2007年02月28日
忠太郎の命名と由来
番場の忠太郎ゆかりの「親探し子探し地蔵」は、米原市番場の蓮華寺境内に建てられているが、その由来を知る人は少ない。
同寺の執事・中川信幸さんの話によると、長谷川伸がかけ出しのころ、中山道を旅していて、当時の蓮華寺の和尚に親切なもてなしを受けた。そのときの嬉しさが忠太郎の生まれ故郷を番場にした因縁だという。
この話の信憑(しんぴょう)性は昭和30年ごろにさかのぼる。
当時、タクシーの運転手をしていた鳥居本(彦根市)の清長さんが、長谷川伸を彦根から蓮華寺へ乗せたことがあった。その車中での話。
「先生、なんで、忠太郎の故郷がこの番場なのですか」。
「それはネー、わしがまだ、かけ出しのころ、この中山道を旅したんや。そして、この蓮華寺に立ち寄ったとき、和尚さんに昼食をご馳走になり、親切にして頂いたんだよ。あのとき、私は腹ぺこで、倒れそうなくらいやった。あのときの昼飯の味が忘れられなかったから、番場を忠太郎の生誕地にしたんだよ」。
中川執事は、今も参詣者にこの話をされ、人の世の情の大切さ、不思議さがこんな形で蓮華寺と忠太郎地蔵に関わっていることに多くの感動を与えている。
◇忠太郎地蔵の建立・開眼(かいげん)法要は昭和33年8月3日行われた。
来年で50年になるが、そのとき、「滋賀日日新聞」記者として取材したぼくは、親しく長谷川伸さんとそのお弟子さんたちに会うことが出来、その記憶は今も鮮明である。
お弟子の一人に、村上元三さんがおられた。どこの新聞か忘れたが、当時「加藤清正」の小説を執筆されていたので、あらためて長谷川伸という老作家の大家ぶりに圧倒されたことである。
◇ぼくはそのとき、長谷川さんに、主人公の番場忠太郎命名の由来を聞いた。
長谷川さんは、ごく気楽に、決して高ぶったり、もったいぶることなく、「そりゃ君い、主人公の名前と、出生地選びは苦労するんだよ。主人公は親に生き別れのやくざ渡世人だから名前もそれにふさわしい呼びやすさや、覚えやすさが大事なんで、あれこれ考えた末、なんとなく忠太郎となった。
さて、姓をどうするか。日本国民から愛読されるために地名と姓を一体化し、どこを主人公の生誕地にするか。それでネ、陸軍の参謀地図を取り出して、昔風でありながら、発音しやすくて、名前の忠太郎と不離不即の地名をつぎから次へと探し出した。
宿場でなければならぬから地図の上で、これらを点検し、鳥居本、摺斜峠、番場、醒井、柏原と日本の中央部分を眺めたとき、ひらめく如く、番場(ばんば)に目が射すくまれた。『番場の忠太郎』、よしっ、これにしようと、きめたのが出発点です」。
ぼくはこのとき、小説家というのはものすごく想像力を働かせるものだ、そして、名前一つにも、そこまで凝るのかと感心したことだった。
2007年02月27日
「瞼の母」と長谷川伸
過日、この欄で「ゆらりぶらり番場へ」を書いたところ、後段の番場忠太郎の地蔵尊について、蓮華寺の執事・中川信幸さんから有り難い資料を頂いた。
その資料の一つ「瞼の母」蓮華寺本は、忠太郎を世に出した作家・長谷川伸について興味ある史実を浮き彫りさせている。
この本は、東大教養部、放送大学各講師、横浜西林寺住職などを経て、本山・蓮華寺に入山した大橋俊雄著(故人)で、平成11年発行された。著作には長浜城歴博の太田浩司氏、静岡大・小和田哲男教授ら3人の大学教授も協力していて、真実性の高い読みものとして納得できるので一部を紹介しておく。
◇忠太郎地蔵尊は昭和33年8月3日、地元の協力で造立されたもので、石工は岡崎の成瀬大吉氏だった。
この地蔵は忠太郎を主人公にした「瞼の母」の作者・長谷川伸の「南無帰命頂礼 親をたづねる子には親を、子をたづねる親には子をめぐりあわせ給え」の悲願によって建てられた。
その悲願は、「広い世の中には親に早く別れて、父恋しい、母恋しいの1年に孤独の淋しさをかこち嘆く哀れな児、その反対に子を探し求めて悲哀に泣く母があまりにも多いのです。自分もその一人で、幼にして母に別離し、淋しい孤児の悲境を味わい、探し求めていた生みの母に、40余年ぶりで再会することができた。そのときの喜びは筆舌にもあらわしがたいものがありました。今、その喜びをこれら母子別離の悲境に泣く哀れな人たちに一刻も早く与えたいのです。それには先ず、掌(たなごころ)をあわす素直な心持にならなければならないのです」という長谷川伸の言葉に明らかである。
◇彼(伸)の母コウは妻妾同居の生活にピリオドをうち、日出太郎と伸二郎(のちの伸)を残し、婚家の材木商・長谷川家を出た。生家の神奈川県の和泉村(現横浜)へ帰ったのは明治20年12月5日。このとき、伸二郎は3歳で母と生別した。
伸二郎8歳のとき、一家は離散し、祖母も義母も住み込みで働きに出、伸二郎は小学校を2年で中退し、横浜で土方の下回りをしたり、出前の小僧、土方の石工など苦労し、20歳のころから文筆を業とするようになった。
母コウは、実家に帰った翌21年、京都出身の製糸問屋と再婚。離れ離れの母子は互いに会いたく思っても消息を知ることはなく、年月が過ぎた。
ところが、偶然の機会から伸二郎は昭和8年2月12日、49歳のとき、46年ぶりに母の所在を知った。伸二郎は46年ぶりに瞼の母に会ったが、母は71歳だった。
◇伸二郎こと長谷川伸が「瞼の母」を書いたのは昭和5年2月だったから、当時の彼はまだ母に会っていない。
「会いたい」「会いたい」の一念で書いた瞼の母だったが、不思議にも書いてから丸3年経って、生母のコウに会うことができた。
小説の主人公・番場の忠太郎は実在の人物ではないが、忠太郎が26年ぶりに母に出会ったように、彼は実の母を忠太郎の母に重ねた。
◇瞼の母は新国劇や映画で上演され、人びとの涙を誘った。母おはまは番場宿の旅籠(はたご)おきながや中兵衛の嫁となり、男子を出産した。その子が忠太郎。そして忠太郎5歳のとき、夫の身持ちの悪さから家を出る。父も12歳のとき世を去ったので、忠太郎は孤児となる。
その後、やくざ稼業をしながら母を求めて江戸へ出る。土産がわりにと100両を貯めて、やっと母に出会ったものの、母は、忠太郎を名乗って財産に眼をつけた男と思い違いして、無慈悲に追い払う。
筋書きの大綱は以上だが、長谷川伸には後日談がある。不思議にもそれがぼくにも関係する。
2007年02月26日
松坂、中村、円楽さんら
人生は明暗を織りなす織物のようなもので、いろいろな変化があって面白い。
しかし、面白い、というのは他人行儀で、側から人さまを見ている立場といえる。本人にとっては死ぬか生きるかの、どたん場の苦しみにあえいでいるときもあり、必ずしも首尾上々、花満開というばかりではない。
◇朝な夕な新聞やテレビのニュースを見ていると、そこに人生の明暗がクローズアップされていて、破顔することもあれば涙することもある。
例えば、これは2月26日付の産経新聞スポーツ欄である。何十億円の金の生る木の松坂投手が、米大リーグのキャンプで、英雄気取りの評価を受けている。球種などが分かるように投げたにも拘わらず、44球のうち、安打性はわずかに1本。チェンジアップの切れのよさをアピールした。コーチも打者も舌を巻くほどだったというから、実戦での活躍が見もの。
同じ欄に阪神から大リーグ入りした井川投手の評判もすごい。本塁打王4度の強打者ロドリゲスがその印象を問われて「15勝できる」と、その威力のある左腕を絶賛した。トリノ監督は「手元で思ったより速くなる。ほとんどの左投手より球に力がある」と、本番への確かな歩みに信頼感を寄せている。
◇ところが、その同じページに、かつてのパ・リーグの最強打者・中村紀洋の中日入りが報じられた。2000年といえば7年前だがその年、近鉄で39本塁打、110打点で二冠、01年は132打点で2年連続の打点王。05年に米大リーグ、06年オリックスで日本へ。そして今年はどこからも声がかからなかったが、どたん場で、中日の落合監督に拾われた。それも2軍戦だけに出場できる育成選手として。
その契約年俸は、昨季の2億円から50分の1の大幅ダウン。高校生以下の400万円。
それでも、本人の中村選手は、「やっとユニホームが着られる。野球小僧という、初心に返って野球ができる喜びを感謝したい」と嬉しさいっぱいで語っている。
「お金じゃない。ただ野球がしたい」と、いじらしい言葉が伝えられているが、かつての栄光の時代を思えば、その立場は、横綱とフンドシかつぎの差であり、口惜しさは煮えくり返る思いであろうが、それが現実であり、彼のわずか数年間の野球人生の明暗である。1軍へ這い上がって、再び新聞活字になるか、ならないか、はこれからの努力次第であろう。
◇人生の明暗は野球に限らない。25日の晩、テレビで落語の名人・円楽さんの引退の弁を聞いて、いとしいやら、淋しいやら、複雑な気分になった。テレビのお笑い番組「笑点」で、長い間、司会をしていたが、病気には勝てなかった。脳梗塞から立ち直って、一度は高座に復帰したが、人工透析の病気もあって、だんだん口演がしにくくなっていた。
高座で立ち往生することはなかったが、納得のいく芸が出せず、このまま続ければ恥じの上塗りだとばかり、この日、トリを40分以上つとめた後、いさぎよく聴衆の前で引退を宣言した。引退の言葉を聞いたが、たて板に水の如き落語家の弁とは裏腹に言いにくそうに言葉を選んでいた。口が生命の落語家である以上、引退は阻止しようがない。しかし、みんな、だれもが通る暗の人生であり、早いか遅いかの違いだけである。
大臣であれ、議員であれ、知事であれ、市長であれ、あるいは日本を動かす大会社の社長であっても人はみんな明と暗の糸を織ってゆく。できれば春の日差しのような明るく、温かいページを綴ってゆきたいものであるが。
2007年02月25日
お年寄りと車(浅井よもやま)
さきごろ、長浜市内で発生した死亡ひき逃げ事故は地元で大きな波紋を呼んだ。逮捕された犯人は一人暮らしの75歳の女性で、お年寄りがお年寄りをはねる、という最悪の結末となった。
昨年、長浜署管内の高齢者が関係した交通事故は169件で、事故全体の約4分の1を占めた。中でも死亡事故は5人のうち4人が65歳以上の人だった。高齢ドライバーの事故も増加傾向で長浜管内は102件。前年に比べ16件も増えた。
最近、「もみじマーク」を貼った車で、危なっかしい運転を目にすることがある▽方向指示器を出さず、いきなり曲がる▽一旦停止や信号に気付かない▽ノロノロ運転など―後ろを走っていてハラハラ、時には注意したくなる。
高齢ドライバーに関しては運動神経や反射神経の衰え、認知症などを懸念する声があるが、湖北のような田舎ではバスや電車など公共機関が整備されていないめ、車は必需品。このため、県内の高齢者の免許所有率は北高南低傾向。2005年12月現在、65歳以上の免許保有率の県平均は12%で、大津市は10・6%だが、旧東浅井の4町はいずれも16%前後と高い。
◇長浜で事故を起こした老女は友人の家に行くため、久しぶりにハンドルを握った。自宅を出て、西中の交差点を右折しようとすると、目の前に自転車の女性が・・・。はね上がった女性はボンネットから地面へ落ちてしまった。「家族に迷惑をかけたくない」との思いでアクセルを再び踏んだ、と警察の調べに対し、自供している。
新聞で自転車の女性が死亡したことを知った。事故後、自宅の車庫から再び「茶のセダン」は外へ出ることはなかった。
◇唯一、逃走車両を目撃した中学生の証言は「古いタイプの茶のセダンで、ドアにモールが付いていた」。長浜署が管内で茶のセダンの登録数を調べるとわずか数十台。「すぐ見つかる」と思われたが、該当車両はなし。車検証の登録色はあてにならないため、捜査対象を「モール付きの古いセダン」に切り替えた。湖北だけで約7万台、長浜だけでも599台が登録されていた。「長期戦か」。捜査員は現場を中心にしらみつぶしに捜査を続けた。
事件発生の58日後、現場からわずか1㌔ほど北の車庫に薄茶のマークⅡがあった。「平成4年式」「モール」「バンパーとヘッドランプに擦り傷」がある。「間違いない」と確信した捜査員が持ち主の老女に問いただすと「怖くなって逃げた」と容疑を認めた。
事件数日後、現場検証が行われた。老女は腰を曲げ、小さく丸くなって署員から事情聴取を受けていた。前に組んだ両手には白い布が被されていた。
◇湖北では過疎化が深刻な問題となっている。少子高齢化も進み余呉では3人に1人が65歳以上のお年寄りで、核家族化が進み、高齢者世帯も多くなった。
昨年の大雪で中河内を取材した際、お年寄りが1㍍以上積もった屋根の雪下ろしをしていた。男性は「都会にいる息子に頼んだが、待っていられない。このままでは家が潰れる」と黙々と雪かきを続けた。
核家族、少子高齢化が生んだ殺伐とした世の中。お年寄りが生きるには苛酷な時代になってしまった。
2007年02月23日
病院にも、ひこにゃん効果を(見聞録)
大河ドラマ「功名が辻」の放映に合わせて、昨年1月から11月にかけて長浜市を主会場に開かれた「北近江一豊・千代博覧会」は大成功だった。期間中の観光客の消費は前年の160億円を上回る200億円に達し、差し引き40億円の経済効果があったというから、大河ドラマが観光地に与える影響力の大きさが実感できる。
このイベントを支えたのは、ガイド役や紙芝居公演への協力、裏方に徹した市民ボランティア。観光客をもてなし、楽しませようとする気遣いが好評だった。また、着物大園遊会に大河ドラマの主演を務めた仲間由紀恵さんを招いたり、ラジオ局の開設イベントに同じく女優の乙葉さんを招待するなど、イベント関係者の手腕も光った。
実行委員会は最終的に約3000万円の剰余金を計上し、今後の観光振興のためにと、長浜市と曳山文化協会、大通寺に寄付した。曳山祭りを支えるため脈々と続く町衆の心意気、きっぷの良さを感じさせる。
◇国宝彦根城を擁する彦根市では3月21日から築城400年祭が開かれるが、そのマスコット・キャラクター「ひこにゃん」が大人気だ。「井伊の赤備え」の兜をかぶった白い猫なのだが、その緊張感のない「ゆるい」顔つきと、丸い体系、短い足などが若い女性から絶大な支持を受けている。
ぬいぐるみ、携帯ストラップ、まんじゅう、ネクタイピンなど関連グッズが続々と売り出され、サンライズ出版が昨年末に出版した絵本は約1カ月で初版3000部を完売するなど「ひこにゃん・ばぶる」の様相。400年祭のPRに熱心な市民は、ひこにゃんをかたどったバッヂを胸に付けて仕事に励んでおり、その姿は銀行や役所に行けば見ることができる。
◇彦根と猫のつながりは、2代目藩主・井伊直孝の時代に遡る。舞台は江戸の貧乏寺の豪徳寺。直孝が鷹狩りを楽しんだ帰路、門前で白猫の手を挙げて招く仕草につられて、寺を訪ねたところ、突然の雷雨。偶然にも猫のおかげで夕立を避けられ、また、その猫を我が子のように可愛がっていた住職の説法にも魅了された。これが井伊家との縁となり、今では井伊直弼の墓所としても知られている。
◇人気を集めるひこにゃんだが、築城400年祭実行委員会は、関連グッズの販売元から使用料を一切徴収していない。「400年祭のPRになるんなら、自由に使って欲しい」からだそうだ。いくらか使用料収入があれば、資金面で観光にも寄与できたかもしれないが、そういったところは、井伊家の伝統を受け継ぐ太っ腹の殿様文化なのだろうか。
ひこにゃんによる先行PRを追い風に、祭りを成功に導きたい彦根市は関連予算約3億円を3月議会に提案する。開幕初日から、アカデミー賞を受賞した世界的衣装デザイナー・ワダエミさんの作品展や、井伊家14代を紹介する企画展、そして城内での結婚式と、催しは目白押し。
しかし、行政サイドの意気込みや、ひこにゃん人気とは裏腹に、肝心の「築城400年祭」の中身については浸透がイマひとつで、市民の関心の高まりも気がかり。
◇今、彦根市は財政事情の悪化で、実質公債費比率は県内最悪となっている。さらに、5年前に新築したばかりの市立病院で産婦人科医を確保できずに3月末から分娩制限するという大失態。そんな中、3億円もの大金を注ぎ込んでイベントを開催するのだから、市民の共感を呼び、一定の経済効果を上げなければならない。
もっとも、市立病院の失態で大迷惑を被っている妊婦や、これから結婚しようとする市民にとっては、築城400年を祝っている場合じゃないのかもしれない。この際、ひこにゃんグッズの売上金を活用して市立病院に産婦人科医を招いてはどうだろうか。女性に人気のあるひこにゃんの手を借りよう―。
2007年02月22日
高齢化と延命術中止
人間の高齢化現象はめでたいこと、と素直に喜びたいが、それには前提があって、健康で高齢化を生きることだ。
平均寿命が80を超したとか、それに近づいたとか、そんなことは人の幸せに一般論としていうべきことではない。
統計という数字は実も蓋もない冷たいもので、長寿の統計は健康人も病人も含まれている。意識不明で人工呼吸をしている高齢者も、事実上、死を宣告されても不思議でない植物人間でも統計上は一人の人間としてカウントされる。重病で明日が分からぬ老人はもとより、恐らく退院の難しい老人もたくさんあるに違いないが、この人たちの生命がある限り、統計上の老人比率は高くなるし、平均寿命の年齢を高めるに役立つ。
◇いま、高齢者の最大の関心は余生をいかに幸せに送れるか、そして、そのための体力と健康づくりである。
また、高齢者を抱える家族の最大の関心は長寿を支えながらいつまで健康を持続させ得られるか。病人の場合はXデーを迎えるまでの過程や介護のことであろう。
◇したがって、長く生きているからといって、100%それを幸せと思うわけにはゆかない。現に、世の中には家族の中に長寿者のいることを表にしたがらない人もいる。
以前は敬老の日に長寿番組を発表したが、今はそれを拒否する空気さえあり、とりわけ施設や老健病院に入っている老人の家庭では、それを世間に知られることを喜ばない。
このことは、高齢者を抱えている家庭内の家族の心が非常に複雑であることを証明している。
だから、一にも二にも健康で長く生きてほしいに尽きるわけだが、悲しいかな、いつかは、その限界にぶつかることになる。
◇長寿社会は国家の医療費にも関係するが、それぞれの家庭においても、一たん病気になり、それが回復困難となれば、医療費の負担はもとより、介護その他の心身の疲労もあり、一家の経営を暗くさせる。
◇さて、現実に目を向ければ、病院で死を迎えるよりも、わが家へ帰って家族の介抱の中で最期を送りたいと望む者が多い。老人にとって、病気はもとより、死は避け難い順序ではあるが、常に念頭にあるのは、苦しまずにあの世に旅立ちたいとの願いである。
90歳以上の長寿者の中には、一日か二日のわずらいで、苦しむこともなく、周辺が驚くほど、あっけなく逝く人もあるが、多くは長い年月、医療の助けを借りねばならぬし、家族介護のかなわぬ人は福祉施設などの世話になることになる。
◇悲しいのは、体中に床ずれが生じて、思うように動けない人や、耳、目、口が機能しなくて、自分の意思が伝えられず、さらには自分自身の意識がおかしくなったりすることである。
現代の医療は、患者がリビング・ウィル(生前の意思表示)を形の上で示さない限り、死が100%間近にあっても最後まで終末治療を続ける。ぼくはこれを延命施術といっているが、これは悲劇であり、患者と家族の不幸でもある。
この意味では、遅きに失するきらいはあるが、日本救急医学会の今回の「延命中止」に関する学界指針案は大いに評価し、画期的な前進として、一日も早く実施化されることを期待する。
2007年02月21日
ゆらりぶらり番場へ
「世の中は、なんのへちまと思えども、ぶらりとしては暮らされもせず」。これは一種の狂歌である。「世の中なんて、乞食(こじき)してでも食えるんや」と、人生を甘く見ている人への教えである。
昔は「稼ぐに追いつく貧乏なし」といったが、石川啄木は「働いても働いてもわが暮らし楽(らく)にならじ、じっと手を見る」と歌った。
このごろは、啄木が文学の世界から政治の世界へ持ち出されて「ワーキング・プーア」の元祖のようになった。
あの世で、くしゃみしている啄木が目に見えるようだが、ご本人は、死後「一握の砂」「悲しき玩具」その他の歌集が評判を生んで、今に至る明治の天才詩人として大きな足跡を残した。
◇ワーキング・プーアは、働き貧乏とも訳せるが、茶化して用いることはご法度であろう。今の団塊世代や以後の若ものは知るまいが、半世紀以前の日本人の多くは、厳密に言えば、ワーキング・プーアを余儀なくされた。
プーアはプーアでも、当時と今では内容がちがう。今はプーアといって生活保護を受けながら、外車に乗ったり、パチンコ通いするのもいる。映画を見たり、買い物をする余裕を持ちながら家賃を払わず、給食費も未納というのもある。昔の貧乏人が見れば今の貧乏人はお金持ちに映るかもしれない。
昔は、ぶらりとしては暮らされもせず、だったが、今はフリーターだの、ニートだの、ぶらり、ふらりが多過ぎ、しかも、これに国家予算を考慮する変な時代になった。
◇プーアから、ぶらり。ぶらりからへちまを連想したが、へちまから子規を思う人も多いのではないか。
子規、正しくは正岡子規。日本の俳句、短歌の革新を行った明治文学の巨匠で、著書も多く、長い病床生活による「墨汁一滴」、「病状六尺」は特に有名。自分を「獺祭(だっさい)書屋主人」と号し、子規とも名乗った。自分の病気を治すため、糸瓜(へちま)を愛飲した。病状悪化のときの句が今もへちまの代表句として光っている。
「痰一斗へちまの水も間に合わず」。
この句から子規忌を「糸瓜忌」ともいう。
◇ぼくが、「へちま」や「ぶらり」から「プーア」などを頭に浮かべて、しばし、明治の大先達に思いを走らせたのは、全くひょんな夜のいたずらである。
友人のAさんから誘われて、片町のスナック「ゆらり」に遊んだのは昨夜のことだが、初めての店だった。経営者が変わって2年ぐらいらしいが、前の店のイメージは全くなく、ただ「ゆらり」という妙な名に関心を持った。
ぼくは仕事の関係上、言葉に興味があり、一つの言葉から、歌や俳句を考えたり、小説や映画、文学の世界に遊ぶことが多い。ゆらりは、揺れる姿を形容した副詞で、ゆらりゆらりと繰り返して、ブランコの動きなどを形容する。ゆうらりともいう。
ゆうらりには、ゆったりの落ちついた気分があり、語源は「揺れる」かもしれない。赤ちゃんが揺り籠で癒されるように、人間はほどよい揺れによって脳が軽くマッサージされ、眠気を誘われる。
◇ゆらりから「ぶらり」。ぶらりから「銀ぶら」。銀ぶらから東京―江戸―日本橋―東海道。東海道といえば中山道。中山道から番場。
番場といえば忠太郎。あれは全く架空の主人公だが、番場を世に広げた恩人は小説家・長谷川伸。忠太郎の碑に「親をたずねる子には親を、子をたずねる親には子を」と描かれた地蔵が祀られているが、その落慶法要は50年前だった。
当時、ぼくは、へぼ記者として取材に当たり、文豪、長谷川伸にこの小説の由来や番場忠太郎の名前の起源を聞いたが、それは後日に譲る。
2007年02月20日
区長の引き継ぎ異変
いまの時期は町々、村々の区の総会や役員交替期になっている。
区は行政組織の末端であり、どの地域にも伝統や慣習があり、地区住民の参加と協力で円満な自治が続いている。
末端自治体の長は、江戸時代は庄屋といったが、明治の市町村制改革で、村が生まれ、戸長(村長)制が実施された。
現在の区は、明治以前は独立した自治区で、三ツ矢村、国友村、大路村、野瀬村、酢村、難波村など合併前の村と同じ組織になっていた。その名残りが今も続いて、各区ともそれぞれ固有に自治区を運営している。
◇いまは市街地は自治会長と呼ぶが、農村部は区長という。ところによっては区長のほか総代という役職を設けている。
◇ところで、区長(自治会長)のほか、三役など役員の仕事が煩瑣で、面倒なため、なり手がなくなって困っているところが現れ始めた。戦前の区長は格式があり、権威があったが、戦後は民主的改革が進み、そのポストは大衆化された。
しかし、それでも昭和の終わりごろまでは、地域の栄光ある奉仕的立場が区民の尊敬と信頼を受け、選挙その他で重みを見せていた。
ところが、昭和の終わりごろから平成になって、自治会長や区長、その他の役職を選任するのに一苦労するようになった。
一つには、区民がそれぞれの仕事に多忙を極め、一年間といえども仕事に穴をあけることが困難になった。
二つには、区民の区長や役員に対する感謝の心が薄らいで、いわゆる協力態勢が薄くなった。
三つには、人口動態の変化で、若者や中堅者が村を出たため、老人や独居家庭が多くなって、役職に就くことが困難になった。
その結果、役員をする人が固定化し、かりに一期を終えても、再任、再々任を余儀なくされたり、ある期間、まぬがれてもいつかまたポストが回ってくる。
区の仕事、町内の仕事だから、役得のあるはずがなく、「役損」ではつまらぬ、と役をしたがらなくなった。選挙で決めても引き受けぬこともあって、自治会によっては頭を痛めているのが現状である。
◇各地、各市で自治会長の手当や報酬に差はあるが、議員のような好待遇は望むべくもなく、いわゆるボランティアである。ボランティアなるがゆえに区民が協力して盛り上げるのが理想だが、これが困ったことに区民の自治意識が稀薄になって、会費を払うだけで、企画した事業などへの協力がない。
区長は、区民の利害の先頭に立ってのコミュニケーションづくりや、行政の下達的仕事をこなしたり、交通、防犯、教育、福祉などに多忙な日々を送らねばならず、ときには行政の忠実な下働き役に徹っせねばならぬ。また自治会長といっても市街地と農村部では職務の内容に違いがあり、農村部は戸数も多いが、事務量が多岐にわたり、昔からの伝統行事、それに神社、仏閣の維持管理、河川や山林の管理などもあり、たいていの人が悲鳴を上げる。
このさい、末端行政の事務の簡素化を考え、本来の住民自治に切り換えてゆくことが望ましいのではないか。
2007年02月19日
鳥のさえずりと春愁
書見していると、突然、猫の騒々しい声が耳をつく。赤ちゃんの鳴き声かと思うほどだが、濁音が不快感を誘って、しばらく声の止むのを待つ。
猫の交尾期によるもので、春情止みがたく、飼い主も手のつけようがない。3日ほど家出して、体に傷を負いながら帰ってくるのもいる。
俳句の世界では、「猫の恋」と美化しているが、猫に限らず、春先はすべての生物の目覚め始める季節である。
◇春の季語に「囀(さえずり)」がある。繁殖期の鳥の雄の縄張宣言と、雌への呼びかけを兼ねた鳴き声をいう。神社の森などに小鳥たちが楽しそうにさえずっているのを聞くのは春のウォーキングの醍醐味である。
鳥の中では鴉(からす)の恋が華麗である。仕切りというか、婚前の間合いというか、二羽がそれぞれ一体化するには随分時間をかける。さながらデートを楽しむように、こちらの電柱からあちらの電柱へ。さらに遠く民家の建物の屋根に飛び、そこからまた畑の木の梢へ。そんなふうなデートを繰り返しつつ、情感を高めていくところが雀などの交尾と大違いである。
しかも、互いに近づいた瞬間、くちばしを交わしつつ、心変わりのないのを確かめているのは、かなりなレベルの求愛活動といえる。
野鳥で人の心を浮き浮きさせるのは鴬(うぐいす)である。春の初めはまだ鳴き声が幼稚だが、彼岸すぎから調子よく鳴く。
鴬の谷渡りは有名だが、あれは交尾期の愛の信号である。春の登山の楽しみは鴬を初め小鳥たちのにぎやかな鳴き声に出会えることである。
俳句の世界は小動物たちへの目がやさしい。季語に「鳥交(さか)る」、「鳥つるむ」、「はらみ鳥」、「鳥の恋」などがある。
◇春は身心躍動の季節でありながら、人間の心が暗く憂鬱になることがある。プロ野球のオープン戦や東京での3万人マラソンなどを見ていると、つい浮かれ気分になりがちだが、にも拘わらず歳時記には「春愁」が載っている。
春愁とは、春になって心が重く、沈みがちになる気分のことで、春先の憂鬱をいう。
冬籠もりから開放されて、ぱっと明るい日射しを受けるため気分転換がうまく働かないことによるものなのか、あるいは天地をいろどる環境が華やかで活気に満ち溢れてくるため、その雰囲気になじめないことにも原因があるのだろう。
◇われわれは、幸せにも梅が咲けば梅見を喜び、桜の季節になれば花見に心を騒がせる。蝶を見ても鳥の声を聞いてもすべて人間の心が癒される。
自然が季節の動きを通じて人間の心を豊かにしてくれると思えば、雪であろうと、寒風であろうと、有り難く受け入れられるが、そうしたおおらかな心をなくして、愚痴や不満を心に抱けば、この世は「もの憂い」娑婆と映るだろう。
われわれの日常語のなかで、隣人をあわれみ同情するとき、「あそこの家も憂いことね」、「憂いこっちゃ、あの子は」という。
病人が快方に向かわず、困っている家への同情や不良じみて世間から冷たい目で見られている少年たちを噂していうことばだが、人間、「憂い心」と無縁の人は一人もいないだろう。
自分の暮らしのなかで、光りを温め、憂き心を鎮め、消す努力が望まれるが、そのためにはどんな生活を送ればよいか。
友人との交際、趣味、何かの創造や研究。旅行、観劇、その他の気分転換などが望ましいが、とりわけ大事なことは自然と親しむことであろう。
2007年02月17日
ほんものの「かきもち」
元・菓子屋のNさんから手作りの「おかき」を頂いた。
このごろはスーパー、土産屋、百貨店、どこでも多彩なおかき売り場が人気を集めているが、むかしから農村で伝えられている手作りのおかきと比べたら、その味は天と地ほどの開きがある。
どちらがうまいかは、いうまでもない。手作りの味にまさることはないが、いまは、そのおいしい手作りを知る人が少なくなった。
手作りのおかきは正しくは「かきもち」という。
◇正月用の餅ですら家で搗(つ)くことをしなくなったから、かき餅など面倒なことをする人は滅多にない。
戦前はいまでいう「おやつ」を菓子屋で買うことのできる人はゆとりのあるお金持ちだけで、大方は家で山や野の幸を工夫して自家生産した。
例えば、さつま藷は手ごろなおやつで、煮る、焼く、蒸す、揚げるなどしたが、長く保存するためには「いもするめ」といって、水分をふくませた、ふかし藷を薄く切って、天日に長くさらして乾燥させ、白い粉が吹くころ、仕舞っておいてそのままか、焼いて食べた。
◇農村ではどの家でも吊し柿をして、子や孫のおやつにした。
そら豆、大豆などもおやつに重宝(ちょうほう)がられた。ばい(かやの実)、銀杏(ぎんなん・いちょう)も干して貯蔵し、冬のおやつにした。
◇市販のおかきは、甘み、辛み、いろいろと客筋に合わせて研究の成果を競っているが、子供よりむしろ大人が喜ぶ。それというのも今の菓子は甘くて上品すぎるので、大人たちは、甘みを抑えたあっさりしたものを好むようになったからである。
菓子類の多種多様さは驚くばかりで、ことに近年は洋菓子が若い人や女性に好まれるので市場を延ばしている。
このような菓子メーカーの近代製品に対して、昔ながらの「せんべい」や「ウイロ」「田舎まんじゅ」「あんこ餅」への需要を継続させているのは、いまだに塩さばや干しだら、塩鮭(さけ)、めざしいわしの好まれるのに似て面白い。
◇プロの和菓子屋さんだったNさんからかき餅つくりの秘訣を聞いたが、さすがに市販のものとは手間、ひま、条件が違う。
原料の餅は、その年の新餅米ではなく、前年の古餅米を使うのがベスト。味つけに入れるのは化学調味料類は一切用いず、天然の塩と砂糖、それも薄味にして、それに大豆とか、海藻、ごま、よもぎなどで風味をつけたり、色彩感を出す。
よく搗(つ)いた餅は適当な厚み、幅、長さに固めて、やや固まったころに薄く、けずるように切ってゆく。3㌢×5㌢くらいの大きさに切ったのを陰日(かげび)で何日も長く干すのがコツ。じかに風に当てたり、日に当てると割れたりしてうまく干し上がらない。
したがって、家の中で一枚、一枚吊して干さねばならぬから大変な手間と行程を要する。 手作りの本当の味を知る人は少なくなったが、いまも岐阜、長野県等の奥地の観光地の土産屋に売っていることがある。
手に入れても焼き方にコツがあり、一番いいのは火鉢の火で焼くこと。金網の上で、ふくらんでゆくのを見ながら、ひっくり返し、また元へ戻し、再び、ひっくり返し何回となく繰り返し、ほんのり狐色に焼くのが最高。
◇かきもちはほんの一例だが、今の日常生活の食品はすべて、家での手作りが影をひそめ、一切合切、市販の加工食品に依存するようになった。
手を使うこと、面倒なことを排して、らくして、うまいものを、と考え、業者はその心をつかんで、工夫に工夫を重ねる。そのうちほんものの味を忘れ、旬(しゅん)のものを知らなくなってゆく。
ぼくのいう反自然だが、その報いは知らず知らずのうちにわれわれの健康障害に現れてくるが、おろかにもそれにすら気づかない。
2007年02月16日
予算編成と納税義務(見聞録)
滋賀県の2007年度予算案が発表されたが、人件費や福祉費、公債費(借金の返済)などの増加で、自由に使える予算が限られ、その苦しさがにじみ出ていた。一般会計だけでも県債(借金)は9000億円を超え、基金(貯金)はたった240億円。台所は火の車なのに、さらなる少子高齢化で今後ますます財政事情が苦しくなるのは目に見えている。
そんな危機的状況だから、有権者は昨年の知事選で、びわこ空港や新幹線新駅などの大型事業にカネを注ぎ込もうとした国松県政に「ノー」を突き付けた。そして嘉田知事は07年度予算に新幹線関連経費を盛り込まず、凍結に向けて大きく前進させた。
有権者が嘉田知事を選んだのは、財政に余裕がなく福祉や教育、環境分野での出費が求められている今の時代に、多額の税金を投入して利用度の低い駅を造るという前時代的発想に辟易したから。本来、そういった税金の使い方を監視するのは、県議会の役目なのだが、残念ながら嘉田県政が誕生するまでの県議会は古い思考を持っていたようで、財政難の中、本気で栗東に駅が必要と思っていたようだし、県民が指摘しても、いまだにそう思っている議員もいる。過去にも空港必要論に賛同していたのだから、推して知るべしか。
◇来週から県内の市町が相次いで新年度予算案を発表するが、借金の増加に歯止めをかけている自治体がどれだけあるだろうか。
借金増加の責任は自治体だけにあるのか?チェック機能を持つ議会は何をしているのか?有権者は自身の投票した議員の働きぶりを監視すべきだろう。地元からの陳情や要望を自治体の予算に反映させるだけで、予算書や決算書の読み方も知らず、議会での質問原稿は代筆、なんてよく聞く話。
最近は、「議員の調査研究に資するため」の政務調査費の使い方についても、議員の傍若無人ぶりが何かとクローズアップされている。政務調査費を車検代や架空の事務所費に充てたり、「視察」を謳った議員同士の親睦旅行に流用したりと、好き放題なようだ。
この政務調査費、ほとんどの都道府県議会で収支報告書への領収書の添付の必要がないから、何に使ってもバレないし、「第2の報酬」とも呼ばれている。
滋賀県議会の場合は議員一人あたり月額20万円、会派には所属議員一人あたり10万円を支出している。従来、領収書の添付は一切不要だったが、06年度から1万円以上の出費については領収書の添付が必要になったというから、他の都道府県に比べると優秀か。ちなみに長浜市議会は一人あたり月額2万円で、収支報告書にはすべての領収書の添付を義務付けているので、さらに優秀。そして、情報公開請求すれば、政務調査費をどのように使っているかが分かる。
余談だが、英国など欧州各国の地方議員は無報酬が原則。その理由は「自治体から報酬をもらっていて、どうやってチェックできるんだ?」というものらしい。
◇税金を好き放題する自治体や議員へのあてつけか、何かと理由を付けて納税を拒む住民が多いという。税金を払えないほど、家計が苦しいならまだしも、立派な家に住んで、外車を乗り回し、贅沢三昧で暮らしているケースもある。
滋賀県税政課によると、職員が納税をお願いに行ったら、「1日100円ずつ払うから毎日、取りに来い」と言われたり、「ろくな死に方せんぞ!」と怒鳴られたり、役所で床に小銭をバラ撒き「欲しいなら拾え」…など、現場はいろいろと大変なようだ。県では05年度から、滞納整理特別対策室を設置して差し押さえを含めた強い姿勢で取り組んだところ、例えば自動車税では04年度末の滞納額10億2000万円が、05年度末には8億4000万円に減らせた。「差し押さえ」をちらつかせるのが効果的なようで、インターネットのオークションで差し押さえ物件の売却に乗り出したことで、税金徴収はさらに進むとみられ、長浜市もオークション参加に興味を示している。
ただ、税負担の公平性の観点から、納税逃れの確信犯には強い姿勢で臨んで欲しいが、税の入口を強化するなら、出口もしっかり監視して欲しい、と願うのは小欄だけではないはず。でなければ、増税(定率減税廃止)なんてとんでもない、とは市民の声。
2007年02月15日
6カ国協議と安倍首相
北京での6カ国協議は終わったが、結果は予想通り、北朝鮮のねだり勝ちだった。
そして曲がりなりにも議長国の顔を生かして、合意文書にこぎつけた中国外交の名演が印象に残った。
これで、北朝鮮の核に鍵がかけられ、暴走、暴発の危険は解消した、と、表向きはバンザイの表情だが、一皮剥けば、ほくほく顔の北朝鮮の喜びが手にとるようだ。
◇あざやかというか、手に負えぬヤンチャ坊主の頭のよさが光るが、同時に哀れをとどめたのはアメリカの弱腰であった。
なにしろ、「イラク」で国内の世論が反ブッシュ化しつつあり、それにイランの高姿勢も一枚加わってのこと。この上、さらにアジアで一騒動もたらしたらブッシュを先頭に共和党は吹き飛んでしまう。
ここは少しアホーになっても、形だけ、核停止の手形さえ受けとれば、金融封鎖も解除しよう、エネルギーも送ろう、と北の要求を苦虫をつぶして飲みこんだ。
◇日本と韓国はどうか。韓国は、はらはらしながら、どうか北のペースでうまくおさまるよう祈り続けていた。どたん、ばたんの荒々しいトラブルや硝煙が立てば、北と陸続きの国だけに不安と混乱と危険にさらされる。
他の国からもらうものはもろて、表つらは非核化します、といっていればめでたし、めでたしと考えていたからその通りになって、やれやれの心境だろう。
◇日本はどうか。山崎自民党前副総裁が、北朝鮮参りをして、どんな工作をしたのか。なにを教えられたのか知らないが、わが安倍首相は、孤立化といわれながらも一応毅然として重油の応援致しません、と突っ張った。下降気味の安倍さんの人気がこれで少し上昇することは間違いない。
日本国民が注視するなかで、拉致問題に何らの前進がないまま、助け船にだけ重油を積まされれば、それこそ物笑いの種であり、国民の不信と怒りを買っただろう。
民主党の前原前代表は国会質問で安倍さんに「孤独化せず、重油も送ったらよいではないか」と迫ったが、これは北を喜ばすだけで、日本人の心を氷らせる。日本はバカにされっ放しであり、面前にピストルをつけられて、「もの寄越せ」「経済制裁やめろ」とわめかれているのであり、「はい、はい、さよう。ごもっとも」と言えば先方は喜ぶだろうが、日本人は逆である。
経済制裁を続けるという安倍さんの強い態度は国民の世論を背景にしているからだが、今回の6カ国協議はワンステップで、まゆつばもの。次なる6カ国協議までにどんな変化が起きるか。あるいは次の協議で話がどんなに進行するか、晩秋の時雨(しぐれ)のような姿が北朝鮮であるから「やれやれ」などと安心するのは早い。
◇安倍さんも今は強い姿勢だが、後日どう変化するか、他の4カ国の外交のほこ先は予測がつかない。
アメリカはいざとなれば遠い太平洋の彼方のことであり、日本の運命など、かかずらっていられない、などと水臭い態度になるやも知れぬ。
同盟国とはいえ、どこまで日本の安全を担保してくれるか未知数である。信じるものは強しというが、今回の6カ国協議の結論からいえば、大統領選をひかえてのブッシュの思惑が先行して、日本と二人三脚で立ち向かう姿は見られなかった。
ここにきて思うことは日本政府は毅然として、国の独立と、国民の安全を守るという姿勢に徹することであり、そこに安倍内閣への信頼と期待がかかるといえよう。
2007年02月14日
北朝鮮は韓国を呑む
煮ても焼いても食えん、というのが今の北朝鮮であることを日本人はどれだけ知っているだろうか。
ぼくは何回も書いているが、このままの情勢が続けば、一番不幸を見るのは韓国民である。もちろん、それには前提があって、北朝鮮が核の脅しを6カ国協議に利用し、5カ国からの経済封鎖を解除させるばかりか、エネルギーその他の援助取り付けに成功してからのことである。
このことは、北朝鮮が核のカードを切りさえすれば体制崩壊の危機から救われることを証明した。この国が今のような金正日将軍の独裁国家である以上、北朝鮮人民の不幸はいつまでも続き、人間以下の奴隷生活を強いられる。
◇北朝鮮は6カ国協議を乗り切って、崩壊の危機から生き延びれば、その危機克服の経験を生かして、さらなる自国の生き延びと発展戦略を押し広げる。
そのときの最大のターゲットは韓国である。1947年に北朝鮮が韓国に侵入し軍事作戦を展開したのは、武力による南北統一戦略に基づくもので、名目は、南北統一だが、実質は北による南の併合であり、朝鮮半島全域の共産国家の出現であった。
しかし、その暴挙は国連軍やアメリカの韓国支援によって粉砕された。
◇以来、北朝鮮は戦略を和戦両様の二段階方式に切り換えた。それは武力統一は必ずアメリカや国連の反発を食うから、それを引っこめて、韓国内部での思想戦の勝利戦略だった。
このことは工作隊とスパイを韓国に送り続け、また韓国内で北派を増やし続けて、韓国から反北思想や反北勢力を一掃する遠大な政策だった。この政策を推進するため、一番重視したのは学生組織の親北化であり、その次の目標は労組組織であった。
この二大組織は韓国の今日及び、明日の担い手であり、その行動力は韓国発展のエネルギーに満ち溢れている。
この両組織を中心に韓国民の思想を親北に転換させる手段に、南北の統一と反米を鼓吹した。「南北朝鮮は共通言語を持つ同一民族であり、それが分断されているところに両国民の不幸があり、その不幸の演出者がアメリカ帝国主義なのだ」、と、宣伝して、徹底的に反米ムードを醸成した。
「アメリカ帰れ」のシュプレヒコールで、韓国基地からのアメリカ兵の撤収を韓国民に植えつけた。それは、なぜか。もし、北がころはよし、と軍事的作戦で韓国政権を倒し、政府とマスコミ、軍を掌握しようとするとき、最大の障害となるのがアメリカ軍であるからだ。
したがって、一刻も早く軍事行動を起こし実力で韓国を支配するには、アメリカ軍の引き揚げが最大の急務である。
◇そこまで、北朝鮮の息は韓国内に支配的影響力を持つようになったが、その背景には金大中前大統領及び、今日の盧武鉉大統領の太陽政策が働いた。
太陽政策は、北に対する温かい態度、交際の仕方をいう。
北が食糧が足りぬ、といえば無償で送ってやる。医薬品に困るといえば助けてやる。北の工作隊やスパイが見付かっても深追いをせず、軍事的トラブルが生じても泣き寝入りしたり、要するに、北に塩を送り、水を送る太陽のようなやさしさが、政府から各地方都市、村々に至るまで流れ、それはまさに工作員やスパイの長年の苦労の集大成であり、この結果、恐るべきことは韓国軍の中にさえ、親北勢力がぐんぐん伸びていることだ。
もし軍事行動で南北の衝突があれば韓国軍の鉄砲は北軍へ向かわず、南の自軍の方へ発する危険性が十分あるのだが、この危機的状況が韓国民に詳しく丁寧に知らされていない。
それはマスコミの多くが北寄りとなり、韓国の政・官・財もまた太陽政策に染まって、北に優しくしたり、北の陰謀から目をつむっているからである。
◇さて、今の北朝鮮は崩壊寸前の危機を6カ国協議で乗り切ろうとしているが、これが成功すれば韓国は風前の灯である。
もし、韓国が北によって統一されれば、それは間違いもなく、北の金正日独裁による奴隷の道であり、民主主義も自由も資本主義もなく、生ける屍の道を歩むことになる。
2007年02月13日
治に居て乱を忘れず
「治に居て乱を忘れず」という教訓がある。太平の世にも戦乱の時を忘れず、準備を怠ってはならない、という意味。
紀元前の周代に作られた易経の中にある有名な言葉で、必ずしも戦乱を想定しての防備意識を強調したものではない。
周は、中国古代の王朝で、前12世紀末に、文王の子・武王が殷を滅して建国した。封建体制をしき、華北平原を支配したが第13代平王の時(前771)西方の犬戒(けんじゅう)の攻略を受けて東遷し、都を洛陽に移した。前256年、秦(しん)に滅された。東遷以前を西周、以後を東周といい、東周の約500年を「春秋」「戦国時代」と呼ぶ(大辞泉)。易経は、天文、地理、人事、物象を陰陽変化の原理によって説いた書で、孔子が集大成したといわれるが未詳。
◇ぼくが、いま、紀元前の周の時代からの教訓とされる「治に居て乱を忘れず」を持ち出したのは、言わずにいられぬ絶叫と思ってもらえばよい。
いま、北京で、北朝鮮の核廃絶をめぐって、6カ国協議が世界の視聴を集めているが、外から眺めていると、どうやら北朝鮮ペースで事態がおさまりつつある。法外な経済援助を条件に出している北朝鮮について、それを渋るアメリカに対して、中国、ロシアが寛大で、韓国は北寄りである。日本は安倍首相が当初から拉致問題を持ち出し、これの前進がない限り、経済制裁は続ける、と強い姿勢だったが、中国、ロシア、韓国によって、蚊帳の外にされつつあり、孤立化の恐れさえある。
◇なぜ、こうも、北朝鮮に振り回されているのか。自由国、民主国のとりでを誇るアメリカが弱腰になりつつあるのは、イラクの治安が泥沼化しているからである。莫大な戦費と軍を派遣しているアメリカの苦悩はベトナム戦にたとえられている。抜き差しならぬイラク問題を抱えて、さらに北朝鮮に軍事行動の圧力をかけることはアメリカ国民が許さない。そのアメリカの弱点、足元を見抜いての北朝鮮の強行姿勢であることを知らねばならぬ。
◇ニセドル、麻薬密輸、拉致、その他、ならずもの国家としての北朝鮮については、国内での人権無視、食糧、エネルギー、医薬品不足などで瓦解寸前といわれる程の政権であるが、人民をスパイの監視下に置く独裁体制なるがゆえに国家体制を維持している。
いま、6カ国協議が、北のいうままに、大型支援し、エネルギー、食糧、その他を送れば、死寸前の患者にカンフル注射するのと同然で、蘇った北朝鮮が世界の平和にどんな脅威をもたらすか、一目瞭然である。
◇そこで、一番、関心を持たねばならぬのは日本である。六カ国が表向きは世界の平和を念頭に置くも、掘り下げれば、各国、それぞれの国益がからむ。
中国、ロシアは、もともと北とは友好関係にあり、朝鮮戦争では軍事協力した間柄でもあり、現在も、兄と弟の関係にある。アメリカは世界戦略の上から、核戦力をならずもの国家に許さじの姿勢だが、それは、平和と民主主義と人権を守る立場から独裁国家の侵略を阻止する使命観でもある。
これら3カ国に対して、最も敏感に北問題を抱えているのが、韓国と日本である。
しかし、韓国は、金大中前大統領以来、親北政策を発展させ、現在は韓国内の世論を親北勢力がリードする状態になった。韓国内の親北派は、北と呼応し、無血、統一政府を目論むほどになり、いわゆる北の独裁政権で統一される運命を歩みつつあるのだ。
このような分析に立つとき、日本はどうあるべきか。日本の治安と日本人の安全をどう守ってゆくか。このような差し迫った大問題に、案外、のんきなのが今の日本人であり、日本の政治家である。そのことを言いたくてペンを執ったわけである。
2007年02月09日
日本の宗教と技術力(見聞録)
先週、エジプトの「ラマダン(断食月)」の様子に少し触れたが、中東の人々の生活はイスラム教の精神に根を下ろし、国民性は温かく家庭的。シルクロードの歴史が香る中央アジアの国々から、過激な原理主義者によるテロで危険なイメージが付きまとう中東国家まで、イスラム教徒の温和さは旅行者の間でもっぱらの評判。
旅行中の宿泊は、必ず安宿を求めるので相部屋に案内されることが多く、そこで各地からの旅行者と情報交換する。その時々、互いの宗教の話が話題に登るのだが、胸を張って自国の宗教を紹介できず、説明に戸惑った経験が多々ある。
1月は神社で初詣、8月はお盆、12月はクリスマス。七五三のお宮参り、結婚式はキリスト式で、葬式は仏教―と日本の特異性を説明するのだが、他宗教に拒否感を抱かない無宗教的な考えに「変な国」と片付けられてしまう。
文化庁の「宗教年鑑」によると、日本の宗教の内訳は神道系の信者が1億0600万人、仏教系が9600万人、キリスト教が200万人、その他1100万人。合計で2億1500万人。でも、「あなたの宗教は?」と聞かれると、日本人の半数が「無宗教」と答えるそうで、トータルすると日本の人口は4億人を超えてしまう計算。「変な国」と誤解されるのもうなづける。
◇宗教のほか、話題に上るのは日本製品。自動車の「トヨタ」「ホンダ」「スズキ」、家電製品の「ソニー」「ニンテンドー」などを挙げ、何の資源も持たないアジアの小国が第2次世界大戦の敗戦から世界有数の経済大国にまで発展したことに、日本の技術力の高さと、勤勉さを評価してくれる。
外国人旅行者の評価はともかく、今の日本の技術力、果たしてこのまま世界の最先端でいられるのか、見通しは不透明ではないだろうか。7日付け「滋賀夕刊」の記事で、子どもの理科離れ解消のため、神照小学校の教諭の取り組みを紹介したが、この理科離れの問題は最先端の技術力に支えられてきた日本経済の将来にとって深刻な問題。インドや中国などの後進国が急成長する中、日本で技術者育成の芽が摘まれているのは、将来の技術競争において劣勢に立たされることを意味するのではないか。このまま理科離れが進めば技術者や研究者が2000年の270万人から、2050年には170万人にまで減るというデータもある。
国際教育到達度評価学会の調査によると、日本の子ども達の理科のテストの得点は、小学4年で25カ国中3位、中学2年で46か国中6位で、共に上位にある。しかし、「理科は楽しいか?」の質問に対して、「強くそう思う」は小学4年で45%(国際平均55%)、中学2年で19%(同44%)。理科の興味が国際平均を下回るだけでなく、中学生になると急減していることが分かる。さらに、理科の勉強に対する積極性は、中学2年の国際平均57%に対し、日本はたった17%。テストを目的にした暗記勉強の弊害がうかがえる。
◇では、この理科離れを教育現場はどう考えているのか、長浜市小中学校教育研究会理科部会の部会長を務めるびわ南小の八木善勇校長に話を聞いた。八木校長は「今の教科書は内容が理論的で、面白みに欠け、子ども達の興味を誘わない」「テキストだけに頼らず、実験や体験、観察を増やすことが大切。暗記学習に比べれば、テストの点数は一時的に下がるかもしれないが、長い目で見れば良い効果があるはず」と説明してくれた。
さらに、家庭での課題も指摘して頂いた。「テレビゲームばかりで、昔のように竹トンボを作ったり、虫捕りで遊ぶことが減り、不器用な子どもが増えた」と。
八木校長が「理科はモノ作りの基本」と語るように、今の日本が今後も技術大国であり続けるには、テストや受験向けの暗記教育を改め、家庭での遊びのあり方を見直す必要がありそうだ。
2007年02月08日
「焼き」を入れること
公務員の不祥事件が報道されるたび、国民の不信感は募ってゆくが、一方で財政が厳しく夕張市のように赤字に転落して政府の管理下に置かれる不安な市町の多いことも伝えられる。
借金苦で困っていながら、他方で、税金をつまみ食いしたり、無駄な出費を続けている地方自治体、一体どうなっているのか。心ある国民は、その刷新がいつになったら出来るのか。われわれの代表である議員は県会にも市、町にもいるはずだが、綱紀粛正でかがみとなるような議会活動を聞くことがない。
住民のいらいらは怒りを通り超して政治不信につながってゆく。
このごろ、問題になっている子どもの給食費の未払いや公営住宅の家賃未払いもそうした行政の乱れのなかの副産物といえぬこともない。
◇ぼくが、滋賀夕刊でそうした公務員の不祥事件を批判したところ、読者の一人が「焼きを入れんとなおらんのと違うか」と笑いながら電話をくれた。
「焼き」とは刀鍛冶師が刀をつくるときの火の入れ方で、鋼(はがね)を真赤に焼いて、それを鉄槌で叩きながら鍛えてゆき、叩いた後、水で冷やし、再び焼いて、叩き鍛える。
焼きが過剰になると「焼きがまわる」といって切れ味が悪くなる。切れ味をよくするには適当な焼きが必要だが、そのコツは刀鍛冶師の腕である。
われわれの使う言葉はそれをヒントにしたもので、「焼きが回る」は火の入れすぎで、切れ味が悪くなる。切れ味が悪いというのは鈍いことを意味する。
仕事でどじを踏んだり、さっさと出来ないときに、それを批判して「焼きが回る」という。
◇「焼きを入れる」はその反対で、焼きが充分入っていないから切れ味が悪いのだ。しっかり仕事が出来るよう鍛え直さねばならぬ。そこで「焼きを入れねばならぬ」という国民の怒りになってゆく。
公務員は国家公務員、地方公務員を問わず、国民に奉仕することが前提であり、その職分については倫理などを持ち出すまでもなく、小学生でも納得できることばかりである。
◇仕事をさぼったり、長期にずる休みしても給料はあたりますよ、とは書いていない。私情をはさんで賄賂を受け、特定の人の利益を図ってもよい、とも書いていない。
インチキの領収書で裏金をつくり、それを貯めて職員の飲み食いに使ったり、ボーナスのように、分配してもよい、とも書いていない。
入札のときに談合のはからいをしたり、予定価格を教えて、特定の人を利してもよい、とも書いていない。
◇だから、学校の先生は公務員の不祥事件を中学生や小学生に話したがらない。
話すと、生徒たちは「なんや、大人たちは口先で、いいことを、えらそうに言いながら、していることは反道徳なことばかり」といって道徳を教えても茶化してしまうからだ。
子供たちに、ろくでもないことを知らせるとそれが逆になって、政治不信を呼んだり、大人社会をバカにしたり、決して心の衛生にプラスにしないからである。
◇寿命が伸びたとか、物が豊かで、福祉社会が進んでいるとか、人間の文化生活が向上しているとか、確かに一面では結構な世の中だとは思うが、明けても暮れても役所の不祥事や無駄づかいがおさまらず、大都市から田舎町に至るまで殺人や凶悪犯罪が起こる現実に目を据えるとき「なんと悲しや、人間崩壊の道をたどってゆくのか」とぞっとするのである。
どうしたら「焼き」を入れることができるのか。議員先生に聞きたいところである。
2007年02月07日
続発する役人の不祥事
あちこちの府県や市町で、いわゆる公務員の不祥事が後を絶たない。
毎日、どこかで何かが起き、その破れの繕(つくろ)いに皆が振り回され、知事や市長らが「申しわけない」と再三、再四詫びの弁明をするかたわら再発防止をおうむ返しに繰り返している。
いやはや、なんとも言えぬこの国のお役所の綱紀の弛緩ぶりである。
◇大阪や奈良、京都で昨年、毎日のように報道されたのは同和事業を食いものにした「えせ同和」の不祥事だったが、日本の役所がいつごろから、こんなふうに堕落するようになったのか。このさい、学者先生に明治以降の役人の体質とその実態、変化などを研究してほしいと思う。
ひょっとすると、日本は江戸期の「おさむらいさん」の特権意識が尾を引いて、それが明治以降の役人に伝播していったのかもしれぬ。
◇江戸期の諸藩の藩政を動かしたのは家老以下藩の役人だが、末端行政には代官が派遣され、それが村々の庄屋を通じて税金を徴収したり、使役を課した。
藩の役人はもちろんのこと、代官は一般人民(主に農民)を人以下に見下げて、その生活上にいろいろな規制をしたり、難題を投げかけたりして、民衆を泣き寝入りさせることが多かった。
藩の財政が苦しくなると、役人への待遇が悪くなり、役人の生活を圧迫した。そこで、役人たちは顔と地位を利用して、商人などの金持ちから金を借りることがあった。
彦根藩のごときは、いろいろな名目で、商人から巨額の資金を借入れた。そのうち返せなくなると、あたかもそれの担保のように町民に苗字帯刀を許したり、士(さむらい)の身分に取り立てた。
重役級であれ、下っ端役人であれ、庶民に言いがかりをつけて、いじめをすることがあり、その緩和策に賄賂(わいろ)を要求した。
◇こういう役人の体質は明治になってからも引き継がれたものと思われ、役人と賄賂は切っても切れぬ宿縁にあった。
だから、役人の汚職事件は今に始まったものではない、と、ぼくは見ているが、それが近年、目に見えて頻発しているのは多分、情報公開が法律化され、うちわで丸めておこうとする闇の部分が表へ出るようになったからであろう。
◇2月6日付の読売・社会面には大東市の人権啓発団体が、勤務実態のない男性職員(57)に市の補助金の6割にあたる年約800万円の給与・ボーナスを支給していたことが分かり問題化している。
男性は同和団体「全日本同和会」大東支部の顧問。その同じ紙面に大阪府の北部衛生所が裏金をプールして、ボーナスとして山分けしていることが報じられた。
獣医師らに支払う日当を府に水増し請求するなどして作った裏金を所内の金庫に保管し、所長の了解の上、職員の飲食代に使い、残りを職員に分配していた。なんのことはない、水増しで貯めた金は府民の税金である。それを飲み食いやボーナスにして、配分したりしていた。
◇その記事の別の箇所には防衛省の技術研究本部の元技官が海上自衛隊の潜水艦に関する秘密資料を持ち出して、在日中国大使館の武官に流した疑いで、書類送検されている。
スパイ行為だが、その代償にどんな利益を得ていたのか。以前にも日本の中国大使館員が、スパイ行為で窮地に立たされ自殺したことがあった。
どれもこれも役人の綱紀が乱れに乱れている事実の証明であるが、こういう不祥事が次から次へと出るということは、まだまだ闇の部分の多いことを思わせる。これまで、表へ出なかったのは、うちうちの仲間同志のかばい合い、助けあいがあったのかもしれぬ。みんな同様なことをしているからお互いさま、見て見ぬふりをしていたのかもしれぬ。
大阪府の北部衛生所の裏金は、職員みんなが山分けしていたというから、山賊が民衆から奪ってきたものを山分けしているような図で、これは以前の北海道の教育委員会がらみの不祥事と同じで、厚かましいのにもほどがあるが、民衆はバカだから、何をしてもいい、くらいに思っていたのかもしれぬ。そのバカな民衆の中にはわれわれの代表の議員先生も含まれる。泣きたくなるような情けない話ではないか。
2007年02月06日
長寿と還暦と七福神
橋の寿命、建物の寿命について書いたが、寿命とは命(生命)の長さのことで、その解釈をもとに、物の使用に耐える期間をもいう。
例えば、「機械の寿命が長い」などという。生命について言えば、古来、長く生き延びることは人間の願望だった。長く生きたくとも必ず齢(とし)を重ねて老い、一人の例外もなく死んでゆかねばならぬ。避けられぬ人間の苦であるが、昔、むかしの中国の大王は世界を探して不老不死の仙薬を求めた。
◇死をまぬがれることは不可能でも寿命の長い人はあった。
一つは長寿の遺伝子を持って生まれたこと、一つは生まれてからの育ちの環境とその人の生きざまによる。
人間は長寿を願うものの、その生き方の教条書のようなものはないから、いわば寿命は宿命だと横着に構える人が多い。
健康法については江戸期の貝原益軒の書いた養生訓は例外で、多くの学者は精神的な修行に関する書は残したが、長寿の秘訣ともいうべきものは残していない。
◇人間は古来、幸せを追い、求め続けたが、その願望は祈りと祭にあった。例えば、日本には昔から七福神の縁起にあやかろうとする習俗があった。
七福神はめでたさを象徴する七体の神で、大黒天、恵比寿(えびす)、毘沙門天、福禄寿、弁財天、寿老人、布袋(ほてい)の七神。
大黒は米俵の上に乗っかっている通り、豊作、福徳の神。恵比寿は鯛を釣ってのにこやかな姿から想像される通り豊漁の神。毘沙門天はお金の神。福禄寿は幸福と長寿の神。弁財天は財福と音楽の神。寿老人は健康長寿、布袋は吉兆や天気の占いの神とされる。
節分に還暦の男性が頭巾を被(かぶ)って豆を播くが、あれは寿老人をかたどったのが原形。丁寧な家は、一家の主が還暦(満60歳)を迎えると、祖先の法事を兼ねて還暦祝いをする。このとき床の間に飾るのが尉(じょう)と姥(うば)である。尉は年寄り男(翁)。姥は老女(媼)。この祝いごとは、古来、日本人が如何に長寿をあこがれたかを実証している。
◇このごろの新聞で、死亡記事を見ると、80歳代、まれに90歳代の人が目につく。人生50年といわれた戦前と比べて、随分、人の寿命が長くなったものだと感心するが、これは一つには世の中の医療、衛生、食環境の向上によるもので、二つには、死ぬべき人を医療の力で生かしているからで、いまの長寿は必ずしもめでたいとは言えぬ。
うそだと思う人は、全国どこでもいいから福祉の制度で守られている老人施設を見学するとよい。ことに重度の老健施設や、特養老人ホーム、痴呆の人々の介護施設などを見ること。涙の流れる人もあるだろうし、気分が悪くなる人もあるだろう。
若いものが家で介護できぬから、公けの施設や病院に預けることになるのだが、ご本人は知覚の正常さを失っているから老いたる赤ちゃん以下であり、気の毒を通り超して見学者自身が老後、あんなふうになるのかと思えば、長寿必ずしもめでたくはなし、と思えるのではないか。
それよりも不安に思うことは、これからまだまだ老人人口が増え、施設はいずこも超満員、そのうち介護する人、介助者がいなくなったらどうなるのか。そんなわる案じをしなくてはならぬほどの長寿日本である。
2007年02月05日
橋の寿命、住宅の寿命
国交省が、橋の老朽化に対応するため、その耐用年数を60年から100年に延ばす、いわゆる橋の長持ち制度を4月から導入するという。
国交省の調べでは、建設から50年以上経過する橋は18年度で全体の6%にすぎない。高度成長期に建設された橋が老朽化するのはこれからであるが、短期間に集中的に橋を改修するとなれば財政負担が重くのしかかる。事前に手当てをして、橋の寿命を長くさせようというのであるから、使い捨て時代に似合わぬよいアイディアではある。
◇現在の橋を点検して、早期に欠陥部品を改修したり、弱体化を防止するのはよいことだが、それ以上に大事なことは、建設するときの完全な設計とそれに基づく建設の監理であろう。
最近、大手企業のごみ焼却施設、下水道工事における談合事件が大々的に報道されたが、早くから土の下の工事は検査が届かない、といわれ、業者の甘みの目のつけどころとされてきた。
建物のように露出部分の多い施設は設計の疑いや手抜き工事などが表面化して問題を呼びやすいが、道路、河川、下水道、橋、ダム、港湾など、いわゆる土木工事は目に触れない部分に施工の重点がかかる。したがって談合などによって受注した業者の手抜きの対象になりやすい。
◇建物においてもホテルやマンションの耐震構造が問題化したとき、やり玉に上がったのはコンクリート柱の中の鉄筋の厚みや、量であった。一たんコンクリートで固めれば内部の鉄筋工法がどう処置されているか分からない。設計通りの施工は当然であるが、実際は下請け、孫請けの段階で、工費を安く上げるため手抜きされるケースも間々あった。
設計通りの施工をするため設計監理制度が置かれているものの、実際の監理は施工業者の癒着でなおざりにされるケースもあり、どこまで監理が徹底しているか疑問である。
この点は、建設関係事業すべに当たり、再検討すべき課題であろう。
◇ところで、橋の寿命もさることながら一般公共物、建築類の耐用年数はどうなっているのだろうか。小・中・高校などは、戦後の物不足時代の建築が多いので、早や早やと建て替えさせられたが、総じてそのころの建物はお粗末だった。
橋が100年なら建物も100年は大丈夫と言いたいが、今の建物で、それ程の寿命を信じるものはだれもあるまい。
◇最近の住宅は見た目は外国のモダンな建物そっくりで、確かに形や色彩感に夢はあるが、さて耐用年数はどれくらいだろうか。こころみに知り合いの専門家に聞いたが、大体、25年くらいでしょうと、こともなげにいう。
「へーい」「そんなもんですか」と、びっくりすると、「それくらいで建て替えするんとちがいますか」。
これは専門家の話だから真実味がこもる。
木材はほとんどが外材であり、それも乾きの悪い生々しいものを使う。大工仕事もかつての職人技はなく、極めて大ざっぱで、建てて、4、5年でガタがくる。左官工事は影もなく、紙細工の延長のようにビニール板の上に塗装する。
◇業者の話によると、建てたものが、そこに何年住むのか、息子や娘が大きくなったらどこかへ建て替えて移るか、さもなくば、老後、家をあけて、息子の家へ引きとられてゆくか、施設に入って、わが家は結局壊されてゆく。25年ももてばよろしいやろ。皮肉にも家族制度の崩壊が家の建物の短命に象徴されている。それが今ふう住宅。
2007年02月03日
自業自得と「あるある」
自業自得という言葉がある。身から出た錆もその一つである。
自作自演で笑いものになったり、インチキ商法で信用を落とすケースもその一つ。不二家の話題が尽きぬ今、今度は方向大転換して、マスメディアの一翼を握る関西テレビがヤリ玉に上がっている。「あるある大事典」の放送で取り上げた納豆ダイエットがそれである。
関西テレビ自身が捏造を認めたのだから、この種の過大宣伝の丸信じは禁物。かくすればスリムになるとか、健康になるとか、美しくなるとか、マスコミを通じてニュースの如く、解説の如く、ときには有名人を登場させて、真実味を訴える広告もある。
どれもこれもインチキとはきめつけぬが、何かを食べて、それがそのまま単純にダイエットの役割を果たしたり、美形になるというような手品のあるはずがない。
それを信じて乗る人がいるからテレビやそのスポンサー、製造、販売の企業などは笑いが止まらぬのかもしれない。
◇どれもこれも、最終的には「おかしい」と気がつくであろうし、社会的に問題化するかもしれないが、だまされた消費者は無駄な金を使ったり、たとえ健康に実害はなくともいい気分はしない。
それよりも何よりも、報道の世界に与える不信感の罪は大きい。なんでも飛びつく日本人の好奇心もこっけいだが、それを逆手にとって金もうけに利用する魂胆こそ浅ましい。
◇テレビは毎日の食事と同じくらいの重みをもって国民の目をうるおしているが、放映は常に真実と思われているから影響が強いのであって、うそかもしれない、誇大広告かも、金もうけにおとりを使っての卑劣な商行為かも、と視聴者が不信感を持てばこの産業の衰退につながってゆく。
衰退化し、テレビ局に不信感がつのれば、それが「墓穴を掘る」ことになる。
関西テレビの「あるある」は、「納豆」や「みそ汁」のほか、まだまだ、あるあるといった情報が寄せられているが、別会社の製作とは言え、放映上の自己管理はどうなっているのか。報道姿勢と番組制作、編集上のモラルなどを考えるとき、国民の一人として怒りを感じないわけにはゆかぬ。
こうした国民の心を逆撫でする行為は、結果的にはそのテレビ局への不信が、経営の不振につながり、もうけが、もうけにならなくなってゆく。いわば「自業自得」であり、「身から出た錆」である。
◇現代は世相が狂っているから、やみくもに「もうけ」に血走ったり、見果てぬ夢を追いまくったり、幸せの美酒に酔うが、すべては調和が必要であり、行き過ぎればその反動で憂いを招くことになる。
「自業自得」と苦笑している間はよいが、身から出た錆が体全体を腐敗させ、崩壊させては後のまつりである。
「そもそも」と、ぼくは大きな声でいいたくはないが、人間の体は神さまから頂いたものであり、地上で生かされているのは神の恵みである海、山、野の幸を食べているお陰である。その毎日の食事の中に、血をきれいにする働きをするものもあれば、健康に役立つ成分も含まれている。人為的に体にメスを入れて、顔を美しくするとか、自然でない加工食品を「おいしい」とか「便利」とかで食べていると、いつかはその報いを受けるかもしれぬ。
いま、人類は地球温暖化の危機になりつつあるが、これも世界の文明がもたらした自業自得であり、一大決心をもって、事態を正視し、反省を行為化しなくてはならない。
2007年02月02日
給食から見る親の自戒(見聞録)
学校給食費の未納が全国で22億円にのぼる。滋賀県教委によると、県内の小中学校の2005年度の滞納額は約2140万円。家計が苦しいのではなく、余裕があるのに払わない親が少なくないという。
湖北地域の各市町の給食費滞納の内訳は▽長浜67万0400円▽米原62万2750円▽虎姫2万2800円▽湖北10万6287円▽木之本2万2200円▽余呉2万9400円▽西浅井8万1200円―で、高月町のみゼロだった。
高月町の学校給食センターは町内の小中学生約1000人に給食を提供し、銀行口座からの引き落としで給食費を徴収。残高不足で支払いがない場合、文書や電話で督促すると、支払いに応じてくれるという。06年度になっても今のところ未納はない。
長浜市も口座からの引き落とし。悪質な踏み倒しはないものの「払えるのに払わない」ケースがあり、学校関係者がわざわざ生徒の自宅に足を運ぶことも。
親は学校現場や給食を軽んじているのだろうか。人間形成の根幹の一つとして「食育」の必要性が訴えられる中、憂うべき出来事ではないだろうか。
◇アフガニスタン、ボスニア、チェチェン、イラクなどで取材しているジャーナリスト佐藤和孝氏は、人間の根源的欲求の「食」についてレポートしている。例えば、旧ソ連に抵抗したアフガニスタンのゲリラ戦士は、戦争の大義や組織の理念にとらわれれず、「腹いっぱい食わせてくれる」指揮官を求めて戦場を渡り歩いたという。戦争で住む家も、仕事もなく、食べるために、命をかけて戦った。
民族対立により住民同士が殺し合ったサラエボ紛争では、銃弾が飛び交う中で、住民がどこからか食糧と酒を手に入れ、カフェを開いた。長引く戦争下、食事に安らぎを求めての行為だろうか。
◇昨秋、エジプト旅行に出かけたとき、人の「食」への渇望を目の当たりにした。ちょうど旅行期間がイスラム教の「ラマダン(断食月)」と重なったため、町のレストランは休業し、アルコール販売はご法度。ムスリム(敬けんなイスラム教徒)はその月、日の出ともに断食し、日没後は盛大に、賑やかに家族や近所の住民と一緒に夜遅くまで食事やおしゃべり、散歩を楽しみ、夜明け前に再び食事。そんな生活が1カ月も続くから、皆、慢性的な寝不足で、日中は無気力で、昼寝してばかり。
日没迫る夕方になると、帰宅ラッシュが始まるのだが、ただでさえ人が多いカイロの街は、我先にと食事の待つ家を目指すムスリムで大混雑し、車がひしめき、砂ぼこりが舞い、空腹のイライラでクラクションの嵐。その圧倒されるほどの騒々しさに、食べることを渇望する情熱、パワーを感じたのが、当時の印象。
◇そういった食べることへの純粋な欲に比べ、物質的豊かさに埋もれる日本では自己利益の追及のため、消費期限切れのものを売ったり、産地を偽装したり、健康への効果を捏造するなど、食を冒涜する事件が次々と明るみになり、給食費未納問題もその一部。
以前、税金の徴収業務関係者から聞いた話。税金を払わない親を持つ子どもは、大人になったとき、親と同様に踏み倒す傾向にあると。
ちなみに、ラマダンは断食を指すのではなく、人間の欲を戒める宗教的「試練」を意味する。今の日本の親たちにも自戒が求められているのではないか。
2007年02月01日
クラークと教育問題
少し、教育に関心のあるものは「クラーク」という明治初期の教育家の名を知らぬものはあるまい。
知らなくとも彼の残した「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という言葉は知っているに違いない。
クラークはアメリカの教育家で、マサチューセッツ農科大学長。1867年(明治9)、日本に招かれ、札幌農学校(北大の前身)の初代教頭となった。
キリスト教精神に基づく新教育を実施し、生徒に多大の感化を与えた。任務を終えて帰国するとき、彼が生徒たちに贈った挨拶の言葉が前記の「ボーイズ・ビー・アンビシャス」で、「少年よ大志を抱け」と訳され、国内に広まった。彼の教化により、後、日本の思想教育界で活躍した二人の大物の名も日本人の記憶に新しい。
◇一人は内村鑑三、いま一人は、紙幣にも登場した新渡戸稲造。このほか、札幌農学校からは人材が多く巣立った。
内村鑑三は、1930年没の宗教家、兼評論家で、無教会派のキリスト伝導者としてキリスト教界に大きな影響をもたらした。
後の大逆事件で有名な無政府主義の大杉栄も彼の弟子だった。一高教授のとき、教育勅語に対する敬礼を拒否して免職となり、以後、萬朝報などを通じ、日露戦争に対して非戦論を発表した。雑誌「聖書之研究」を創刊。「余はいかにして、キリスト信徒となりしか」など著書多く、日本の近代化を通じ若ものに多大な影響を与えた。明治の文豪・島崎藤村などもその一人であった。
◇新渡戸稲造は、1933年(昭8)没。教育者のほか、農政学者としても日本の第一人者であった。札幌農学校を出て、アメリカ、ドイツに留学、一高校長、東大教授、東京女子大初代学長を歴任した。国際連盟の事務次長、太平洋問題調査会理事長として、国際理解と世界平和に貢献した。「農業本論」、「武士道」他著書多数。
◇ぼくが、いま、なぜ、クラークを取り上げたのか。その弟子、内村や新渡戸について言及するのか。それは教育改革について、世論の関心を高め、教育界の人たちに自己改革を訴えたいからである。
「教育」というのは、一つの事業のようなものであるが、この事業は、春に種子を播いて、秋に収穫するような短期速成的なものではなく、長期の熟成期を経て、完熟するのが本来的であるがゆえに、ややもすれば、工場の職人的意識、あるいは単なる知識の切り売り的な商人根性に陥り易い。
今の教育は知識と人格の涵養は表向きの美名で、実態は受験を前提にした予備校まがいである。
総合的な学力や体位、人格などは二の次で、一にも二にも有名高校、有名大学突破の受験本位となってしまった。
生徒たちはテストに追われて、教師との精神的交流は遮断されてしまった。精神的交流が遮断されているのであるから人格的影響を受けるはずがなく、教師は時間をクリアーして、サラリーを稼げばよいわけで、他の一般サラリーマンと本質的に差異はない。
◇生徒たちは受験技術を学び、いかに暗記して、テストにいい成績をとれるか、それのみが主眼で、教科を掘り下げて学問の面白さ、楽しさを追求するゆとりがない。たとえば、国語で現代文を習っても、実際の作家の文章などを味わう指導も受けねば、読む時間も持たぬ。それと同時に文章や詩歌を創る能力も育たない。
受験期が終わったら、何が残るのか。空しさだけが残って、大学は遊びの場になり下がる。それが問題である。
