーの商品を安価に購入できる―とあって世界各地で人気が沸騰した。
◇先週から今週にかけて国内でも専門店やデパートで相次いで販売をスタートさせたが、客が徹夜で行列をつくったり、手に入れられなかった客が店員に喰ってかかったりで、警察が出動するありさま。インターネットのオークションサイトでは5万円を超える価格が付いている。
 最新のブランド品で体を飾ることをステータスと思っている人には、「エコ」という環境的響きもあり、逃せない注目アイテムなのだろうが、いったいどれほどの人が、レジ袋を使わず、地球に優しい活動をするのだろうか。
 「エコロジー」ではなく有名ブランドを安価に購入できる「エコノミー(経済的節約)」に魅力を感じているだけなのか、ただ「エコブーム」を楽しんでいるだけなのか。
◇スーパーやコンビニでもらうビニールのいわゆるレジ袋は、薄くて丈夫で便利と、1970年頃から普及したが、1995年に容器包装リサイクル法が制定されて以降は、削減の対象となり、ゴミ減量と原油節約の観点から、買い物袋持参運動が盛んになった。
 日本ポリオレフィンフィルム工業組合によると、レジ袋1枚を作るのに、原料、製造工程を含め原油18・3㍉㍑が必要で、国内では年間305億枚(一人当たり年間300枚)を使用しているから、55・8万㌔㍑の原油を消費していることになる。これは年間原油輸入量の0・23%に匹敵するという。
◇県内では平和堂が率先して買い物袋持参運動を展開。昨年度の持参客数は延べ3044万人で、持参率は32・7%。同社の試算では年間5534万枚のレジ袋、原油722㌔㍑、ドラム缶にして3610本を節約した。同社は1991年、買い物袋持参運動を開始し、レジ袋辞退者のポイントカードに加点するシステムを国内で初めて採用。フタバヤでは買い物カゴに商品を入れたままで持って帰れるサービスを取り入れている。
◇4月に改正容器リサイクル法が施行され、より一層、レジ袋減量が求められているが、大手スーパー各社では、競合店への客流出で売上が落ちてはたまらないと慎重姿勢で、一部店舗での試験的実施にとどまっている。エコロジーとエコノミーの両立は難しいようだ。

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2007年07月19日

「むら」の古今、いろいろ

 村というのは町に対する地域の呼び名で、明治政府が江戸時代の藩政をやめて新しく府県制を取り上げたとき、村、町、市、県の制度が出来た。
 しかし、役所や制度上の取り決めに関わらず、むかしむかしから村は存在した。村は、むらと呼ぶが、なぜ「むら」という言葉が出来たのか。言語学者はあれこれ頭をめぐらすが、「村」は漢字であるから、この文字は古代の中国製といっていい。
 中国の漢字を古代の日本の学者が、日本固有の言葉「むら」に当てはめたと考えられる。
 では、「むら」という言葉はどこから発生したのだろうか。漢字が古代の中国から入るまでは、日本には文字がなかったが、言葉はあった。それを和語というが、後に「やまと言葉」ともいった。
 専門的な話は、ここでは省くが、古事記を読むと漢字ばかりだが、しかし漢文ではなく、れっきとした日本語であり、漢字は音(おん)を利用した当て字である。
 例えば古事記下巻「清寧」の項に「おほきみの、こころをゆらみ、おみのこの、やえのしばがき、いりたたずあり」の歌があるが、これは、解説者がかな書きしたもので、原文はすべて漢字であるが、音(おん)を仮りただけである。以下次の通りである。
 意富岐美能(おほぎみの)許許呂袁由良美(こころをゆらみ)游美能古能(おみのこの)夜幣能斯婆加岐(やえのしばがき)伊理多多受阿理(いりたたずあり)。
◇さて、「むら」の話に戻るが、昔からの日本の言葉にむらがる(群がる)、むれる(群れる)がある。人が珍しそうにたくさん集まってくることを「人群り(ひとだかり)」するという。
 生きものは獣、鳥、虫みんな群れる習性を持つが、人間も同様に群れる動物で、神代の昔から「群れ社会」をつくってきた。
 むらがる、むれる、という、人の集まる共同体ともいうべき小地域を「むら」というのは、この、むらがる、むれるから来ているのではなかろうか。
◇だから、大昔から「むら」はあり、「むら」という言葉はあったと思うのだが、後に漢字が伝わってきたので、「むら」をどの漢字に当てようかと考えたところ、古代の中国では、「村」を使っていたので、「むら」を「村」にあてはめ「そん」とも呼んだ。
◇しかし、昔の中国では「むら」に相当する言葉でもいろいろ頭をひねって、それにふさわしい字を採用した。村以外に庄、邑がある。
 庄(しょう)は家、田舎の農家、同義語に荘がある。たいらかの意味もあり、土造りの平屋を指す。「むら」と読む場合、農家のある「むら」を指す。
 邑(むら)は、くにとも言い、古代の中国の周時代には天子、諸侯、豪族のおさめる領地のことを邑といった。国の中心を、みやこ(都)というのに対し、地方の町や、むらのことを邑といった。
◇そこで、村の始まりは「群がる」からと考えるわけだが、人間は群がるくせに、他方で排他的なところがある。いまは各集落が村や町、市に属するが、明治以前は集落が村であった。
 集落は村、区、字、部落、在所ともいうが、とにかく明治の町村制が敷かれるまでは、各字(あざ)はみんな村であり、村長(むらおさ)が取り仕切った。
 むらおさのことを庄屋ともいったが、庄は先にも触れたが「村」のことである。個々の村(現在の区、集落)はそれぞれ独立して、藩に直結しており、他の村との境界、出入り、縁組などは厳しい統制下にあり、それぞれの村には氏神があり、伝統的な習わしや制度があり、さながら独立王国の姿を見せていた。その伝統が今もあるから、古い石頭の人は、町村合併などにも反対する。
 村を研究すると面白い話が出てくるが、それらを記録しておくのも今の世代の責任であろう。

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2007年07月18日

役所の群盗を追及せよ

 言い古された言葉だが「赤信号みんなで渡れば怖くない」という。ふざけた言葉であり、群衆心理の危険を内含している。
 泥棒でも単独でするよりも仲間と集団でやれば心強い。そこから群盗という言葉が生まれた。このごろの無人販売機荒らしや、高級車ドロなどはまさに群盗そのもの。
 むかし、丹波の大江山に酒呑童子(しゅてん・どうじ)という鬼の頭目が住んでいた。部下を引き連れて夜々、都に出ては婦女に暴行したり、財宝を盗んだりして、都の人を恐怖のどん底におとし入れた。
 勅命によって源頼光が退治したという伝説だが、彼が集団強盗の走りかどうかはともかく、みんなでやれば怖いことなしの好例であろう。
◇さきごろ、日本の各都道府県で、地方公務員が嘘(うそ)の領収書や水増し請求書などを悪用して裏金をプールしていたことが問題になった。言わば役所ぐるみの公金横領に等しい犯罪である。
 結末がどうなったか、忘れっぽい国民はその後の役所の経緯や穴埋めについて無関心だが、マスコミも政治家も奥深く追及する姿勢がない。
 セビロ着て、ネクタイつけて、表は公務員らしいが、そういう実態を見ればふと「群盗」という言葉を思い出す。
 酒呑童子のように夜陰にまぎれて悪を働くのも群盗なれば、役人が昼日中、帳簿や書類をごまかして裏金をつくり、みんなで飲みっこしたり、分けっこするのも群盗に違いはあるまい。
◇過日、厚労省・社会保険庁のうさん臭い業務内容をチェックした機関が「失われた年金の一部が内部で横領されている疑いがある」と語ったことを思いだしてほしい。この話、けしからぬどころの問題ではない。同時にこの役所の労組は日本一の強い労組だと専らの評判で、仕事をしないのがお手柄らしい。不思議にもこの労組のこれまでの闘争の経緯や、歴代当局とのなれの果ての甘味がどんな内容だったか、追及されていない。政治は国民に分かりやすく説明する必要がある。さしずめ、目下、参議院選の最中である。
 県民の中には、それぞれの候補者の熱い支援者がいるはず。是非あなた方自身の口から、一体これはどういうことなのか、これからの改革をどう進めるのか、いままでの役所内での仕事の仕ぶりに問題や犯罪要素はなかったのか、徹底的に糾明すべきものだが、候補者Aさんはどう対処するのか、その声を聞いてもらいたい。
 まあ、ぼくの口は悪いが、やはり群盗の臭いがぷんぷんとするのである。
 国民が老人の介護や子供の教育に苦労しながらも、諸税や年金、保険税その他、納めるべきものは納めているのに、それをお上の方で、親方日の丸の無駄づかいや群盗まがいをやったのでは、この国の将来は年金どころか、命までが危ぶまれる。
◇中国政府が輸出禁止をするほどの危険な食料を、日本の政府が事前にチェックして輸入禁止にしたことがあるだろうか。
 あちらに遠慮して、ものも言えないのが国の役人か、それとも国民の健康よりも企業のもうけが大切なのか。われらの代表はどう思い、対処しようとするのか。国民は羊の如くおとなしいもの、と侮っているのか、見下げているのか。
 腹の立つことが多すぎる。

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2007年07月17日

猿のボス、日本の政治

 派閥(はばつ)の閥は難しい文字であるが、戦後の保守政治によって、広く国民に知られるようになった。
 派閥の集団が自民党であり、派閥の親分が陣取り合戦して勝ったものが総理・総裁となるのが村の不文律だった。この場合の村は自民党を指すが、一般には派閥を村と呼んでいる。
 バカげた話であるが、村を見て国を見ない政治家が多かった。村の親分の鼻息をうかがい、親分の指示のまにまに動いていれば、金にもなるし、ポストも与えられる。村の会合で酒を飲んで気勢を上げていればノールス(脳留守)になるが、そのノールスをカバーするのが官僚である。
 官僚は派閥のボスにすり寄り、情報や政策を伝授する代わりに、じぶんたちの立身出世や天下りについてその支援を取りつける。
 派閥の親分は、子分を大臣に差し出し、政権と党ににらみをきかせるために、なり振りかまわず精進するのが「金づくり」と「派閥」なる村の拡大である。
◇派閥政治によって、政治は堕落し、黒い霧の晴れる間もなし、と憂えたのが小泉純一郎前総理・総裁だったが、不幸にもその憂うべき派閥政治が復活しつつある。
 年金疑惑の社会保険庁、緑化推進公園の談合疑惑、北海道の偽装牛肉ミンチ事件、その前の狂牛問題に関わる牛肉補助金の不正、エイズと製薬会社。年々歳々繰り返される行政と業界がらみの不明朗な事件は、政治資金問題のからみもあってか、政治家の追及が冴えない。
 たとえば、さきごろの北海道の混合肉ミンチ事件、メーカーの元役員サイドから内部告発があったにも拘わらず、関係行政は握り潰していた。北海道庁は政府の責任に、農水省は道庁の責任になすり合いをしている。告発の事実が存在する以上、白黒つけて行政を刷新するのが政治家や政党の仕事ではないか。
 これは他のすべての灰色事件にもあてはまることで、秘密兵器に関わる部品の中国、北朝鮮輸出についても政治家の追及は及び腰である。
◇民主党の小沢一郎代表は、いまの「たて割り行政」の弊と国費の無駄づかいを一掃するため、補助金制度を全廃し、これを地方の都道府県に一括してまわすべきだ、と主張しているが、実は補助金制度こそ派閥政治の肥やしである。これによって、派閥は地方の行政や業界へにらみをきかし、必然的に族議員がはびこるのである。
◇さて、閥の功罪であるが、人間は、自立する自信がないのか、古代から家柄や家格、血筋で仲間を組む。これを門閥という。同じ土地の出身者で助け合いするものに長州閥、薩摩閥。学校出身では東大閥、京大閥。戦争中は軍閥、財閥が幅をきかした。
 戦後は民主化されたから、閥は消えたかに思えたが、あにはからんや、政治の世界に復活したのが派閥。
 親分子分が群れている姿は、あたかも猿の集団に似てこっけいである。猿の集団は戦闘力のぬきんでたボスが支配するが、政治家の派バツのボスは、知恵と金が条件である。だからボスは金つくりの上手な子分を重用する。不潔な政治、不明朗な政治にどうしてさよならするか、みんなで考えたい。

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2007年07月13日

語れ!温暖化対策(見聞録)

 イギリスで今、「フードマイレージ」の議論が盛んだと、国際ニュースのセレクト雑誌「クーリエ・ジャポン」8月号が世界のエコ特集の中で紹介していた。
 フードマイレージは、食品の生産地から食卓までのエネルギー消費を示す指標で、食品を海外から輸入した際の輸送機関の二酸化炭素排出を憂い、特に排出量の多い空輸を見直そうという運動が起きている。地球温暖化の原因となる二酸化炭素を少しでも減らそうとの考えだ。
 環境食糧農村省のまとめでは1992年から2002年の間に、食品輸送で排出される二酸化炭素が15%増加した。これはイギリスの裕福層が増え、季節を問わず新鮮な食材を世界中から輸入した結果だという。
 この問題、賛成派は「食品の空輸は食生活上、必要ない」と語り、反対派は「食品の輸出で生計を立てている途上国の生活を脅かす」と指摘し、議論白熱中だとか。
◇アメリカではVHEMTという過激なエコ団体を紹介している。「人間の行為はすべてが環境破壊」と説き、子孫を残すことを拒否。子どもを産まないという自発的な人類滅亡運動に取り組んでいる。こちらは極端な例なのだが、欧米では「地球を冷ませ」とばかりに、エコがブームになっているようだ。
◇アメリカのアル・ゴア元副大統領の著書「不都合な真実」でも語られるように、地球温暖化は待った無しの状態だ。二酸化炭素の増大で温暖化が進み、グリーンランドの氷が解けて海面が上昇。近い将来、海抜の低い各国の主要都市が水没すると指摘している。この本、映画化されアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞している。
 ゴア氏は世界各国での講演で、今、行動を起こすことが地球の危機を救うと説き、節電、省エネ、リサイクル、植樹など10項目の取り組みを呼びかけている。
◇草津市は12日、二酸化炭素排出を削減して地球温暖化を防ぐための条例素案を発表した。事業所や市民団体が温室効果ガスの排出抑制について市と協定を結ぶもので、電力や燃料の消費目標を掲げ、優れた成果を収めた事業所や団体を表彰することで、イメージアップに活用する。
 温室効果ガスの抑制を目指す京都議定書の主旨が、地方の自治体に広がりつつあることは歓迎されるが、国家や経済界としての取り組みが進んでいるようには思えない。
◇参議院選挙が12日公示され、消えた年金記録への対応、政治とカネの問題、格差の是正、増税などが争点になっているが、温暖化対策などの訴えが、もっと強調されてもよいのではないか。特に琵琶湖を抱える滋賀の3候補には、他の選挙区をリードするような環境政策を存分に語ってほしい。京都議定書の温室効果ガス排出削減達成に向けてどういう取り組みをするのか?いずれ枯渇する石油資源に替わるエネルギーをどう確保するのか?琵琶湖の水質改善は?
 今、直面する課題を取り上げるのが効果的だろうが、長期的視野に立った政策でも有権者を啓発し、訴えるものが欲しい。

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2007年07月12日

参院選、問われる国民

 いよいよ参議院選が公示された。
 選挙のたびに国民の政治的水準が上がっているだろうか、と考えると必ずしもそうでない。
 最近の選挙で国民の政治的水準の高さを知ったのは05年9月の小泉さんによる郵政選挙だった。この年、8月、小泉さんは郵政改革が参議院で否決されたことを契機に国民の声を聞くべく衆院を解散した。この選挙、史上の語り草となるのは自民党の中の血で血を洗う骨肉の戦だった。
 自民党の当時の現職の中に、衆院の法案採決で反対した者もあり、解散後の立候補に当たっても反対の線を崩していない候補者がいた。小泉さんは、郵政民営化をこの選挙の争点とした。
 つまり、郵政民営化賛成か反対かで党内を踏み絵にし、反対の候補者に刺客を差し向けた。結果は、圧倒的な小泉支持で、郵政改革反対派はくつわを並べて討死にした。それどころか、野党を寄せつけず、言わば自民党の独り勝ちに終わった。
◇これによって、国民の政治レベルの高さを確証するには多少の問題はあるが、しかし争点を明らかにした選挙で、賛否を明確に示したのはまぎれもなく国民の判断力の成長であるといえる。
 それは一口にいえば国民が小泉さんの死にもの狂いの改革路線を支持したことにつきる。
◇では、今回の参院選はどうか。争点はありすぎてぼやけてしまったのか。
 あるいは争点といった政策的なものではなく、単純な好き嫌いによる安倍内閣の信、不信を問う声になりそうな気配である。
 それは、一種のムード選挙である。ムード選挙は風次第だが、風がどんなふうに吹いているか、すでに各社の世論調査は答えを出している。
 自民党は小泉さんの後、人気の後退をおもんばかって、ムード選挙に持ちこもうとした。そのための最大の顔として、若い安倍さんを登場させた。
 森派(現町村派)の長老・森喜朗前首相は、安倍を隠しカードとして、取りあえずポスト小泉は福田康夫でゆくべし、と戦略を立てた。
 派バツ連合の推す福田と小泉さんの推す安倍が同一派バツで争う羽目になったが、結局なだれ現象で安倍さんが総裁になった。
 安倍さんの強みは上品なマスクと知性、それに北朝鮮外交における芯の強さだった。
◇天下の大勢は、一握りのボスや権力側の深謀を超えて、思わぬところで非力学的に決まることが多い。
 皮肉なことに、自民党はポスト小泉後の政局乗り切り用に、顔と若さの安倍さんを選んだ。これすなわちムード戦への土俵づくりであった。
 ムード戦で勝つべく段取りした自民党が、思いがけなく野党有利なムード戦に追い込まれた。
 今、吹いている千の風は、自民党には向かい風、野党には追い風。
 「泣きづらに蜂」というイロハカルタがあったが、辞職した大臣や自殺した大臣。年金、その他もろもろの国民不信の事件など、うんざりするほどのニュースに、安倍さんの心境をのぞくと痛々しい。
 このおもわく外れのムード戦。果たして安倍さんのマスクで自民ペースのムード戦に切り換え得るか。自民の底力が千の風の方向をどう変えてゆくか。
 それは、国民の審判による。答えは投票日に分かるが、国民の政治的水準は上がっているか、確かなものであるか、それが分かるのが投票の結果である。
 まじめに、深く、日本の将来を見つめ、国民が主権者であることの誇りと責任をこの選挙が問うているような気がしてならない。

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2007年07月11日

北山杉、大観と盃の音

 書きものをしていて、一息ついて、ひょいと窓から外の景色を眺める。
 いまは、梅雨期だから、窓を開けると、心なしか、ひんやりとした感じである。ゆうべの雨の名残りが糠雨のように静かである。
 夜中のような静けさはないが、やはり、朝には朝らしい気配がある。遠くに物売りらしいマイクの音が流れて消える。近くに生活の証らしい無機質の音がぶざまに聞こえる。
 朝と昼の中間あたりは、案外、人の出入りが少ないとみえ、あちこちの犬の鳴き声も途絶える。
 この時間帯が、日中の一番、平和な時で、思いがけず、空をかすめるプロペラの飛行機音すら快い響きをもたらす。
◇豪快な酒を飲む日本画の巨匠といえば横山大観を目に浮かべるが、その大観が、若き日の片岡球子に教えたエピソードが忘れられない。
 球子33歳、昭和13年(1938)の話である。
 日本美術院絵画部会研究会で、彼女が初めて大観賞第一賞を受賞する。ある日、会場の控室で、おそるおそる彼女は大観に初対面の挨拶をした。大観はいつものように酒を飲んでいた。「やあ、球子って、君か」、「まあ、飲めよ」と盃をくれるが、「飲めませんので」、と断ると「そうか、まあ、いいや」、と言い終わらぬうちに、その盃を指でピンピンと叩いて、「この音、分かるか」、「音がしているね。この音が描けるようにならなくちゃ一人前の画家とはいえないよ」。
 片岡球子は晩年に至るまで、この一言が忘れられず、絵心の鑑(かがみ)として、今日に至っている。
◇ぼくは、いま、梅雨曇りの窓の外を眺めつつ、隣家の庭にすくっと立つ北山杉のみずみずしい秀(ほ)先に目を奪われている。
 新芽がすくすくと10㌢も20㌢も伸びており、葉群全体を弾(はじ)くように、やや黄みどりに燃えさかっている感じである。
 風がないので、いや、窓に微風を覚えるのだが、杉の秀は、案外しゃんとしているので、動じないのであろうか。北山杉そのものが、直立の行儀正しいたたずまいなので、先端の秀の集団にやさしい貫禄さえみられる。
 この、杉の葉の、先端の、固まりのようなみどりと、うすみどり、黄みどりの溶けあうような、それでいて、撥ねあうような色彩美は、とても口や筆には表せない。
 球子画伯ら大家の画筆によらねばなるまいが、ふと、ぼくの脳裡をかすめたのは、さきに触れた大観の言葉である。「盃の音が描けるか」。
◇ぼくは、目の前の隣家の杉の秀の見事な色のコントラストとその静かなひかりに打たれながら、「この杉の声が聞こえるか」、と問われているような気がして、しばらく呆然とそれをみつめていた。
 ぼくの心が通じたのか、杉の秀が揺れた。微風が通り抜けたのであろう。しばらく、元の静けさを保っていたものの、今度ははしゃぐように前後、左右にさゆれ出した。しかし、間もなく、おさまると、元のしずけさに戻り、凛として空につっ立ている。
 短歌の世界、俳句の世界で、この、いま、ぼくが見つめている杉をどう作品化するか。一つのテーマを宿題にされたようで、やはり、心に残るのは「盃の音」であり、「杉の声」である。
 画家は写生を厳しくいうが、短歌も俳句も写生をいう。「写生」は、口では言い易いが、真実は難しい。それは聞こえない盃の音を聞こうとするからであり、もの言わぬ木から、その声を聞こうとするからである。
 聞こえないのは、ぼくの耳が聴く水準に達していないからである。

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2007年07月10日

偶然、必然、よき出会い

 「偶然」ということについて少し考えてみたい。ぼくが、今、手にしている本は、同朋大学の田代俊孝教授ら4学者の仏教に関するシンポジウムのまとめである。
 そのなかにあるカリフォルニア州立大学・目幸黙僊教授の次の言葉が目に入った。
 「頭では偶然としか思えないことが、無数の因縁、出来事によって、自分の願いが生かされ支えられてきている」。
 これこそ、偶然だが、ぼくが、この文章を書くに至ったのは、この本のお陰であり、目幸教授の文章の一部に目が通じたからである。
◇ぼくは機会あるごとに、人生は出会いである、と説いてきた。
 出会いとは、分かりやすくいえば「ふれあい」である。したがって、人生は「ふれあいの旅」ということが出来る。
 けれども、振り返れば、だれもが出会おうと思っても出会えぬ場合があるし、逆に思いがけず出会うこともある。触れあいたく思いつつもかなえられず、逆に触れあいたくなくてもふれあうことだってあり得る。
◇考えれば「出会い」というのは気まぐれなもので、われわれの人生途上では意識的というよりもむしろ偶然の結果による。
 ところが目幸教授の説の如く、偶然は全くの偶然というものはなく、すべて出会うべきもろもろの因縁による。
 つまり、因縁によって人は出会い、ふれあいの歴史を編んでゆく。けれども、よき因縁によって、よき出会いが生まれ、悪しき因縁によって悪しき出会いが生じるとは限らない。
 ただ、考えたいことは、たとい悪しき出会いと思われるものでも天の神さまの透徹せる眼(まなこ)で見るならば、この世の出会いはすべて、あなたのため、私のためのよき因縁によるものと考えられる。
 これを仮りに好転思想と呼ぶ人もあるが、要するに、よき因縁に転化できる心の持ち方の問題ということができる。
◇そう思えば、われわれは日常、ことあるごとにさまざまな出会いや、ふれあいを経験するが、それは人間対人間に限らず、動物、植物、小鳥や魚類、蝶に花、限りなく多くの物象に出会っているわけで、それは天体の太陽や月、星、あるいは雷、風、雨、雪との出会いをも意味する。
◇言葉を換えれば、森羅万象、あらゆるものとの出会いの集大成がわが何十年間の自分史といえるのではないか。
 こう考えれば、偶然の出会いの積み重ねは、必然の出会いの何十倍、何百倍もの中味の濃さがあるわけで、もし、その一切の出会いが、私のため価値ある、生かされいる出会いと知るならば、必然はもちろん、すべての偶然に感謝しないわけにはゆかぬ。
 そこに合掌の自我像があり、感謝の心がよみがえる。
◇中身の濃い人生は、その意味で、感謝の連続線上の人生といえるのではないか。世間では心むなしく、とか、意に反して、などとその願いの容れられざる結果を悔やんだり、腹を立てる向きもあるが、むなしいと思うことだって、他の崇高な見地からみれば、決して空しいことではなく、明日のあなたの発展や進歩、あるいは幸せに通じることになるのではないか。
 だから、のろうのではなく、けなすのではなく、感謝するのである。
 そんなことを思ったのが、きょうの偶然の発見である。

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2007年07月09日

小沢党主の決意と国民

 近づく参議院選。今度の選挙の見どころは、与党が勝つか、野党が勝つか、に集約される。
 与党といってもその中核は自民党であり、野党の場合は民主党である。
 極端に言えば民主党の勝敗いかんが今度の選挙の中身である。それをだれよりも知っている小沢一郎民主党代表は8日、「もし、野党が負ければ政界を引退する」と悲想な決意を語った。
◇その志やよし。小沢ファンならずとも国民の多くは今回の選挙にかける小沢代表の覚悟に共感の拍手を送るにちがいない。
 小沢代表は自らの退路を断って、日本の政治の改革に乗り出すという。しかもそのチャンスは二度と与えられない。最初の最後だと彼の叫ぶ政治的良心をぼくは買う。
◇今度の参議院選は日本の民主主義が救いようのない低レベルかどうかを国民自身が内外に証明する先載一遇の機会である。
 日本の政治はこれまで自民主導で進められ、ある時期は野党である社会党を籠落して自社のなれあいで国運の舵を切ってきた。
 その間、もろもろの「いびつ」や「病根」、「膿(うみ)」が国民の怒りを買ってきたが、押し寄せる景気の波に助けられて破綻なく政権を継続してきた。
◇1993年の細川内閣は、この古き自社のなれあい体制に風穴を開ける歴史的な1ページであったが、それすらも未成熟な当時の民主主義は再び自社のなれあいを許した。
 93年の第一次改革のもたらした唯一の成果は「小選挙区、比例制」の現選挙制度の実現だった。この改革の推進者は自民を出た小沢一郎氏だった。この制度の評価されるのは、二大政党時代への誘い水であり、政権交代の可能性を国民に保証した点だった。
◇今回、もし民主党が勝てば、国民の声は政権交替を望むものであり、それは衆議院の解散を視野に入れる。
 逆に自民党が勝てば、引き続き自民政権に明日をかけることを意味する。小沢民主党代表が「負ければ、党主としての責任だけでなく、政治改革の夢の破算である」と認識したのは、まさしく国民自身の声でもあろう。
◇国会という舞台。国政という権力の中枢で、国民の心を傷みつけ、ないがしろにするもろもろの諸悪をこれまでいやというほど見せつけられてきたが、終始一貫、不信の政治は続いてきた。
 殴られても、バカにされても、虫けらのようにうとんぜられてきても忘れっぽいのが、これまでの国民だった。
 バカにするのもほどほどにせよ、とぼくもいやになるほど主張し続けたが、国民は寛容なのか、お人好しなのか、それとも本当にバカなのか、古い体質の政治を見逃し続けてきた。
 これでもか、これでもか、と神さまは、何枚かカードを切って、国民の自覚を促された。
 官僚とのなれあい、湯水のように流れる国費の無駄づかい。中央から地方にまではびこる病根の談合、利権、綱紀のゆるみ。
 英雄よ出でよ、国難を救え、と、いずこからか、声が聞こえてくる。

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2007年07月07日

犬川と遠足、動物霊園

 「犬川(いぬかわ)」と言っても、現代人にはほとんど通じないが、国語辞典に出ているかられっきとした日本語である。突然ひょんな言葉を取り上げたから、いぶかる人も多いと思うが、去る2日滋賀夕刊に「犬1000匹余りが殺処分」の記事があったので、かわいそうに、と思いつつ、犬について少し触れたいと思ったからである。
 犬川は「犬の川端歩き」の略、と辞書に説明しているから、その川端歩きを調べれば、大辞泉は次のようにのべている。
 「食べ物の落ちていない川端では、犬は歩くだけであるが、そのように途中で飲食することなく、どこかへ行って帰ってくること」。
 「運動がてら、どこか散歩しようか」。
 「うん、行ってもいいが、犬川じゃ、つまんないね」
 などと明治のころは用いたらしい。
◇今はウォーキングというが、一むかし前は「遠足」といった。遠足は普通、学校の年中行事の一つで、春か秋に行われた。小学生は5㌔くらいから学年に応じて距離を延ばすが、中学生、高校生になると10㌔から20㌔くらいを強行する。
 遠足は途中の景色や有名な社寺などを見学するが、犬川ではないから昼飯時はみんながお母さん手製の弁当を楽しむ。
 今は中学生、高校生、大学生、なべて遠足の代わりに旅行をする。
 バスや電車、飛行機を利用するから、およそ、足の訓練にはならない。かくして、若い学生のころから歩くことを忘れた虚弱体質をつくってしまう。
◇さきに、本欄で紹介したように、明治の歌人・島木赤彦は、師範学校(今の大学、教育科コース)の学生のころ、全行程10日間の徒歩旅行を記録している。
 京都から宇治、奈良、伊勢方面への10日間の歩け歩けであるが、皆の健脚に驚きながら、その間の地理、歴史的学びの深さに感心したことである。
◇昨年1年で、滋賀県は1000匹もの犬を殺しているが、これらは飼い主が捨てたり、それが自然繁殖したものが大部分である。
 愛玩用や用心棒代わりに飼われながら、人間の勝手で捨てられた彼らの運命こそ哀れである。幸いにして、日本には犬を食う習慣はないが、韓国では犬料理が公然たるメニューや店の看板になっている。
 おいしいという人がいるが、日本人の習性にはなじまないのか、ぼくは食べておいしかった、という人に出くわしたことがない。
 若いころ、友人たちとすき焼きしたとき、肉が泡立ったことがあった。識った顔の先輩が牛肉に猫や犬がまざっているからだろうと言ったのを今になって思い出した。
 今、話題の北海道の牛肉偽装やミンチ肉などのからくり。得体の知れぬコロッケなどには、ひょっとすると猫や犬も混じっていたかもしれない。
◇犬公方(いぬくぼう)というバカな将軍がいて、人間より「お犬さま」を大事にした話は有名な史実だが、この公方、江戸幕府5代目将軍・徳川綱吉は、「生類(しょうるい)憐れみの令」を出して、犬を殺したり、虐待したものに厳罰を加えた。
 犬の収容施設に広大な用地と建物、管理費用などに幕府の会計を傾けさせたというから、今なら不信任案可決でクビになるところだ。
◇犬は警察犬、盲導犬、番犬、猟犬、愛玩に、人間との縁が深いが、それだけに、かわいがる愛犬家が増え、万一、死んだ場合は、人間並みの葬式と荼毘(だび)、霊園まで出来、長浜動物霊園のように納骨、供養まで、まさに家族待遇という時代になった。

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2007年07月06日

迫る参院選公示(見聞録)

 参院選挙がいよいよ来週の12日に公示される。事務所費問題、消えた年金記録、防衛大臣辞任などでガタガタの与党自民党がどれだけ踏ん張るのか、民主党を中心とする野党がこれを機にどれほど議席を奪取できるのか、注目される。
 共同通信社が実施した直近の世論調査では、比例代表の投票先は民主党と答えた人が全体の24・5%で第1位。以下順に自民17・9%、公明5・7%、共産4・2%、社民1・3%と続き、「未定」と答えたのは41・0%にのぼった。
 非改選議席を含めた与党の参院過半数維持についても「過半数を割った方が良い」が52・4%で、「過半数を維持した方が良い」の32・5%を大きく上回った。安倍内閣の支持率も昨年9月の発足以来、最低の32・0%を記録し、自民党への向かい風が強いことがうかがえる。
◇滋賀選挙区(改選数1)は自民現職の山下英利氏、民主新人の徳永久志氏、共産新人の坪田五久男(いくお)氏で争われ、世論調査にみられる全国傾向と同じく、現職の山下氏は厳しい防衛戦を迫られ、徳永氏に風の勢いがある。
 今週の2日、彦根市のビバシティホールで開かれた3氏の公開討論会を覗いた。その様子は3日付けの滋賀夕刊で報じたとおりだが、年金問題、社会保険庁の年金機構への移行、定率減税廃止などの問題を、野党の2人から攻められる自民・山下氏の劣勢感は否めなかった。政権交替による清潔政治を訴える徳永、坪田両氏の切り口が力強かったのと対照的だった。
 ただ、気がかりだったのは、討論会の傍聴者が約130人と少なかったこと。新聞社をはじめとする報道記者、各政党関係者、討論会を主催した「政策フォーラム滋賀」のスタッフを除くと、一般の有権者はどれだけ来ていたのか。年金記録の不具合、増税による家計圧迫で政治に対する不満が大きいはずなのに、有権者の選挙への関心は余り高くないということなのか。
 いずれにせよ、29日の投票日まで、候補者や政党の訴えに耳を傾けたいものだ。
◇選挙での勝敗を決定付けるものは何なのか?
 3選を果たした石原慎太郎東京都知事の選挙参謀を務めた三浦博史氏は著書「舞台ウラの選挙」(青春出版社)で、選挙資金や票の集め方、有権者の心のつかみ方など、選挙戦の裏側を本音で紹介しているが、人の心を最後に動かす決め手は「熱伝導」と説いている。
 候補者であれば、絶対にこの選挙に勝ちたいという熱い気持ち、支持者であればこの候補を是非当選させたいという熱い気持ちが、人や組織を動かすという。選挙プランナーはその候補者の熱をいかに冷まさずに有権者に伝えるかという仕事だという。逆に熱意が無ければ、伝えようがないのだ。
 近年、記憶に残る選挙は郵政解散での自民躍進、滋賀県政では嘉田由紀子知事の誕生。郵政選挙では当時の小泉純一郎首相が身内に刺客を送り込んだうえ、「死んでもいい」とぶち上げたが、過去にあれほどの熱意と覚悟を持って選挙に臨んだ党首がいただろうか。滋賀県知事選では嘉田知事誕生の「もったいない」キャンペーンの影で、県政刷新を求める支持者の献身的、情熱的な支援があった。
 今度の参院選、世論調査の結果を見る限り、与党への向かい風は弱くないが、4割の有権者がまだ政党を決めかねており、どの政党が勝利するのかは、党首や立候補者の政治改革への熱意次第ではないだろうか。

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2007年07月05日

車社会と東京ゼンソク

 工場の煙や自動車の排ガスで大気が汚染され、その結果、気管支を患ったり、ぜんそくに苦しむ患者が国や企業を裁判に訴えて勝訴したことは喜ばしいことだが、患者にとってみれば解決金や医療費の助成は涙雨に過ぎず、生命の故障と苦しみは死ぬまでつきまとう。
 すでに判決の勝訴を知ることなく鬼籍に入っているものもある。日本の高度成長のひずみである大気汚染の公害。
 今回、和解で決着したのは東京大気汚染訴訟だが、滋賀県の、それも北部の空気のきれいなところに住むわれわれには信じられないような人間のいたいたしさである。なんだ、かんだというまえに、美しい生活環境に住む幸せを感謝しなくてはならない。
◇今度の東京大気汚染の和解は一にかかって政治の決断にゆだねられた。そのなかでも特筆すべきは石原慎太郎都知事と安倍晋三総理の高度な、かつ敏速な政治判断だった。
 和解案は大きく3点で構成している。
①国と都、自動車メーカー7社、首都高速道路各社が負担し、5年間200億円の医療費を助成する。
②国と都は、都内の交差点の立体化や道路の拡幅、緑地帯の新設など公害対策を実施する。
③自動車メーカー7社が計12億円の解決金を原告に支払う。自動車メーカー7社は解決金の12億円のほか、医療費助成制度の拠出金33億円を合わせ45億円を負担することになる。
◇国や都が裁判によって、医療費の助成や公害対策の実施を迫られたのは、首都圏の道路管理者として、住民の健康被害についての責任を問われたからであり、排ガスの規制や車の通行制限、その他の公害対策の貧困が追及された。
 自動車の排ガスについては、ディーゼル車のメーカーが被告として責任を問われた。
 ディーゼル車の7メーカーは、トヨタ、日産、三菱、日野、いすず、日産ディーゼル工業、マツダで、今後、さらなる技術開発により大気の環境改善への取組みが期待される。
◇今回の裁判は1996年5月に第一次提訴があり、いわば10年越しの長期裁判となった。
 これまでに6次の提訴があったが、その間、原告となった患者は633人、そのうち高齢化で100人以上が亡くなっており、現在の原告患者数は522人。和解への英断を示したのは石原都知事だった。
 国やメーカーなどと分担しあって5年間、200億円の医療費助成案を提案した。国は当初、この案に反発していたが、4月に入り、原告団の代表が首相に直訴した結果、5月30日、安倍首相の鶴の一声で、医療費助成に60億円を都に拠出すると発表した。
 解決の結果、東京都内のすべてのぜんそく患者(約20万人と推定)を対象に治療費の自己負担金を全額補助することになる。
◇さて、問題は、今後の公害対策の実施である。都心の交通渋滞の緩和と環境改善である。交差点の立体交差などは多大の建設費と時間が必要であろうし、道路の拡幅には蛮勇を振るわねばなるまい。緑地帯の建設も大きな課題である。
 メーカー側の排ガス減少の技術改革もさることながら膨張し続ける都心部の交通には思い切った通行制限など力の法的対策なしには大気汚染は抑えられまい。
 病める大都市の緊急課題であるが、それは東京に限らない。
 名古屋、大阪、尼崎、川崎、その他各地での工場と車の排ガス公害は国民の体をむしばみ医療費を際限もなく費消する元凶といえる。

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2007年07月04日

参院選、原爆、大臣

 「寝耳に水」という。参院選を前に、政府と自民党は、屋台骨を揺るがせかねない閣僚の失態や失言の火消しに追われている。
 戦後の自民党の実力者・大野伴睦は「政治は一寸先は闇だ」と言った。
 不愉快な話だが、政治はドラマにたとえられる。このドラマ、脚本がなく、いつ、何が起きるや予測の限りでない。
 政治がドラマとみられ、うさん臭い話や不名誉な噂、灰色などの言葉が常に登場するこの舞台。ならば国会など潰してしまえ、政党政治なんか糞くらえ、となりそうだが、そういう論理の通らないのが現実である。
 潰すどころか、盛り立てて、清新にして、信頼される国会を、と願うのが国民の声であり、政治改革である。
◇裏切りや利権政治のドラマを見ると、国民の不信感は募るばかりだが、かといって、政治抜きに、国家の独立、平和、国民の幸福は考えられないから、一つの矛盾である。
 選挙に投票しないのは、政治不信を表明する手段かもしれぬが、それでは現実の政治は前進しない。
 腹は立つが、やはり、よき政治、よりベターを考えて、納得する判断で、政治の方向に自らの一票を行使するしかない。
 それを思うからこそ、政府与党の中から防衛相の腹切りを促す声が高まったのである。
 先の松岡大臣は、首を切られる前に、自らの命を捧げた。
 「いけにえ」は、犠牲になる意味に使われ、同情、あるいは賞賛のイメージを持つが、松岡大臣の場合は、いけにえの如き尊いものではなく、「死んでお詫び」の浪曲だった。それも国民に対するお詫びではなく、親分・安倍首相への詫びだった。
◇今度の久間章生防衛相の辞任は、党利党略のための血祭りである。彼は心底から「申しわけない」などとは思っていない。「辞めなければ選挙が不利になり、安倍内閣、自公の与党に迷惑をかけるから」というのが本人の辞意の弁である。
◇久間大臣の首、安倍さんは直前まで、辞めさせる意志はなかった。大臣本人は「脇が甘かったから」とか「不用意な発言で誤解を与えた」などとして、発言そのものを不当とは思っていない。
 安倍さんが首を切ろうとしていないのに、寝耳に水の如く、本人が辞めると申し出たのは安倍政権を支えている与党の公明党の要求による。公明党の協力がなければ、安倍丸が進まない、というのは情けない話だが、ぼくが本当に情けないと思うのは、日本の新聞の浮わついた世論操作であり、原爆問題に関わる偏った姿勢である。
 日本の新聞や、政治家、その他市民運動家たちよ。本当に原爆を憎むのなら「原爆投下を謝罪せよ」と、なぜアメリカへ要求しないのか。国会へ請願しないのか。
 無差別で、何十万人もの市民を焼き殺したのであるから、これこそ正真正銘の国際法違反である。
◇それどころか、現実に北朝鮮は、日本海へ向かって、核兵器可能なミサイルを打ち込んでいるではないか。その北朝鮮のスパイが日本にうようよし、北朝鮮政府代弁の朝鮮総連が税制その他で特権を受けていたこと。日本人の拉致事件が未だに解決していない暴挙。これらに対して、新聞がどれほど世論をリードしたか。かつては金丸自民党、田辺社会党が、いちゃつくように北朝鮮に媚を売ったが、それを総括する国民運動を起こしたことがあるか。
 あるいは、日本の新聞や左翼が、中国の核開発の実験に抗議の大々的キャンペーンを張ったことがあるか。

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2007年07月03日

発言と歴史と政治家

 2日付時評で政治家の発言と原爆について触れたが、言葉の持つ重みと真実性について考えてみたい。
 古代ギリシアの哲学者・ソクラテスは紀元前399年、権力者の手によって不法な裁判にかけられて死刑の宣告を受けた。彼は悪法も法なりとして、毒杯を仰いで死んだが、彼の学問は弟子のプラトンを通じ、世界の哲学の基礎となった。
 学者の論理や発言ですら歴史を通じてその正否が審判されるくらいだから、政治家の話が絶対だとか、間違いだとか、簡単に言い切れるものでもない。
◇これは仮定の問題だが、もし、日本が戦争終結を半年早めていたらどうなっていただろうか。
 敗戦必至の日本が戦争終結を早めるというのは、聞き苦しい言葉だが、敵に降服することである。終戦の年、1945年3月10日の東京大空襲はまぬがれたはずであり、もちろん、広島も長崎も原爆投下の不幸が回避された。
 さきに、本欄で書いた父島における人肉事件について言えば、前年の1944年7月、大本営から現地へ派遣された若手参謀が部下に、「日本は負けだ」、「勝ちはない」と語っていたほどだから、戦局の実相を知っている軍の中枢部と政府高官は負けるしおどき、運命のX日に苦慮していたはず。こういう生死ぎりぎりの段階における政治家の判断と言葉は一国の運命と国民の生命に関わってくる。
◇日本人の多くは、敗戦後、占領軍の権力に仰合し、東京裁判にマインド・コントロールされて、日本人としての自覚や誇りまで失ってしまったが、幸いにも東京裁判で唯一人、無罪を主張したインドのパール判事が、「日本人よ、しっかりしろ」と激励してくれたことが戦後史のなかで一きわ光彩を放つ。
 東京裁判は、いわゆるA級戦犯裁判だが、当時、この裁判を演出した占領軍の最高司令官マッカーサーは、裁判の終わった1年半後、ウエーク島でトルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白、さらに3年後の5月3日、アメリカの上院軍事外交委員会で、「日本があの戦争に飛び込んでいった動機は安全保障の必要に迫られたためで侵略ではなかった」と言明している。
 言葉、発言の真実性と歴史について深く考えさせられる事例の一つである。
◇パール博士は1952年(昭27)日本を訪れ、各大学や各地で講演している。
 田中正明氏の著「真理の裁き・パール日本無罪論」の出版記念会に招かれたときのことである。
 博士は同行の平凡社の下中弥三郎社長や著者の田中正明氏に対し「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマが、これほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった」と嘆き、「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」と慨嘆した。
◇パール博士は、日本での講演で「私の判決文を通して真実の歴史を研究して下さい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れてゆくのを見過ごして平然としていられない。誤った歴史、ゆがめられた歴史は書きかえねばならぬ」と語っているが、この発言の重み、真実性を日本の政治家や学者はどう受けとめているか。
◇東京裁判を間違いであると主張したパール博士が「日本人よ卑屈になるなかれ」と訴えているにも拘わらず、日本人の政治家の中には、日本の伝統や歴史をこぼち、中国や韓国に仰合するものがある。
 恐ろしいのは人間の言葉である。裁判で死刑の判決を受けた被告がえん罪で無罪になったケースすらある。発言は慎重にあらねばならぬが、同時に他人の発言にも寛容でなければならぬ。

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2007年07月02日

政治家の発言と原爆

 言葉はコミュニケーションのために生まれた。コミュニケーションには二つの意味がある。一つは、社会生活を営む人間が互いに意志や感情、思考を伝達しあうこと。言語、文章、身振りなどを媒介として行われる。
 今一つは、動物どうしで行われる身振りや音声などによる情報伝達(大辞泉)。
◇久間章生防衛相の原爆に関する発言が大きく報道され、政治問題化している。あらためて、「言葉」、とくに政治家の発言について考えてみたい。
 言葉はコミュニケーションの必要上生まれたが、人知の進歩とともに、本来の役割を越えて、自分を美化したり、他人をおとしめたり、あるいは、利害のためにウソをつくなどそのテクニックが反社会性を帯びるようになった。
 このため裁判では、証人が「真実」である、と、その証言の真実性を宣誓する。
 言葉は、最初は本音そのものだったが、長い人類の歴史とともに、生きる上での人間の小賢(こざ)かしさが災いして、ウソをついたり、脚色したりする。
 政治や経済、人間の社会生活の上で、われわれは常に交渉したり、約束したりするが、話の前提は相手を信用することであり、相手側の発言の真実性が常に問われる。
 「それ、本当か」。常に警戒しながら、取引にのぞむのが常識となっているくらい、人間の言葉の真実性が揺らいでいるのはまぎれもない事実で、多くの詐欺事件や近ごろ新手の振り込め被害などは、不法な欲のため、言葉が悪用されている事例である。
◇由来、商人(あきんど)と政治家の話には眉に唾を、というのが、市民共通の知恵である。どちらも、客に買ってもらわねばならぬので、聞きやすいように、気に入られやすいように、ときには嘘をも交えて、脚色するからである。
 政治家の話は、まともである。これは真実である。真実という前提がなければ国政は成り立たぬし、国民の信は得られない。
 政治家の話は眉唾(まゆつば)ものである。これまた真実である。
 と、いうことは、政治家は嘘と真実の両面を併せ持つ奇怪な社会的動物ということになる。
 先ごろ自死した松岡大臣は、政治資金法で問われた事務所費のうち、ただであるはずの光熱費や水道代が問題視されたとき、国民こぞっての疑惑の前に「適性に、法にのっとり、処理している」、と国会で答弁した。まともでないことを、まともと固執し続けたが、これに限らず、政治家の大言壮語を100%、真実と受け取るほど国民はバカではない。されど多くの国民は、政治家が言っているのだから本当だろう、と過大評価する。
 ときには本音をいう大臣が、本音ゆえに外交問題に影響して、その椅子を棒に振るケースもあった。
◇今回の久間大臣の発言、冷静に判断すればそれも「しょうがない」ではないか、となるが、話の内容をしっかり聞かずに、原爆と聞いただけで、異常反応するのもどうかと思うし、それを倒閣に利用するように煽るやり方にも賛成しない。
 彼の発言の要旨はこうである。
 「終戦前、日本はひそかに和睦の話の仲介をソ連に依類した。そのソ連に参戦の気配がみられ、米、英は、ソ連が参戦すれば面倒になる。日本の敗戦は必至だが、ソ連の参戦前に戦を終結せねば、との思いで、効果的な原爆を落とした。原爆は許せないが、そういう事情があり、もし、ソ連が敗戦前に参戦していたら、東、西ドイツのように、北日本はソ連に占領されていたかも」。

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