親中、媚中派の不可解
大変残念なことだが、日本の政治家や世論に関係の深いマスメディアの中には中国に対して臣下の礼をとっているのではないか、と思われるほど卑屈な態度のものがいる。
俗に親中派といわれる人だが、このごろは親中派というよりも媚中(びちゅう)派といわれることが多い。
媚中の媚は「こびる」意味を持つ。「媚(こび)を売る」というような使用例があるが、あまりいい意味には用いない。
◇日本の商社や経済界の中には、中国の巨大な市場に憧れを持つから、お得意大事と、この国のご機嫌うかがいに商魂を見せるのは自由だが、それが政治家や報道の世界にまでおせっかいをやいて、日本そのものが中国の属国になってしまうのでは、と心配するようになっては大変である。
◇一時、中国では反日運動が常識の範囲を超えて、せっかくの両国友好を破砕するに至ったが、その反日の焦点は小泉首相の靖国参拝だった。
中国の反日は、靖国に限らず、国内の至るところに「抗日」、「反日」の記念館のようなものを建て、中国人民にあらゆる機会を利用して反日をPRしてきた。
◇日本における親中派や媚中派は、全く中国の代弁者のような役割を担って、ことあるごとに小泉さんの靖国詣でを批判してきた。そうすることによって、中国から点数を稼ごうとするあさはかな心根だが、腹立たしいのは、政治家がその尻馬になって、小泉叩きをしてきたことだ。
彼ら一部の小泉叩きは、小泉さんの改革政治に反対するためのもので、一日も早く小泉さんをおろして、小泉さんに代わる従来型の派バツ政治を求めた。しかし、小泉改革に対しては表向きに反対できぬため、別の戦略で、中国を利用した。
つまり、それが靖国反対のキャンペーンだった。
◇いま、安倍政権になったのをいいことに、これまでの反主流派は、けんめいに昔流の派バツ政治を模索している。その顕著な現れは、安倍さんの出現以来、ピタリと「靖国」がニュースから消えたことである。
あれだけ、靖国反対だの、戦犯分祀だの、と騒いだ連中が急に沈黙して静かになった。
一体、これまでの靖国騒ぎは何だったのか。はっきり分かったことは、あれもこれもすべては中国の尻馬に乗っただけである。ということは、中国の内政干渉に毅然たる態度をとる小泉さんが憎かっただけなのだ。
逆にいえば、日本の政治家の小泉叩きや靖国叩きは、中国の内政干渉をう飲みにしたのと同然である。
そして、その中国が今、てのひらを返したように、安倍首相を迎えようとしている。その腹は、ただ一つ。安倍さんの靖国詣でをおさえることだけである。情けないことに、日本の新聞の中には、「中国主席、来日の意向」などと見下げた見出しの記事を流している。
その新聞が別の記事では「安倍首相の訪中を要請」とあちらの情報を伝えている。先方が日本へやってくるのは「来日」。こちらが中国へ行くのを「訪中」。この言葉の用い方、おかしいと思わないものがあれば、アホーとしかいいようがない。
安倍さんが「訪中」なれば同様に中国首席も「訪日」でなければならぬ。
この一文字の微妙さに親中、媚中の心が現れているが、この卑屈さは、臣下の礼とみられても仕方がない。
2007年01月11日 14:13 | パーマリンク
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