インターネットと新聞
ぼくの知っている青年A君は、今流行の情報化時代の先端をゆく生き方をしているが、その一つの現れは新聞を購読していないことである。
新聞を読まなくては不便であろう、というのは少し古い人間で、もっと便利なものを毎日見ているという。「見ている」ところが、われわれの「読む」世界とは違うわけだが、ありていに言えば、新聞に代わるものをインターネットで見ているわけだ。
新聞なら、たいてい一紙だが、彼はどの新聞にも目を通そうと思えば可能である。
インターネットで、朝、毎、読、産経、中日、京都、どんな新聞でも見ることが可能だという。
◇いや、便利だから、毎日、それらを各種読むのか、と尋ねると、とても、とてもという。ていねいに読んでいたら1日、24時間ぶっ通しで読んでも読み切れるものでないし、第一、読むなんてことは頭から考えず、見出しを見るだけという。
それも好きな記事というか、興味ある記事で、常に全国的レベルの話題にのみ関心を向ける。例えば、最近の選挙では、そのまんま東氏の当選は知っていても余呉町長選の結果などは眼中にない。
一口に新聞といってもその編集されている記事の量は莫大であり、政治、経済、文化、スポーツ、国際、芸能、健康、教育、福祉、事件、文学、芸術、その他、気象、競馬、見たいものを検索すれば、たちどころに記事が出てくるが、目に入ったものをパッと見るだけである。
大事な記事だから切り抜きしようとか、ボーダーラインを引くといった従来型の読書方法ではなく、いつでも見たいとき、即座に眼前に登場する。
◇便利なもんやね、と腰を抜かすのは、旧人類で、丁度、昭和の初め、始めてラジオが聞けるようになった時代を思えばよい。そのころの人は青竹一本で、ニュースが聞けるなんて、どないなっているんやろと、目を白黒させた。青竹というのは、テレビのアンテナのようなもので、電波を受ける仕掛けであるが、鈍な人間はラジオの機器のことを思わず、青竹が言葉を発しているように感じたわけである。
◇ところで、学ぶというか、勉強となると、頭を使わねばならないし、考えることもしなければならぬが、人々がテレビにかぶりついているように、若い子がケータイに首ったけになるのと同じで、パソコンのネットも興味本位に目に合わせる。
つまりは遊びの世界の延長である。遊びだがら楽しくなければならぬ。今のテレビがアホ番組や興味本位の番組になっているように、パソコン党の遊びの対象は、ろくでもないものに傾きがちになる。どんな情報や絵が登場してくるか、ぼくは旧人類の野蛮派だから皆目見当がつかないが、随分おっかないものもあれば、子供にはとても見せられないものもあるだろうし、難しい言葉でいえば公序良俗に反する類のものもあるだろう。
それらを見きわめることなく、一方的に提供される映像を見つめるわけだからテレビの一億総白痴化の上をゆくことになるかもしれない。
◇白痴化であろうと、何であろうと、見て楽しむのだから、天下太平じゃないか、という人もあるだろうが、なかなか、どうして、天下太平にはなってられない。
そこが規制の難しさと良識の働かない空しさというべきか、その影響がろくでもない方向に出るからである。
例えば、殴り方を会得したり、自殺の方法、人殺しのテクニックを身につけるようなことになれば、たちまち犯罪予備軍に編入されるからだ。
またインターネットを通じ、まやかしの商法が通ったり、詐欺などが横行する恐れも皆無ではない。
◇とにかく、便利なもので、どんな情報でも手にすることは可能だが、しかし、そういった情報の洪水の中で、溺れることはありがちで、結局、人間のおもちゃとして、あるいは、嗜好品の酒や煙草同様に中毒することもあり得るから、いい加減にするがよい、とブレーキをかけることにもなる。
◇さて、さて、これから、IT時代がどんな世相を招くやら、時代の先導者としてどんなバラ色の幸せをもたらすのか。ちょいと見ものではある。
2007年01月24日 13:59 | パーマリンク
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