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心の砂漠と改革の鍵

 良心が麻痺するということは、神さまが人間として生きるために授けて下さった必要最小限度の知恵が働かなくなったことを意味する。
 雨が降れば傘、スピードが出すぎればブレーキ。人を殴ればけが、うちどこが悪ければ死ぬ。人の不幸を見れば悲しみの心、人への迷惑行為には咎め心が湧く。
 これらが生きるために授けられてきた知恵の一例である。
◇生きるための知恵が働かなくなったことは、ブレーキの効かない車を運転しているようなものであり、人の悲しみや不幸に鈍感になっている姿であり、総括すれば心の砂漠化現象である。
 砂漠を緑地化するには雨が必要で、適当な湿りと太陽の恵みを受けねばならぬ。
 末期的現象の危機を感じさせる現代の心の砂漠化を防ぐ処方箋はあるのか。
 ぼくは、人間の原点に立ち返り、文明への反省と母性の裸の愛、農耕社会の祈りを強調し、以下私見を述べる。
◇人間が人間の原点に立ち返るというのは、太古以来の人間の発達史を学べば分かることで、要するに人間は万能ではなく、神の神秘でこの世に生まれ、天地自然の恩恵によって生かされていることを感謝しなければならぬ。
 文明に対しては、これを過信することなく、驕ることなく、自然の生きものとしての人間に整合する謙虚さを失ってはならない。
◇母性の裸の愛は、残念ながら今の文明社会は失いつつあり、古代社会の遺物としてかえりみることをしない。
 日本国の誕生は古事記の神話に明らかなように、男女の神の裸の愛の結晶によるもので、連綿と今に続くのは、いつの代も変わることなき偉大なる母の愛によって育まれてきたからである。今日の母子像に欠けているのは裸の愛であり、悲しむべきは取引の愛に堕落した。鍵を渡して子を見離し、物と金を与えて愛情をキープできる、と慢心した。
 自分の見栄と自分の将来を担保するため、教育ママに陥ったところに現代の悲劇が内包された。
◇農耕社会の祈りは物質万能、科学万能への警告と理解してもらいたい。
 われわれの先祖は一粒の米も粗末にしなかった。「落穂拾い」を死語化させた現代人の驕りや思うべし。
 農耕社会は地域共同社会であり、人々の幸せや不幸をみんなが連帯した。自然発生的に結(ゆい)という制度も行われた。多忙な農繁期に各戸相互に労力を貸しあう知恵だった。
 人々は初詣、祈念祭、春祭、秋祭、など豊作を祈り、収穫を感謝した。富山県八尾町の風の盆は、二百十日の風よけ、青森県のねぶた祭は、秋の収穫前に仕事の妨げとならぬよう「ねぶた(睡魔)」を防ぐ祭、といった具合に、日本国中、四季おりおりに各種の祭が地域で行われ、それが農民の共存共栄を仲立ちした。
 その他、日本人は冠婚葬祭を通じて、家ぐるみの親類総寄りが慣行化され、子供も親や年寄りに連れられ、神仏に合掌する民俗的風土に組みこまれていた。
 このほか、各地で行われる放生会も人々の情操を厚くした。池に魚を放って冥福を祈ったり、殺した虫の供養をしたり。
 祭りやイベントには地域みんなが参加し、持ち寄りのご馳走で会食したり、自前の腕で芸を披露した。そういった暮らしの中には貧しさを超越しての親睦と喜び、そして希望が溢れていた。
 文明の恵みには疎く、物質も豊かではなかったが、神とともにある生活が、神の知恵にもとることなく、心に水とみどりを絶やさなかった。
 今は実質的な「おば捨て」の時代であり、ホームレスの老人を川へ落とす弱い者いじめの世となった。改革は一人一人の心から。

2007年01月18日 13:27 |


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