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ゆらりぶらり番場へ

  「世の中は、なんのへちまと思えども、ぶらりとしては暮らされもせず」。これは一種の狂歌である。「世の中なんて、乞食(こじき)してでも食えるんや」と、人生を甘く見ている人への教えである。
 昔は「稼ぐに追いつく貧乏なし」といったが、石川啄木は「働いても働いてもわが暮らし楽(らく)にならじ、じっと手を見る」と歌った。
 このごろは、啄木が文学の世界から政治の世界へ持ち出されて「ワーキング・プーア」の元祖のようになった。
 あの世で、くしゃみしている啄木が目に見えるようだが、ご本人は、死後「一握の砂」「悲しき玩具」その他の歌集が評判を生んで、今に至る明治の天才詩人として大きな足跡を残した。
◇ワーキング・プーアは、働き貧乏とも訳せるが、茶化して用いることはご法度であろう。今の団塊世代や以後の若ものは知るまいが、半世紀以前の日本人の多くは、厳密に言えば、ワーキング・プーアを余儀なくされた。
 プーアはプーアでも、当時と今では内容がちがう。今はプーアといって生活保護を受けながら、外車に乗ったり、パチンコ通いするのもいる。映画を見たり、買い物をする余裕を持ちながら家賃を払わず、給食費も未納というのもある。昔の貧乏人が見れば今の貧乏人はお金持ちに映るかもしれない。
 昔は、ぶらりとしては暮らされもせず、だったが、今はフリーターだの、ニートだの、ぶらり、ふらりが多過ぎ、しかも、これに国家予算を考慮する変な時代になった。
◇プーアから、ぶらり。ぶらりからへちまを連想したが、へちまから子規を思う人も多いのではないか。
 子規、正しくは正岡子規。日本の俳句、短歌の革新を行った明治文学の巨匠で、著書も多く、長い病床生活による「墨汁一滴」、「病状六尺」は特に有名。自分を「獺祭(だっさい)書屋主人」と号し、子規とも名乗った。自分の病気を治すため、糸瓜(へちま)を愛飲した。病状悪化のときの句が今もへちまの代表句として光っている。
 「痰一斗へちまの水も間に合わず」。
 この句から子規忌を「糸瓜忌」ともいう。
◇ぼくが、「へちま」や「ぶらり」から「プーア」などを頭に浮かべて、しばし、明治の大先達に思いを走らせたのは、全くひょんな夜のいたずらである。
 友人のAさんから誘われて、片町のスナック「ゆらり」に遊んだのは昨夜のことだが、初めての店だった。経営者が変わって2年ぐらいらしいが、前の店のイメージは全くなく、ただ「ゆらり」という妙な名に関心を持った。
 ぼくは仕事の関係上、言葉に興味があり、一つの言葉から、歌や俳句を考えたり、小説や映画、文学の世界に遊ぶことが多い。ゆらりは、揺れる姿を形容した副詞で、ゆらりゆらりと繰り返して、ブランコの動きなどを形容する。ゆうらりともいう。
 ゆうらりには、ゆったりの落ちついた気分があり、語源は「揺れる」かもしれない。赤ちゃんが揺り籠で癒されるように、人間はほどよい揺れによって脳が軽くマッサージされ、眠気を誘われる。
◇ゆらりから「ぶらり」。ぶらりから「銀ぶら」。銀ぶらから東京―江戸―日本橋―東海道。東海道といえば中山道。中山道から番場。
 番場といえば忠太郎。あれは全く架空の主人公だが、番場を世に広げた恩人は小説家・長谷川伸。忠太郎の碑に「親をたずねる子には親を、子をたずねる親には子を」と描かれた地蔵が祀られているが、その落慶法要は50年前だった。
 当時、ぼくは、へぼ記者として取材に当たり、文豪、長谷川伸にこの小説の由来や番場忠太郎の名前の起源を聞いたが、それは後日に譲る。

2007年02月21日 14:11 |


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