壊してならないもの
文化が進めば生活が変わる。生活が変われば伝統や習慣、ものの考え方まで変化してゆく。
正月を振り返ってみよう。元旦に年頭の挨拶回りをしなくなった。街頭で年詞を交わす風景も珍しくなった。
子供らの凧(たこ)揚げ、羽根つき、すご六、カルタ遊び、こま遊びも見かけなくなった。
餅搗(もちつき)も個々の家庭ではかげをひそめ、お節料理も昔なつかしくなってきた。
◇なぜ、こんなふうに正月風景がさま変わりしたのか。
分析の仕方はいろいろあろう。
日本人がお金持ちになったからという見方がある。お金持ちと正月の変化がどう関わりを持つというのか。
正月の遊びの主流は子供であるが、その子供がめっきり減ってしまった。貧乏人の子沢山の逆現象といっていい。子供が少なければ隣り近所の子が誘いあう遊びが減る。
◇大人は正月の準備に追われたが、今は何もかもお金で整うので、合理主義のもとに餅もお節も店で買う。
ふところが豊かになったので正月は家を出て旅行する。家々の主婦は暮れは迎春準備。正月は子供の相手や年始客の接待で体を休める暇もなく女正月を待つばかりだった。
今は子供も大人も暮れから正月、テレビに釘付け。子供はゲームかパソコン。食べたいものは冷蔵、冷凍。いつでも、何でも好き放題。
◇初詣は、信仰と無縁で、腹減らしが目的。それもマイカーによる遊びが主体。正月は閑散として人の動きが停止した状態だが、どの家庭でも家に籠もってテレビ番。
中には観劇、パチンコ、競馬、競艇、競輪、スキーなどのファンもあるが、あり余りの世に足らいで福袋買いや百貨店詣でもあり、だれもかれもがお大尽ぶる世相となった。
◇ケータイが生活文化となったから、年賀状はもちろん一般通信にも変化を及ぼし、メールが情報界を支配するようになった。人それぞれの社会的交流、ことに地域社会のコミュニケーションが劣化し、挨拶や互助の習慣が消えつつある。
◇このように万事お金に支配され、お金ですべてが充足する。徹底した個人主義社会が冷蔵庫のような温みのない、あるいは涙を忘れた似て非なる文化砂漠を招来した。
◇正月から立春にかけて、全国各地で社寺仏閣に関わる歴史的、伝統的祭り(おこない)やイベントが展開されるが、これとて、それらを担う若ものの郷土愛と地域文化への誇りとこだわりがあればこそで安倍さんのいう美しい日本がこの方面から崩れることのないよう壊してならないもののあることを銘記したい。
2007年01月05日 11:06 | パーマリンク
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