クラークと教育問題
少し、教育に関心のあるものは「クラーク」という明治初期の教育家の名を知らぬものはあるまい。
知らなくとも彼の残した「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という言葉は知っているに違いない。
クラークはアメリカの教育家で、マサチューセッツ農科大学長。1867年(明治9)、日本に招かれ、札幌農学校(北大の前身)の初代教頭となった。
キリスト教精神に基づく新教育を実施し、生徒に多大の感化を与えた。任務を終えて帰国するとき、彼が生徒たちに贈った挨拶の言葉が前記の「ボーイズ・ビー・アンビシャス」で、「少年よ大志を抱け」と訳され、国内に広まった。彼の教化により、後、日本の思想教育界で活躍した二人の大物の名も日本人の記憶に新しい。
◇一人は内村鑑三、いま一人は、紙幣にも登場した新渡戸稲造。このほか、札幌農学校からは人材が多く巣立った。
内村鑑三は、1930年没の宗教家、兼評論家で、無教会派のキリスト伝導者としてキリスト教界に大きな影響をもたらした。
後の大逆事件で有名な無政府主義の大杉栄も彼の弟子だった。一高教授のとき、教育勅語に対する敬礼を拒否して免職となり、以後、萬朝報などを通じ、日露戦争に対して非戦論を発表した。雑誌「聖書之研究」を創刊。「余はいかにして、キリスト信徒となりしか」など著書多く、日本の近代化を通じ若ものに多大な影響を与えた。明治の文豪・島崎藤村などもその一人であった。
◇新渡戸稲造は、1933年(昭8)没。教育者のほか、農政学者としても日本の第一人者であった。札幌農学校を出て、アメリカ、ドイツに留学、一高校長、東大教授、東京女子大初代学長を歴任した。国際連盟の事務次長、太平洋問題調査会理事長として、国際理解と世界平和に貢献した。「農業本論」、「武士道」他著書多数。
◇ぼくが、いま、なぜ、クラークを取り上げたのか。その弟子、内村や新渡戸について言及するのか。それは教育改革について、世論の関心を高め、教育界の人たちに自己改革を訴えたいからである。
「教育」というのは、一つの事業のようなものであるが、この事業は、春に種子を播いて、秋に収穫するような短期速成的なものではなく、長期の熟成期を経て、完熟するのが本来的であるがゆえに、ややもすれば、工場の職人的意識、あるいは単なる知識の切り売り的な商人根性に陥り易い。
今の教育は知識と人格の涵養は表向きの美名で、実態は受験を前提にした予備校まがいである。
総合的な学力や体位、人格などは二の次で、一にも二にも有名高校、有名大学突破の受験本位となってしまった。
生徒たちはテストに追われて、教師との精神的交流は遮断されてしまった。精神的交流が遮断されているのであるから人格的影響を受けるはずがなく、教師は時間をクリアーして、サラリーを稼げばよいわけで、他の一般サラリーマンと本質的に差異はない。
◇生徒たちは受験技術を学び、いかに暗記して、テストにいい成績をとれるか、それのみが主眼で、教科を掘り下げて学問の面白さ、楽しさを追求するゆとりがない。たとえば、国語で現代文を習っても、実際の作家の文章などを味わう指導も受けねば、読む時間も持たぬ。それと同時に文章や詩歌を創る能力も育たない。
受験期が終わったら、何が残るのか。空しさだけが残って、大学は遊びの場になり下がる。それが問題である。
2007年02月01日 13:55 | パーマリンク
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