滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2007年04月27日

絵本は母乳(見聞録)

 赤ちゃんが生まれた家庭に絵本をプレゼントする長浜市の「ブックスタート事業」が好評を得ている。生後4カ月検診の際に図書館司書が赤ちゃんと母親に絵本を読み聞かせ、絵本の入ったバッグをプレゼントする事業。小さい頃から絵本に親しむことで情操教育の一助になればと、3年前から始めた。
 赤ちゃんの成長に母乳が必要なように、心と言葉を育むためには親の温もりの中で、絵本を通して優しく語り合う時間が必要―と、長浜市では読み聞かせの大切さを説いている。
 保護者からは「親子で本を楽しむようになった」「コミュニケーションが増えた」などと喜びの声が寄せられ、司書も「図書館を訪れる乳幼児が目に見えて増えた」と、読書の輪の広がりを実感している。
◇この事業の始まりは1992年の英バーミンガム市。当時のイギリスでは、女性の社会進出、離婚率の上昇などによる家庭環境の変化が、親子関係の希薄化、家庭崩壊などをもたらし、社会問題化していた。また、子ども達の識字率や学力の低下も教育問題となっていた。
 そんな中、登場したのが幼児とその母親に絵本をプレゼントする運動。「赤ちゃんと一緒に絵本を楽しもう!」を合い言葉に、読み聞かせ推進運動が展開された。
 バーミンガム教育大学がその効果を調査したところ、▽本に好意的になった▽子どもの基礎学力が向上した―といった教育面の効果だけでなく、▽親子の会話が盛んになった▽一緒にいる時間が増えた―など家庭環境が好転する結果となった。
 現在、赤ちゃんのいる家庭に絵本をプレゼントするこの運動が、世界中に広まりつつある。
◇長浜図書館は他の自治体に先駆けてブックスタート事業に取り組んでいるほか、絵本の読み聞かせ会などを1983年の開館当初から続けている。同図書館がこれら子ども向けの活動に積極的なのは、初代館長・中島智恵子さん(故人)の方針。中島さんは「中島千恵子」のペンネームで、「おはなぎつね」「よみがえった梅の木」など県内の出来事や昔話をテーマに数多くの童話を手掛けた児童文学作家で、長浜図書館の開設を指揮した。
 「読書習慣は大人になってから身に付けるのは難しい。子どもの頃から本に親しんで欲しい」と児童図書の充実を訴え、開館当時は県下で最多の児童書の蔵書数を誇った。
 現在でも中島さんの遺志を引き継ぎ、常に児童図書を充実させており、絵本の読み聞かせ会などの活動も、それを支えるボランティアグループとともに、読書の輪を広げている。
◇先日、長浜図書館を訪れた際、図書の配置が変わったことを司書の方から教えられた。従来は「日本十進分類法」に従って図書を並べていたが、児童書の置いてあるコーナーの近くに、子育てや教育、女性医学、家事などに関する図書を置き、子ども達に目の届く範囲で母親が図書を探せるように工夫したという。
 分類法に従っていないため、整理作業は煩雑になったが、「人の流れを毎日見ていると、母親から離れて不安がる子どももいる。利用者のために、少しでも工夫ができれば」と司書。
◇4月23日から5月12日は「こどもの読書週間」。ゴールデンウイークは、親子で絵本を楽しむ良い機会かも。司書に問い合わせれば、きっと素敵な絵本を紹介してくれるはず。

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2007年04月26日

関東大震災と新聞報道

 耐震建築の不正設計や手抜きが問題となっているおりから地震への恐怖が一段と高まっているのは火山国・日本の宿命といえるかもしれない。
 何にしても起こらないことを祈るばかりだが、12年前の阪神大地震は今も頭に残るし、その後も新潟地震、能登半島地震、つい先ごろは三重・滋賀にも震度3の揺れがあった。
 いつ、発生するか、神ならぬ身の知るよしもないが、地震を起こす筋が通っている以上、早かれ遅かれ、どこかで爆発することは避けられない。その万一の危機に備えて、物心の配慮にぬかりがあってはなるまい。
◇ぼくは、今、偶然にも関東大震災の2日後の大正12年(1923)9月3日付、大阪・朝日新聞の夕刊と向きあっている。
 収集家のAさんを通じそのコピーを頂いたわけだが、80数年前のあまりにも生々しい新聞記事を見て卒倒しそうな驚きと共に日本人の底知れぬ力に感動した。
 それというのも、関東大震災で、丸焼けになってからわずか20年後の1944年(昭19)、東京は米軍飛行機によるじゅうたん攻撃で二度目の丸焼けを体験したのだ。
 にも拘わらず、東京オリンピックを成功させ、都内はビルが立ち並び、東京湾には副都心までが完成し、日本の人口の10分の1がしのぎをけずって生きている。
 この、日本人の生活の馬力、エネルギー、工業化社会を実現した叡知。いかなる苦難をも乗り越えるこのすさまじい力にほとほと感心するばかりである。
◇さて、84年前の9月3日の新聞の一部を紹介する。
 「東京船橋間の通信連絡は勿論状況視察の為め二回に亙って派遣した兵員がまだ帰らないので被害状況は不明であるが、被害者の談によれば第一震の際家屋崩潰せしため随所に火災起り
1、深川本所方面は全焼せるものの如く死屍累々山を成し
2、三越より発火せる火は宮城に及び警視庁、帝劇等全焼
3、海軍省の応答無きを見れば同所も危きが如し
4、火災今尚猛烈にして既に千住より品川に及び爆発頻出し紅蓮の焔本所船橋無線電信所より見ゆ
5、震動今尚連続し人々恟々たり
6、傍受するところによれば横浜方面も全焼せるが如し
7、諸所の鉄橋墜ち交通杜絶す帝国ホテル、白木屋、松坂屋、三越、松屋各呉服店等の大建物は全部焼失した」
◇[船橋無線電信局発、呉鎮守府司令長官着]
 「東京は大地震なりしも摂政宮殿下及び賢所御無事であらせらる、日光田母澤御用邸の両陛下の御模様承はりたし」
 「所澤航空隊より各務ケ原飛行第一大隊を経て名古屋第三師団に達した東京方面の震害状況は左の通りである(以下一部略)
 一日正午頃東京に地震あり家屋の倒壊多く随所に災害あり人畜の死傷多からんも詳細不明震害と共に各所に火災起り神田、京橋、日本橋、浅草、下谷各方面最も甚しく目下延焼中主要なる官庁中焼失せるものは、外務、大蔵、文部、林野管理局、衛生材料廠、東京砲兵工廠なり」

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2007年04月25日

働き蜂で10人の子沢山

 ろくでもない事件がひんぴんと起き、不安を生きている現代の憂鬱にふれて「1億みんな神経症か」と書いたが、もう少し掘り下げてみたい。
 ぼくの子どものころ、神戸で大成功した金満家・押谷忠兵衛さんが憧れの的だった。貧乏のどん底から旧上草野村野瀬(現長浜市)を出て、血と汗の不眠不休の働きと苦労を重ねた結果、糸屋を興し、一代で近江商人の再来かと思わせるほど成功して活躍した。
 神戸を拠点に社会福祉や教育振興に多額の寄付をするなど村でも評判だった。
◇あるとき、その成金の息子が村へ帰って親戚の家に寄寓しながらぶらぶらしていた。子供のぼくが親に、「なんで帰っているんや」と聞いたところ、「神経衰弱をなおすためや」との答え。
 このとき初めて神経衰弱という言葉を知ったが、小学校4、5年くらいのぼくにこの病気の実態の分かるはずがない。仕事に身が入らないとか、夜寝られないなどで困っているのだろう、くらいに理解していた。
 村人の話では、大都市の激しい競争社会では人間関係などの苦労から精神的な疲れが出るらしいとのこと。
 したがって、田舎の自然に帰れば、川の清流や山のみどりが、そして人々のやさしさが都会のほこりを払い、疲れを癒すのであろう・・・。おおざっぱに言えばそんな感じでその神経衰弱青年を眺めたことである。
 この青年、いつよくなって、神戸へ帰ったのか、ぼくの記憶はさだかではないが、当時の神経衰弱は「ノイローゼ」をそういっていたようである。
◇ぼくは成人してから、人はなぜノイローゼになるのか、合点がゆかなかった。
 眠れないから睡眠剤を服用する人があるが、本来人間は昼は働き(活動し)夜は眠るようになっているのにそれが眠れないのはやはり病気であろう。
 問題は心に不安材料を持つことであろうが、その他に肉体の故障が不眠を誘うこともある。例えば心臓を病むと眠りに障害が起きる。
 不安材料といえば、現代はそれがありすぎる。いやな臭い、聞きたくない騒音、時間との競争、通勤地獄、職場などでの人間関係、自動車を運転する人は、日に何回かはひやっとすることがある。
 横着な人間ならいざ知らず、この不安感あふれる世を生きて、何一つ心に動揺のない暮らしは困難であろう。これらの外的条件が夜の眠りに無関係であるはずがない。
◇現在はノイローゼを含め心身の機能障害を神経症というが、大辞泉には次のように説明している。
 心理的な原因によって起こる心身の機能障害。精神病に見られる人格の障害がなく、自分は病気だという意識がある。不安神経症、心臓神経症、脅迫神経症、心気症、ヒステリーなど。ノイローゼ。
◇人間の体は肉体と精神によって構成され、この二つのバランスよき生活が健康の条件と思われるが、かえりみて、そのバランスが取れているだろうか。
 現代人は汗をかくこと、働くこと、肉体を駆使することを悪徳と考えるのか、極力体力を使うことを避けたがる。その反面、常に電波にさらされて、ケータイやラジオ、テレビ、パソコンなどに首ったけである。
 映画でも刺激的なものを求め、スポーツは行う側でなく、見る側に立って興奮する。
 要するに眠っているとき以外は、常に耳、目、脳が忙しく動き回っているのである。
 肉体の酷使や疲労がないから、就寝してもこころよい眠りを得ることが難しく、それが逆反応して、心の疲れを招く。
 皮肉にも、人間は貧乏して、美食どころか、ろくなものも食わず、夜から夜へ働きづめの、息抜きの場もないほどの暮らしを強いられるとき、神経症などはけぶらいもなく、夕飯を食いながら眠ってしまうほどである。
 昔の人は、そんな貧しい働き蜂の生活をしていても子供は5人も6人も、多い人は10人もそれ以上ももうけた。そして医者知らずの健康だった。

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2007年04月24日

ごいづきの出番なく

「ごいづきの出番もなくて春の風」。
 これは長浜の梶句会の勝木岩松さんの最近の俳句である。
 若い人は「ごいづき」とは何のことか、不審がるにちがいない。
 湖北地方では木製の除雪用具をこう呼んだ。四角い30㌢平方くらいの丈夫な板に柄を打ちつけたもので、木製のスコップと考えればよく分かる。
 スコップは昭和の代になって登場したが、江戸、明治、大正期はどの家も各戸が手作りの除雪具を用いた。
 除雪具ばかりでなく、コートや雨具がわりに蓑(みの)を着た。「山田の案山子(かがし)蓑笠つけて・・・」と小学校の唱歌にあるくらいだから、大正から昭和の初期はごく普通の冬の装束の一つであった。
 冬でも夏でも履物は下駄、草履(ぞうり)、わらじだったが、雪の日は藁靴を履いた。これも手製で藁を編んだ。
 昔は何もかも手製だった。もともと日本人は器用なのか、ぼくの父は、リュックサックのような大きなもの入れカバンを藁で編んだ。肩にかけられるように縄紐をつけて、山菜取りなどに出掛けた。弁当などを入れる小さい籠を手籠(てご)と言ったが、これも藁で編んだ。
◇養蚕には四角い1㍍四方のザルが必要だったが、父はそのザルに敷く網も「イ」を材料にして編んだ。
 「ごいづき」は大人の言葉だが、子供は「ばんばこ」といった。どちらもなぜそう呼ぶのか、わからないのだが、お国言葉というのは古くて長い歴史があるだろうし、使っているうちに言葉そのものが変化してゆくこともある。
◇これはお国言葉ではないが、同じく梶句会の馬場秋星さんに「腹匍へば雀隠れの野の鼓動」という珍しい句がある。
 雀隠れは夏の季語で、雀を隠すほど丈の伸びた草をいう。
 一句の意味は、雀が隠れるほどに伸びた草原に腹ばえになって休んでいたら人間の心臓の鼓動のように野の鼓動が聞こえてきた・・・という心象句。
◇今年は雪がほとんど降らなかったので、どの家でもスコップはあくび顔だったが、その代わり、いざ春となるとものの芽吹きの勢いがすさまじい。
 雀隠れに都合のよく伸びる草、さくらの開花と調子を合わせるような山の木々の芽吹き。
 高速道路を走りながら山の姿を眺めると、春を越えて一気に夏が押し寄せたようにみどりが濃く淡く、さながら目の覚めるような輝きを放つ。かわいそうに熊もゆっくり眠れずじまいだったのだろう。

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2007年04月23日

1億みんな神経症か

 ろくでもない事件が、ひんぴんと起きるから、朝、起きたら一番に、新聞やテレビのニュースを見る。
 自分は今、元気で、おなかを空かして、朝飯を楽しんでいるが、自分の周りは、大丈夫だろうか。地震や火事の被害を受けていないだろうか。交通事故にまき込まれていないだろうか。殴られていまいか、殺されてはいまいか。
 今は地球が狭くなったから、われわれの肉親、知人、関わりのある人、その他関心のある人が、世界的規模で混在している。家族がアメリカ、友人が中国、音楽志望のA君がオーストリア、絵画学校を出た友人の息子がパリへ・・・。つまり、自分を軸に、幅広い人間関係を想像すれば、世間は広いようで狭い。
◇その狭い世間で、一夜明ければ何が起こっているやら知れん。イチローが何回めかの先頭打者ホームランを打ったとか、投手崩れの阪神がまた負けたとか、そんな話題はどうだってかまわないが、マンションの一部が焼けて、幼児2人が死んだとか、変な男に、いきなり刺されて女性が殺された、などのニュースが飛びこめば、とたんに暗く、憂鬱になる。
 教養もあり、ちゃんとした職場にそれ相当のポストを持つ男が、女性のスカートの中を盗撮してご用になったり、勤め帰りの女性を襲ったりして、クビになるなど、あきれてものも言えぬ話がいやというほど目や耳に飛び込む。
◇女性の下着ドロやスカート盗撮などは、変質者としてお笑いの種になるかもしれないが、銃を持って、人質を押さえたり、銀行や郵便局を襲うのは、西部劇もどきのギャングである。この種の乱暴な事件や強盗殺人事件、わけ分からずの殺傷事件などを見ると、「ちょっと待てよ、いつもと違うぞ」と一種の底冷えのような天候異変に気づく。
 寒暖や災害などは地球規模の異変かと思うが、人間の犯す異常行動は、天候よりも、人間自身の肉体の異変のように思えてならない。
◇人間は、ここ1世紀、飛躍的に文明が進んだ。いまだに識字率の30%にも及ばない国や、年収100ドル以下の貧しい国もあるが、全体的に言えば、文明開化の恩恵に浴し、教育も進み、食うにこと欠く人は減りつつある。
 ことに近代文化を誇る先進国は、情報化社会の中で、質の高い生活を享受している。
 まさに、物心両面の豊かさを満喫しているといえよう。
 だが、それなのに、内乱はおさまらないし、平和と思われている国にテロ騒ぎが起きたり、近くはアメリカの大学における銃撃事件のように32名もの死者が出るなど、狂気が世界の電波を駈けめぐる。
◇日本でも、忘れかけているが、オウムの地下鉄サリン事件、神戸の少年による連続幼児殺害、いまだに裁判中の「ヒ素入りのカレー殺人事件」その他枚挙にいとまなしである。
 集団自殺事件も後を絶たないし、いじめによる子どもの自殺も相変わらずである。
 車を運転していても、正しいマナーで走行中だから、大丈夫というわけにはゆかなくなった。いつ、どんな車が対向車線からはみ出して、当方の車に突っこんでくるやら分からんのが今日の不安なのである。
 この大いなる、機械文明と先端の情報産業によって操られているわれわれは、24時間見えない何ものかに操作されたり、追われたり、コントロールされているのではないか。
 視点を変えれば、反自然な生活の中で、気分を高揚させたり、沈鬱したり、無自覚ないらいら、神経症におち入っているのではないか。いわば1億みんなが精神を病んでいるのではないか。だから恐いのである。明日と言わず、今日、何が起こるか、分からない不安を生きているのである。

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2007年04月21日

政治的テロの回顧記

 長崎市の伊藤一長市長が市長選の運動中に暴力団幹部に射殺された事件はいくつかの謎を感じさせるが、強く心に残るのは選挙運動中、狙われたことである。
 選挙運動中の政治家殺害に付いては、1932年(昭7)の血盟団事件を想起させる。
 この年、右翼の指導者・井上日召の組織する血盟団員が、日銀総裁、大蔵大臣を歴任した民政党の筆頭総務・井上準之助を選挙運動中に暗殺した。
 血盟団は国家革新を主張して、一人一殺主義を掲げ、翌33年(昭8)には三井合名の理事長で、三井財閥の最高指導者だった団琢磨をも暗殺した。
◇井上暗殺の2年前の30年には、民政党総裁で、ときの首相・浜口雄幸が東京駅で右翼に射たれた。浜口は翌年、その傷の悪化で死亡している。
 血盟団事件は日本を軍部独走の軍人国家にする布石のごとく、その後の日本から自由と民主主義を奪う先導的役割を演じた。
 血盟団のテロの後、現職の総理大臣が射殺されるという歴史的事件が起きた。1932年(昭7)の五・一五事件で、海軍や陸軍の若手将校らによって政友会総裁の犬養毅首相が射殺された。これによって、日本の政党内閣は幕を閉じ、軍部独裁の暗い道を進むことになる。
 国家を転覆させるほどの大事件が相次ぎ、指導者の井上日召は、裁判で無期懲役となったが、後に恩赦で出獄し、戦後を生きのびた。
 五・一五事件は日本を震撼させたが、軍部に遠慮して、この動きを糾弾する政治家や言論人は少なかった。このなかで特筆されるのは、九州の地方紙・福岡日日新聞の編集長・菊竹淳(すなお)の社説だった。
 「立憲代議政体を破壊し、国家を混乱潰滅に導くもの」として、仮借ない批判を連日のように書きつづけ、軍部の猛烈な脅迫を受けた。しかし、彼は一歩もひるむことなく、一年後の五・一五記念日にも「憲政か、ファッショか」という論説を発表し、日本の将来を案じている。
◇福岡日日の菊竹編集長の国家への警鐘は、その4年後の1936年(昭11)。まさにずばりと的中した。戦争の序幕ともいうべき二・二六事件の発生である。
 青年将校に率いられた1400名余の陸軍部隊が首相官邸、陸軍省などのある永田町一帯を占拠し、重臣や新聞社を襲撃した。岡田啓介首相は射殺されたとあったが、身代わりによってあやうく助かった。
 斉藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監らが殺され、鈴木貫太郎侍従長は重傷を負った。
 数日間、東京は暗い霧の中で混乱したが、激怒した天皇の命にも関わらず当初は陸軍の首脳は動かなかった。
 ニュースは「決起部隊」から「占拠部隊」、そして「騒擾部隊」、最後に「叛乱軍」となった。この表現で分かるように、なぜか、テロに恐れ、テロの首謀者に同情する声さえあった。
◇当時、「信濃毎日新聞」の主筆を辞め、個人雑誌「他山の石」を発行して論陣を張っていた桐生悠々は、この事件を取り上げ、はげしい批判を軍部にくわえた。
 「だから言ったではないか。五・一五事件の犯人に対して、一部国民が盲目的、雷同的の賛辞を呈すれば、これが模倣は防ぎようはないと」。
 「だから言ったではないか。早く軍部の盲動を戒めなければ、その害の及ぶところ、実に測り知れないものがあると」。
 「だから、私たちは、平常軍部と政府とに苦言を呈して、幾たびとなく発禁の厄に遇ったではないか」。
◇戦後の日本の政治的テロで記憶の新しいのは、1960年の社会党・浅沼稲次郎委員長の刺殺と、その当時の岸信介首相を刺した襲撃事件である。
 さらに下がって、90年の長崎市の本島市長への銃撃事件、その6年後の岐阜県御嵩町の柳川喜郎町長に対する襲撃事件などがある。
◇このさい、暴力は一切許さないの強い決意と、その法的整備及び、暴力団潰滅への強い政策推進が望まれる(中央公論版・色川大吉著「ある昭和史」参照)。

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2007年04月20日

変われ!中国マナー(見聞録)

 2008年8月の北京五輪を控え、北京市当局がこのほど、タクシー運転手に生活マナーの見直しを迫る規制を導入した。その内容は▽車内は清潔に▽丁寧な言葉遣いを▽メーターを正確に使う▽窓からたんを吐かない▽窓からゴミを捨てない―など12項目。喫煙、奇抜なヘアスタイル、派手なピアスの禁止も含まれ、悪臭のするタクシーは2日間の営業停止処分となるほか、運転手は「指導」される。
 五輪開催で、北京に世界中から多くの観光客が押し寄せることになるが、タクシーのマナーの悪さでイメージダウンを招いてはたまらないとの措置だ。
 北京でタクシーを利用した経験のある読者なら気付いたと思うが、「臭う」ことがある。車内もそうだが、運転手も、相当長い間風呂に入っていないだろうな、と思われる独特の臭いがする。そこに、ニンニクの香りが上乗せされることも。ちなみに国際化の著しい上海ではそういった「臭う」タクシーには出会わず、どれも清潔だったのが記憶に残っている。
 どうやら、北京のタクシー運転手の間では、車内での飲食や喫煙、睡眠が習慣化し、車内に生活臭が染み込んでいるようだ。今回の当局の規制により、運転手はこまめな掃除と入浴を迫られそう。
◇世界各地の観光地でも中国人旅行客のマナーは悪評だ。乗り物待ちの行列に割り込んだり、路上でたんを吐いたり、禁煙場所でタバコを吸ったりと。2年前、香港にオープンしたディズニーランドでの中国人観光客のマナーの悪さが、報じられたのは記憶に新しい。
◇振り返れば1964年。小欄子が生まれる10年も前、戦後の荒廃から立ち直り復興を遂げた日本が取り組んだ「東京オリンピック」。日本が国際社会に復帰するシンボル的な意味を持った国家イベントだが、その当時は日本人のマナーの悪さが外国人に指摘されていた。
 例えば、タクシーは「神風タクシー」とささやかれた。自動車が増え、都心の道路渋滞が日常化し始めた頃で、タクシーは今の北京よろしく、速度オーバー、信号無視、強引な追い越し、急旋回といった危なっかしい運転で、乗車した外国人が驚いて、そう名付けたと当時の週刊誌で報じられている。
 タクシーだけではない。男性の立ち小便が目立ち、国際的に批判を浴びた。
◇日本は、オリンピックという国際的イベントの洗礼を受けたことで、国際標準マナーの存在に気付いた。新興国にとってオリンピックは言わば、国際社会に羽ばたく試練であり、通過儀礼なのではないか。そう考えると、今の中国の公衆道徳レベルもオリンピックを通じ向上するのかもしれない。
 2004年のサッカーアジア杯で見られた反日騒動。敵対心を露わにしたヤジ、暴力行為は、国際社会での中国のイメージを大きく損なった。このマイナスをどう回復させるのか、世界に向けて新しいイメージを樹立するチャンスとなるだろう。
◇ここ最近、中国による日本批判がめっきり減った。小泉首相の頃に見られた「反日節」がなく、首をかしげたくなる。だが、それも五輪向けのイメージ戦略で、先日の温家宝首相の来日もパフォーマンスに過ぎず、五輪が終わったなら、今の雪解けムードがどうなるか分からない。靖国神社、尖閣諸島、日本海油田など火種はいくつもあるし、中国の軍事予算の驚異的な拡大は、世界の脅威でもある。
 五輪を通して、中国がどう変わるのか。国民の公衆道徳が改善されるだけなのか、民主主義の自由に触れた国民の熱意で共産党の一党独裁にストップがかかるのか、それともアジアの脅威であり続けるのか。オリンピックまで500日を切った。

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2007年04月19日

長崎市長射殺と暴力

 暴力団による長崎市長射殺事件は、政界はもちろん、国民に痛烈なショックを与えた。
 長崎市長・伊藤一長氏(61)が、17日、市長選の選挙運動を終えて事務所に帰ったところをねらい射ちされた。
 犯人の山口系暴力団「水心会」の会長代行・城尾哲弥容疑者は、その場で取り押さえられたが、被害者の伊藤市長は病院で死亡した。
 痛恨の極みであり、許せない、という国民の怒りは国内にみなぎっている。
◇ある新聞は「政治的テロは絶対許せない」と社説に取り上げたが、この見出しに、ぼくは引っかかった。政治的テロは許せない、というのであれば、政治的でないテロは許容されるのか、といいたいのである。
 政治的であれ、何であれ、テロ行為は一切否定するのが民主主義であり、近代文明の恩恵を受ける人間の道である。
◇テロは「テロリズム」の略語で、「テロル」が語源。テロルは恐怖を意味し、暴力行為、あるいはその脅威によって、相手を威嚇すること。及び恐怖政治をいう。
 テロリズムは、政治的目的を達成するために、暗殺、暴行、粛正、破壊活動など直接的な暴力やその脅威に訴える主義をいう。そして、テロリズムを信奉する人がテロリストである(大辞泉参照)。
 以上の説明で分かるように、要約すれば、テロ、すなわち暴力である。したがって、われわれは、暴力一切を否定しなくてはならぬ。それこそが安全・安心の生活の前提である。
◇長崎市長を射殺した男は、車のトラブルによる金銭要求を断られたことが犯行の因、と供述している、というが、市関係の状況調査によると、軽微な事案として市長に報告されていず、市長と容疑者との間に接点もなかったという。そればかりか、平成17年から2年間は容疑者と市側の接触すらなかった。
 警察は、犯行動機に不信を持ち、その解明を急いでいるが、伊藤市長が4選目を目指しての選挙期間中を狙ったことの意味が事件の解明の鍵になるのではないか。
◇今回の事件で、いち早く報じられたのが、犯人像である。逮捕されたのは、山口組系暴力団「水心会」会長代行であるが、これまでの血なまぐさい暴力事件に、常連の如く、登場する名が山口組である。日本最大の暴力組織とみられ、最近は関西から東京へも進出し、その間、東京の暴力団との縄張り争いで殺傷事件が起きている。
 全国、編み目のように、暴力団組織は張りめぐらされており、世間には、うとましいと非難する声が強いが、なかには、これを利用する勢力や企業がある。
 他の政治的団体と結んだり、総会屋や右翼と関係を深めたり、その実態は闇の部分が多くて、警察も事件の後を追うだけで、市民を守る有効な手だてがない。
◇日本に暴力団が根を張っているのは、一つは、政治家に責任がある。政治家と暴力団の癒着は、かつて、竹下総理の誕生前に騒がれた暴力団と金丸自民党副総裁の手打ち事件で解明になった。いわゆる竹下ほめ殺し事件が東京で発生し、竹下首班を砕く陰謀が暴力団の手で行われ、それを押さえるため、別の大手暴力団を立て、その手打ちを竹下派の実力者が仕切った。
 権力の中枢部に暴力団が入っているということは、権力が、表は暴力を否定しているが、陰で裏社会を肯定していることを意味する。その裏社会は、国際的にテロ国家といわれる北朝鮮ともつながってゆく。
 暴力団は資金稼ぎに、密輸、売春、麻薬、人身売買、歓楽街の縄張り、興行、金融取り立て、地上げ、殺人請け負い、その他、闇の世界で、人の血を吸って生きている。これの根絶が文明国の最大の課題である。

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2007年04月18日

親の慈悲が悲劇とは

 親の慈悲で子が育ち、育った子が成長して親孝行するのが人の道であるが、必ずしもそうならないところに人間の悲しみと不幸が宿る。
 酒飲みの、仕事ぎらいのどら息子、意見をすれば、食ってかかり、親を殴る蹴るの暴力沙汰。耐えに耐え、辛抱に辛抱を重ねたあげく、親が息子を殺すという不幸は全く想定外のおぞましさだが、親の心に深く立ち入れば、心を鬼にして子を殺す本心は哀れを誘う慈悲心かもしれない。
 こういう悲劇は、毎年どこかで起きている。殺人事件にならなくとも、一家心中の原因であったり、親子の離散や兄弟姉妹の傷害事件など世間の同情を引く。
◇どうにもならぬどら息子。このまま放っておけば、父親や母親の生命が危うい。かわいそうだが、子を殺して「自分も死のう」と決心しての犯行となるケースもある。
 かわいさ一筋の情愛で育てて、一人前になった息子をどうして殺(あや)めることができようか。百人が百人、どこの親も子を殺すことなんか考えも及ばない。にもかかわらず、どうにもならなく、抑えのきかなくなった親。
 この先、いつまでも生きられない親。このまま、息子の悪態をカバーし続けることは物理的に不可能。もし親がこの世を去れば、息子はどうして生きてゆくのか。金に行き詰まって人さまのものに手をつけはしまいか。他人さまに注意されてそれを根に持ち暴力を働いたらどうしよう。悪案じすれば、酒の勢いで他人にどんな危害や迷惑を与えるかもしれない。仕事をせずにぶらぶら生きてゆけるのは親あってのこと。あれやこれやを考えたあげく、息子さえいなければ人さまに迷惑をかけることもあるまい。妹や弟の幸せを破壊することもあるまい・・・。
 そんなことを積んだり、崩したりして、1年も2年も迷ったり苦しんだりしたあげくの息子殺しもあり得るだろう。
 息子に殴られて、死ぬほどの思いをした直後の悲しさから悲劇の種が爆発したケースもあるだろう。
 所詮はわが子ゆえのわれの罪である、と思えば、世の中の親子関係について、一思案も二思案もせねばなるまいご時勢である。
◇親バカチャリン、親の甘やかしが子をワヤにする。
 仕事ぎらいの「すねかじり」に誰が育てたのか。「家貧にして孝子出(い)づ」という言葉は一つの真理である。貧しいから、親も子も必死で生きようと働きもするし、草の根をかじることもあるだろう。子供のころから親の手助けをして、遊ぶどころではないかもしれぬ。その貧しい生活がバネとなって大きくなったら、人の2倍も3倍も働いて、親を助けようと奮発するのである。
◇「親がなくとも子は育つ」というし、「とんびが鷹(たか)を生む」の言葉もある。
 戦後の放送劇「鐘の鳴る丘」や、佐田啓二、岸恵子の名演で知られる「君の名は」の脚本、劇作家の菊田一夫は、生まれたとき家庭が複雑で親に捨てられ、孤児となった。何度も養子に出され、小学校卒業前に大阪へ丁稚(でっち)奉公に出されるなど、職業を数十も替えたという。
 夜遅くまで働いて、自由になるのが11時。銭湯から帰って床に入るのが12時。電気を使うと親方から怒られるので、家中寝しずまってから内緒で2時、3時まで本を読んで勉強したと伝えられている。
◇「かわいい子には旅を」、「若いときの苦労は買ってでも」と昔の人はいい言葉を残している。
 いまの親は、中学、高校生になったぐらいの息子や娘におどおどして、ごきげん取りに振り回されている。言いたい放題、したい放題に育てたは本当の愛には非ずして、どうにもならぬ「わがままもの」に追いやることになるのではないか。
 慈悲が慈悲にあらずして、こんな男(女)にだれがしたと長嘆息するの愚を避けねばなるまい。

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2007年04月17日

どら息子と父の不幸

 高度な文化と物質文明に生きながら、犯罪が花ざかりという今の世は生きつつ病める末期的現象と皮肉られている。
 末期的現象のなかでも耐えられぬ不幸は、人が人を殺(あや)める行為である。
◇16日、大阪市住吉区で73歳の無職の男性が自宅で息子(32)を殺した。
 本人が息子を殺した、と警察に自首したので、自宅を調べたところ、首を絞められて死亡していた息子を確認した。
 男性は緊急逮捕されたが、いとしいというか、悲しいというか、常識的には想像もできぬ暗いニュースである。
◇男性は木岡新次容疑者で、家庭は妻と殺された息子・裕孝さんの三人暮らしだった。
 木岡容疑者は定年退職後の年金暮らしだったが、息子の裕孝さんは、職に就かず、金を無心したり、暴力を振るうことがしばしばだった。
 前途を悲観した父が、息子の家庭内暴力に悲鳴をあげて、何回も警察に相談や通報をしたが、よい結果が得られず、暴力はエスカレートするばかりだった。警察への相談通報は平成16年から今年にかけて6回に及んだというが、すでにこの段階で恐るべき予兆があったというべきであろう。警察のことなかれ主義というか、犯罪防止の消極さは、これまでにも各地の不幸な事件で批判されている。
 例えば、暴力団に借金返済で手荒な催促を受け、耐えきれずに警察に相談しても、対応が鈍く、苦しみの果て一家心中するという悲劇も過去にあった。
 あるいは、ストーカーに苦しめられ、警察に相談しても埒があかず、あげくに殺傷事件の被害者になったりすることもあった。
◇悩みを警察に訴えることは、よくよくのことで、辛抱に辛抱を重ねつつ、もうこれ以上我慢できぬ限界に来ているからで、相談を受けた警察がてきぱきと対応を進めておけば犯罪や不幸を未然に防ぎ得たのではないか、と思われるケースが各地で発生している。警察は地域自治体と協力して、平素から防犯組織の活用に取り組んでいるが、それは形ばかりのお座なりで、魂が入っていない。
 地域の防犯組織もまた名前だけで、民生児童委員などとの連携による犯罪予兆への対応や不幸の回避に踏みこんだ対応がなおざりにされている。
 詐欺事件でも同様である。恐喝事件でもそうであるが、結果が出て、だまされた、金をまきあげられた、という明瞭な被害届が出てからの犯罪捜査が一般である。
◇こういう「ことなかれ主義」傾向は一つは捜査の手が足らぬということもあろうし、人権問題も背景にあろうが、それらを考慮しても、初期段階の警察の指導や警備、保護の対応がどれくらいの人の不幸を防ぐか。真剣に考慮してほしいと思う。
 今回の大阪の事件、ぼくは、この父親に深い同情を寄せつつ、世の中にはこういう不幸に苦しんでいる親が案外多いのでは、とも思う。

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2007年04月13日

県議選そして子ども歌舞伎(見聞録)

 8日投開票された県議選は、嘉田由紀子知事を支援する政治団体「対話でつなごう滋賀の会」が自民党を過半数割れに追い込む劇的な結果となった。
 嘉田県政の「抵抗勢力」とレッテルを貼られた自民党は地盤や組織をフル稼働で防衛戦に臨んだ。一方、対話の会は人員不足のために細々とした運動で、個人演説会もままならなかった。投票日前日に個人演説会を開いたら、有権者が一人も来てくれなかった候補もいた。だが、結果は自民の惨敗。
 有権者は、大型公共工事主体の前県政を打ち破った嘉田知事に信任を与え、昨夏の県知事選の結果を省みずに新幹線新駅推進を訴えた自民党に厳しい審判を下した。県民の県議会に対する不満が選挙にストレートに反映された形だ。
 湖北地域でも改選前、自民党議員が5人いたが、今はたった1人に。今後、民主党、対話の会、共産党などの「親嘉田派」と、自民党、公明党の「反嘉田派」との攻防が始まる。長浜市と伊香郡の保守系無所属2人がどの会派に所属するのか、有権者の判断をどう受け止めているのか、注視したい。
◇親嘉田派躍進の一方で気になったのは投票率の低さ。県全体で53%、過去2番目の低さだった。有権者約97万6000人のうち、45万8000人も棄権した。「嘉田県政の行方」「新幹線栗東新駅の是非」といった県政上重要な節目に、これだけ多くの県民が自らの選択権を放棄したことは残念だ。
◇県議選の興奮が冷めないうちに、長浜曳山祭りが今週末の15日に本日(ほんび)を迎える。今年は、長浜八幡宮が「別表神社」に昇格したことを祝って、全基が長浜八幡宮に勢揃いする。大正6年以来、実に90年ぶりのことで、市街地は空前の賑わいが予想される。
 毎年、小欄は曳山まつりで、上演される子ども歌舞伎の稽古風景を撮ってまわる。小さな子ども役者が、慣れない着物姿で声を張り上げ、立ち回ったり、見栄を切るのをレンズ越しに眺める。ピンと張り詰めた稽古場の空気から、祭りが迫っていることが感じ取れる。
◇歌舞伎には武家社会を舞台にした作品が多い。萬歳樓の披露する「仮名手本忠臣蔵」は、赤穂浪士の討ち入りを描いた有名作。翁山の「絵本太功記」は信長が光秀に討たれ、光秀が秀吉に討たれるまでを描いている。
 江戸時代、江戸や京都、大阪など大都市で、歌舞伎の興業が行われたが、町人の人気が高まるにつれ、幕府が管理するようになった。反体制を題材にした芝居を上演されてはまずい、との判断からだ。
 主君の仇討ちを描いた忠臣蔵の浪士達は、幕府から犯罪者扱いされ、切腹を命じられたが、歌舞伎となって広く町人に知れ渡ると、「お上」への反抗を描いた痛快さが、日ごろ幕府に不満を抱いていた町人の人気をさらった。とは言え、時の権力に盾突いた赤穂浪士の討ち入りをそのまま歌舞伎化できないので、浅野内匠頭を塩治判官、大石内蔵助を大星由良之というように名前を変え、時代背景も元禄時代から南北朝時代に移して、幕府の監視の目を逃れた。
◇主君への忠義のために親が我が子を犠牲にするシーンも度々登場する。孔雀山の「伽羅先代萩」でも、常磐山の「一谷嫩軍記」でも、主君を守るため、忠義のため、息子を犠牲にし、親はその無情さを「死ぬことが忠義とは、いつからの決め事ぞ」と嘆く。当時の町人はこれらの作品をどのような心境で鑑賞したのだろうか。武家道徳として賛美したのか。身内を犠牲にしなければならない幕府の体制や封建社会の無情さを憂い、子を失って嘆く親に共感したのではないだろうか。
◇歌舞伎は単なる娯楽ではなく、政治に対して何の権利も持たない町人が幕府に対する不満をガス抜きするために楽しんだという側面もある。
 江戸時代、町人は政治参加を許されなかったが、今の日本は20歳以上なら誰でも政治に参加でき、自らの意志を投票行動で示せる。今夏の参院選、棄権せずに権利を行使したいものだ。

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2007年04月12日

産土祭りと、亥の子餅

 伊香郡の杉野から東浅井郡の旧七尾村に嫁いだA子さんが、姑(しゅうとめ)から「バッパ」の話を聞いて、何のことか、全然分からなかったという。後で餡入りの「よもぎ餅」のことと知って、郡一つの隔たりで、こんなにも言葉に違いがあるのか、と驚いていた。
 それはともかく「バッパ」が子供たちに夢をもたらしたことは、今の人には信じられない昔語りである。こんなことを、わざわざ書くのは、国際化社会といわれる今日、日本の原点・わが古里、産土(うぶすな)に先祖帰りをしたいからである。バッパを通じて親や先祖に会えるからである。
◇長浜の曳山祭りが幕を開けるが、祭りは「奉(まつ)る」で、神に御食(みけ)=御饌(みけ)や神酒(みき)を供えて五穀豊穣や安全、幸せを祈る儀式であり、そのお下がりをご馳走して、酒を飲み、余興に歌ったり、踊ったりして、今日でいうレクリエーションを楽しんだ。
 祭りは「まつりごと」といって、日本では祭政一致の伝統があった。
 祭りの原点は「氏神祭り」である。同じ氏に属する一族一門だけの祭る神が氏神で、一族一門を氏子といった。
 各集落ごとにあるのが氏神で、今もそれぞれの集落には固有の習慣やシステムがあり、祭りの時期もちがう。
◇個々の集落の枠を外してより広い地域で祭る神を「産土神(うぶすな)」という。
 長浜祭りの八幡宮は旧長浜町とその周辺集落を氏子とした産土神で、その祭礼がこの春祭りであり、余興の曳山狂言が有名になるに従い、曳山祭といわれるようになった。
◇祭りには御饌(みけ)、神酒(みき)を供えるが、御饌の筆頭は「餅」であり、その他は野(畑)山、海(湖、川、沼)の幸(さち)である。
 バッパというのは、本来は餅のことであり、家の神に供えるため搗(つ)いた。だから、農村でバッパを搗くのは祭りに供えるためである。
 例えば年末に搗く正月用の餅は鏡餅であり、家の神、先祖、水の神、火の神、その他に供える。その「ついで」、おこぼれ用に、家族の戴くのがあんころ餅や、よもぎ餅の類である。
◇このごろは廃(すた)れたが、農山村では陰暦10月の亥の日を「いのこ」といって、子供たちはバッパが食べられると楽しんだ。
 亥の子の祝、いのこ祭りともいうが、秋の収穫を感謝する行事で、新穀の餅を家の神に供えて家族が食べる。いつの間にか、供えることよりも、食べることに重点がかかって、「いのこ」といえば、バッパを搗く日と考えるほどになった。
 ところによっては、秋の「いのこ」のほかに旧暦2月の亥の日に「春いのこ」といって田の神を祭る地方もあるが、田(畑)の神が家と田を往復するという素朴な民間信仰が出発点である。
◇そういう年何回かの祭りが村人の休息日であり、生活に晴れのアクセントをつけ、子供たちに夢をもたらした。したがって氏子祭りもバッパ、郷秋の村祭りもバッパ。お供えは形で、この日はバッパのご馳走で家族が日ごろの疲れを癒し、子供たちは腹づつみを打って堪能した。
 旅行などのないころで、パンや菓子類、ジュース類、食べ物が店に溢れるような時代ではなく、ころもん(このもの、香のもの=沢庵)で番茶をすすって一服した時代だった。
 そのころを知っている者でなければ「もったいない」の真の意味は分からない。

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2007年04月11日

「バッパ」と「じじ貝」の話

 旧浅井町内保に「福良の森」の名をつけた道の駅のような建物がある。土地の野菜や土産物のほか、鉢植えの花なども売っている。
 たまたま絵の展示があったので出向き、帰りにおいしそうな「よもぎ餅」を1パック買った。そのパックの上に「ばっぱ」と印刷しているので、えもいわれぬ郷愁をそそられた。
 バッパ、なんという懐かしい言葉だろう。今の人の幾つぐらいまでが、この言葉を知っているだろうか。
 餡(あん)の入った「よもぎ団子」をバッパといったが、幼児語が一般化したもの。広い意味では、餅全体を含み「餅つき」を「バッパつき」ともいった。
 何しろ、今のように菓子類が豊富でなかったから、子供たちにとってはバッパは最大のおやつだった。
◇正月はどの家も餅をついたが、これはお鏡や雑煮用が主体で、そのついでに餡入りの団子などをつくったが、これがバッパである。
 しかし、あんこ餅は変質しやすくカビが生えるから長くは保存がきかぬ。いきおい子供らのおやつは鏡餅を煮たり焼いたりした。
 それも寒(かん)が明くころには無くなるので、どの家もおやつ用に「かき餅」をつくったり、よもぎ団子や「押し餅」をつくった。
 そのとき、子供たちが歓声を上げるのがバッパである。冬のことだから新よもぎが手に入るはずがない。どの家も前年に採集していたものを乾燥して保存しておく。
 バッパは餡入りだが、保存用によもぎと餅と米の粉を交ぜてつき上げて「のし餅」をつくった。ウドンやソバを薄く伸ばす要領でつくるのだが、少し固まってから7㌢角くらいに切る。
 かき餅は材料を吟味する場合もあるが、よもぎを入れないから、貧しい家では作れない。
◇お彼岸には、彼岸団子を作って先祖に供えるが、これは米の粉を練って、せいろで蒸す。米の粉は祖母や母がハンボ(飯盒)の中に石臼を置き、ぐるぐる回して米を粉にする。これを粉ひきというが、たいてい夜なべ仕事で、ぼくも子供のころ手伝った。
 団子は団子で、バッパとは言わなかった。バッパは餅米を使うので一枚上だったのかもしれない。
◇寒い冬の朝、学校へ行こうとするぼくに「きょうはバッパしやから早よ帰ってごんぜ」と母が教えてくれる。
 バッパがあたる、バッパがあたる、と教室で勉強しながらも、心のわくわくするような思いだった。
◇福良の森のお陰で、古きよき時代を蘇らせることができた。次も思い出の一つだが、冬の最中のことである。隣りの家から「出てごんせ、じじ貝のごっとや」と声がかかる。
 「ごっと」はご馳走のこと。じじ貝は「しじみ貝」のことで、いまでいうしじみ汁を大釜一ぱいに煮上げ、それをその家の子供や隣家の子供がふうふう言いながら、何杯もお代わりして「ああ、うまかった」と一声残すや、みんな一目さんに外へ出て、今度は雪のスベリ台づくりで遊び呆ける。
 ときには「とろろやで」と誘いがかかる。とろろ汁のことで、子供にだけ声がかかる。
 そういう時代は金輪際帰ってこない、と思えば、淋しいが、思い出に更けることができるだけでも幸せというべきか。

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2007年04月10日

選挙は水物、三人三様

 選挙は「水もの」というが、そんな不確定要素の多いものではなく、やはり勝ったものは勝つべくして勝ったのであり、勝つ因縁に恵まれたともいえる。
 水ものは、水や酒など飲みもの一般をいうが、水分を多く含んでいる果物をそう呼ぶこともある。
 選挙にいう「水もの」は、予想しにくいことを指し、そのときの条件によって変わりやすいことを端的にたとえた通人のしゃれた言葉である。
◇選挙はじばん、かばん、かんばん、と、あたかも三種の神器のように言い伝えられたが、この言葉、もはや古びて通じなくなった。
 じばんは地盤のこと、かばんはお金入れのでっかい財布と思えばよい。かんばんは看板で、宣伝の行き届いた顔のこと。
 嘉田知事の昨年7月の当選を振り返れば、地盤もカバンも看板もお寒い限りであった。ただし、水ものといわれたように戦いの条件が彼女に味方した。「もったいない」のキャッチフレーズと、それを象徴的に口約したのが新幹線新駅の凍結だった。
 知事選が目の前に迫っているとき、どさくさまぎれに起工式を行ったのが前県政であり、それをストップさせなかったのが当時の県議会の与党だった。県民の眼にはおどろおどろしき癒着と映った。
 さらに不可思議だったのは、新幹線新駅がどこに設けられるのか、どんな経済効果があるのか。もし出来れば米原―京都間に一駅増えることによって、特急料金が上がることなど、何一つ県民に知らされていなかった。
◇県民の知らぬうちに、こそこそと起工した魂胆は、スタートさえすれば文句はあるまい、と、踏んだからだ。かくして知事選は県民をなめたことへの怒りが爆発した。嘉田待望論が急浮上し、それは燎原の火の如く燃えたぎった。
◇あれと同じことは、第一期、川島長浜市政の誕生のときにもあった。
 前市長が当時の議会とつるんで、長浜病院の現地改築を推進し、こともあろうに、市長選の直前に設計契約を結んだ。
 市民の怒りを買ったのは当然である。その怒りが川島市政を誕生させ、現在の長浜病院の建設につながった。このときの川島氏は看板はあったが、地盤もカバンもなかった。つまりは、嘉田さん同様に有権者の心を結集する条件があった。風の流れといってもいい。
 そういう意味では、選挙はまさしく「水もの」かもしれないが、その好条件を追い風にして乗り切るところが人徳でもあり、幸せの女神の引きであろう。
◇滋賀県議会で嘉田さんを支える与党が過半数を超えたことは、すばらしいことで、県民の民主主義の成長を実証したが、今回の地方選、ぼくの最大の喜びは石原慎太郎さんが東京都知事選に圧勝し、三選されたことである。
 東京は日本の顔である。その知事が、文化人であり、10年、50年先の見識を持つ経験豊かな政治家であることは日本人の誇りである。
 いち早く東京の環境汚染を心配して大型車の通行規制などに取り組む姿勢も立派だし、東京都の主要道路を一時ストップして、3万人マラソンを実施したり、中小企業のための都立銀行を創設。あるいは米軍に交渉して横田基地などの縮小、東京の大地震を想定して、自衛隊の訓練を実施するなど政府の政策の上を行くものである。何よりもたのもしいのは、その行動力の明快、豪球ぶりである。オリンピックの東京誘致で若ものに夢を与えよ、とする彼の発想は並みの政治家ではない。
 都民は最良の選択をした。安心、安全の東京都民の夢は、日本の安全、安心の日本人の心に通じる。
 石原さんは実力のある名知事として歴史に名を留めるにちがいない。

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2007年04月09日

県民は嘉田県政支持

 県議選は8日、投票、即日開票し、無投票選挙区を含めて47議席が全部決定した。
 今回の選挙の最大の焦点は、嘉田県政の「もったいない」推進派がどこまで伸びるか、嘉田県政野党の自民党がこれまでの議席を確保するかどうかにあった。
 開けてびっくりではないが、予想通り自民党が大きく議席を後退した。開票前は27議席で絶対多数を誇示していたが、今回はその約半分、16議席に泣いた。
◇この事実は、県民が昨年7月に県政をあずけた嘉田知事に、さらなる奮起を促して、県政改革に取り組んで欲しいという願いの現われである。
 知事がいかに理想を画き、不退転の決意で無駄を省き、県民福祉を推進しようとしても、議会の半数以上が反知事の野党であれば、所期の成果を上げ得ざることは、長野県の田中知事で証明ずみである。
 その点で、滋賀県民は賢明にも嘉田県政に厚い追い風をもたらした。
◇自民が現有勢力を大きく後退したのとは逆に、そのほかの党はみな伸びた。特筆すべきは、対話の会なる知事派新組織が15選挙区で19人を公認または推薦して、公認4人を当選させ、他にも民主、もしくは無所属の中で当選者を確保し、議会勢力に一転機をつくったことだ。
 民主党は選挙前の11議席を2議席増の13にしたが、これ以外にも無所属組の中に民主系があるので、対話の会と連携して議会をリードする最大勢力となった。
◇動向が注目される無所属組は、一部は自、他は民、あるいは対話の会に吸収されようが、純粋に「無」で通す人もあるだろうから、その去就はいずれ明らかになるだろう。
 注目の公明、共産はそれぞれ1議席ずつ増やし、公は2、共は3議席。公の2議席はすべて大津、共は2が大津、1が草津で、両党とも都市の組織の強さをうかがわせた。
◇さて、湖北、湖東の県民は、今回の選挙で、どんな反応を示したであろうか。それは嘉田旋風の確かさと嘉田県政への厚い期待感だった。
 それを象徴するのは米原市選挙区と長浜市・東浅井郡選挙区であろう。
 米原市は従来の坂田郡一円であるが、自民公認で県議会の現職議長が落選し、民主並びに対話の会、社民の推せんした西川敏輝氏がトップ当選した。
 長浜市・東浅井郡選挙区は自民の現職2人が涙を呑み、対話の会の角川誠氏がトップ当選、新人の無所属・川島隆二氏がこれに続き、民主の田中章五氏が再選した。
 川島氏は親の七光りはあるが、衆議院選、さきの補選出馬など、若さを売りの情熱と未知の魅力が当選を確かなものにした。
 角川、田中両氏は、嘉田県政との二人三脚が有権者の共感を招いた。
◇彦根市と犬上郡も嘉田与党育成への県民の確かな声が発揮された。
 彦根市は民主の中沢啓子氏がトップで、同じく民主の江畑弥八郎氏が対話の会の推薦もあって3位に食い込み、残る議席を中村善一郎氏が2位、西村久子氏が4位を占めた。西村氏は無所属ながら、自民推薦、対話推薦という変則支持基盤だった。
 犬上郡は、注目の前豊郷町長・大野和三郎氏が落ち、新人の辻孝太郎氏が民、対の推薦で当選した。
 大野氏は豊郷小学校の強引な改築をめぐって裁判沙汰となったり、町長をリコールされて、復活当選するなど全国並みの話題人だったが、有権者の審判は厳しかった。

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2007年04月08日

言葉とストレス(よもやま)

 長浜では家族の団らんを増やそうと、テレビを観る時間を減らす運動を展開している。昔は漫画「サザエさん」のようにちゃぶ台を囲み、家族揃って食事するのが定番だったが、今は生活スタイルが異なり、帰宅時間はバラバラ。家族が揃っても、視線の先は皆、テレビ。子どもたちは食事を済ますと、そそくさと部屋に戻り、テレビゲームやパソコンに興じ、「最近、親父と会話したのはいつだっけ?」と主(あるじ)の存在すら、忘れてしまう家庭もある。
◇「皆さんの家庭ではこの1年間、温かい優しい思いやりの言葉と、きつい厳しい言葉とどちらが多かったですか」―夜回り先生で有名な元高校教諭の水谷修さんは講演の冒頭、聴衆に必ずこのような呼びかけをする。
 心休まるはずの家庭がストレスの場になったり、1日の疲れを癒す夜の時間ですら、携帯やメールでさらにストレスをためているケースもある。水谷さんは週1回でいいから、このストレスから家族が開放されるよう、テレビや携帯などの電源をすべて切り、いっしょに食事をしたり、外出する機会を設けては、と提唱している。
◇脳医学の権威である東北大の松沢大樹・名誉教授は過去の調査データから「ストレスで脳に穴が開く」と説いている。脳の底には左右対称にハート形をした「扁桃核」がある。
 好き嫌いなど情動をつかさどる扁桃核は、いじめなどのストレスを感じると脳内の神経伝達物質ドーパミンとセロトニンのバランスが崩れ、傷がつく、といわれる。扁桃核に傷がつくと、精神疾患を生じ、愛が憎しみに変わり、記憶認識系、意思行動系など心身のあらゆることに影響を与え、「心に傷がつけば脳にも傷がつく」と論じている。
◇子育てコンサルタントの第一人者、米国のドロシー・ロー・ノルトさん(82)は著書「子どもが育つ魔法の言葉」の中で、子どもたちはこのようにして生き方を学ぶと説いている。
 批判ばかり受けて育った子は非難ばかりする▽敵意に満ちた中で育った子は誰とでも戦う▽ひやかしを受けて育った子は、ハニカミ屋になる▽ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしている気分になる▽心が寛大な人の中で育った子は我慢強くなる▽励ましを受けて育った子は自信を持つ▽ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知る▽公明正大な中で育った子は正義心を持つ▽思いやりの中で育った子は信仰心を持つ▽人に認めてもらえる中で育った子は自分を大切にする▽仲間の愛の中で育った子は世界に愛を見つける。
 自分自身の言動を振り返り、周りの家庭を見回すとこの中にあてはまる項目もあるのでは。言葉は動物の中で唯一、人間しか話せない。鳥はさえずり、犬は吠え、互いが言葉を交わしているように見えるが、共通の言語がないため、親子でさえ、細かいコンタクトはとれていないというのが動物の世界。
◇人の言葉のひとつ、ひとつが刃(やいば)となって他人の心を傷つけたり、逆に心を和ます場合がある。また、会話がないと疎遠となり、相手の気持ちがわからないままになる場合も。
 最近は便利になり、相手と会わなくても電話やメール、ファクスなどで、自分の意志を伝えられるようになった。しかし、大切な用事や自分の気持ちを正確に伝えようとすると、相手方に出向く。恋愛も仕事もそう。相手に自分の誠意を見せたり、相手の言動や態度で心情が読みとれ、成果が変わる場合もある。
 最近はインターネットで何もかも、処理できる時代になってきた。取材していると相手から「ホームページを見れば、わかります」とよく、言われる。こんなこと言われれば、記者はいらないし、新聞も不要である。靴底を減らすのも記者の仕事。現場第一主義。歳をとるごとに楽することばかり考えるが、初心忘れるべからず。

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2007年04月07日

県議選、三つの問題点

 8日は県議選の投票日。候補者はもちろん、支援する側も、神にすがる思いで夜の開票を待つことだろう。
 今回の選挙の最大の焦点は、嘉田県政の与野党の消長である。
 嘉田由紀子知事は昨年7月の知事選で、青天の霹靂(へきれき)の如くデビューした。自、民、公、各党のほか連合滋賀、そして県下の多くの公共的団体がこぞって支援した国松県政が、地響きを立てて崩壊したのであるから、滋賀県政史上の歴史的な記念塔の樹立といっていい。
 この事実は、日本の民主主義の成長が地方にまで及んできたことを意味し、肝心なところで、政治の舵取りをするのは庶民一般大衆であることを証明した。
◇嘉田氏は、告示直前に決意し、必ずしも準備は万全ではなかったが、「県政改革」の狼煙(のろし)が県民の心を奮い起たせた。
 「新幹線新駅凍結」「もったいない」県政はまさに県政改革の象徴的公約だった。
◇民主党は、知事選における県民の声を尊重して、新駅凍結ともったいない県政を支持することに政策転換した。いわゆる知事与党化であるが、一方の自民、公明、両党は、知事野党として新駅推進の立場を固持した。その典型的な一例は自民党県議で唯一、新駅反対を主張し、嘉田氏支持に走った冨士谷英正氏(現近江八幡市長)を党から追放した過激さに現れている。
◇嘉田県政はまだ一年にも満たないが、公約である県政改革の炎(ほのお)は、今度の県議選を通じての与野党の消長如何によって、燃えるか、萎(しぼ)むか、どちらかになる。
 したがって、今度の選挙は、昨年7月に県民が示した改革路線をさらに勢いづけるのか。その火を消すのか、重大な選択を迫るわけだが、県民の民主主義の成長がほんものであるか、どうかをうらなうポイントでもある。
◇選挙を通じて感じることは、自民党候補は一部を除き、新幹線新駅にふれたがらないが、それは、意識的に新幹線新駅を争点から外す戦略と言えよう。
 しかし、新駅凍結は、今後の議会活動の中で一波乱も二波乱も予想されるが、そのさい、知事を支えるか、否かは、県政改革の重大な岐路となる。
 新駅の争点隠しは、もったいない県政の推進と中身の問題にも関わりを持ち、決して争点から外してはならない性質のものである。
◇今一つ、問題点を上げれば、知事を支える「対話の会」の独走と思い上がりである。
 対話の会は、知事支援のシンボルのような活動を示しているが、それは知事支援のごく限られた一部であり、他に多くの支援者があり、真に嘉田県政の公明正大なバックアップ組織を自任するならば、広く県下の有識者に呼びかける民主主義的手続きを取るべきだった。
 その点での候補者選びや、公認、推せんの手続きに問題はなかったか。
 もし、県民に疑問を持たれたり、不信感を持たれるようなことがあれば、側面から嘉田県政の改革潰しに加担することになりかねない。
◇さらに問題点を上げるならば、いまほど県政史上、教育、福祉、環境問題における重大な時期はない。
 この重要な時期、新しい知事と、20年後、30年後の県民生活を見通す政策の樹立に命がけの取り組みをする議員が必要であるが、県民のなかに「われこそ」はという夢と大志の熱血の若ものが出てこない歯痒(はがゆ)さである。
 明治維新に決起した長州、薩摩の下級武士の若ものの無私の行動力とまではゆかなくとも、県民に「いのち捧げん」くらいの気力ある若ものの出現を期待したい。
◇ともあれ、投票は権利であり、義務でもある。自己の一票の重みを自覚し、棄権することのないよう。そして大いに県政に発言しよう。一票を通じて。

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2007年04月06日

若者よ、バラを摘め(見聞録)

 「若いうちにはバラを摘め」―。先日、大塚産業グループの新入社員が長浜図書館への図書寄贈のため長浜市役所を訪れた際、北川貢造教育長が新人社員に贈った言葉だ。
 机の上に飾っていたバラの花を指し、「若いうちに、手を真っ赤に血で濡らして、バラを摘めば、香水のような馨(かぐわ)しい立派な大人になれる」と話した。苦しいことから逃げていては、決して豊かな人生にはならない、バラのトゲの痛さは一時。何事にも果敢に挑戦して欲しい、との思いを込め、「若いうちは買ってでも苦労をせよ」という意味だった。
 この言葉、瀬戸内寂聴さんが好み、若者を前によく「若いうちにはバラを摘め」と説教する。バラを摘むとトゲが刺さり、血が出る。トゲの痛さを知ると、なかなかバラを摘もうとはしないが、若者はすぐに治るのだから、怖がらずに何にでも手を出せと諭す。要は「何事にも怖がらずに挑戦することが大切」ということ。
 寂聴さんは、84歳を迎えた今でも健筆をふるい、法話や講演に全国を駆け巡っているが、その秘訣は「バラを摘む」若者のように、何事にも好奇心を持ち、恐れずに挑戦することだそうだ。
 もとを辿れば中世のイギリスやフランスの詩人が愛用した「Gather ye roses while ye may」。直訳すれば、「できるうちにバラを摘め」となるが、当時のヨーロッパでは、「時をとらえよ」「今を楽しめ」「乙女よ、時を大切にせよ」など誘惑的、刹那的な意味として受け止めていた。
 中世ヨーロッパはバラを「人生の楽しみ」と例えたのに対し、寂聴さんがバラ摘みを痛みの伴う行為「人生の苦労」だと捉えたのが、和洋の文化の違いか。
◇「政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される」―。こちらは古代ギリシャの格言だが、説明は不要だろう。
 豊な福祉国家として知られるスウェーデンは、その手厚い福祉政策を支えるため、サラリーマンの給料の半分を税金として徴収したあげく食料品で12%、食料品以外で25%もの消費税を課している。それでも、サラリーマンは日本のようにサービス残業に悩まされることもなく、夏に最長2カ月のバカンスを取るなど、豊な暮らしを満喫できている。それは、国の福祉政策により保育や教育、老後の生活に心配がなく、給料から税金を引いた分を可処分所得として自由に使えるからだ。
 これだけの税金を管理する国の政治に対して、国民の関心は高く、国政選挙の投票率は80%を超えるという。さらに、情報公開制度も整っており、自分達の納めた税金がちゃんと使われているか国民が厳しく監視しているわけだ。
◇さて、滋賀県議選はいよいよ8日が投票日。年々投票率が下降し、4年前の長浜選挙区の投票率は51%で、2人に1人しか投票していない計算。昨年の知事選は45%で、特に若年層の投票率が低く、20~24歳が24%、25~29歳が26%だった。
 少子化、環境保全、高齢者福祉など、県の抱える課題は、いずれも将来、今の若者が背負うことを考えると、政治や選挙に無関心ではいられないはず。今度の県議選では、特に若者は候補者の姿勢、政策を見極めて、自身の将来を預けられる候補に投票すべきだ。選挙に参加しない有権者に、税金が有益に使われることはない。

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2007年04月05日

人体内での汚染物質

 日本で公害問題が言われ始めたのは1960年(昭35)ごろからで、いわゆる戦後の復興期を経て、近代化への高度成長期に差しかかったころである。
 公害の告発書といわれる「沈黙の春」の著者・カーソンが、この本の著述を思い立ったのは1958年(昭33)だった。そのころ、すでにアメリカでは湖などの汚染が深化し、鳥や魚類が死滅したり、卵が孵化しなかったり、孵化した雛が育たなかった、などの情報が著者に寄せられていた。「沈黙の春」はそれから4年後の1962年(昭37)発刊されて、あっというまにベストセラーになったが、丁度そのころ、日本では、熊本県での水俣病が大騒ぎとなっていた。
 水俣地域では猫が変死する。人間が変な病気になってゆく。おかしい、おかしいと騒ぎが大きくなり、県や政府にかけあって、どうも、チッソの工場廃液が原因らしいと訴えるが、会社はこれを否定するし、騒ぎが大きくなりつつも対処や解決は遅れていた。
 政府が水俣病を公式に認めたのは1958年(昭33)だが、これをチッソの工場廃液による公害だと認めたのは、実にその10年後の68年(昭43)だった。
 その間、病人は続発し、救済や対処がなおざりにされていた。
 水俣病を頂点に、55年(昭30)から75年(昭50)へかけては、日本全国至るところに公害の風が吹き荒れた。
 琵琶湖の汚染が、湖魚を追いつめていたのもそのころで、長野県の諏訪湖を始め全国の湖沼が死化したといわれたほどである。
◇1972年(昭和47)、ストックホルムでの国連環境会議で、当時の大石武一環境庁長官は日本を代表し次のような演説をした。
 「だれのための、何のための経済成長かという疑問が提起され、健康で明るく豊かな生活環境を取り戻すことを求める国民の声が潮の満ちくるように高まった。経済成長優先から人間尊重へと、わが国の政治は大きく方向を変えることになった」(3日読売)。
 この演説が示すように、日本は公害の恐怖と、なりふり構わぬ経済成長の危険を痛感していた。この演説の前年、71年に環境庁は発足した。
◇しかし、環境汚染は空気、水、農産物、海産物にあらゆる方向に蔓延し、その対策は被害の後追いに終始し、今では人間の健康と生命をおびやかす魔もののような合成化学物質に振り回されている。
 読者は「ウイングスプレット宣言」なる言葉を聞いたことがあるだろうか。
 これは、「奪われし未来」の巻末に出ている公害関係学者の世界宣言に等しい。
 この本の著者シーア・コルボーン、ジョン・ピーターソン・マイヤーズをはじめとする120名を超す世界の科学者が一堂に会して環境の危険とその対策の緊急性を政治家や学者、経済界へ訴えた。末長き歴史上の宣言として記憶しておくべきだろう。
 宣言は長文であるからごく一部の要点を記す。
○環境内へ放出された合成化学物質の大半にはヒトをはじめとする動物の内分泌系を撹乱する作用がある。問題の合成化学物質とは体内残留度の高い化学物にほかならないが、これには、一部の農薬(殺菌剤、除草剤、殺虫剤)、産業化学物質、合成製品、および一部の金属が含まれている。
○こうした化学物の影響はすでに多くの野生生物の個体群に及んでいる。具体的には鳥、及び魚類における甲状腺機能不全、鳥、魚、貝および哺乳類のオスにおける「メス化」、鳥、魚のメスにおける「オス化」。鳥、および哺乳類における免疫不全。
○野生生物に見られる性発達異常は動物実験によって確認されている。ヒトも同じくこの種の合成化学物質の影響を受けている。
○環境内に蔓延しているホルモン作用撹乱物質の量を削減・規制しない限り、個体群レベルでの重篤な機能不全が生じるおそれがある。(シーア・コルボーン、ダイアン・ダマノスキ、ジョン・ピーターソン・マイヤーズ共著、長尾力訳、「奪われし未来」=(株)翔泳社発行(東京)参照)。

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2007年04月04日

身を守るための知恵

 「奪われし未来」という本が追究しているのは、人間の体に及ぼす合成化学物質の有害な影響についてであるが、広くて、長くて、途方もないテーマである。
 現在世界の市場に出回っている合成化学物質は約10万種類。さらに毎年1000種類もの新製品が市場に投入されていく。まともな検査ができるのは年間500種くらいである、と同書は指摘する。殺虫剤だけでも1600種という。これが広く環境汚染につながってゆく。米国で消費される食品の35%には残留性殺虫剤が含まれているという。ただし、アメリカの分析方法では国内で使用されている600種類を超える殺虫剤のうちの3分の1しか検出することができない。エジプトでのある研究では、検査対象となった牛乳の大半から15種類にも及ぶ殺虫剤の残留物が高レベルで検出されたという。
◇ガンで亡くなる米国民のうち、乳ガンと前立腺ガンによる死亡者が圧倒的に多く、いずれもホルモンの影響によるもの。乳ガンによる死亡率は西欧諸国、次いで、アメリカで最も高いが、上昇率は東欧、東アジア諸国で著しいと分析している。
 困ったことに誰の目にも明らかな病気や先天性欠損を引き起こすレベルに達するはるか以前に、学習障害や多動症のような行動面での劇的変化が生じるという。
 PCB(ポリ塩化ビフェニール)のような若干の化合物を除けば、現在出回っている合成化学物質の体内蓄積量が、人間の思考や行動にどんな危害を及ぼし得るか、何一つ分かっていないのが現状である、という。
 しかし、PCBが、内分泌系の構成素である甲状腺ホルモンの作用撹乱を招くことで脳に損害を与えることを裏づける証拠は続々と挙がっている、と著者はいう。
 米国環境保護庁の環境毒物学部門のR主任は「甲状腺系は、合成化学物質が好んでターゲットにする対象の一つである」とのべている。複数の化学物質が甲状腺の機能を撹乱しているとなれば脳発達に及ぶ有害な影響が無視出来なくなる。
◇この本は、合成化学物質の被害からわが身を守るにはどうすればよいかを訴えている。
 その一つが、現在日本でも特に関心を高めている「水」である。上水道、井戸水の汚染に注意し、水質検査で安全性を確かめる。バクテリア、微生物、不快な味を除くためのフィルターの類はホルモン様合成化学物質の除去には役立たぬ。ビン詰めの天然水の安全性を過信しない。特にプラスチック・ボトルの場合は要注意。水質に疑問のある地域では蒸留してから飲むとよい。
 第2は食物。鮮魚は動物性タンパク質を含んだ食材としては最も体によいものの一つだが、汚染されている可能性がある。汚染地域で取れた魚は妊婦は食べない。子どもや女性に限らず誰もが注意した方がよい。
 動物性脂肪は極力控えた方がよい。1994年の米環境保護庁の報告によれば、米国での主なダイオキシン暴露源は肉とチーズだという。
 さらに家族みなが野菜、穀物、果物をたっぷりとると健康増進につながる。大人には心臓病やガンの予防、子どもや孫にとっては出生前のホルモン作用撹乱から身を守ることになる。
 有機栽培の野菜や果物がよい。プラスチックと食品との接触を最小限に抑えること(「奪われし未来」参照)。

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2007年04月03日

合成化学物質と赤ん坊

 シーア・コルボーン他2人の共著「奪われし未来」は、合成化学物質が人間の存在をあやうくする、という研究結果を多角的に取り上げているが、それが本の題名に象徴されている。つまり、人類は合成化学物質のために未来を奪われたというのである。しかし、被害状況が正確につかめている場合でも環境内に蔓延している汚染物質との因果関係をはっきりと裏づけることは至難のわざ、と著者はいう。
 過去半世紀に母親になった女性の体内には例外なく、合成化学物質が残留しており、子どもが胎内でそれにさらされていることは確か。ところがそれぞれの子どもが、どんな化学物質にどの程度さらされているのか、判然としない。
 現代は環境汚染が蔓延しているため、汚染化学物質にさらされていない個体そのものは存在しない。程度の差こそあれ誰もが汚染されている。つまり、現実の世界では、ヒトも野生生物も数十種類の汚染物質にさらされているのであり、仮りに病気になって、その被害が疑われても厳密な因果関係をとらえるのは難しい。それは喫煙と肺ガンとの因果関係を想起させる。
 タバコ産業サイドは「喫煙と肺ガンとの因果関係は証明されたわけではない」という。これは人体実験ができないことを承知しているからである。それでも米国公衆衛生局はタバコの吸いすぎに対する注意をパッケージに明記させ、広告を規制したり、公共の場での禁煙を講じている。
 合成エストロゲン(DES)のようなホルモン作用撹乱物質についても同様の取り組みができるのではないか。
 乳ガン、前立腺ガン、不妊症、学習障害、現代社会に蔓延しているこうした病理傾向やパターンの解明に取り組むさいには以下の点を肝に銘じておくべきだ、と著者は指摘している。
 「合成化学物質の中には、ごく微量であっても、人体に生涯にわたって甚大な影響を及ぼすものがあるという事実は科学研究によって次々と立証されている。人類を脅かしている危険は、何も死や疾病だけに限らない。ホルモン作用や発達過程と撹乱する合成化学物質は、いまや人類の未来を変えつつある。とすれば、合成化学物質こそ、われわれ人類の運命を握る鍵といえるだろう」。
◇この本は奇形の赤ちゃんが46カ国、8000人に上ったサリドマイドについても触れている。
 サリドマイドは、妊婦の精神安定剤ならびにつわりを抑える薬として開発された。服用した妊婦から両腕や両足のない赤ん坊が生まれたから世界的な衝撃を与えた。これは成人にとって問題にならない化学物質や服用量であっても、胎児には致命的な影響を及ぼすことが分かったからである。
 こうした症例は1961年以前にはごく稀にしか見られなかった。子宮内でのサリドマイドにさらされた子どものすべてに手足の奇形が見られたわけではなく、心臓など臓器の奇形をはじめ、脳障害、聴力、および視力の喪失、自閉症、てんかん、などの障害に苦しんでいる子どももいた。原因は母体が服用していたサリドマイド量の差ではなかった。
 研究の結果、このような違いを生じた原因は服用した時期にあることが判明した。もちろんサリドマイドに対する感応度の差は遺伝子レベルによるのかもしれない。手足に奇形が生じた子の母親の中には、サリドマイド入りの睡眠薬を妊娠中にわずか2・3錠しか服用しないものもあった。問題なのは、服用の時期が胎児の四肢の成長にとってきわめて重用な時期、妊娠5週間目から8週間目という時期であった。
◇このほか、マサチューセッツ病院の医師グループが、若年層に生じるごく稀な膣ガンが、その母親が妊娠中に服用していた合成エストロゲン(DES)と関連していることをつきとめた、との情報も伝えている。
 若年層に発生した膣ガンが数十年も前にその母親が服用していた薬物と密接な関係にあるとつきつめた研究に著者は感嘆しているほどである。DESが招いた最大の悲劇は、それが流産予防には何の効果も発揮しなかったことである。
 DESは流産、早産、新生児の死亡を食い止めるとうたわれたが、何の薬理効果もないことが分かったのみならず、それどころか、逆に流産、早産、新生児の死亡の増加に拍車をかけたという事実が発覚した(以下次号へ)。翔泳社刊「奪われし未来」参照。

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2007年04月02日

「奪われし未来」と精子

 ぼくが、何回かに分けて書き続けている環境汚染と生命の危機は、日本よりずっと早くヨーロッパやアメリカで取り上げられている。
 化学物質が体内に残留汚染して、脳や生殖器に致命的影響を発する、と疑われても、第一線の医学研究班が人間を実験台にして研究することは困難だから、この危機的情報は近未来への確定的研究の一里塚であろう。
◇しかし、現実のわれわれの社会を眺めると信じられない病気や事件が多発しており、すでに紹介したカーソンの「沈黙の春」に出てくる鳴かない鳥、死滅する生物はもちろん、今日の不可解な病気や増え続けるガン、子供の異常行動、少子化などを考えると、生活環境を襲う化学物質の不気味さに身構えしなくてはならない。
◇日本は、厚生労働省が化学産業や製薬会社に弱いのか、健康に関するデータや合成化学物質の危険性についての啓発が欧米に対し遅れているようである。これは政治家や政党にも言えるようで、例えば、少子化問題一つを考えても、女性の自立や、育児、あるいは教育費などの観点から論じているだけで、肝心の男性の性能力などにおける研究成果が表面化していない。
◇「巣をつくらないワシ、孵化しないワニやカモメの卵、子を産まないミンク、アザラシやイルカの大量死、そしてヒトの精子激減。地球を襲う生命の衰退の背後に何があるのか。さまざまな分野の研究、調査の結果を一つにより合わせると、恐るべき事実が明らかになる。現代文明がもたらした脅威は、ガンなどの病気を誘発するだけでなく、より見えないかたちで生命の根源を脅かしているのだ」。
 これは、現代人必読の書といわれるシーア・コルボーン他2氏の著「奪われし未来」の表紙カバーに出ている文章である。
◇ここに出ているヒト(人間)の精子数の激減が少子化と関わりがないというのだろうか。必読の書といわれる「奪われし未来」を厚生労働省や環境省の役人、あるいは政治家たちはどれほど読んでいるのだろうか。健康については、早期発見や検診などには熱心だが、政府や各界の指導者から、この本の重要性についての指導を聞いたことがない。
◇若いものが結婚したがらない。結婚しても子が生まれない。なぜだろうか。それを研究するのが学者の仕事である。子を生みたくとも男性の精子に受精能力が欠けていたり、あるいは精子数が少なかった場合は、どうにもならぬ。この本には精子に問題ありと学者の研究結果を紹介しているが、その問題のカギを解くのが、人間のみならずあらゆる生物を破滅させつつある合成化学物質である。
 以下、精子について、この本の所見を説明する。
 1992年、デンマークのニールス・スカツケベック博士の研究チームが初めて精子の科学的研究成果を医学誌に発表した。
 これは1938年以来、健常者を対象に実施されてきた精液分析に関する諸外国の科学文献を踏まえた上での研究であり、北米、ヨーロッパ、南米、アジア、アフリカ、オーストラリアに及ぶ20カ国で、約1万5000人の男性を対象に行われた。対象外となったのは極端に精子数の少ない男性と病気にかかっている男性だった。
◇このデンマークの研究グループによれば、1940年に精液1㍉㍑当たり1億1300万個だったものが1990年にはわずか6600万個にまで落ちこんだ。45%の減少である。同じく精液の量も25%減少していたから実質的な減少率は50%に落ち込んだことになる。この間、精子1㍉㍑当たり2000万個といった極端に少ない男性が全体に占める割合は6%から18%へと3倍に伸びた。この原因にホルモン作用撹乱物質の影響が指摘されており、合成化学物質への警鐘として注目を浴びた(以下次号へ)。

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