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医学と医療の罪か

 女性は産む機械だ、と発言して物議をかもしたのは柳沢厚生労働大臣だが、あながち攻めることの出来ないほど今の世は科学万能で、人間の尊厳がかすんでしまった。
 具体的に言えば医学という学問と医療という技術が先走りして、人間の魂と生命の神秘な扉を破壊してしまった。
 もはや人間の体は、造化の神のつくりたもうた大自然の贈りものではなく、科学方程式で人工的に創り出される物質同然となった。
 物質であることから、簡単にメスを入れて、人から人へ肉体の部分を移したり、試験管を利用して受精したり、受精卵を他人の子宮に入れて産ませたりする。
 人間の体が「物体」になり下がった一例である。
◇物体であるから、それぞれの機能は機械の一部と見なされるわけである。機械であるから、部品を換えたり、除去したり、他人の機械の一部とつなぎ合わせたり、目をおおいたくなるような無茶をやらかす。すべてが医療の名で行われ、人の命を守り救済するという美名のための行為である。
 これを称して医療産業という。農業、漁業、工業と同列の金もうけの手段で、学校の先生が聖職から転落したように医師も先生から職人、技術者並みになった。
 金もうけ社会の奴隷に転落したわけだが、そういう方向が文化生活であり、進歩の社会である、と思われてきたのは近々50年のことである。
◇しかし、このような横着な人間の前途は必ず破綻するが、目下、借金で自転車操業する企業と同じで、国家社会もこのような動きをストップすることが不可能となった。
 医療費は現在、年間32兆円を超す大産業となったが、これは国民の病気を助長し、将来の破産につながる一里塚であるのに、政治家も学者も気づいていない。
 いや、気づいている人もあるのだろうが、だれも国家的規模、地方の行政的規模で止めることができない。止めようとすれば無知とバカな集団によって袋叩きにされるにちがいない。
◇科学の進歩とか、文化の繁栄を追って先進国は死に物狂いで争っているが、それは取りもなおさず、「生き残り競争」を演じているだけで、後、先はともかく、いずれは文明国と威張っている驕慢国家が崩れてゆく。
◇ちなみに、目下の医療界では産婦人科の医師不足が問題化している。地方の病院では産科の医師がいなくなり、病院で子を産むことが不可能となった。
 医師が不在だから子が産めぬとは、情けない話だが、文明国では、それが当たり前である。
 医者は金もうけになるし、社会的地位も高い、と、医学志望の学生は多いのに、もうかる筈の産婦人科を敬遠するとは何たることか、と思いがちだが、医療が産業化し、人間の体が物体となったから、故障の多い機械やわりの合わぬ分野などが嫌われる。
 お産は、一つ違えば胎児の生命に関わるし、出産期の妊婦を担当していれば、うっかり旅行にも出かけられない。
 それに少子化で、利用客が減れば、もうけが減る。出産の折のトラブルも面倒で、巨額の補償費を要求されかねない。それやこれやで、産科の医師が減っているのだが、すべては物体医療の責任である。
◇70歳を越えた今の老人で病院で産まれた人はほとんどないはずだ。みんな助産婦(当時は産婆)の介助で生まれてきた。
 今も、アフリカなどの低開発の国では自然分娩であり、医師の手にかかることはない。そういう世界では(日本もかつてはそうだったが)赤ちゃんの誕生は神さまのおぼし召し、と極めて神秘的に祝福した。日本における「宮参り」、「箸始め」、「七・五・三」などの風習は、物ではない神秘な人間の尊厳の証しであった。
◇今はそれが崩れた。他人の精子や卵子を体外で交ぜて、あたかも瓜や茄子の改良種のごとく生命をいじくって、それが生殖産業として成り立っているのだ。
 まこと、女性は産む機械にされてしまった。だから、女性の中には産むことを拒否するものもあり、恋愛はするが結婚はしないとか、セックスはするが、子はもうけないものが増え続けている。すなわち物への抵抗である。
 鶏を産む機械にしたのは「もうけ」本位の産業であり、女性を産む機械にしたのも、もうけの産業化した医学と医療の罪である。

2007年01月30日 13:40 |


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