滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2007年03月31日

増え続ける医師と病人

 おかしな話だが、日本は世界一の長寿国となり、国民は高度に豊かな文化生活をしているにも拘わらず、その実態は薬漬けの日々である。
 上、下水道は完備し、衛生思想は普及し、予防医学も先進国並みに進んでいる。労働環境は週6日制、企業によっては週5日制のところもあり、国民の祝休日も多くなった。食べ物も豊富になり、栄養にこと欠くことはない。それなのに、右を向いても左を向いても病んでいる人が多い。中年以上の人で、全く薬に無関係というのは珍しいのではないか。医薬ばかりでなく、いわゆる健康食品を飲んでいる人も多い。
 みんなが入院したり、自宅で療養しているわけではないが、とにかく血圧、血糖値、心臓、腎臓、その他の内臓、足腰、脳、いたるところに故障を持つ人が多い。
◇重症、軽症を問わず、国民が薬漬けとなっている現実は、健康でないことを意味する。つまり、長寿と文化国家を自慢しながらの病人国家ということになる。文化国家が病人国家とは皮肉な話であるが、その結果、国家財政における医療費はうなぎ上りに上昇するばかりである。
 どこかで病気をストップさせ、医療費を減らさねば、と思うが、現実は、ますます病人が増える状況下にある。
◇滋賀県民の健康を図るバロメーターの一つとして医師や歯科医師の年々の増加の統計をお目にかけよう。
 この資料は厚生労働省の調査によるものである。県内の医師の数は病院、開業医を含め、昭和36年は総数800名だったが、年々増え続け、平成16年は2755人で3・44倍になった。
 同様に歯科医師は昭和36年の206名が平成16年には752人で、3・6倍に増加した。
 また、薬剤師は昭和36年の407人が平成16年には5・8倍の2345人に達した。
◇医師や歯科医、薬剤師が3倍も4倍も増えたということは病人が増えたからである。
 卑近なたとえでいうなれば店と客のような関係で、健康を損なった人や患者は、医師側からすれば客である。店は客がなければ成り立たない。医師や歯科医の数が増え続けるのは、重軽症を問わず病人やけが人が増え続けることを意味する。
◇このほか、治療施設で特徴的なのは、接骨院、マッサージ、整体院などの急増である。残念ながら、これについては国の統計調査資料がないので報告できないが、非常に多くなったことはまぎれもない事実である。これまた骨折患者や、足、腰の悪い人が増え続けていることを裏書きしている。
◇医療機関や医師が増えている背景には、病人が増えていることもあるが、保険制度の関係で、ちょっとした身体的不調でもすぐ診療を受けることが多くなったことや、市町の定期的検診制度で、無自覚の疾病を早期に発見して患者の列へ加えることも病人増の原因の一つであろう。
◇だれもが忙しいときに診療を受けたくはないし、苦い薬や痛い注射を望むものはいない。すべてはわが身かわいさ、健康な体で長寿したいからである。しかし、そこに落とし穴がある。それについては項を改めて触れる。

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2007年03月30日

候補者の訴えを聞こう(見聞録)

 県議選が30日告示された。嘉田由紀子県政が誕生した昨夏の知事選に続き、県政の大きな節目になりそうだ。
 注目のポイントは、知事選の敗北から野党に下った自民党が向かい風の中でどこまで底力を発揮するのか。また、敗北を反省し、新幹線新駅凍結を認めるなど与党的立場に転換した民主党、そして、知事の支援団体「対話でつなごう滋賀の会」の支援候補がどれほど議席を獲得するのか。さらに、嘉田県政誕生の足がかりとなる争点を作った共産党の躍進はあるのか。
◇昨夏の知事選を振り返ると、当初は3選を目指す現職の続投が濃厚とみられていた。この現職、過去にびわこ空港計画を推進し県民の批判を浴びたが、自民、民主、公明の与党が県議会で多数を占めていたことから、県民が反対署名を提出しようが、反対運動を盛り上げようが動じなかった。結局は計画地の地権者の根強い反対で泣く泣く凍結した経緯があった。
 そして、昨夏、新幹線新駅建設の是非が争点となった。県議会や栗東市議会による関連予算案の可決など手順は踏んでいたが、県民には具体的な計画が伝わっておらず、選挙で争点化されて初めて建設地、総工費、経済効果などが広く知れ渡った。利便性、経済効果の面から反対の声が上がり、その受け皿となった嘉田氏が、圧倒的な組織力を持つ現職を破った。新駅への税金投入をはじめとする「もったいない」の声に県民が共感したのだった。
 新駅反対の声を燃え上がらせたのは、知事選を間近に控えた5月下旬に行った新駅の起工式。着工してしまえば知事選の争点にならず反対派が諦めると、推進派は思ったのだろうが、この横暴な政治手法が新駅計画に懐疑的な県民の感情を逆撫でした。
◇一般的に知事選は県内全域を走り回って選挙活動をしなければならず、立候補者は強い資金力や組織を持つ政党の力を借りないと、当選は難しい。しかし、昨夏は有権者が支持政党や組織よりも、政策を候補者の選定材料にし、近年ではまれにみる政策型選挙となった。
 また、武村知事以来、脈々と続くオール与党体制下でのマンネリ県政に新しい風を吹き込む時期だったともいえる。
◇さて、今回の県議選は、自民、民主、公明、共産、対話の会が入り乱れての混戦となっているが、争点は何か?「新幹線新駅はほぼ凍結が決まり、今さら争点にはならない」との声もあるが、新駅問題への姿勢は有権者の判断材料のひとつ。候補者は「促進協議会の成り行きを見守る」などというあいまいな姿勢でなく、自身がどう考えているのか、示すべきだろう。嘉田県政の支持、不支持という姿勢も、単純なだけに有権者の心に直に響くことになるが、明確にすべきではないか。
 候補者には、街頭や演説会で堂々と政策を訴え、選挙公報などで政見を披露する正攻法で選挙を戦って欲しい。候補者名の連呼が投票行動に効果的なのは分かるが、それだけでは思いは伝わらない。
 有権者にとっては、県政に自身の声を反映できる数少ないチャンス。立候補者の政策に耳を傾け、慎重に選びたい。マニフェストに見られるような「公約」と、有権者受けのする政策を言いっぱなしにする「口約」の違いをしっかり見分けて欲しい。

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2007年03月29日

湖魚の沈黙とその統計

 滋賀県人は往古は蛋白源を琵琶湖の魚介類に依存した。
 今は湖が汚染されて、魚が激減し、県民の食卓には海の魚介類が多くなった。さらに若いものは魚よりも肉を求めるようになった。
 さて、琵琶湖の漁業が振るわなくなったと聞くが、それは漁獲高が減っているからである。
 漁獲高が減っているのは、琵琶湖の魚が少なくなったからだが、それではどのくらい減っているのか。年度別の統計表をみれば一目瞭然である。昭和31年の全漁獲高は9415㌧だったが、50年後の平成17年には2033㌧に落ちこんでいる。4・6分の1であり、100分比にすれば21・6%という低さである。
 代表的な個々の魚を上げると「ます」は3分の1、「あゆ」は2分の1、「こい」は9分の1、「ふな」は6分の1、「うなぎ」は9分の1、「いさざ」は3分の1、「もろこ」は10%以下。最も驚くべき減りを示すのは「しじみ」で昭和31年に5117㌧水揚げされたにも拘わらず、50年後の平成17年はなんと30分の1以下の161㌧に落ちこんでいる。
 全体的に見ると、昭和31年に比べ20年後は約半分、50年後は3分の1以下になっており、水中深く生息する魚類は6分の1から9分1。湖の底で生息するしじみは実に10年後ごとに2分の1、4分の1、年々急転直下の激減を続けて、50年後は30分の1という超不振ぶりである。
◇湖魚は、漁業組合を通じての水揚げ統計で一つの傾向や実態を知ることが出来るがこれによると昭和40年前後から漁獲高の減少が際立っており、琵琶湖の汚染や公害問題がやかましくなったころと符号する。
◇湖の魚は漁業組合や県の水産当局によって、ある程度つかめるが、その他の鳥や小動物の生息状況はつかみようがない。
 ただ、戦前や戦後も昭和30年ごろ以前を知っている人の体験的感覚は確かであり、この人たちの声を素直に聞くと、怖気づくほど地上の汚染は深刻である。
 例えば、蝉の声を聞かなくなった。蝶やトンボがめっきり少なくなった。小鳥たちのさえずりもあまり聞くことがない。蛇も減った。このほか、たにし、どじょう、ほたる、めだかも姿を消した。
 お寺や神社の森、里山の林道などで年寄りたちがかって見たり聴いたりした自然の生きものがびっくりするほど姿を消し、山も川も姿を変えた。
◇まさしくカーソンが著した「沈黙の春」(昭37)の日本版ではないか。沈黙の春、とは言い得て妙であり、一読了解の至言である。
 春は木が芽を出し、花笑い、鳥歌うの好季である。それなのに芽は萎み、枯れ、花は咲かず、鳥は鳴かず、魚も虫も減ってゆく。つまり、自然の生息物が息もたえだえに沈黙しているのであり、ますますそれがひどくなってゆく。
 カーソンの「沈黙の春」は、1962年原著が出され、日本では新潮社が日本語訳を出した。農薬、除草剤、殺虫剤を含む化学合成物質は散布、粉末、煙霧、などで農業、園芸、林業、家庭に使用されるが、生物はその洗礼を受けると死滅するか破壊される。
 恐ろしいのは、これが生態系を狂わし、これまでの自然の秩序が崩壊することである。カーソンは1964年死亡したが、40年を過ぎた今、気味悪くも花粉症、アトピー、大腸ガン、精神不安定、精子減少、少年の粗暴化などその原因に化学合成物質が疑われている。

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2007年03月28日

湖水の汚染と湖魚の話

 公害と環境汚染に鈍感な米原中学を告発したが、ぼくの幸福論の出発は「健康」につきるといっていい。
 個人が健康であれば、本人はもとより家族の幸せである。国民が健康であれば国家の医療費が少なくてすむ。国家の医療費が少なければ、その分、国民の税負担や健康保険料も安くてすむ。
 国民の税負担などが軽くなれば、その分、国民はより質の高い生活を享受できる。
◇国民の健康は、本来、個人が守らねばならぬし、そのための自覚と努力が望まれる。しかし、公害問題や環境対策、医療、その他で、国家の介入や指導を要する面もあるので、個人、地域、地方自治体、政府、すべてが知恵を出しあい、協力しあって、健康国家をつくり上げねばならぬ。
◇ぼくがやかましく叫ぶ環境汚染は健康を考える諸問題の中でも最も大きな部分を占めているのではないか。
 県は琵琶湖の水を美しくするため、下水道のほか、農業排水の改善、その他に力を入れている。例えば、小学生に水質を点検させ、体験的にクリーンな水の大切さを学習させるため、毎年船上教室を開いているが、その指導がどこまで切実感を持って子供の心を動かしているであろうか。
 琵琶湖の水の美しさのバロメーターは、機器による化学的分析よりも、水面に発生する「あおこ」の状況や湖魚の漁獲統計が分かりやすい。
 あおこは、水中の酸素不足や水の富栄養化によるものだが、それはとりもなおさず、水質が悪くて、水が生き生きとしていないことを意味する。水が生き生きしていないのは、水が病んでいることであり、水が病んでいれば、水中に生きる魚類の棲息条件が悪化していることを意味する。
 水中で魚が住みにくくなると、繁殖が少なくなり、あるいは病死したりして、魚の数が減ってゆく。
 事実は雄弁に語り、それこそ生きた教育であるから、小、中学校などは課外教育に、漁港のある地域を選び、そこの70―80歳のお年寄りに昔と今の漁師の数と生活の実態、昔の湖魚の収穫高と現在との比較を聞くがよい。驚いて引っくり返るくらいの違いが分かるはずである。
 雨期になると、琵琶湖の鮒や鯉、なまずなどが、湖岸の小川をさかのぼり、田んぼに群がるといった風景が決して珍しくなかった。今は、全滅に近いほど魚が減ってしまって、漁師ではとても生活できないと、転業している方が多い。
◇琵琶湖になぜ魚が少なくなったのか。湖が汚染されて水環境が破壊されたからである。その原因の一つが農薬である。
 田んぼ、畑のみならず、草刈りが面倒だというので土手や道路の脇に除草剤を散布すればそれらは雨で流れて湖に入るし、地下を通って残留性化学物質として湖水を汚す。
 このごろは、下水道が完成したが、それまでは家庭排水、工場排水などが湖を汚し、それがいつまでも浄化されず湖を苦しめてきた。
◇われわれは、毎日食べる食品の安全性に鈍感だが、最近は魚も養殖が多くなり、しかも外国からの輸入が圧倒的に多くなった。養殖は成長剤や抗生物質を使い、餌料には化学物質など、いわゆるクスリ漬けの状態で、肉質や色、艶まで化学物質でコントロールする。野菜はどうか。これまた農薬と化学肥料で汚染されている。
 このごろは家庭で手を入れることを拒むので、加工食品の花ざかりである。加工食品については何回も書くが、何十種かの化学物質が、うまくて、やわらかくて、安くて、美しくて、腐らずをモットーにこれまたクスリ漬けの工場生産物なのだ。
 これらの食べ物が人間の体を汚染し、体内に残留する。一品だけを取りあげれば法の示す基準値をパスしているかもしれぬが、幾種類もの食品、そして毎日、毎日、食べ続けるのであるから長い年月の間にその被害が目に見えぬ形で発生する。
 長期にわたる人体汚染の原因や結果追跡などは何十年の歳月を要するから事実上は医学上の盲点となる。
 結局、症状が出て、医療機関に走るわけだが、症状は把握できても原因追及は難しい。
 最近は、わけの分からぬ病気が増えたり、抗生物質の効かない病気が出たり、従来の医学や治療法が戸惑いする患者も増えているから、いわゆる難病対策が大きな社会問題となる。
◇われわれは、健康に関心を持ち、それに多くの金をかけるが、人間の心配もさることながら、他の生物の被害も深刻である。これについては項を改めるが、とりあえず、空気、水を汚さない努力と自覚、無農薬の在来農法とそれによる食料確保、病害、病虫に対する化学物質(くすり)や除草剤の使用制限など一つの運動、国民の合言葉として進める必要がある。

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2007年03月27日

米原中学を告発する

 26日の朝のことである。ぼくは、いつものように犬を連れながら近くのお決まりコースを散歩していた。
 町並みや自動車の通る道を避けて農道をめぐるのは、一つは危険回避、今一つは車の排気ガスから身を守るためである。
 ぼくの散歩コースの一つに、米原小、米原中学周辺がある。米小と米中の間には幅員50メートルもあろうかと思う広い道路があり、小学校寄りと、中学校寄りにそれぞれ桜の木が植えられている。
 間もなく咲くであろう桜は蕾がかなり大きくふくらみを見せ始めた。
◇この広い道の両側は土手のようになって、北側は小学校のグランドと校舎、南側は中学校のグランドと校舎。
 この道を通る人は気がつくかもしれないが、小学校側の土堤は雑草が生えているが、中学校側は生えていない。道の両側の桜の木の下を眺めると小学校側の桜の下は草が生えているが、中学校側の桜の下は草は一本も生えていない。
 全く対照的で、不思議な現象だが、実はこれが生きた環境破壊の手近かなサンプルである。
◇ある日、ぼくは、この道を通りながら異様な光景に出会った。中学校の女性教師か職員だと思うが、バケツの水をぶっかけるように桜の木の下へ液体を流しこんでいた。
 とたんに、ぼくは除草剤を撒いていると直感した。どうして、中学校側の桜の下は草が生えないのだろうかと不思議に思っていたぼくの疑問は解明した。
 ぼくは、その女性に「なにを撒いているのか」尋ねようとしたが、気おくれして、そのまま声を掛けずに通りすぎた。
 しかし、なぜ、はっきりとつきつめて、環境の破壊を注意しなかったか、と長く悔やまれてならなかった。
 これで一切が解明したが、桜の根っこだけでなく、中学校側の土手に草が生えてこないのは除草剤を使っているからである。
◇ところで、この26日、ぼくは例の通り犬の散歩をしながら中学校の南側の道路にやってきた。道を隔てて南は田んぼ、北は米中のグランドと校舎。その敷地に至る斜面は小高くてかなり急な土手になっている。その土手の中央から東よりに来たところ、肩に液の入った容器を背負い、噴霧器で農薬を散布している女性を発見した。彼女はマスクをしていた。ぼくは先の後悔を思い、今度は勇気を出して、「あなた、学校の方ですか」と問うた。「はいそうです」と彼女。ぼくは「なんちゅうことをなさるんですか。除草剤でしょう。みんなが環境をよくしようとやかましく叫んでいる時ではありませんか。学校は環境教育をしているんでしょう。生徒に何というんですか。環境破壊ではありませんか」。
 その先生(職員)は、言いわけをしようとして「草を刈るのが大変ですので」。
 ぼくは「それが教育ではありませんか。この土手くらい、100人もの人が半時間もかかればきれいになりますよ。学校もPTAも生徒も一緒になって草刈りをするのが生きた教育ではありませんか。校長先生に私の言ったことを話して、すぐやめて下さい」と言い残して、ぼくはその現場を立ち去った。
 この土手は農薬被害の実例として見学するとよい。いつから汚染したのか、土はくろぐろと死に相を見せて、いかにも泣きそうな、うらみ声が聞こえそうなひどい土と化している。
◇ぼくは、このとき、思わず、カーソンの「沈黙の春」を思い出したのである。農薬による残留化学物質が自然界を汚染し、動植物や人間の生命をそこなうことを警告したのが「沈黙の春」である。米原中と米原市教委の反省を促したいし、広く生きた教材として、県下の児童、生徒たちにこの恐ろしい実態を見せてやりたい。

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2007年03月26日

化学薬品の危険性告発

 政治家が口を開けば必ず環境が登場する。生活環境がどうの、教育環境がどうの、といった次元から、老人を中心とする福祉環境、排気ガスなど人工的所産による公害問題など、こと環境に関する分野は広く、かつ、果てしない。
 政治家ばかりではない。行政当局も苦しい財政の中から、環境保全、改善のため、住民サイドの要求に応えてゆかねばならぬ。
 教育現場の学校でも課外教育を含めて、環境の大切さを教えており、当然ながら、新聞、ラジオ、テレビ、雑誌などの情報産業もまた環境問題には敏感である。
◇文明国が環境を言い出したのは近々半世紀前からである。工場生産の近代化に伴う派生現象が大型化し、急速な経済成長路線と産業都市の出現で、ぬきさしならぬ必要悪として公害問題がデビューした。
◇環境汚染を世界で最初に警告したのは、アメリカのレイチェル・カーソン(1907―64)女史の「沈黙の春」で、同書の出版された1962(昭37)は、日本で水俣病が大騒ぎしている最中だった。
 日本の公害は明治時代の足尾銅山にさかのぼるが、戦前は政府や官憲の圧力で、住民の公害告発や闘争が表面化しなかった。
 したがって公害の歴史が鮮明になったのは戦後の水俣病(1956)、新潟県阿賀野川流域の昭電汚染(同65)以来で、いずれも工場廃液に含まれるメチル水銀が魚介類を通じ、それを食べた猫や人間が神経や体を侵された。
◇カーソンの「沈黙の春」は、合成殺虫剤の危険性を告発したもので、残留性化学物質が自然界を汚染し、動植物や人間の生命をそこなうことを事実と裏付けにより警告した。
◇後の米国副大統領アル・ゴア氏が、この本を次のように評価していることを注目したい。「カーソンが声を大にして呼びかけてくれたおかげで、私たちは米国民の生命を守るため新たな政策を展開することが出来た。「沈黙の春」は、合成殺虫剤が招く危険性をめぐっての雄弁かつ重大な警告の書である。そこには残留化学物質が自然界を汚染していくさまはもちろん、それが人体に蓄積されている経緯が詳細に描き出されている」。
 「カーソンは、こうした事態は、人類にとって前代未聞の実験である、と警告し、この化学物質は動物実験を通じて、きわめて有害であり、その影響もますます増幅されていくことが裏付けられている」。
◇この本の巻頭に著者は、ドイツの神学者で医師、音楽家シュバイツァーの言葉を書いている。
 「未来を見る目を失い、現実に先んずるすべを忘れた人間、そのゆきつく先は自然の破壊だ」。
 カーソンは「沈黙の春」のなかで、次のように語っている。
 「この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものが、互いに力を及ぼしあいながら生命の歴史をおりなしてきた。だが、20世紀というわずかの間に、人間という一族が、恐るべき力を手に入れて、自然を変えようとしている」。
 「核実験で空中に舞い上がったストロンチウム90は、雨やほこりにまじって降下し土に入り込み、草や穀物に付着し、そのうちに人骨に入り、人間が死ぬまでついて回る。だが、みんな知っているだろうか。化学薬品もそれにまさるとも劣らぬ禍をもたらすことを。畑、森、林、庭園にまきちらされた化学薬品は、地下水によって遠く運ばれてゆき、やがて地表に姿を現すと、空気と日光の作用を受け、新しく姿を変えて、植物を滅ぼし、家畜を病気にし、きれいな水と思って使っている人間の体を知らぬ間にむしばむ」。
 ◇なぜ、いま、ぼくが、カーソンの本を取り上げたのか。次回、それについて触れる。

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2007年03月24日

食育とプロ、左利き(よもやま)

 虎姫町が4月から積極的な食育活動を計画している。食は命の源(みなもと)。近年、物余りの豊かな社会となり、食べたいものが「いつでも」「どこでも」「いくらでも」口に入るようになった。
 このため、食に対する意識が薄れ、肥満や生活習慣病などを生じる一方、栄養の偏りや朝食を食べない、無理なダイエットで体調を壊す女性が増えている。
 食育という言葉のルーツは食養医学の基礎を築いた石塚左玄によるもので、明治31年「通俗食物養生法」の中で「今日、学童を持つ人は、体育も智育も才育もすべては食育にある」と説いた。また、同36年、当時、報知新聞の編集長だった村井弦斎が連載小説「食道楽」の中で「小児には徳育よりも、智育よりも、体育よりも、食育がさき。体育、徳育も食育にある」と書いている。
近年では元科学技術庁長官で参議院議員の山東昭子さんが中心となり、日本人の食の乱れに危機感を感じ、平成17年に「食育基本法」を制定したことで、クローズアップされてきた。
 食育については様々なとらまえ方がある。望ましい食生活を身につけることは勿論、単に食に関する知識を学ぶのではなく、食事のマナーや家族、地域とのコミュニケーションも含む。
◇昨年、湖北地域のあるイベントで豆を箸で挟んで持ち運ぶレースがあったが、一部の子どもは箸を掌で包む「箸づかみ」だったため、うまくできなかったことがある。また、最近気になるのだがジベタでもイスの上でも、立て膝をついて食事をする子どもがいる。お椀を持たない、肘をついて食べるなど、テレビや映画でトレンディー俳優のマネしている子も目立つ。
 私は生まれながらの左利きだが、小学1年の時、担任の先生から「夏休みの宿題」と1カ月間、右手で文字を書くよう別メニューを与えられた。お陰で文字を書くのは今でも右だが、どういうわけか、絵画で色付けする場合は、左で描いてしまう。
 先日、テレビの番組で若手の女性歌手が調理していた。この歌手も元々、左利きだったが、幼い頃、母親が「右でしなさい」とアドバイスしてくれた、という。板前の世界では「左利きは御法度」とされている。左利きがいると右利きの人の腕とぶつかり、板場が有効に使えなかったり、鍋やハサミなど調理用具がすべて右利き用に作られているため、と言われる。母と娘のコミュニケーション。これも大切な食育のひとつといえる。
◇プロ野球西武ライオンズが社会人と大学のアマチュア選手2人に「栄養費」名目で多額の金銭供与していたことが明るみになった。アマ選手の青田刈りは今に始まったことでなく、これは氷山の一角といえる。
 友人から聞いた話だが、現在、セントラルリーグで活躍している左腕投手は中学時代から有望視され、県外に野球留学。その高校のコーチは現在、入団している球団とパイプがあった。
 選手の父親は保険会社の特約店を営んでいたが、球団関係者の名義で多額の契約が結ばれ、傾きかけていた経営が立ち直った。
 卒業を控えたある日、スカウトから「東京に来ないか」と誘われ出向くと、有名焼肉店に連れていかれ、レギュラーで活躍する3選手と同じテーブルで超豪華な食事をすることになった。「プロはいいぞ。うまい飯は食えるし、可愛い女子アナともつきあえる」。テレビでしか観ることできなかった有名選手に間近でこんなこと言われたら、まともに食事が喉を通らなかった。まさにヘビに睨まれたカエルだったという。
 高校生ドラフトは1位で指名、バッテリーを組んでいた捕手も下位指名することも約束されたこの選手は結局クジに漏れ、希望球団に入れなかったため、球団の薦めで社会野球に進むが、この時点で2年後の入団は確約されていた。
 このような話をすると、野球少年の夢も希望も無くなるが、まさに大人(プロ)社会の裏側を映し出しているかのようだ。

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2007年03月23日

ハンソン講演から学ぶ(見聞録)

 21日長浜文芸会館で開かれた「びわ湖・水ルネッサンス―水環境市民の集い」でタレントのイーデス・ハンソンさんの講演を聴いた。世界遺産の熊野古道が通る里山での実生活を紹介しながら、なぜ、自然環境を守らなければならないのか、分かりやすく説いてくれた。
 在日アメリカ人の彼女はインド生まれ、1960年に大阪大の客員教授に就任した兄に随行し、大阪に住んだ。その後、テレビやラジオで活動。20年程前に和歌山県田辺市の山里に移住してからは、一時、タレント活動から距離を置き、田舎暮らしを満喫。インド、アメリカ、日本での生活経験を基に人権、異文化共生、環境問題などをテーマに講演、執筆し、そのユニークな大阪弁と鋭い舌鋒に定評がある。
◇先日の講演では、主に水について、特に2点を強調していた。ひとつは、生活水がどこから、どうやって流れて来るか。
 上水道が整備されていないハンソンさんの集落では、近隣の山から流れ出る清水を自宅まで引き込んでいる。山が汚染されれば、飲み水まで汚染されるから、木々の伐採やごみ投棄など山の環境問題に敏感になる。
 一方、上水道が整備されている地域では蛇口から水が出る瞬間、その水がどこから来ているのか、考えることがあるだろうか。長浜は琵琶湖から取水しているが、その水は琵琶湖を囲む山々から流れ出ている。そしてその水は淀川を流れ、京阪神地域の生活水となる。だが、京阪神の人々が蛇口をひねる度に、滋賀の自然環境を意識するだろうか。
 水の源である山々の自然環境に無頓着な人々が増えている、と、ハンソンさんは警告する。
◇ふたつ目は、生活廃水がどう処理されるのか。
 ハンソンさんの集落では、台所からの廃水がそのまま集落内の川を流れ、火災に備えるための貯水槽に溜められる。野菜の切りくずなどの生ごみ、食用油などを流せば、近所の目に付くし、下流域の自然にも負荷を与えることは明白。自ずとクリーンな廃水を心掛ける。
 下水道完備の地域では台所の流し台からの廃水は、誰の目にふれることなく浄化処理される。だから何を流しても気にならないし、他人が何を流そうと気付きもしない。
◇ハンソンさんは里山生活を通して、住環境設備の充実した街では気付くことのない「水を守る大切さ」に触れたようだ。
 「水が貴重なサウジアラビアでは庭に木があるのは金持ちの証。洗車に飲み水を使う日本は贅沢。山々の自然の恩恵を受けていることを改めて知る必要がある」と語ったのが印象に残った。
◇「ビクトリア湖の悲劇」という言葉を聞いたことがあるだろうか。アフリカ最大の湖の生態系が外来魚の放流により受けた壊滅的打撃は、こう呼ばれている。琵琶湖の100倍の面積を持つビクトリア湖は淡水魚の宝庫で「ダーウィンの箱庭」とも呼ばれていた。しかし、英国植民地時代、淡水魚の乱獲による漁獲量の激減への対策として、巨大肉食魚ナイルパーチが放流された。スズキに似ていることから日本をはじめとする海外輸出で大成功し、漁獲量は飛躍的に伸びた。
 しかし、全長2㍍、体重200㌔にも達するナイルパーチは、その旺盛な食欲で、湖の在来種を食い荒らした。草食性の在来種が激減したことで藻類の異常繁茂や湖中の酸欠状態を招き、さらに多くの在来種が絶滅の危機に瀕し、在来種約400が半減した。
 ビクトリア湖でさえたった1種の外来魚によって壊滅的な打撃を受けた。ブラックバスやブルーギルが生態系の頂点に立つ琵琶湖にも言えることではないか。
◇大津の滋賀会館シネマホールでは27日からドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」を上映する。ビクトリア湖畔の経済がナイルパーチ産業で潤う反面、自然環境を破壊し、貧困、エイズ、ストリートチルドレン、ドラッグなどの「悪夢」を招いている現実を描写した作品だ。世界を支配する商業主義が生み起こす「悪夢」の一端をさらけ出すこの作品は、ヴェネツィア国際映画祭をはじめ、数々の映画祭でグランプリを獲得しており、必見の価値。
◇山の自然を汚せば水が汚染されるし、湖の環境を荒らせば、街が荒れる。自然が健康なら人間生活も健康になれる。異常暖冬しかり、自然からの警告に多くの事を学ばなければならない。

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2007年03月22日

彦根城博と新しい開発

 彦根城400年を記念する彦根城博が開幕した。
 彦根市は行政当局はもちろんのこと、観光協会、商工会議所、その他、各種団体が早くから準備を進めてきたので、これまで県下各地で行われてきたこの種の企画では抜きん出て成功することが期待される。何といっても国宝として、姫路城と共に日本の誇る名城が舞台であるから訪れる観光客は国内ばかりでなく、国際的色彩を帯びることが予想される。
 彦根は徳川期を通じて代々の井伊藩主によって繁栄を続けてきた城下町だけに城は彦根のシンボルであり、住民の運命共同体的存在でもあった。
 その意味では、築城400年の記念博は、彦根市の底力を見せるチャンスでもあり、その成否は明日の彦根の盛衰をうらなうことにもなる。
◇彦根市は戦後、舟橋聖一の「花の生涯」で一躍観光のスポットを浴びたが、その小説の主人公は大老・井伊直弼だった。
 井伊大老は勅許を得ずに日米修好通商条約を調印したというので攘夷・鎖国派から厳しい批判を受けた。それが勤王、倒閣運動に燃え広がるのを恐れた大老は、これら攘夷派の志士や学者を弾圧した。これが歴史上にいう安政の大獄であるが、そのうらみが今でいうテロを生み、水戸、薩摩の浪士により桜田門外で殺された。その浪士らの動きが薩摩、長州、土佐藩らの倒幕運動に進展し、明治維新を誘導した。
 したがって、戦前の歴史は、勅許をおろそかにし、勤王の志士を弾圧した井伊大老を日陰者扱いにし、維新の政府高官や政治家登用から彦根藩県民はシャットアウトされた。その伝統は戦時中まで続いた。
 滋賀県人の政官方面の活躍にめぼしいものがなく、専ら近江商人として財界に名を成したのはこれによる部分が多い。
◇しかし戦後は、一変して、大老の評価は変わった。
 井伊直弼こそは長い鎖国時代にピリオドを打ち、日本が西洋に伍して、貿易、その他で、近代化への道を進んだのは大老の先進的な決断によるものだとして、日米通商条約調印の政治的重みを歴史的に書きかえた。いわば明治の近代化路線のさきがけを断行したのが大老であり、大老こそ維新の隠れた功績者であった。しかも彼はテロ集団の犠牲になってまでも国難に殉じた。
 もし、当時の幕府に直弼が存在しなかったならどうなるか。危機に動転して彼が大老を辞任していたら一体だれが当時の難局を処理し得たであろうか。直弼が存在しなかったら、あるいは攘夷派が国論を統一して頑としてアメリカとの通商を拒んだにちがいない。そして、ロシア、イギリスとも国交を拒絶し、遂には外国軍隊の侵略を受けたかもしれない。もしそんな事態が生じていれば、中国の「マカオ」や「上海」「香港」のように外国の支配地にされていたかもしれぬ。
 大老こそ、日本の独立と繁栄の救世主であった、と評価するとき、今回の400年城博の魂が井伊大老の霊に通じ、日本国の今後の繁栄にもつながってゆくであろう。
◇ぼくは、今回の彦根城博を将来の彦根の画期的な発展の礎にする必要があると思う。そのために望まれるのが佐和山の石田三成の城跡と大老ゆかりの天寧寺及び、これらと直結する名神インターチェンジ・原地区の開発であろう。
 中京、米原方面と関西、京阪神を結ぶ彦根の玄関は広域「原地区」であり、JR彦根駅東口開発と共に原地区の観光、交通、リゾート開発こそ、緊急の課題であり、賢明にも彦根市議会は地元の仮称「ウインズ」建設の請願を採択した。
 請願人は鳥居本(学区)自治連合会のほか、鳥居本の社協、体育振興会、青少年育成会議、地元原自治会などが加わり、西村久子、杉本君江市議が紹介議員になっている。この施設は競馬の場外の馬券売場のほか温泉、体育、療養施設なども併設するが、何よりもこれによって、インターチェンジ付近の交通アクセスを根本的に大改革することにある。400年祭を記念し、獅山市長が平成の井伊直弼となることを期待する。

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2007年03月20日

米国に対する不信感

 アメリカの日本叩きが強まっているというニュース、不愉快なことだが、お人好しの日本人政治家も、ときにはピリッとした態度を見せて、真の意味での日米同盟を確認すべきである。
 いま、日本人の心を逆撫でしているのは、米下院議会での「慰安婦問題」に関する「日本への謝罪要求決議案」である。
 慰安婦問題については、これまでにも提案され、その都度退けられたが、今回は採択される見通しが強まっているという。なぜ、今、慰安婦問題か。中国や韓国政界は、ことあるごとにこの問題を持ち出して政権擁護に役立てている。慰安婦の存在は認めるが、他国のいうように強制連行はなかったというのが日本人の認識である。安倍総理も官権による強制連行の証拠は存在しない、といっている。
 しかし、1993年、当時の河野洋平官房長官(現衆院議長)が慰安婦の強制連行のあったことを談話の形で認めた。この談話が逆に動かぬ証拠として他国の日本叩きに利用された。
◇日本では慰安婦という言葉もなく、戦争中は紹介業者を通じて、こうした女性が集められ、国内のいわゆる赤線に働くか、外地にゆくかはともかく、女性や、その家族の了承によるもので、現地へゆくのは、現地で営業する業者サイドの取引といえよう。
 もちろん、それには人身売買や人権侵害の部分もあろうが、決して強制連行など、旧日本軍が関わったことはない。
◇南京における30万人虐殺事件も同じで、日本の中国総司令官・松井石根大将は南京占領に当たって、全軍に「軍紀を守り、中国人民の心を傷つけるべきでない」と訓令しているくらいである。
 また現実に30万人もの人間をみな殺しにできるというような物理的状況を客観的に認めることがどうして可能だろうか。30万人という数字をどう分析するのか。この数字を見ただけで、ウソ、インチキの数字と分かるではないか。もちろん戦時下のことであり、軍紀に外れた一部の軍人が、何人殺したかは定かではないが、全く一人も殺していないということはなかろう。それを30万人という過大な放送で、全世界のうらみをかうように仕掛けたのは日本叩きの中国国家主権の戦略にすぎない。
◇アメリカは、6カ国協議を通じ、目下、北朝鮮政策を変更しようとしている。北朝鮮の核施設廃棄など全く信じられないのに、北のいうままに金融制裁の解除に踏み切った。
 同盟国である日本をないがしろにして、中国や北朝鮮寄りの外交に舵を切り換えたが、これはブッシュ政権がイラクで、ぬきさしならぬ事態を招いているからで、いざというとき、この国は日本を見捨てかねないのではないか、と日本の政治家やマスコミは海外に向けて疑心を述べる必要があるのではないか。
◇アメリカのマスコミは、これまた下院の民主党の動きを評価し、日本叩きと安倍さん攻撃に躍起だが、それは何を意味するのか。中国や韓国、北朝鮮を喜ばせて、日本を敵視する心根は何なのか。アメリカには中国系、韓国系の市民がたくさんいて、彼らからの票と金がものをいっているのであろうか。
 それとも中国、北朝鮮の思想スパイや工作による国家的規模の反日運動の総本部が動いているのか。
 いずれにしても、こんな状況では、日本人のアメリカに対する同盟意識は稀薄になるにちがいない。実は日米難問が中国、韓国、北朝鮮の共同戦略かもしれない。いずれは共産主義の覇権に利用されるだけである。

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2007年03月19日

政治と国民、課題二つ

 朝飯を食べない子供が増えている。不登校の子が増えている。太りすぎでダイエットする娘や主婦。インシュリンを射ちながら仕事をする糖尿慢性患者。高血圧、心臓のクスリを肌身離さず携帯する熟女、定年期の男性。
◇こんな世相を総括すれば、病める日本人、あしたの日本を危うくする、ということに帰着する。これから高齢化率が急速に進むが、それに伴って国民の医療費はうなぎ上りに増えてゆく。
 医療費ばかりでなく、老人介護の福祉費も一つの産業として成り立つほどにその市場が巨大化し始めた。
 当然ながら、それを支えてゆかねばならぬのが国民の税金や保険などの掛金である。
◇今、政治家や国民が、共に考えねばならぬことは、これ以上に、借金行政をすすめないことと、国民一人一人が国に迷惑をかけない心掛けの確認である。
 これは難しい話ではない。日本は戦後の経済復興期以来、インフレが経済を支配した。その結果、投機熱をあおると同時に、借金という形で、国家も企業も設備投資やインフラ整備を行った。
 インフラとは、道路、港湾、河川、鉄道、下水道、学校、病院、公園、公営住宅、通信情報施設の整備などを総称していう。
 そのバイバイゲームともいうべき借金型、前倒し投資に一代鉄槌がおろされたのが、90年代後半のバブルの崩壊だった。これへの反省に立って、政治の舵はデフレ政策に切り換えられた。
 デフレとは、物価の値上がり停止に集約されるが、その政策が国家の安泰と国民福祉につながるには、国政における改革と国民の生活習慣の反省によらねばらなぬ。
◇この意味では、中央における小泉改革は正しかったが、残念ながら、今は、小泉改革反対派が、かつてのインフレ時代を夢見る借金型インフラ政治を推進する方向を取り始めた。小泉後継である安倍内閣を骨抜きにして、またぞろ、派バツ政治、族議員政治が台頭しつつあるのは、まさに時代への逆行であるが、彼らは、そのために早くも消費税の値上げを画策し始めた。
 安倍首相のお声がかりで、渡辺行革大臣が公務員法を改正して、官僚の天下り禁止を断行しようとしているが、各省庁のみならず、自民党の中からでさえこれに反対する気運が顕著になってきた。
◇年金が予想通りに支給されるのか、老後の生活に、あるいは病気治療に安心できるのか、極めて心配される将来を思うとき、国民もまた事態を深刻に受けとめねばならぬ。
 何よりも大事なことは、消費呆けに走って、生活のリズムを狂わし、一億総病人にならぬことである。
 一億総病人にならぬためには、脂肪と糖分を抑えることと、運動することにつきる。
 なんでもないことだが、要するに30年、40年前の食生活に帰ることである。運動をするというのは、何もスポーツしたり、登山したり、ウォーキングすることではない。日常活動の中で、ごく普通に手足を使うことであり、自動車を利用しないことである。そして、間食を避ければ、朝、昼、夕、必ずお腹(なか)は空くから食事はおいしい。その食事は野菜と米食を中心に添加物や加工食品を避け、昔ながらの手作り料理に立ち帰ることが第一歩である。

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2007年03月17日

安倍首相と松岡大臣

 松岡利勝なる農水大臣、かねてから「きれもの」と聞いていたが、どうきれるのか、少し分かったような気がする。
 国会議員の事務所費のうち、光熱水費は国の優遇で無料であるにも拘わらず、年間507万円もの支出があったように届け出ていたことが判明したので国会で追及されている。
 本来無償であるのに、支払ったことにして報告しているのは、その金がどこか、別の所に使われていて、それを明かすのはまずいので、領収証のいらない事務所費の中で処理したと疑問視されている。
◇自民党では、さきに柳沢伯夫厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言が問題を呼び、いままた松岡大臣の不可解経理が政治資金規制法違反に問われ、頭をかかえている。
 難儀なこっちゃナ、と安倍首相や中川幹事長の渋い顔が目に浮かぶ。
◇ぼくは安倍さんに期待している一人であり、小泉さんが信頼してバトンタッチした方だけにうまく漕いでもらいたいと声援したいのだが、どうやら、現況は逆風が激しくなってゆく感じである。
 小泉さんがせっかく自民党を建て直したのに、貴公子の安倍さんになってもたもたしかけたのは宿命といえば宿命。いつの間にやら元のもくあみになってゆく感じである。
◇いまの、この段階で、自民党政権が信頼を失うのは、まるで、のしをつけて民主党など野党に塩をプレゼントしているようなものである。
 この30日に全国いっせいに統一地方選が告示される。そして、選挙熱のさめきらぬ7月に参議院選が行われる。その大事な時期に安倍内閣の2人の大臣が辞任せよ、と野党からせめられ、与党の中でさえ、足並が乱れ始めているというのは戦略上最低である。
◇健康な体で、準備万端、隙なく選挙にのぞむのが勝利のイロハであり、そうした方程式の上に、追い風をつくってこそ躍進の道が開けるのに、現実は国民の信頼をなくし、茶の間の批判が「何とか還元水」などという流行語を拡散させるなど逆風もいいとこである。
 中央の自民党大臣がこんな分かりやすい話で国会の追及を受け、納得のできぬ説明でピリオドを打つようなことならば、それこそ国民の怒りは地方選や参議院選に爆発するだろう。
◇とにかく、事務所費のうち、水道、電気、暖房費はすべて無償であり、どの国会議員も政治資金規制法による報告の中には、光熱水費は計上していない。支出したことがないのだから帳簿に上げるはずがない。
 だから何とか還元水で一本5000円もの水を飲んでいるのか、電気ストーブ100個も置いているのかと質問されるのである。
◇虚偽記載は一切ないと言っても、無償である水道、電気、暖房に年間500万円も使ったとあっては、それを説得する資料や証しをみせない限り疑念が消えない。疑念をふくらませつつ日を送れば、自民党の支持率は下落するばかりである。
 それでなくとも、最近は情報の公開や政治資金の透明性がやかましいのである。安倍首相は苦虫を潰す思いで「えらいことになりにけり」と気をもんでいるだろうが、かばいすぎて、大臣の椅子を守ったはよいが、自分の政治基盤である参議院での政治勢力を減らすようなことになれば、それこそ小泉時代の「抵抗勢力」「族議員」「派バツ」勢力の浮上を助けることになる。改革が元のもくあみになることは目に見えている。小泉さんの指南を仰ぐがよい。

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2007年03月16日

宗教観凌駕するオシャレ心(見聞録)

 タイのカイシー文化相がバンコク市内の仏教寺院ワット・ポーの改修工事を視察した際、ミニスカート姿で寺院に訪れていたタイの女子大生5人をたしなめた―。先日の新聞でこんなニュースが紹介されていた。
 文化相は境内でミニスカート姿の女子大生がタバコをふかしていることに「なぜそのような服装をしているの」と尋ねたが、女子大生は文化相とは知らず、耳を貸さなかった。文化相に同行していた記者がこの場面を撮影し、新聞に掲載。後日、女子大生らが大学の教員に付き添われて文化相を訪ね、ひざまずいて謝罪したという記事。
◇海外旅行をしていて思うのは、各国の住民に比べて、日本人がいかに服装にうるさい人種かということ。服装は季節観を重んじ、清潔と小綺麗さに心掛け、企業に勤める会社員は真夏でもスーツ、ネクタイ。ところがタイはそれ以上に、服装にはうるさいと、数年前、同国を訪れた時に感じた。
 バンコクでの服装は信用、地位、人柄を代弁するはたらきが強いようで、高温多湿のうだるような暑さのなかで、長袖シャツに男性は長ズボン、女性はタイトスカートが一般的だった。外見さえしっかりしていれば「信用を得られる」らしく、観光客目当てに詐欺を企む輩は、小奇麗なファッションと礼儀正しい言葉遣いを心掛けるそうだ。街を歩いていても短パン姿の市民に出会うことが少なく、30度を超える気温の中での長ズボンに気の毒にさえ思った。
 でも、若い女性の間では、ノースリーブや膝上のスカートなど、肌の露出の多いファッションが目立っていた。仏教国タイにおいて「肌を露出する服装は礼節を欠く」と予習していただけに、若い女性が欧米のようなファッションになりつつあることに驚いた。
◇タイは老若男女が敬虔(けいけん)な仏教徒。バンコク市内に無数にある寺院には毎日、参拝者が絶えないし、最高の格式を持つ寺院ワット・アルンには連日、多くの外国人観光客とともに、タイ国民が訪れている。当然肌を露出している短パンや膝上スカート、ノースリーブなどはNGで、多くの外国人が入場を断られていた。でも、入り口付近で衣装をレンタルしているので、服を借りて入場することができる。
 その中で興味深かったのは、露出度の高い服装で参拝に来たタイ人女性も入口で止められていたこと。最高の格式を持つ寺院には、礼節をわきまえた服装での参拝がマナーだと知っていただろうに、どうやら彼女らは寺院参拝だけでなく、繁華街に繰り出して遊ぶのも目的らしい。だからオシャレをするわけだが、若い世代の間で寺院や仏教に対する畏怖や尊敬の念、道徳観が薄れているのか、それとも、それらを凌駕するほど女性のファッション熱が高まっているのか、いずれにしても仏教国タイにとっては憂うべき問題だと感じたものだった。
◇タイの文化相は普段から、ミニスカートで街を闊歩する女子大生の服装に不満のようで、今回の件を受けて「大学は服装の規定を見直すべし」と訴えている。
 若者が宗教観や道徳観よりもファッションという個性を優先し、大人達が眉をひそめるのは世界共通のようだ。ただ、女子大生5人が「ひざまずいて謝罪した」という点で、タイの若者の間に長幼の序が残っているというか、この国の文化の一端がうかがえて面白い。

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2007年03月15日

誰か故郷を思わざる

 詩や歌ではないが、郷愁という言葉をときどき思うことがある。
 郷愁は他郷にあって古里を懐かしく思う心、ノスタルジャーである。過去のものや遠い昔などにひかれる気持ちなどがこれである。
 戦争で外地へ出征した人の手紙や話を聞くと戦友と古里の話をするときが一番楽しかったという。だれでも、みんな同じで、おやじやおふくろはどうしているやろか。いまごろは桜が咲いているころだろうか。蛍が小川で飛んでいるだろうか。千人針をくれた女子青年会の花ちゃんはお嫁にいっただろうか。
 古里にはみんな消えることのない思い出がある。その思い出は風景をバックに常に新鮮である。目を閉じれば遊んだ友人や魚釣りをした川、田植えをした田んぼが蘇る。歌の文句そのままに、「ああ、だれか故郷を思わざる」である。
◇所要があって、古里の先輩に電話を入れたところ、なつかしい声と共に次から次へと昔話が返ってきた。あいつはどうしてる。あの子は元気か。高校(長商)時代の先生の名まで飛び出し、はては、あのころの先生は立派だった。三高―京大出の素敵な先生に心粋したとか。
 そのころは先生を尊敬して「三歩下がって師の影を踏まず」の気持ちで先生に接したが、今は大違いと世相への批判も痛烈だった。
◇新聞を見ると、90歳前後の長寿者の死を知るが、この人たちは随分苦労されたことだろうが、この苦労のエキスをクスリのように味あえば、後進の人たちに大きなご利益(りやく)になるのではないか。
 しかし、残念ながら何も言い残すことも書き残すこともなくこの世をさらばする人が大部分である。
 もし、先立つ先輩がその生涯においてのいろいろな出来事やそのとき、そのときの人々の動きや自分の考え、口惜しかったこと、悲しかったこと、うれしかったこと。あるいは、これだけは人に教えたい、知らせたいと思うようなことを生前に書き残してくれれば後の世の人に多くの教訓となるのではないか、ふと、そんなふうに思うことがある。
◇例えば、米作や畑作りでも、その人の長い農業体験で、だれにも勝るコツを会得しているかもしれない。
 主婦経験の長い人は、梅干しやラッキョ、漬物などの作り方に独特の極秘技術を持っているかもしれぬ。それらは昔は、姑(しゅうとめ)から嫁へ口伝(くでん)されたが、今はそれがない。子育てにしても、おっぱいの飲ませ方、赤ちゃんの泣き声の見分け方、風邪に対する手当て法、その他、村人とのつきあい、天気予報の直感、80、90、100歳の長寿者の頭の中には後進の学ぶべきことが、たくさんあるにちがいない。
 そういう昔の人の知恵を知りたいと思う心や、その生活体験をなつかしむ心もまた郷愁といえるのではないか。

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2007年03月14日

50万円で気を失った母

 相変わらず、中学生や高校生の自殺が新聞記事をにぎわす。
 「死んではいかん」と、なんぼ叫んでも死に神につかれた人は死んでゆく。ぼくは自殺する者は一種の病気だと思う。
 この病気は普段から潜在していることもあれば、ある日、突然、脳梗塞のように発作することもある。欝になって、どうも様子がおかしいと前もって分かれば手当のしようもあり、警戒もされようが、ある日、あるとき、突然死に病が発作を起こしたときはどうにもならぬ。
◇このごろ、ぼくは自殺する人は人生の敗北者、もしくは神への背徳だと考えるようになった。人生は、だれだって認めるところだが、辛いことも楽しいこともある。
 歩いていれば向かい風が吹くときもあるし、追い風に乗ることもある。
 大学受験にしたって、就職にしたって運、不運もあるし、実力の違いもあるわけだからみんなが、みな、幸せのカードを引き当てるものでもない。だれもが順風満帆の人生を歩むことができれば地上は極楽だが、この世は凪(なぎ)もあれば嵐もある。
 それは一年を通じての季節のようなものでもあるし、仮りに不幸の絶頂にいると悲しんでも、いつの日か、喜びに溢れる幸せの舟に乗ることもある。
◇要するに、この世は自分の努力と周りの人や自然、神さまのお助けによるものであり、決して、自分の力だけがものをいうものではない。
 ただ、このごろのように、だれもが十分に食べられ、教育を受けられ、ニートのように遊んでいても生活できる国は、世界広しといえどもそう多くはないことを頭のてっぺんから考え直す必要がある。
 日本に生まれ、日本で育って、こんなに豊かに暮らせることを世界の多くの貧しい国に比べて感謝することを忘れるようなことでは自分の肉体や心にゆるみが生じ、信じられぬような死に神にとりつかれることになる。
◇13日付、読売「編集手帳」で知ったことだが、プロ野球・西鉄の黄金時代(昭和30年代)の立役者に稲尾和久という豪球投手がいた。その稲尾さんが昭和31年に高校球界から西鉄ライオンズに入団したとき、契約の席で初めて千円札を見たという。1万円札や5千円札が登場する前のこと。
 自宅の畳の上に50万円の契約金が積まれたとき、横にいた母親の姿がふっと消えた。「母は引っくり返っていた。気を失ったのである」。編集手帳子は稲尾さんの自叙伝「鉄腕一代」にあるこの文を読んで「忘れがたい」ほほえましい情景だと書いている。
◇稲尾さんの母だけではない。今から50年前以上もさかのぼれば、日本人の家庭はみんな貧しかった。その貧しさから、ろくに食うものも食わず、着るものも着ずに息子を高校へ入れたり、娘の嫁入り仕度に骨身を削った。そういう父母の苦しい家計や必死の働く姿を見て育ったものは、決して自殺なんて恐ろしいことは考えなかった。
 死ねるものなら死にたいと考えることがあるほど苦しんだ人はたくさんあるが、親のこと、兄弟姉妹のこと、など考えたら、「死んでたまるか」と反発心を起こして、しゃにむにがんばった。
◇そんなことを考えると、今の世はすべてが「ぜいたく」すぎるのだ。
 自分の好き、気ままに生きられるというホームレスの人たちもぜいたくといえばぜいたくだ。生きるか死ぬかのぎりぎりの苦しい娑婆のどん底の生活はそんな生やさしいものではない。この世に人間として生まれさせてもらったのは、神さまの「人間として役立つ人になりなさい」とのありがたいお導きのたまものと思えば、決して自殺などできることではない。

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2007年03月13日

小泉さんと嘉田さん

 民主主義政治は多数決原理であり、多数とは特定の意見、限られた思いではなく、より多くの大衆の意見を尊重することを意味する。
 昨年秋の滋賀県知事選で、嘉田由紀子氏が当選したことは、県会議員のえらいさんや200を超える各種の団体の首脳部が、がん首を揃えて応援しても多数の県民の意向には勝てないことを実証した。
 マッカーサーが日本を占領した戦後の一時期は、彼のいうように、日本の民主主義は12歳だったが、今は成長して大人になった。民主主義の未熟な時代はえらいさんが声を上げれば、しもじも民衆は羊のごとくやさしく蹤(つ)いていった。
◇国民の眼が節穴(ふしあな)でない、というのは、民主主義が成長している現れで、これまでは、都会は進んでいるが地方は遅れているという政治的レベルが、今は全国的に均一化した。さきごろの宮崎県知事選では、自民推せんの候補も民主推せんの候補も破れて、型破りの如く登場した「そのまんま東」氏が当選した。
 落ちた二人の有力者はいずれも官僚出身の大物だったが、県民は肌の感覚で、庶民性と新鮮さで東氏を買った。なによりも旧県政の腐敗体質に怒りを感じていたため、うさん臭いつながりを拒否する雰囲気があった。それが大衆の素朴な感覚なのである。
◇滋賀県民が嘉田県政を選んだのは、投資型の県政から環境型県政への切り替えを願ったからである。
 投資型とは、「びわこ空港」や「新幹線新駅」「ダム」優先の放漫財政型であり、それは子や孫へ借金を残す無責任政治である。子や孫の生活に暗い負の部分を申し送るだけでなく、今、現在の県民が教育や福祉、医療面の施策を抑えられて、代わりに税金のしわ寄せを食らう政治である。
 だから、県民は、えらいさんのがん首がなんぼ揃っても見向きもせずに、「もったいない」を訴えた嘉田さんに走った。
◇しかし、県政は、予算や運営面で、県議会の議決や協力を得なければならぬから、嘉田知事一人の意志では進まないケースがある。それが、小泉さんのいった「抵抗勢力」の抵抗であり、邪魔である。
 小泉さんは2005年の夏、衆議院を解散して、国民に信任を問うたが、あれは、抵抗勢力を支持するか、小泉さんを支持するかの二者択一の選挙だった。小泉さん「がんばれ」の国民の声が、自民の圧勝を招いたが、同時に抵抗勢力はくつわを並べて討死にし、党内の派バツは事実上消えた形となった。
 この政治の姿が国民を基調にした民主主義政治なのであり、小泉人気を支えたのは国民である。
◇今、それが遠い夢のように、ふたたび派バツが復活し、山崎、加藤らの元幹事長が平然と安倍内閣を批判し、国の掟(おきて)を破ってまで山崎拓氏は北朝鮮を訪問した。
 安倍自民党は急速に小泉色を失いつつあるが、それは小泉自民党に寄せられた05年9月の解散総選挙における国民の心を逆撫でするものであり、国民の政治的意向を踏みにじるものである。その典型的サンプルが、党を離れた抵抗派(郵政改革反対派)の復党だった。

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2007年03月12日

自民に苦しい県議選

 3月末は統一地方選が告示される。すでに街頭では、立候補する人の顔写真が、国会議員の顔と並んで貼られている。表向きは育てる会主催の決起集会とか、現職県議の県政報告とかの名目だが、実質は知名度を密にする宣伝である。
◇統一地方選は、東京都知事選など首長選もあるが、住民に一番なじみの深いのは、県議選、市町議選であろう。
 いま、滋賀県下で最も注目されるのが、県議選である。
 いまのところ、選挙構図は、自民党、公明党の中央与党と、民主、社民、共産の中央野党、そして嘉田知事のもったいない県政をバックアップする無所属の3つのグループの争いといえる。
◇中央は、改革の小泉さんの後に、安倍さんが政権を握ったが、いつの間にか、なし崩しに小泉色が消されつつある。中央の政治が小泉色を薄くしつつあるということは、中央の与党、なかんづく自民党が反小泉路線にギアを切り換えつつあるということ。つまりそれは、小泉さんのいう自民党の潰倒的改革をストップして元のような派バツ政治への方針転換を意味する。
 その象徴的事件が郵政反対組の復党であり、今、大騒ぎとなった大分の衛藤元議員の参院選比例区の公認である。しかし、党内はともかく、国民の眼は節穴(ふしあな)でない。
◇最近の報道機関の世論調査は、安倍内閣の人気の低下を示している。
 目に見えて人気が落ちたのは、衆議院における郵政反対派の復党だった。続いての衛藤復党、参院公認がこれに拍車をかけた。
 率直に言って、国民の圧倒的な小泉人気が後足で砂をかけられた感じである。このまま進めば、7月の参議院選は自民党が負けるであろう。
◇さて、県民にとって手近なのが県会議員選である。
 県民の眼が節穴(ふしあな)でなければ、自民党は負けるであろうし、民主党や嘉田派の無所属組が勝つであろう。
 嘉田さんは、昨年7月、県民の圧倒的な支持を受けて当選した。
 相手は現職であり、三選を期し、議会はオール与党的に、共産、社民を除き推せんした。
 県内の農協組織、全労、土地改良団体、各種協同組合、医師会、市長会、議長会、その他200を超える団体が当時の現職知事・国松を推せんした。
 まさに一分の隙もない布陣だったが、告示直前、名乗りをあげた無名の嘉田さんが当選した。
 こういうのを「青天の霹靂(へきれき)」というが、これは決して奇跡でもなんでもない。起こるべくして起こった県民の声であり、これ、すなわち民主主義の勝利である。
◇小泉さんが改革をやると国民に誓ったのは、国民のための政治であり、派バツのための政治を改めることだった。道路公団の民営化や官僚の天下り規制も小泉さんの発想だった。
 嘉田さんが県民の熱い声援を受けたのは、「もったいない」県政の誓いであり、その集約が「新幹線栗東駅」の凍結だった。箱物づくり政治の末路は、北海道の夕張市が好サンプルだが、全国の府県、市町のなかには、借金で首が回らなくなり、建設した施設がものの用に立たなくなって二束三文で売り出すケースが目立つ。そして、そのつけは、県民、市民の財布を直撃する税金である。
◇県民が「ノー」と審判した新幹線駅に、自民、公明は、いまなお「推進」を叫び、嘉田いじめをするわけだが、それへの怒りを県民がどう打ち出すか、すでに現れている。

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2007年03月11日

異常現象と人間(よもやま)

 今年は異常現象とも言えるほど暖冬だった。世間では、少雪による水不足や長梅雨などを心配する声が早くも出始めている。
 気象庁によると今冬、全国各地で平均気温は観測史上最高で、降雪量や降水量も軒並み最少となったほか、虎姫でも今月4日、3月としては観測史上最高の22度を記録。初春の草花、節分草や福寿草、つくしなどいずれも昨年と比べ、2週間以上早いお目見えである。
 原因としてエルニーニヨ現象や地球温暖化があげられている。エルニーニョは太平洋中東部の海面水温が上がる現象で、上昇気流の影響で高気圧が発生し、この暖気が日本上空の低気圧を北に押し上げたため、暖冬となった。
 日本だけでなく、世界各地で特異な気象が発生した。ニューヨークでは1月に22度を記録し、ハワイとさほど変わらぬ暑さ。モスクワでは動物園のクマが冬眠せず、南フランスでは海水浴を楽しむ水着姿の人たちがニュースで報じられていた。
 この一方でインドネシアの首都ジャカルタでは、断続的な豪雨による大洪水で、多数の死者が出る反面、南半球では干ばつになり、豪州では羊や牛などの家畜が衰弱。各地で山火事が起きている。
◇地球温暖化は今に始まった問題でない。かつての日本やアメリカ、今の中国がそうであるように成長至上主義に走り、後先考えず「作れば売れる」とばかり商品を大量生産。その結果、排気ガスや汚水を大気や海、川などへまき散らした。
 何も知らず汚染された魚や作物を食べた人たちは病気に侵され、工場で生産された車や武器など「文明の利器」は事故や戦争で多くの人々を犠牲にした。人間が「金儲け主義」に走ったばかりに、思わぬ副作用を発症させたといえ、まさに人災である。
◇さきごろ、虎姫高校で取材した滋賀医科大学の田畑良宏教授の「少子化肉食説」にはこれと共通した点がある。田畑教授は少子化の要因は食物にあるとして、肉食を続けると糖尿病や高血圧など生活習慣病となり、人類は滅亡。人間が一生に食べる量は決まっており、若いうちに食べ過ぎると早死にすると生徒たちに説いた。
◇ここで3つの事例を紹介する。記録的な暖冬で、東北や北陸、山陰などの降雪地帯で1、2月、前年に比べ、交通事故の件数が大幅減となる一方、死者数が軒並み増加した。原因は高齢者が外出する機会が増える一方、車も徐行しないことが死亡事故につながったとみられている。
 琵琶湖では外来魚による食害が問題視されたが、近年、言われなくなった。ブラックバスやブルーギルが増え過ぎ、飽和状態になったためである。
 また、都会ではカラスの異常繁殖が問題となっているが、カラスのエサとなるゴミの管理をしっかりすれば、増え続けはしない。
 自分自身の子孫を残すことは、人も含めた生物が共通して持つ本能であるが、これらの現象は自然の摂理(神)が、生物の数を自動的にコンロトールしているようにしか思えない。人類が裕福になると病気や事故、災害などの副作用が生じ、人口増加を抑制しており、ほぼ一定状態をキープするように調整されているかのようだ。
◇春は「張る」とも書き、冬の寒さにちぢみ、細っていた草木や鳥、獣がのびのびと伸び始める。厳しい寒さがあって春のありがたみを感じる。食べ物も同様、無ければ何でも食べられる。
 これまで「気候のせいだ」「バイ菌の仕業だ」と片づけられてきた病気もその原因は愛和の欠如と言われる。病は家庭愛や親子愛などに欠けた人間の体に宿るという。贅沢三昧のツケが、世界を恐怖に陥(おとしい)れる時は近い。

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2007年03月09日

議会を傍聴しよう(見聞録)

 長浜市議会3月定例会の一般質問が来週13日から3日間の日程で始まる。市議会議員が市政全般について市当局に質問し、日ごろの活動の成果を公に披露できる場。市政上の重要な討論の場なので、年4回の定例会は傍聴する。
 事前に公表された発言通告によると、今回の一般質問には8会派、12人が登壇する。いくつか興味深い質問があるので紹介したい。
 彦根市立病院などで問題となっている医師不足について、共産党の竹内達夫議員は市立長浜病院の今後の医師、看護師の退職者や補充の見通しを取り上げ、働きやすい職場環境や勤務医の確保を訴える。
 公明党の福嶋一夫議員は入札制度改革について、いくつか提案する。ひとつは従来の指名競争入札の原則廃止。業者を指定・限定しないことで入札参加者が増え、競争性が高まり、談合もまとまりにくくなるというもの。もうひとつの提案は、入札参加業者名の公表を、従来の入札前から、入札後に変更すること。どの業者が入札に参加できるのか分からなくなり、談合防止につながる。入札の競争性、透明性が高まるであろうこれらの提案を、市側はどう受け止めるのか。
 脇阪宏一議員は節約が求められている市財政ついて、「まず隗(かい)より始めよ」と中国故事を出して、市長以下職員の給与の削減を優先するよう訴える。もちろん議員報酬についても検討することになるだろう。
 このほか、「清流」の吉川富雄議員、「びわ」の溝口治夫議員らは市町合併から1年を迎えての総括を川島信也市長に求める。
◇議会の役割は、首長が提出する議案の審議だけでなく、行政運営を監視、チェックすることだが、北海道夕張市の財政破たん、福島、和歌山、宮崎県での官製談合による知事の逮捕などの不祥事の背景には、議会のチェック機能の低下が指摘されている。
 ストレートに言えば、首長と議員のもたれあい。議員は地元からの陳情や要望を自治体の施策に反映させるため、首長や幹部と駆け引きするが、要望を担保に、行政ベッタリではチェックが甘くなる。逆に批判ばかりの野党的立場では、自身の要望が施策に取り上げてもらえるか、不安が残る。
 もし、議会が地元の陳情役となるだけで何のチェック機能も働かせず、首長の提案を追認するだけの機関になり果てているならば、襟を正す必要があるだろう。
◇さらに、議会に求められるのは政策立案能力。当局にアレもコレもと要望するばかりでなく、議員や会派自らが、例えば条例案などを提案する努力や工夫をしてはどうだろうか。そういった視点から今回の長浜市議会一般質問を見ると、入札制度改革をはじめとする提案型の質問が多いことは頼もしい。
◇長浜市の市議会議員選挙は昨年実施されたばかりだが、当選した議員が議場でどんな質問しているのか、たまには市議会を傍聴してはどうだろうか。定例会は平日に開かれるから、仕事を持つ有権者は議場に足を運べないが、情報公開に積極的な長浜市議会はインターネットで議会の様子を映像と音声で配信している。夜間でも長浜市議会のホームページにアクセスして、興味のある質問や支持する議員をピックアップして見ることができる。
 ただ、市議会を傍聴していると、▽勉強不足で追及しきれていない▽事務的な質問に終始し意図が不明▽自治会長の代弁なのか地元への利益誘導型の質問ばかり―といったお粗末な議員や、任期中、ロクに質問をしない議員もいる。
 有権者の皆さん、たまには議員の働きぶりをチェックしてはいかが?

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2007年03月08日

「きゃんせ土曜市」と商法

 10日(土)は、長浜の田村駅前の卸売市場で「きゃんせ土曜市」が開かれる。野菜や果物などが格安で買えるので人気がある。
 「きゃんせ」は、方言だから、この辺の人でないと分からぬかもしれぬが、えもいえぬやさしさや温みがある。「きゃんせ」は「来(き)なはれ」「おいなはれ」という京言葉に似ている。「やんせ」は「○○しなさい」というときに使うが、しなさいという強い命令調ではなく、願望を含めたやさしい誘いの呼びかけである。
 「しやんせ」、「ごんせ」、「遊ばんせ」、「寝やんせ」、「早よ風呂わかさんせ」、「飯焚かんせ」などは、今も農村部のおばあさんが孫にいうセリフである。
 「きゃんせ」は「き・やんせ」が促音化したものだが、詰まった言い方をしなくも「盆梅は今度の土曜日が見ごろだから、そのころ、きやんせ」、「きやんすがよい」などと親しい人にいう。
◇土曜市の市は、市場の市で、人が多く集まって、物を売買するところが本来の意味で、地名の八日市などは、八の日に市が立ったからこの名がついた。四日市は、四の日に市が立った。
 万葉集に「西の市にただひとり出て絹を買った」という歌があるから、市の歴史は古い。
 商売の原形は物と物との、いわゆる物々交換だったが、それがみなに便利によく、日と場所を一定し日常化したのが市場の始まりである。
◇そのうち物々交換はなくなり、お金で物を買うように社会が発展的に変化した。その結果、消費者を訪問して物を売る商人(あきんど)が生まれ、また今の小売店のような商店が育った。
◇物の売り買いは、商人の魂胆もさることながら、商人を動かしたのは消費者である。つまり消費者の需要に応え、便宜を図り、消費者に好まれる商法が自然発生的に育っていった。その商売の進み具合の最も新しいのが現在の流通界である。
 従来通りの小売店のほかに、消費者を不定期に訪問して売る行商や週に1回とか、定期的に契約した家へ納品するやり方。店売りも次々に変化して、よろづ屋から専門店へ。小経営から大型化し、百貨店、スーパー、コンビニ、チェーン店などさまざまである。このほか、消費者が足を運ばなくていい商法に通信販売があり、最近は売り手市場から買い手市場になって、パソコンで好きな品、好きな色、形、メーカー指定など思う品物を買うことができる。
◇お金の決済もまちまちで、現金や小切手、商品券は普通だが、今は財布を持たなくともカードで支払いが出来るようになった。
 世の中、便利になったのか、味気ないというのか、例えば月給を受け取っても、袋の中の現金を数える楽しみがなくなり、すべて銀行や信金の口座に振り込まれる。
 支払う側も現金を扱う物騒さがなくなり、防犯上安心できる。いちいち、お金の勘定をして袋に入れる作業が助かる。しかし、受け取る側は女房をごまかしてヘソクリをすることができなくなった。銀行口座を女房に握られたら最後、あてがいぶちの小遣いで我慢しなくてはならず、それこそ役人ではないが、裏金づくりにインチキ領収書を手にせねばならぬ。
◇物売りについて言えば、昔懐かしいのが駅弁である。
 米原駅では、「ベントウ、ベントウ」と停車の列車に呼びかけた。「アイスクリーム、アイスクリーム」、「お茶あー、お茶あー」などの声を聞くと乗客は窓を開けて買った。あの風情は、のんびりと情緒があった。
 街頭で呼びかける商法で縁日などの香具師(やし)は今もあるが、不定期に街路を流す物売りに、焼藷、竹売り、リンゴ売り、このごろは灯油売りも出始めた。
 長浜の田村市場の「きゃんせ土曜市」も昔ふうな、人と人のふれあいがその出発のアイディアであり、買う人は遊びがてら出てゆくのが楽しい。

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2007年03月07日

尊厳死の問題を考察

 あまり聞きたくない言葉だが、「尊厳死」という言葉がときどき登場する。
 昨年3月、富山県の病院で、医師が終末期の患者の呼吸器を外したことが問題になった。
 患者が「殺してくれ」と言ったから、薬を仕掛けたりすれば殺人行為になるが、生前に、不治と分かれば末期の苦しみを避けるため、延命のための施術をしないでほしい、と医師宛の文書を書くか、家人にその意志を明確に伝えておけば、末期の延命措置の中止は許される。
◇死は不吉な言葉であり、避けて通りたいが、避けるわけにはゆかぬから、生前に、人はいつくるか分からぬその日に備えて、覚悟と対処をしなければならぬ。
 「アホーなことをいうな。いつ来るか分からんことに神経を使うな。そのときは、そのときのこと。なんとでもなるさ」。と、横着をきめ込む人が案外多い。しかし、そういう横着な人ほど、いざというときに見苦しいほどあわてねばならぬ。
 「立つ鳥、跡を濁さず」というが、あの世に旅立つとき、どうすれば跡を濁さず、惜しまれてさよならできるのか。それが気にかかるから、人は神さまや仏さまにすがるのであり、保険に加入したり、遺言を書いたりするのである。
◇尊厳死は「人間としての尊厳を保ったままで命をまっとうすること」と辞書にある。回復の見込みのない状態や苦痛のひどい状態の際に、生命維持装置を無制限に使わない、ことなどをいう。
 こういう言葉が登場したのは近代医学の進歩によるもので、戦前の日本には「自然死」と「横死」しかなかった。大部分は自然死で、それは病気によるか、長寿によるものだった。それ以外には、災禍や事故、殺害など、いわゆる不慮の死である。
 人間以外のすべての生物は自然死であり、人間も本来は自然死であるべきで、いかに医学が進歩したからといって、不治の、末期の患者を人工的工作や仕掛けによって、心臓だけ動かしたり、呼吸能力のないものに、圧力をかけて、酸素をおくったり、外からホースで水や栄養を注入するなどは、人格の冒涜である。機械の故障を直すなどとは次元の違う世界である。
 いかに延命措置をしても100%は死ぬわけであり、その間、患者は意識もなく、言わば医学の実験に供されているわけである。
◇こういう話をすると、だれもが「ああ、いやだ。そんなことまでして生かされてはたまらん」という。
 されば、あなたならどうする。多くの人はそういう事態になったら、そのとき、「やめて」と言うつもりだろう。
 残念ながら、人は病気が重篤となれば、健康時のような正常な認識や判断が出来なくなる。ましてや、薬害などで意識がおかしくなったりしておれば一途に苦痛から逃れたくなり、元気になりたくて、精神的にもがき、夢遊病者の如くなることさえある。病態が深刻化すれば、自分の意志を正しく伝えることも不可能になる。
◇だから、生前の意志表示が重視されるのである。尊厳死協会がすすめている「リビング・ウイル」がこれで、入院前に「延命措置不要」の意志を文書にして、署名捺印する。これを家族が終末期または入院時に担当医師側に提示することが尊厳死の道なのである。
 人間は本来は枯木が自然に朽ちてゆくよう長寿して、わずらわずに、ねむるように大往生するのが理想だが、いつの間にか病気を誘うような非自然生活をするようになり、また、医術は算術になって、死の尊厳を忘れるようになった。リビング・ウイル、忘れるなかれ。

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2007年03月06日

「健康」は幸福と読む話

 「健康」と書いて、なんと読む。「幸福」と答えられれば満点であろう。
 自分で健康だと思っている人が案外病んでいることに気付かない。ぼくは、だれかれなしに「体を愛(いと)しんで下さい」とメッセージを贈る。
 友人たちと居酒屋などで一杯やるときもこうである。必ずぼくなりのセレモニーが出発点である。それは乾杯の音頭のぼく流である。
 どういうのか。
 ぼくは必ず「おめでとう」と声高らかに盃を干す。初めての人や店の人は「なんで」と不審そうに聞くのが普通である。
 「会えておめでとう」、「元気で御会いできておめでとう」という意味をこめているのだ、と説明するが、みんな喜んでくれる。
◇「健康」と書いて何と読むか。これはなぞなぞゲームではないが「幸福」と読んでほしいのである。
 感謝の心がなければ身の健康に気づかないし、幸福とも思わない。まっこと、健康は幸福そのものである。
 健康であれば痛い注射も苦い薬も無用である。よく眠れるし、食事はおいしい。当然ながら医療費はいらない。
◇今は年寄りとの三世代同居がなくなったから、健康に関する古来からの言い伝えや習慣を知らぬ者が多いが、われわれの先祖の長い間の生活の知恵が後の世の者のために役立っていることを知らねばならぬ。
 例えば、「頭寒足熱」という。頭は冷やせ、足は温かく、という教えである。
 「腹八分目に医者いらず」は、満腹はおやめなさい。もうちょっと食べたいと思うところでやめておくがよい。そうすれば病気にならぬという諭(さと)しである。これは、現に90歳以上の老人に長寿の秘訣を聞くと、「食事はひかえめ、少なめ」を実践してきた、と異口同音に答える。
◇「人の神経を気にするな」ともいう。だれそれさんが、こう言った、ああ言った、などの声に一々反応していたら、こちらの神経がおかしくなる。「人さまは人さま。わたしはわたし」と図太く、あっけらかんと世渡りするのがストレスを感じない処世術だというのである。
 「年寄りには新湯(さらゆ)は毒」。一番風呂は刺激が強いから老人の体によくない。「年寄りの冷や水」は、老人が水をかぶったり、若もののような無理をしてはいけない、という教え。
 老人の性に関して言えば「接して、もらさず」という。これは具原益軒の教え。「早起きは三文の得(とく)」は、早寝早起きのすすめで、早く起きれば仕事の能率が上がるという損得勘定もさることながら、健康上の生活習慣として昔の人はそれを信条とした。
 「大酒、身上(しんしょう)を狂わす」は大酒は財産をおかしくするの意だが、身上は身の上で、文字通り健康のこと。大酒呑みを自慢している男で長寿したものはない。まさに至言というべきである。
 大酒呑みは、コップ酒をぐいぐいあおる手合いの他、遊び人も含む。高級料亭や芸者遊びにうつつをぬかして、山売り、田売り、家売り、とどのつまりは財産を潰す意にも解釈できる。
◇さて、季節は木の芽どき、鼻風邪かと思いきや花粉症患者が増えている。
 薬局で薬を買うやら、気分の悪い人も多いだろうが、花粉に負けない体力づくりを普段から心掛けることが大事。そのためには出来る限り自然と共に生きる生活習慣に徹することが第一。先ずは感謝して今日一日を送りたい。

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2007年03月05日

赤ちゃんポスト駄目

 赤ちゃんポスト、是か非か、話題を呼んでいる。
 つまらぬことが論争をよび、政治問題化しているが、バカも休み休み言い給えと一喝したくなるではないか。
 ポストは一般に知られる通り、郵便受けである。郵便というハガキ、封書、小包などと人間の赤ちゃんを同列に扱う発想そのものが狂っている。
 生んだ親が、育てられぬからといって、押し入れの中に放置して殺したり、駅のロッカーに捨てたり、人間とも思えぬ行為をするからといって、世間が公々然と赤ちゃんポストを許せばどんなことになるか。
 地球よりも重いといわれる人間の生命が物品並みに捨てられて、罪にならない世の中が出現するのである。
◇赤ちゃん殺しは言うまでもなく、捨て子についても法は禁じ、刑法犯の対象となる。
 当然のことであり、赤ちゃんといえども一人の人間としての人格を持つ。親といえどもその人格を否定することは許されぬ。
 ところが、近年、行きすぎた性の自由化で、生活能力を無視した結婚やそれに基づく出産が生活の破綻を招き、赤ちゃん殺しなど暗い事件につながるケースが発生するようになってきた。
 そこで、法を改め、赤子を捨てることは犯罪であるが、赤ちゃんポストへ捨てれば罪は問わない、とすれば、産んだ後、処置に困った親が、ロッカーに捨てたり、殺すようなことはしないだろう、というのが、この案の思いついたそもそもの始まりで、赤ちゃんポストは病院に設置するというのがミソである。
◇こういう議論は、しょっぱなから話の立て方が狂っている。殺さぬためのポストという、いかにももの分かりのよい議論めくが、捨てたり、殺すこと自体が鬼畜にもまさる行為であり、大事なことは、そういう非人間的行為を排し、社会がそういう不祥事を生む背景をなくすることである。
◇江戸時代は不義はお家のご法度といって、結婚もせずに赤ちゃんを生むことは許されなかったが、今は時代が違う。男女が愛しあうことは自由であり、結婚しなくとも愛の結晶が赤ちゃんの誕生につながる。したがって、若い未婚の女性が赤ちゃんを生むからといって非難されることはない。
 基本的なことは、赤ちゃんを立派に育ててゆくことである。
 だから、育てる自信のないものは、産んではならないのである。
 避妊は許される行為であり、人工中絶もまた経済的、健康的理由などで合法化されている。
◇赤ちゃんを産むということは人間の発展、種の保存という天命、つまりは神の御心である。産みたくとも体の故障などで産めない人もあるのだから、妊娠し、出産できることは、まことにめでたいこと、祝福されるべきことといわねばならぬ。
 生まれてくる赤ちゃんは祝福こそされるべきで、捨てられたり、殺されたりする因縁は一つもない。
 それなのに、非人間的な鬼のような親に手を貸すような赤ちゃんポストを認めることは、世相一般、赤ちゃんの人格と生命を物質視する危険な風潮を伝染させることになる。
◇そういうことよりも、アメリカ社会のように里親制度を広く一般化する手だてを講じるべきではないか。
 産んでも心配のない社会をつくり、安心して託せる里親があれば、赤ちゃんにも幸せ、産んだ親も安心であろう。
 とにかく、今の世は命を軽んじすぎる。そこから改めねばならぬ。

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2007年03月03日

大都市中心の格差と問題

 国会の予算委員会の野党の質問を聞いていると、このごろ流行の「格差問題」がひんぴんと登場する。
 例えば、地方で折角、小・中・高の教育に力を入れているのに、そのうちのどれだけがその育った地元の県に残っているか。多くが東京や大阪に出てしまっているではないか。
 東京の大学へ入れば、大学の費用から生活費までみな親の負担になり、地方は細るが、東京は太るではないか。これが格差の一つであり、地方の大学をもっとつくり、充実させるべきではないか、などという議論があった。
◇これを格差というのであれば、確かに大都市と地方の格差は明らかである。
 地方から出た大学生は、卒業しても、いい就職先がなければUターンすることはなく、多くは都市に就職先を見付ける。これは大学生ばかりでなく、地方の若もの一般にも言える現象で、このごろ、それが一番よく分かるのは65歳以上を統計の資料とする老人比率である。その町の人口に占める65歳以上の老人比率のことであるが、同じ滋賀県でも大津や湖南に比べ、湖北、湖西は老人比率が高い。人口100人に老人10人なれば老人比率は10%だが、西浅井や余呉は25%以上になっている。
 湖北全体でいえば、ほとんどが県の平均を上回る老人比率である。これは若ものが少なく、また若もの世帯による子供の数の少なさを裏書きしている。
 なぜ、そうなるのか。若ものの定着する魅力ある職場が少ないから若ものが都市へ流出することが一つ。同じ県内でも、山村部より市街地へ住居を移すことが一つ。さらに教育環境、文化環境、交通環境等から快適、便利、レベルの高さ、医療施設の格差などから、大都市、中都市へと人口が地方を離れてゆく。
◇これは皮肉な話であるが、わが子が優秀な成績で、有名大学へ行けば、卒業しても親元へは帰ってこない。仮りに県内の大学に入って自宅通学しても、卒業すれば、就職先を県外の都会に求めて家を出る。
 親は子の成長を喜ぶ反面、子は遠ざかり、自分らは老いてゆかねばならぬ。
 これは、悲しい現実であり、この傾向はますますひどくなる。湖北や湖西の村々は、老人ばかりという状況に立ち至り、単に活気を失うばかりでなく、生活する老人たちの福祉に関わってくるから由々しき問題である。
◇もうすでに、湖北の山間部の町では、小学校の新入生が激減し、学校全体の生徒減によって、教育効果の上がるクラス編成が困難なところまで来ている。
 そうなれば、寺小屋教育ということもならず、結局、学校統合になるかもしれぬ。学校は村の文化のシンボルでもあるが、これがなくなり、医療施設がなくなり、店がなくなり、ないないづくしで猿と熊の出没におどおどするような村に変貌する可能性がある。
◇こんな話もある。仮りに長浜や彦根に多くの従業員を雇用する大工場が進出したとする。果たして、その大工場が支障なく運転できる地元従業員を確保できるかの問題である。もし確保できなければ外国人労働者に頼らねばならぬが、そういうことを考えれば、雇用の問題、住宅の問題、その他、面倒な問題がからんでくるが、政治が看板通り地方重視を政策化するならば、先ずは税金で優遇することが第一歩だろう。
 地方の所得税をそれこそ格差をつけて低くするがよい。地方の大学や高校の授業料なども格差をつけて都市より安くすることを法制化するがよい。地方で生活する方が都市でよりも生活の質が高いとあればUターン現象を巻き起こすかもしれない。それでも大都市集中の国民性はあらたまらないかもしれぬ。
 住めば都(みやこ)をどうしたらつくれるか。これは地方に住むものの課題であり、行政や議員諸氏の腕の見せどころでもある。

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2007年03月02日

国家・宗教の大義、人の命(見聞録)

 先日、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」を見た。1972年、旧西ドイツのミュンヘンオリンピックで発生した「黒い9月事件」後を描いたもの。
 事件は、オリンピック会場内のイスラエル選手村にパレスチナの武装グループ「黒い9月」が乱入し、イスラエル人選手とコーチの2人を殺害。残りの9人を人質にとり、イスラエルに収監されているパレスチナ人234人の解放を要求した。銃撃戦の結果、人質は全員殺害され、犯人グループも殺害、拘束(その後、別のハイジャック事件の取引で釈放)された。
 「ミュンヘン」は、イスラエルの諜報機関がその報復のため、犯行に関与した人物を暗殺する物語で、元工作員の証言に基づいて制作された。暗殺部隊が復讐心と愛国心を胸に、ターゲットを次々と殺害するのだが、命を狙い、狙われる極限状態の日々に、工作員はその人間性を犯され、「国家の大義」「暗殺の報復」の間で人格を崩壊させてゆく。
◇数年前、イスラエルを訪れたことがある。ちょうどパレスチナ自治区のガザから軍が撤退している時期で、イスラム教国のトルコ・イスタンブールから空路で向かった。
 テロ警戒のため、飛行機に搭乗する際は、警備員がカバンの中を調べ、ブーツの靴底の溝に詰まった小石をピンセットでひとつひとつ丁寧に取り除いてチェックする慎重さ。さらに、入国の目的、滞在するホテル名をはじめ、なぜトルコから入るのか、トルコでは何をしていたのか、トルコ入国前はどこを訪れたのか、と質問攻め。その執拗さに、入国前から、テロと隣り合わせの危険な国事情を思い知らされた。
◇イスラエル国内は、破壊と貧困にあえぐパレスチナ自治区とは比べ物にならないくらいに、アメリカ資本により物質的に恵まれていた。ただ、至るところに検問所やバリケードがあり、スーパーに買い物に行けば、駐車場の手前で警備員が車の内部やトランクはもちろん、車の底をミラーで確認するし、入店の際には金属探知機で全身をチェックする。街を歩けば銃を肩から下げて軍の各部署に「出勤」する若者を見ることができた。
 1週間ほどイスラエル人の家にホームステイさせてもらったが、大型テレビやパソコンなどが揃って日本と変わらないほど裕福な生活環境。そんな中で、家人と一緒にテレビを見ていたときの話。ニュース番組でガザ地区での軍事作戦の様子が伝えられていた。破壊された自宅の前で泣き崩れるパレスチナ人の女性が映し出されたとき、家人にその感想を聞いた。返答は「完璧な作戦だった」というもので、同情はしないという。「彼女の家族や知人が、スーパーやバスに爆弾を置くからだ。当然の報いだ」というのだ。戦争中の人の心を見た気がした。
◇イスラエルとアラブ国家との対立は、イギリスによる二枚舌外交が原因だが、ユダヤ人にとっては約2000年前にローマ帝国の支配によって失った「約束の地」に悲願の建国を果たした訳で、この夢を破り捨てることはありえない。一方、パレスチナ人からすれば、突然、ユダヤ人に自分達の土地を追われ、その奪還が夢。
 この対立に円満解決はなく、互いに譲歩するしかないのだが、一神教のイスラム教徒と、選民思想を持つユダヤ教という宗教の違いを内包しているだけに、紛争の終わりは見えない。
◇ユダヤ人であるスピルバーグ監督は、イスラエル建国以来、紛争が絶えないアラビア半島の不幸を憂い、「暴力に暴力」という復讐の連鎖の末の人間性崩壊と喪失感を映画に込めたのではないか。そして、国家、民族、宗教の大義の影で、多くの人の命が簡単に失われているという現実を。
 ただ、それは遠くアラビア半島の話だけではなく、中国、北朝鮮、タイ、インドネシア、ミャンマーなど身近なアジアの国々でも国家や宗教によって引き起こされている。そういう国々の人の命の「軽さ」を思うとき、戦後60年余り続く日本の平和に改めて感謝したい。

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2007年03月01日

筧先生と三谷先生と

 蓮華寺の番場の忠太郎地蔵尊と作家の長谷川伸(故人)に関して、四回連載したことになるが、考えてみれば、人間の思考は自由闊達で、鳥が空を翔けるようなものかもしれない。ぼくは、この四回の執筆を通じて、人生の不思議、人情の篤さ、人と人との出会いの神秘性を痛感したことだった。
◇小説の主人公・忠太郎は、30年近くも経ってから瞼の母に会ったが、母は名乗らずに非情にも追い返した。父違いの妹たちが、「なぜ帰したの」と嘆き、あとを追っかけるが、すでに忠太郎の姿はなかった。ここで舞台の幕は下りるが、実在の長谷川伸は、46年ぶりに母に再会する。
 そのとき、母には、伸にとって義弟妹の三谷隆正(一高教授、哲学者)、三谷隆信(侍従長)、東京府知事・川西実三夫人田鶴子がいた。父は違うが、同腹の弟と妹である。母は昭和21年、85歳で、伸は同38年、79歳で世を去った。忠太郎地蔵尊の供養会は毎年7月24日に行われる。
◇ぼくは蓮華寺の中川執事から、かつての住職・大橋俊雄著の「瞼の母・蓮華寺本」を頂いて、あらためて知ったことだが、長谷川伸が哲学者の三谷隆正(故人)の兄であることに驚いた。
 三谷隆正は、ぼくが中大に学んでいたころ、その著書を国語の時間に習っていた因縁があり、しかも、その教科書を採用した国語の教授が、長浜市山ノ前町出身の筧五百里先生だった。それ以上に、ぼくの頭にこびりついていたのは、三谷隆正の著作「幸福論」だった。
 当時のぼくは、武者小路実篤の「幸福者」や、有島武郎の「宣言」、倉田百三の「恋愛論」などを愛読したが、このうち最も傾注したのが三谷の「幸福論」で、長く座右に置いていた。何回か住居を転々としている間に紛失してしまったが、いつか再読の機会のあることを信じて、本屋を探したが、すでに絶版になっており、古本屋で見ることもなかった。
 それが偶然にも、長谷川伸と忠太郎を書いている連載のなかで、三谷を知り、急いで、図書館からその幸福論を借りることが出来た。1992年、岩波書店発行のワイド版だが、著者の「まえがき」によると元本は昭和18年11月発行である。ぼくは発行間もない新著を読んで感激したわけである。
 この幸福論は、ギリシャ哲学史やバリサイ派の歴史に詳しい著者が「聖書なくして、私のこの幸福論はあり得ない」というほど、宗教的情操の豊かな背景のあることが特徴である。
◇三谷の幸福論の中に、幸福の鍵の「第6章」に「パスカルの賭」が紹介されている。
 もし神有りと賭けたら、われらの生活は愛と誠実と義とに富むものであり、己に対し又隣人と社会一般とに対して福祉豊かなものであることができるだろう。反対に神なしと賭けて生活するとする。この世はさながら餓鬼道地獄に類した修羅場であるだろう。
◇ぼくは、友人Aさんに誘われての飲み会から「ゆらりぶらり番場へ」の連載文を書いたが、この中で、文豪・正岡子規、長谷川伸を取り上げた結果、思いがけぬ余慶にあずかることができた。
 今は、亡き中大時代の恩師・筧五百里教授、そして、三谷隆正教授とその「幸福論」にまみえる幸せである。

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