長寿と還暦と七福神
橋の寿命、建物の寿命について書いたが、寿命とは命(生命)の長さのことで、その解釈をもとに、物の使用に耐える期間をもいう。
例えば、「機械の寿命が長い」などという。生命について言えば、古来、長く生き延びることは人間の願望だった。長く生きたくとも必ず齢(とし)を重ねて老い、一人の例外もなく死んでゆかねばならぬ。避けられぬ人間の苦であるが、昔、むかしの中国の大王は世界を探して不老不死の仙薬を求めた。
◇死をまぬがれることは不可能でも寿命の長い人はあった。
一つは長寿の遺伝子を持って生まれたこと、一つは生まれてからの育ちの環境とその人の生きざまによる。
人間は長寿を願うものの、その生き方の教条書のようなものはないから、いわば寿命は宿命だと横着に構える人が多い。
健康法については江戸期の貝原益軒の書いた養生訓は例外で、多くの学者は精神的な修行に関する書は残したが、長寿の秘訣ともいうべきものは残していない。
◇人間は古来、幸せを追い、求め続けたが、その願望は祈りと祭にあった。例えば、日本には昔から七福神の縁起にあやかろうとする習俗があった。
七福神はめでたさを象徴する七体の神で、大黒天、恵比寿(えびす)、毘沙門天、福禄寿、弁財天、寿老人、布袋(ほてい)の七神。
大黒は米俵の上に乗っかっている通り、豊作、福徳の神。恵比寿は鯛を釣ってのにこやかな姿から想像される通り豊漁の神。毘沙門天はお金の神。福禄寿は幸福と長寿の神。弁財天は財福と音楽の神。寿老人は健康長寿、布袋は吉兆や天気の占いの神とされる。
節分に還暦の男性が頭巾を被(かぶ)って豆を播くが、あれは寿老人をかたどったのが原形。丁寧な家は、一家の主が還暦(満60歳)を迎えると、祖先の法事を兼ねて還暦祝いをする。このとき床の間に飾るのが尉(じょう)と姥(うば)である。尉は年寄り男(翁)。姥は老女(媼)。この祝いごとは、古来、日本人が如何に長寿をあこがれたかを実証している。
◇このごろの新聞で、死亡記事を見ると、80歳代、まれに90歳代の人が目につく。人生50年といわれた戦前と比べて、随分、人の寿命が長くなったものだと感心するが、これは一つには世の中の医療、衛生、食環境の向上によるもので、二つには、死ぬべき人を医療の力で生かしているからで、いまの長寿は必ずしもめでたいとは言えぬ。
うそだと思う人は、全国どこでもいいから福祉の制度で守られている老人施設を見学するとよい。ことに重度の老健施設や、特養老人ホーム、痴呆の人々の介護施設などを見ること。涙の流れる人もあるだろうし、気分が悪くなる人もあるだろう。
若いものが家で介護できぬから、公けの施設や病院に預けることになるのだが、ご本人は知覚の正常さを失っているから老いたる赤ちゃん以下であり、気の毒を通り超して見学者自身が老後、あんなふうになるのかと思えば、長寿必ずしもめでたくはなし、と思えるのではないか。
それよりも不安に思うことは、これからまだまだ老人人口が増え、施設はいずこも超満員、そのうち介護する人、介助者がいなくなったらどうなるのか。そんなわる案じをしなくてはならぬほどの長寿日本である。
2007年02月06日 14:14 | パーマリンク
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